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第14話  初恋は手榴弾のように

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 僕は鏡を見る。
 平均より少し高い身長。やせ型。短く刈られた髪。特に目立った特徴のない容貌。それほど悪いわけではなく、むしろいい方かもしれない。
 でも、何かが足りない。そんな気がするんだ。いつも。
 こんな風に考えるようになったのはいつからだろう? 



 ホビー・フェスティバル以来、部長は僕の家に来るようになった。
 初めて訪れた日、部長はグレーの無地のワンピース姿だった。
 案内された席に背筋を伸ばして座る様は粛然としたものがあり、母さんが圧倒されていたのを覚えている。
 訪問先を気遣っての控えめな身なりに、立ち振る舞い。
 そんなもので、この人の持って生まれたものは覆い隠せはしない。
 今では、すっかり母さんも慣れ、部長は我が家の大切なお客様となった。

「日菜ちゃんの詩の朗読を聞いたとき、フランス語の発音が素晴らしくて、私、感激してしまいました。……それに……とても可愛らしかったんです」

 思い出をたどるように言う。

 交流会というのは、文字通り小等部から高等部の間で行われる懇親会だ。
 その時、互いにちょっとした出し物をする。合唱とか寸劇とかだな。
 その年は日菜の詩の朗読だったらしい。

 神宮司部長が優しい目で日菜を見る。

「そんな……そんな風に言っていただけるなんて……」

 日菜の目が、感激のあまり潤んでとろけそうになっている。

「でも、慎一さんはとてもやさしいんですね。私も兄が二人いますが、あまりかまってもらえなくて……」

 そして僕をチラリとみる。
 日菜の手を握った僕の手を見た時の目で。

「本当に仲がいいんですよ」

 何も知らない母さんが笑う。
 いや、実際に何もないけど……。


 ―― リーン

 その時電話がかかってきた。

「あら。ちょっと待っていてね」

 母さんは席を立ち、戻ってくると、

「ごめんなさい。急に出かけなくちゃいけなくなって……。神宮司さんは、どうぞゆっくりしていってね。任せていいわね。慎ちゃん。日菜ちゃん」

 「いってらっしゃい」と僕らが母さんを見送って間もなくのことだった。 

 ―― ピンポーン

 日菜が応対すると、インターフォンから耳慣れた声が聞こえてきた。

「私です。フランです」

 僕は頭が痛くなってきた。
 面倒な奴がまた押しかけてきたんだ。
 厄介なことにならなければいいけど。
 
「お姉さまがいらしているって、日菜ちゃんに教えてもらったんです」

 フランの目がキラキラと輝いている。フランにとっても部長は憧れの“お姉さま”というわけだ。

 日菜よ! なんて余計なことを!
 でも、今さら言っても始まらない。ここは何とか乗り切らなくてはならない。

「部長ちょっと……」

 僕は部長を廊下に連れ出すと、フランス語をめぐる日菜とのいざこざの件と、その後和解したことを話し、交流会の件に触れないようにと懇願した。
 
「まぁ! そんなことが?」

 部長は少し驚いたあと、快諾してくれた。
 ついでに、僕がフランを不審者から助けたことも話すと、

「貴方にもそういう勇ましい面があったのね」

 と、本当に、本当に驚いた様子で言われた。
 僕のことなんだと思っているんだろうか?

 フランも、先輩を「お姉さま」と呼ぶ。ついでに言うと僕はお兄様だ。
 お兄様だの、お姉さまだの、僕の家はどうなってしまったんだ?

「ホビー・フェスティバルでお姉さまに再会したんですって? いいなぁ」

 フランがうらやましそうに、拗ねたように言う。

「フランちゃんもあの日誘ったけど……」

 日菜が申し訳なさそうにしていると、

「ううん。フラン、あの日は用事があっていけなかったの。でも、日菜ちゃんが教えてくれたおかげで、私もこうしてお姉さまに会えることができて嬉しいわ。でも、お兄様とお姉様がお付き合いしているなんて、フラン知らなかった」

「まぁ! フランちゃんたら!」

 部長が頬を染めて、嬉しそうに笑う。
 この人のこんな姿を見るのは初めてだ。気のせいか可愛らしく見える。
 でも、誤解は解かなくちゃいけない。
 
「フラン。僕と神宮司部長は部活が一緒なだけだよ。別にお付き合いをしているというわけではないんだ」

 部長の目が冷たく光ったような気がしたのは気のせいだ。そうに違いない。

 だが、トラブルという名の手榴弾しゅりゅうだんは防御壁を超えて飛んでくるものだ。

 投げたのはフラン。

「本当ですか!? よかったぁ! だって、私、お兄様が好きなんですもの!」

 フランがもじもじと頬を染めながら言った。

 ―― 手榴弾は見事に炸裂した。

 手榴弾は目的に当てる必要はなく、ただその方向に投げさえすればいい。吹き荒れる爆風と飛び散る破片により、強力な攻撃力を発揮するのだから。
 これは投擲とうてきと呼ばれる、有史以前に人類だけが獲得した能力によるものだ。
 
 ―― えっと……。 
 なんだっけ?? 僕は何が言いたかったんだ???

 そうだ! 日菜! 日菜はどうした!?
 僕は、爆風で粉々になった残骸の中、目を泳がせながら日菜を探した。

「ふみゅー」

 ぽかんと口を空けて固まっている。
 そりゃそうだ。告白ってのは、こんな唐突にするものじゃない。
 もっと、こう、準備とか、根回しとか……。
 どきどきしながら下駄箱に手紙を入れるとか、学校帰りに待ち伏せするとか。
 いきなり手榴弾を投げつけるようなやり方じゃないはずだ。

 そして神宮司部長。
 僕を見る視線が冷たく刺さりそうなのは気のせいだ。
 でも、部長はなぜこんなに機嫌が悪くなったんだ?

「フラン」

 僕は慌てて言った。

「君は何か誤解しているんだ。あの時は危険な目に合って、その……混乱しているんだよ」

「そんなことありません。助けてくれた時のお兄様の姿は凛々しくて、いっぺんで好きになりました。こんな気持ち初めてです!」

 フランがいたって真面目な、純真な表情で言う。
 その無垢な姿に、僕はいたたまれなくなった。

「じゃぁ、私はこれで失礼するわ」

 神宮司部長が席を立とうとする。

「あ……あの……駅まで送ります。日菜。フランの相手を……」

「結構よ」

 冷たく放たれた言葉。

 するとフランも、

「フランも帰ります。あの……お兄様。私、今はお兄様って呼べるだけでも幸せなんです。返事は急ぎません。でも、いずれ考えてくださいね」

 フランはしおらしく自分の気持ち告げた。
 その姿はあまりにも可憐で、妙な気持になる。
 フラン。君は、自分の言っている意味がわかっているのかい?
 犬や猫やゆるキャラを“かわいい!!”ってのと同じなんじゃないか?

「やっぱり送ります」

 フランと部長を駅まで二人きりにするわけにはいかない。
 理由はわからないけれど、そんな気がする。

「坂下君」

「は、はい!」

 部長の言葉に僕は飛び跳ねた。
 いや、今にも飛び跳ねそうだった。

「送らなくていいって言ったのはね。車が迎えにくるからなの」

「じゃあフラン。ちょっと待っていてくれるかい? 先に部長の車が来るまで玄関で待っているから。その後送るよ」

「はい! お兄様」

 フランが元気に返事をする。
 恋の告白をしたばかりの乙女にはとても見えない。

 部長が電話をすると、すぐに車が迎えに来るという。
 少しの辛抱だ。

 だが……。
 ほんの少しの間に、コトは起こるものだ。

「かわいいわねぇ。日菜ちゃんもフランちゃんも。この前までランドセルを背負った小学生だったんですものねぇ……」

「えぇ。まぁ」
 
 言葉を濁しながら、僕は精一杯身構える。
 もう体を縮めて身を守ることしかできない。

「貴方の趣味がよぉ~くわかったわ。貴方、そういう人だったのね」

「えっ?」

「小学生が好きなのね」

 何だよそりゃ!?

「真面目そうな顔して、あんな年端もいかない子供!! しかも妹の同級生じゃない!! 乳臭い小娘が好きなんだわ!! ついこの間までおねしょしていたような子がいいのね。それともランドセル・フェチなの!!??」

「何言っているんですか!? 僕が何したって言うんですか! それにフランは、もうランドセルは背負しょってませんよ?」

 だから! 何なんだよ! 【ランドセル・フェチ】ってさぁ!!

「口答えする気!?」

 そう言いながらハンカチで口元を抑えた。僕から漂う腐臭から逃れるかのように。

「ああ!! 汚らわしい!!!!」

 罪なき僕に罵詈雑言の嵐が吹き荒れ、それは神宮司家の車の到着まで続いた。
 
 

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