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わたしわすれ 〜指輪〜
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しおりを挟む「こんなところに、居たのね」
今まで必死に良いように考えて、なんとか前を向いて生きようとしてきたのに……。
ここに導かれたのは、この現実を見せつけるためだったのか。
犯してしまった私の罪を、ここで……。
「えっ? トヨさま?」
「見つけたわ」
ハツカちゃんの店主代理らしくない幼い年相応の声と、トヨさんの声が重なる。
顔を覆った指の隙間から見えたのは、私の前に差し出されたトヨさんの細い手のひら。そして、その上の指輪。一志さんの、指輪。
「はい、志穂ちゃん」
志穂ちゃん……とは、十年変わらずトヨさんに呼ばれ続けた私の名前だ。
最初は緊張したお姑さんとの暮らしも、何度も『志穂ちゃん』と呼ばれるたびに少しずつリラックスできるようになった。
一志さんから呼ばれる『志穂』も、トヨさんから呼ばれる『志穂ちゃん』も、どちらも温度は違うけれどあたたかくてやさしくて、私は大好きだった。
大好きだから……うれしいから……、私はいつも、二人の期待に応えようとして実力以上に頑張りすぎていた。
そんなふうに自分の容量を越えて頑張りたいと思えるような人と出会えたなんて、私は幸運だと思う。
ほんの少し、歯車がズレてしまって全て壊れてしまったけれど……それでも、一志さんと結婚したことや、トヨさんと過ごした日々まで、否定したくはない。
私はずっと、一志さんに謝りたかった。
私のせいで、死なせてしまってごめんなさい。
私はずっと、一志さんにお礼を言いたかった。
私を選んでくれて、結婚してくれてありがとう。
私はずっと、トヨさんに謝りたかった。
私のせいで、死なせてしまってごめんなさい。
私はずっと、トヨさんにお礼を言いたかった。
私を家族にしてくれて、ありがとうございます。
ごめんなさい、きっと二人は私のことを恨んでいる。二人はなにも悪くない。そして、私も悪くない。絶対的な悪のいない不幸な出来事ほど、厄介なものはない。
感謝と後悔と、ほんの少しの恨み辛みと。
たくさんの感情が渦を巻いて私から離れない。
不幸な事故だった。
視点を変えれば、みんなそれぞれ落ち度がある。
だけどそれを理由に、他の楽しかったことまで全て色褪せてしまうなんてイヤだ。
私が今もまだ、自分の命を燃やし続けているのは、そんな思いがあるから。
私は、まだここで生きている。
たとえ、トヨさんが私にどんな感情を抱いていたとしても……私はそれを受け止める、義務と責任がある。
おそるおそる顔を覆っていた手を外すと、事故前日の痩せたトヨさんの姿がそこにあった。
生前、認知症が悪化するまでの朗らかな笑顔で話す。
「結婚指輪、忘れていったでしょ?」
「………」
違うんです、トヨさん。
その指輪は……。
「私の息子と結婚してくれて、本当にありがとう。あの子、やさしいけれど鈍感なところがあるから、一緒にいてヤキモキすることもあるでしょう? あの子の良さを分かってくれるのなんて、志穂ちゃんだけよ。いつも、ありがとう」
「………」
一志さんは、誰にでも人当たりの良い人でしたよ。
みんなに好かれていました。そんな人が、私を選んでくれたなんて嬉しくてたまらなかった。
鈍感なところは、少しありました。私が介護で疲れ切って壊れる寸前にならないと、手助けの言葉をかけなかったので。だけど私も、まるで疲れていないように振る舞っていたから、一志さんだけを責められたものではありません。
「私、最近自分のことが自分でよくわからないの。外にでるといろんな人を怒らせちゃうから、ずっと家にいるようにしてるけど、そんな私といつも一緒に居てくれてありがとう。家の中は退屈な時もあったけど、志穂ちゃんが一緒だから毎日楽しかったわ」
「………」
そんな……。
トヨさん、私、私は……。
「志穂さん、これからもこの指輪と共に、一志と人生を歩んでいってね」
「………」
なにか言わないといけない。
頭の中で話したい内容がぐるぐると浮かんでは沈み、なにも形にできずに消えていく。
「私、あなたと過ごせて幸せだった。ずっとこれを言いたくて、貴女を探していたのよ」
トヨさんは……。
一志さんを探していたんじゃない。
私を、探していたんだ。
結婚指輪を忘れてどこかに行ってしまった私を、靴を履かずに、何時間も、ずっと。
当の私は、自宅の二階で気絶するように眠りこんでいたというのに。
「志穂ちゃん、ありがとう」
ようやく出会えたよろこびを噛みしめるように、トヨさんはゆっくりと感謝の言葉を述べる。
私は……やっぱりなにも言えなくて、ただバカみたいに首肯していた。
感情が詰まって、喉でつかえて、息ができない。
陸で溺れているかのように口をパクパクさせて酸素を求める私を瞳に映して、トヨさんは指輪から手を離す。
トヨさんの御忘物は、私の手に落ちる前に幻と消え、同時にトヨさんも瞬きの間に消え去ってしまった。
「と……っよ、さん……」
ようやく絞り出した声も、狭い店の中で小さく響いて消えた。
「良い、次の……有涯を」
ハツカちゃんのお決まりの口上が、どこか遠くで聞こえる。
私は椅子から立ち上がろうとして、そして。
そこから……私の意識が途絶えた。
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