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第29話 白い迷宮
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「みなさん! おつかれさまでした」
オーナーが僕らを居間に案内した。
「簡単ですがお茶にしましょう!」
そう言って、ティーバッグの入ったポットとカップを持ってきた。
お菓子はすでに皿にのせて並べてある。
「売り上げたお金は一部を寄付して、残りを清算した後、お渡ししますがよろしいでしょうか?」
オーナーの言葉に全員が一斉に頷く。
三人の奥さんたちは、朝の緊張がした様子からは一転して、晴れやかな表情で、楽しそうに話をしている。
ほとんど完売したんだ。達成感で盛り上がっているのかもしれない。
それに彼女たちは、どことなく雰囲気が似ていて、気が合いそうな気もする。
これを機会に仲良くなってくれれば……。
そんなことを願ったりした。
僕の隣には左に神宮司部長、その隣が中崎さん。右隣にはフランがいる。
そして向かいには、向かって左から、山内さん、田代さん、市川さんと並び、その横に……日菜と高橋クンが並んでいる。
おい! 高橋クン? なぜ、そこにいるかな?
これは関係者のための慰労会だよ!
閉店間際に、ふらりと来た君がなぜここにいる?
面白くない。
でも、日菜は楽しそうに話をしている。
何を話しているんだろうか?
席が離れていて、聞き取ることができない。
「それにしても……」
部長の言葉が、もやもやとした気持から僕を引き出す。
すごい吸引力だ。
「どうかしましたか?」
部長は機嫌が悪い。
三人の奥さんたちの手前、気持ちを隠して作り笑いをしている。不機嫌な理由は痛いほどわかるけど、
「疲れましたか? 朝から忙しかったですからね」
気づかないふりをした。
「私のドイリーが売れ残るなんて」
唇を耳元に近づけ、僕だけに聞こえるように囁いた。
ふっと、吐息が耳をくすぐる。
僕は一瞬ドキリとするが、部長はすぐに笑顔を作り直した。この場の空気を乱す気はないようだ。
ふーん。
そういう気配りができるんだ。
それなら僕も……。
日菜と高橋クンの方を見ないことにする。
この和やかな空気を乱してはいけない。
「ねぇ。お兄様」
フランが嬉しそうに言う。
「フランと日菜ちゃんの作ったストラップも売り切れましたね」
フランの笑顔に、苛立ちが和らいでいく。
「そうだね。フラン頑張ったもの」
「そんな……」
フランが恥ずかしそうにもじもじとする。
やっぱりかわいい。
「フランは大変だったね。30個のうち18個はフランが作ったんだよね?」
「はい! でも、とても楽しかったです」
中崎さんにもお礼を言わなくては。
「中崎さんもありがとうございました。あれだけのものを短期間で作るのは大変だったのではありませんか?」
「ええ。まぁ、少し……。でも、楽しかったわ!」
そう言って中崎さんは笑顔を見せる。
中崎さん……本当にいい人だなぁ。
お茶会は和気あいあいとした中、お開きになった。
左隣の部長と、左向かいに座った日菜と高橋クンへの気がかりを残して……。
「おやすみ日菜。今日は疲れただろ? 夕飯を食べたら早く寝なさい」
「はーい!」
日菜が返事をする。
高橋クンが家まで送ると言ったが、僕がいるし、これ以上迷惑をかけられないからと、丁重にお断りをした。
「僕も疲れたな」
用事を済ませると、さっさとベッドに入った。
今日は、さすがに疲れた。早く休もう。
……が、
眠れない。
「興奮しすぎたかな。ガレージセールなんて慣れないことをしたから……」
無理に眠る必要はない。体を休めるだけでいいんだ。
僕はじっと目を閉じた。
……が、
眠れない。
意識をしまいとすればするほど、目が冴えてしまう。
眠れない。
≪私のドイリーが売れ残るなんて≫
耳元に、洩らした吐息の生暖かさが蘇る。
「うわ!」
僕は飛び起きる。
「気にしない。気にしない。部長には後で埋め合わせをすればいいんだ!」
僕は自分に言い聞かせた。
再び目を閉じると、今度は、日菜と高橋クンの姿が目に浮かんだ。
何を話していたんだろう。
重く苦しい気持ち。
今まで感じたことのない焦り。
伯母さんの警戒心に満ちた視線も、親族連中の距離を取ろうとする白々しさも……。
そのとき感じた重苦しさ、息苦しさとも比べようもない不快感。
“嫉妬”
二文字が脳裏をよぎる。
「まさか……」
心配なだけだ。
だって日菜も高橋クンも、まだ中学生だから。
兄としては心配して当然だ。
「寝るのは本格的に諦めるか……」
僕は階下に行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
ごくり。
冷たい液体が体を流れていく。
時計は一時を指している。
窓の外では、半月が夜空をぼやっと照らしていた。
春と言っても、まだ肌寒い。僕は、ミネラルウォーターを選んだことを後悔する。体がいっそう冷えるようだ。
だけど……なんだかしっくりくるんだ。この冷たさが。
体にこもった熱を沈めてくれるような気がする。
サイドテーブルに目を向けると、日菜の編んだドイリーがあった。
日菜。
どんな気持ちなんだろう。
母さんの手芸教室の人にも、フランにも追い抜かれてしまった日菜。
確かに上達は遅い。それでも努力を重ねれば、成功したときの喜びは、ひとしおなのかもしれない。
日菜は黙々と編み続ける。静かに穏やかに……。
僕は、初めて日菜のレースに、心を掴まれた日のことを思い出した。
日菜のレースを見ると、穏やかな気持ちになれる。
もしかしたら、レースの編み目のひとつひとつに日菜の思いが込められているのかもしれない。
……が……
もうひとつのことを思い出す。
思い出したくもないことを。
神宮司部長の、僕のモチーフ編みを見た時の目。
禍々しいものを見るような。
恐ろしい毒虫を見るような目。
―― え?
あれって、僕の思いを見たとか?
いや。いや。ないよ。
ただの白いレース編みだよ
でも……。
もし、編み目に思いを込められるとしたら。
部長がそれを察知したのだとしたら……。
日菜と高橋クンの楽しそうな姿が目に浮かんだ。
えっ?
なに?
そんな?
僕のモチーフ編みに込められた思いって……。
『神宮司さんの。部長の勘はよく当たるの。普通の人が感じないことを一瞬で察知してしまうの』
中崎さんの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
そんな!
背筋がぞくぞくとして、体中に悪寒が走る。
部長の僕のモチーフ編みを見るときの目。
≪禍々しい!≫
「違う。日菜は僕の妹だ。そんな感情で見たことなんてない!」
でも。
でも。
この息苦しさ。
これは嫉妬なんだろうか?
僕は。
僕は。
妹の日菜が好きなんだろうか?
行き場のない思いが、禍々しい思いが、編み目に込められたというのか?
そんな気持ちの行き場などあるはずもない。
日菜は僕の妹なんだ。
そんなものは邪としか言いようがないじゃないか?
いつからだ?
いつからだ?
いつからだ!!!!!
記憶をたどろうとしても、頭がガンガンと痛み、何も考えることができない。
悪寒が強まり、体中の力が抜けていく。
いつからだろう?
僕には思い出すことができなかった。
オーナーが僕らを居間に案内した。
「簡単ですがお茶にしましょう!」
そう言って、ティーバッグの入ったポットとカップを持ってきた。
お菓子はすでに皿にのせて並べてある。
「売り上げたお金は一部を寄付して、残りを清算した後、お渡ししますがよろしいでしょうか?」
オーナーの言葉に全員が一斉に頷く。
三人の奥さんたちは、朝の緊張がした様子からは一転して、晴れやかな表情で、楽しそうに話をしている。
ほとんど完売したんだ。達成感で盛り上がっているのかもしれない。
それに彼女たちは、どことなく雰囲気が似ていて、気が合いそうな気もする。
これを機会に仲良くなってくれれば……。
そんなことを願ったりした。
僕の隣には左に神宮司部長、その隣が中崎さん。右隣にはフランがいる。
そして向かいには、向かって左から、山内さん、田代さん、市川さんと並び、その横に……日菜と高橋クンが並んでいる。
おい! 高橋クン? なぜ、そこにいるかな?
これは関係者のための慰労会だよ!
閉店間際に、ふらりと来た君がなぜここにいる?
面白くない。
でも、日菜は楽しそうに話をしている。
何を話しているんだろうか?
席が離れていて、聞き取ることができない。
「それにしても……」
部長の言葉が、もやもやとした気持から僕を引き出す。
すごい吸引力だ。
「どうかしましたか?」
部長は機嫌が悪い。
三人の奥さんたちの手前、気持ちを隠して作り笑いをしている。不機嫌な理由は痛いほどわかるけど、
「疲れましたか? 朝から忙しかったですからね」
気づかないふりをした。
「私のドイリーが売れ残るなんて」
唇を耳元に近づけ、僕だけに聞こえるように囁いた。
ふっと、吐息が耳をくすぐる。
僕は一瞬ドキリとするが、部長はすぐに笑顔を作り直した。この場の空気を乱す気はないようだ。
ふーん。
そういう気配りができるんだ。
それなら僕も……。
日菜と高橋クンの方を見ないことにする。
この和やかな空気を乱してはいけない。
「ねぇ。お兄様」
フランが嬉しそうに言う。
「フランと日菜ちゃんの作ったストラップも売り切れましたね」
フランの笑顔に、苛立ちが和らいでいく。
「そうだね。フラン頑張ったもの」
「そんな……」
フランが恥ずかしそうにもじもじとする。
やっぱりかわいい。
「フランは大変だったね。30個のうち18個はフランが作ったんだよね?」
「はい! でも、とても楽しかったです」
中崎さんにもお礼を言わなくては。
「中崎さんもありがとうございました。あれだけのものを短期間で作るのは大変だったのではありませんか?」
「ええ。まぁ、少し……。でも、楽しかったわ!」
そう言って中崎さんは笑顔を見せる。
中崎さん……本当にいい人だなぁ。
お茶会は和気あいあいとした中、お開きになった。
左隣の部長と、左向かいに座った日菜と高橋クンへの気がかりを残して……。
「おやすみ日菜。今日は疲れただろ? 夕飯を食べたら早く寝なさい」
「はーい!」
日菜が返事をする。
高橋クンが家まで送ると言ったが、僕がいるし、これ以上迷惑をかけられないからと、丁重にお断りをした。
「僕も疲れたな」
用事を済ませると、さっさとベッドに入った。
今日は、さすがに疲れた。早く休もう。
……が、
眠れない。
「興奮しすぎたかな。ガレージセールなんて慣れないことをしたから……」
無理に眠る必要はない。体を休めるだけでいいんだ。
僕はじっと目を閉じた。
……が、
眠れない。
意識をしまいとすればするほど、目が冴えてしまう。
眠れない。
≪私のドイリーが売れ残るなんて≫
耳元に、洩らした吐息の生暖かさが蘇る。
「うわ!」
僕は飛び起きる。
「気にしない。気にしない。部長には後で埋め合わせをすればいいんだ!」
僕は自分に言い聞かせた。
再び目を閉じると、今度は、日菜と高橋クンの姿が目に浮かんだ。
何を話していたんだろう。
重く苦しい気持ち。
今まで感じたことのない焦り。
伯母さんの警戒心に満ちた視線も、親族連中の距離を取ろうとする白々しさも……。
そのとき感じた重苦しさ、息苦しさとも比べようもない不快感。
“嫉妬”
二文字が脳裏をよぎる。
「まさか……」
心配なだけだ。
だって日菜も高橋クンも、まだ中学生だから。
兄としては心配して当然だ。
「寝るのは本格的に諦めるか……」
僕は階下に行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
ごくり。
冷たい液体が体を流れていく。
時計は一時を指している。
窓の外では、半月が夜空をぼやっと照らしていた。
春と言っても、まだ肌寒い。僕は、ミネラルウォーターを選んだことを後悔する。体がいっそう冷えるようだ。
だけど……なんだかしっくりくるんだ。この冷たさが。
体にこもった熱を沈めてくれるような気がする。
サイドテーブルに目を向けると、日菜の編んだドイリーがあった。
日菜。
どんな気持ちなんだろう。
母さんの手芸教室の人にも、フランにも追い抜かれてしまった日菜。
確かに上達は遅い。それでも努力を重ねれば、成功したときの喜びは、ひとしおなのかもしれない。
日菜は黙々と編み続ける。静かに穏やかに……。
僕は、初めて日菜のレースに、心を掴まれた日のことを思い出した。
日菜のレースを見ると、穏やかな気持ちになれる。
もしかしたら、レースの編み目のひとつひとつに日菜の思いが込められているのかもしれない。
……が……
もうひとつのことを思い出す。
思い出したくもないことを。
神宮司部長の、僕のモチーフ編みを見た時の目。
禍々しいものを見るような。
恐ろしい毒虫を見るような目。
―― え?
あれって、僕の思いを見たとか?
いや。いや。ないよ。
ただの白いレース編みだよ
でも……。
もし、編み目に思いを込められるとしたら。
部長がそれを察知したのだとしたら……。
日菜と高橋クンの楽しそうな姿が目に浮かんだ。
えっ?
なに?
そんな?
僕のモチーフ編みに込められた思いって……。
『神宮司さんの。部長の勘はよく当たるの。普通の人が感じないことを一瞬で察知してしまうの』
中崎さんの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
そんな!
背筋がぞくぞくとして、体中に悪寒が走る。
部長の僕のモチーフ編みを見るときの目。
≪禍々しい!≫
「違う。日菜は僕の妹だ。そんな感情で見たことなんてない!」
でも。
でも。
この息苦しさ。
これは嫉妬なんだろうか?
僕は。
僕は。
妹の日菜が好きなんだろうか?
行き場のない思いが、禍々しい思いが、編み目に込められたというのか?
そんな気持ちの行き場などあるはずもない。
日菜は僕の妹なんだ。
そんなものは邪としか言いようがないじゃないか?
いつからだ?
いつからだ?
いつからだ!!!!!
記憶をたどろうとしても、頭がガンガンと痛み、何も考えることができない。
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いつからだろう?
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