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さがしわすれ 〜自転車の鍵〜
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由香里ちゃんの生まれ育った家は、山間にある集落だった。
『村』単位で生活していて、回覧板がまわり、家は全て平屋の日本家屋。
数十年後には限界集落になろうかというような場所だったけれど、自然が豊かで常に鳥の声が響き蝶が舞い蛙が鳴いて道行く人は全員知り合いの暖かい空気が、幼いときの由香里ちゃんにとってはとても過ごしやすくて大好きだったと言う。
家族はお父さんとお母さんとお姉さんと由香里ちゃんの四人家族。
お姉さんとは二歳離れていて、歳が近いせいか衝突することもあったけれど仲の良い姉妹だったそうだ。
中学生になって、徒歩での通学が困難になった由香里ちゃんは電車とバスを乗りついて通学することになった。
朝早くに起きて、自転車に乗って20分かかる最寄り駅に行って、そこからまた電車で40分。帰りも同様に時間をかけて帰る。
なかなか長距離の通学かつ電車の本数も少ないので、朝、起きられなかったら完全に遅刻が決定してしまう。だから、寝坊した時はたびたびお母さんに車で送ってもらっていた。
だけど、二歳しか離れていないお姉さんも条件は同じだ。
同じ中学校に通っていた時は二人一緒に送ることもできたけれど、お姉さんの高校が電車で反対方向になってしまってからは、お姉さんはたとえ寝坊しても自力で行くしかなくなってしまった。
高校生になったら、由香里も送っていかないからね、とたしなめられつつも由香里ちゃんはなんだかんだお母さんが末っ子の自分に甘いことを知っていた。
きっと、高校生になっても頼み込めば送ってくれるだろうな、いや、お姉ちゃんと同じ高校に受かれば、一緒に送ってもらえるから、きっとお姉ちゃんも喜ぶだろうな、と考えながら日々を過ごしていた、ある日。
中学三年生の秋、由香里ちゃんは交通事故にあって命を絶たれてしまう。
それも、朝、由香里ちゃんを車で送ってくれていたお母さんと一緒に。
その日は、寝坊したわけではなかった。
中学三年生になって、夜更かしを控えるようになった由香里ちゃんはきちんといつも通り起床した。
いつもと違うことといえば、通学に使う自転車の鍵がどうしても見つからなかったことだ。
自分の部屋はもちろん、台所、リビング、靴箱の中や軒下までひっくり返して探したのに、とうとう見つからなかった。
家の目の前に自転車があるのに、使えないもどかしさ。
気がついたら、もう遅刻する時間だった。
そして、お母さんに頼み込んで車に乗って通学しようとしていた時に、普段ならなんの問題もないような十字路に居眠りトラックが突っ込んできて……と、いうことだった。
交通事故、と聞いて私の心臓が跳ねた。
防犯カメラに残された、自分の夫と姑の最期をありありと思い出してしまったからだ。
交通事故は、本当に悲しい。
交通事故に限らず、突然の死は遺された人たちの心も深く傷つける。
突然じゃなければいいのかというと、そういうことでもないけれど……。
実際に大事なひとを亡くすまで、一般論としての『遺されたかなしみ』は理解していたつもりだったけれど、自分が経験してみると、それは想像の比ではなかった。
またかなしみに飲み込まれそうなところを、グッとこらえる。
今は、由香里ちゃんのことだ。
そうか。
遺された側だけではなく、遺してしまった側にも心残りが、あるのか……。
一志さんの心残りが、私だったらいいな、と、少しだけ願う。
お姑さんだって、わけもわからず急に命を絶たれて、きっと子供たちに言いたいこともあっただろう。
ハツカちゃんたちの『市』が全国に点在しているのなら、今頃、来店しているかもしれない。
由香里ちゃんが、いまここを訪ねているように。
「由香里が……この鍵をなくさなければ……お母さんは亡くならなかったのに……。由香里のせいで、ごめんなさい……」
この場所に、由香里ちゃんの血縁者はいない。
だから、誰にも彼女を赦せない。
「由香里は……いいの。だって、由香里が鍵をなくしたせいで死んじゃったんだもん。でも、お母さんはなにも悪くないのに。それに、由香里は……お父さんやお姉ちゃんから、お母さんを奪ってしまった。そんなの、きっと……ゆるしてもらえないよ。ごめんなさい……ごめんなさい……」
それでも、由香里ちゃんは家族に謝り続ける。
この後悔の念が、おわすれもの市に由香里ちゃんを導いたのかもしれない。
俯いて、ここにいない家族に謝罪を続ける彼女の震える肩をどうすればいいのだろう?と思ってハツカちゃんを見ると、ハツカちゃんも困った顔をしていた。
「……ハツカちゃん、こういうとき、お兄さんはどうしてましたか?」
小声で囁く。
由香里ちゃんの生まれ育った家は、山間にある集落だった。
『村』単位で生活していて、回覧板がまわり、家は全て平屋の日本家屋。
数十年後には限界集落になろうかというような場所だったけれど、自然が豊かで常に鳥の声が響き蝶が舞い蛙が鳴いて道行く人は全員知り合いの暖かい空気が、幼いときの由香里ちゃんにとってはとても過ごしやすくて大好きだったと言う。
家族はお父さんとお母さんとお姉さんと由香里ちゃんの四人家族。
お姉さんとは二歳離れていて、歳が近いせいか衝突することもあったけれど仲の良い姉妹だったそうだ。
中学生になって、徒歩での通学が困難になった由香里ちゃんは電車とバスを乗りついて通学することになった。
朝早くに起きて、自転車に乗って20分かかる最寄り駅に行って、そこからまた電車で40分。帰りも同様に時間をかけて帰る。
なかなか長距離の通学かつ電車の本数も少ないので、朝、起きられなかったら完全に遅刻が決定してしまう。だから、寝坊した時はたびたびお母さんに車で送ってもらっていた。
だけど、二歳しか離れていないお姉さんも条件は同じだ。
同じ中学校に通っていた時は二人一緒に送ることもできたけれど、お姉さんの高校が電車で反対方向になってしまってからは、お姉さんはたとえ寝坊しても自力で行くしかなくなってしまった。
高校生になったら、由香里も送っていかないからね、とたしなめられつつも由香里ちゃんはなんだかんだお母さんが末っ子の自分に甘いことを知っていた。
きっと、高校生になっても頼み込めば送ってくれるだろうな、いや、お姉ちゃんと同じ高校に受かれば、一緒に送ってもらえるから、きっとお姉ちゃんも喜ぶだろうな、と考えながら日々を過ごしていた、ある日。
中学三年生の秋、由香里ちゃんは交通事故にあって命を絶たれてしまう。
それも、朝、由香里ちゃんを車で送ってくれていたお母さんと一緒に。
その日は、寝坊したわけではなかった。
中学三年生になって、夜更かしを控えるようになった由香里ちゃんはきちんといつも通り起床した。
いつもと違うことといえば、通学に使う自転車の鍵がどうしても見つからなかったことだ。
自分の部屋はもちろん、台所、リビング、靴箱の中や軒下までひっくり返して探したのに、とうとう見つからなかった。
家の目の前に自転車があるのに、使えないもどかしさ。
気がついたら、もう遅刻する時間だった。
そして、お母さんに頼み込んで車に乗って通学しようとしていた時に、普段ならなんの問題もないような十字路に居眠りトラックが突っ込んできて……と、いうことだった。
交通事故、と聞いて私の心臓が跳ねた。
防犯カメラに残された、自分の夫と姑の最期をありありと思い出してしまったからだ。
交通事故は、本当に悲しい。
交通事故に限らず、突然の死は遺された人たちの心も深く傷つける。
突然じゃなければいいのかというと、そういうことでもないけれど……。
実際に大事なひとを亡くすまで、一般論としての『遺されたかなしみ』は理解していたつもりだったけれど、自分が経験してみると、それは想像の比ではなかった。
またかなしみに飲み込まれそうなところを、グッとこらえる。
今は、由香里ちゃんのことだ。
そうか。
遺された側だけではなく、遺してしまった側にも心残りが、あるのか……。
一志さんの心残りが、私だったらいいな、と、少しだけ願う。
お姑さんだって、わけもわからず急に命を絶たれて、きっと子供たちに言いたいこともあっただろう。
ハツカちゃんたちの『市』が全国に点在しているのなら、今頃、来店しているかもしれない。
由香里ちゃんが、いまここを訪ねているように。
「由香里が……この鍵をなくさなければ……お母さんは亡くならなかったのに……。由香里のせいで、ごめんなさい……」
この場所に、由香里ちゃんの血縁者はいない。
だから、誰にも彼女を赦せない。
「由香里は……いいの。だって、由香里が鍵をなくしたせいで死んじゃったんだもん。でも、お母さんはなにも悪くないのに。それに、由香里は……お父さんやお姉ちゃんから、お母さんを奪ってしまった。そんなの、きっと……ゆるしてもらえないよ。ごめんなさい……ごめんなさい……」
それでも、由香里ちゃんは家族に謝り続ける。
この後悔の念が、おわすれもの市に由香里ちゃんを導いたのかもしれない。
俯いて、ここにいない家族に謝罪を続ける彼女の震える肩をどうすればいいのだろう?と思ってハツカちゃんを見ると、ハツカちゃんも困った顔をしていた。
「……ハツカちゃん、こういうとき、お兄さんはどうしてましたか?」
小声で囁く。
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