有涯おわすれもの市

竹原 穂

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たべわすれ 〜かずのこ〜

2-5

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 ここから、誠二さんの意識は唐突に飛ぶ。
 つい先刻まで自分の骨を見ていたと思っていたのに、気がついたら先祖代々の墓に埋められた後だった。
 墓前で膝を折って手を合わせる息子さんの後ろに、奥さんはいなかった。

「ようやく落ち着いたなぁ。まさか、最後があんなことになるなんて思わなかったよ。こんなことなら……って、思うけどさ。まあ、親父も毎回毎回ホントにヒドかったからなぁ。俺らは子供だから、昔から親父のことは知っているし、一生懸命俺たちのために働いてくれていたことも十分理解しているから、なに言われてもある程度は受け流せるけどさ。やっぱり、嫁さんは無理なんだよ。ある日突然、結婚したんだから数十年来の俺たちと同じクラスの気遣いと思いやりをもった家族になれ、なんてさ。俺でさえ、結婚して最初の数年は他人との暮らしに気を揉むことがあったのに」

 長女と次女と続いて、最後に生まれたのが長男さんだった。
 少し歳の離れた念願の男の子ということで、必要以上に『あとつぎ』『あとつぎ』と言い過ぎたかもしれない、と、振り返って誠二さんは思う。
 特に、一生結婚しないと思っていた長女が、次女の時と同じく突然結婚すると言い出した時から、自身が長年名乗ってきた名字がここで途切れてしまうのではないかと言いしれぬ不安にかられた。
 由緒正しい歴史があるわけではないし、特別珍しい名字でもなかったけれど、それでも、『途絶える』というのは誠二さんの価値観にとって一大事だった。

「今だから言うけどさ、俺の嫁さん、実は昔から子宮の調子が悪くて産婦人科にかかってたんだ。子宮内膜症、っていうヤツ。きっと親父は、そんな病名すら知らないよな。って、俺も嫁さんの口からはじめて知ったんだけど。今すぐに死ぬような病状じゃないみたいなんだけど、やっぱり、その病気があると妊娠の可能性が下がるんだよ。嫁さんのは年々悪化していて、だから、妊娠の可能性があがるなら、ってことで手術もしたんだよ。わざわざ仕事を休んで、一ヶ月入院して。子供を作るために、腹を割いたんだ。
すごいよなぁ、俺ら男にはなかなかできる芸当じゃないよ。まあそれぐらい、嫁さんは子供を本気でほしがっていたし、そのために努力もしていた。でもさ、努力したからといって、子供ができるわけじゃないことは……親父に言ってもわからないかもしれないな。俺ら、子供ができる瞬間なんてほんの一瞬の出来事だもんな。俺だって、手術に挑む姿を間近で見てなかったら、たぶん一生、無神経なことを言っていたと思う。俺、ちょっと嫁さんにいらんこと言っちゃう癖があってさ。共働きなのに、専業主婦だった母さんと家事の出来を比べたり、子供ができない時も無責任に気にするなとか言ったり、手術に立ち会うまで、嫁さんの不安に寄り添うなんて考えたこともなかったんだ。不安になっても、どうせ、子供なんてできるときはできるし、できないときはできない、ってそれだけだろって思って。まあたぶん、そんなデリカシーのなさは親父似なんだけど」

 誠二さんは少し、顔をしかめる。
 自身の無知と見識のなさを悔いて。
 それと、都合の悪いことを私のせいにするな、という息子さんへのささやかな反抗を込めて。
 息子さんに自分の姿は見えていないことは重々承知していたけれど、それでも自然な動きは死後も続くらしい。

「子供ってさ、やっぱ、奇跡だよ。欲しいからってできるものじゃない。だからそのぶん、自分のところに来てくれたらめいっぱいかわいがって育てようと思うし、実際、親父たちは俺たち三兄弟をキチンと育ててくれたよな。感謝してるよ。大人になったいま、よく分かる」

 息子さんは手を合わせるのをやめて、膝についた砂をはたいて立ち上がった。

「俺、もう、子供をつくるのやめるんだ。子供ができない原因、なぜだか、当たり前に嫁さんに原因があるってお互い思ってたんだけど……本当の原因は俺だったんだよ。俺、なんか、精子が限りなく薄いらしいんだ。……って、親の前でする話じゃないけど。俺も嫁さんも、子供を作るための能力が、たまたま他の人より弱いみたいでさ。俺は、まあ、出すだけだからいいんだけど、まあ、それも結構しんどいときもあるけど、やっぱり嫁さんにさ、毎回『ダメでした』って言わせるのがなによりも辛くてさ。それに、わずかでも期待してそれが報われないのも辛いんだよ。だから……不妊治療はやめて、もう、夫婦二人で過ごすことにするよ。たぶんさ、親父は俺からこんなこと聞いたら、『情けない』とか『男としての甲斐性がない』とか言いそうだよな」

 そんなこと、いくらなんでも……と、思う誠二さんだけれど、この告白がなくただ報告だけ聞いていたら、長男さんの予想通りの言葉を言っていたかもしれないと思う。

「でも俺も、もし、すんなり子供ができて、その後に知り合いが今の俺たちと似たような選択をしたら、たぶん親父と同じことを思ったよ。俺も、ヒドくて、デリカシーのない世論の一部なんだ」

 長男さんは視線を地面に落としたまま、しばらく動かなかった。
 俯いたまま、小さな声で呟く声が聞こえる。

「……自分が当事者になって、自分が傷ついたからこそ、わかるやさしさって……あるよな」

  数回、鼻をすする音がして、それからまた続けた。

「ごめんな、親父。せめて最後くらいは、感謝の気持ちを伝えたかったのにさ」




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