電車で眠っただけなのに

加藤羊大

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第21話 再会

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 ふと懐かしいような匂いを感じ目が覚める。外からは水が跳ねる音が聞こえてくる。ぐっと背伸びをし、二人を起こさぬように窓をほんの少し開ける。しとしとと柔らかな雨が大地に降り注いでいる。土は水分を吸い黒くなりつつあった。この国に来てからはじめて目にする雨だった。日本で嗅ぎ慣れた雨の匂い。胸いっぱいに湿った空気を吸い込み、しばらく外の様子を眺めていた。
 新メニュー開発から3か月が経った。客足は減ることなく順調に売り上げを伸ばしている。人とよく話すようになった為か言葉も以前より滑らかに喋れるようになり、ヒアリングは特別集中しなくとも聞き取れるようになってきたように思う。自分の成長が喜ばしい。シャヌとの文通のおかげで文字もだいぶマシになってきている。日本にいた頃はただただ、何の感動もなく過ごしていた。この世界に来てからは感情が急に動き出したかのように、よく笑い、泣き、絶望も希望も味わった。
もぞりとパルマが身じろぎした。そろそろ起きる頃だろう。静かに窓を閉め、洗面台へ向かった。
 三人で朝食をとっていると、少し開けられた窓から手紙が飛び込んできた。
「ぶふっ」
手紙は私の顔面に着地。昨日返信したばかりだが、シャヌからの手紙だろうか。
ぺらりと顔からはがすと、裏にはアブダッドの名が記されていた。
「店長から手紙…?」
「急ぎかもしれないから、見たほうが良いわ」
パルマに言われ食事中に行儀が悪いかと思いつつ封を開けた。
"急用により本日は臨時休業とする。こちらの都合で申し訳ないが今日は休みだ"
文字をなぞり頷いた。了解です店長、と心の中で敬礼を送る。
「急用があるらしく、急に休みになりました」
「じゃあ、今日は僕と遊びに行く?」
アラムが肉を頬張りながら目を輝かせる。しかしパルマが眉尻を下げ首を振る。
「アラムは今日、おばあ様にお茶会へ呼ばれているのよ?」
「そうだった!」
おばあ様、パルマの母親は孫の顔を見たい為によくお茶会へアラムを招待する。
パルマがもう庶民になったからと言っても、孫は孫だと言って気にしないのだとか。
毎日顔を見られる私よりもおばあ様を優先させる方が良いに決まっている。
残念そうなアラムに、また今度遊びましょうと微笑みを向けた。
今回はパルマも一緒に行くことになっている。たまには顔を店に来いと手紙を貰ったそうだ。
「ごめんなさいね、一人にしてしまって」
「大丈夫です。私も少し出かける、ことにします」
パルマが申し訳なさそうに肩を落としたが、私も大人である。一人でも全く問題ない。
「そうだわ、行く前にこれを」
パルマがそう言いながら、深い緑色の小さな巾着袋を手にする。見覚えのあるその色と光沢は私が彼女に贈った布地で作られた物のようであった。金色の糸で美しく細かな刺繍が施されており、アラベスク模様がキラキラと輝いて見えた。巾着袋の紐の先端は房になっており、ゴージャスな見た目になっている。
「わぁ、とても綺麗ですね。さすがパルマさん」
「ふふ、これはリツのお財布よ」
驚くべきことに私の為に作ってくれたものらしい。
「いつもお給料袋を財布代わりにしていたでしょう?」
日本でいう封筒にお金を入れて使っているようなものだったらしい。
なるほど、確かに女性として駄目だったかもしれない。
余った布で作ったから気にせず受け取ってほしいと言われ、ありがたく頂いた。
「これがリツに貰った布で作ったものよ」
パルマが仕立てた被服を纏いくるりと回ってみせた。細かい花の模様があしらわれたその被服はパルマにとても似合っていた。
光沢感のある生地がつやつやと光り、金糸が動くたびに輝く。森の妖精のような美しさである。
「パルマさん、綺麗です」
「ありがとう、これで今日お茶会へ行くの」
嬉しそうに彼女は微笑んだ。アラムも今日はおめかししている。
きらびやかな被服を纏った二人を見て、やはり貴族の血が流れているなと見惚れた。


 雨はもう止んでいた。先に出かける二人を見送り、以前よりも重くなった給料袋を手に取る。
新メニュー開発の功績により給料が上乗せされたのだ。袋からパルマが作ってくれた財布へ貨幣を移す。コロンと丸みを帯びた形が可愛らしく、にんまりと笑う。
パルマに仕立ててもらった被服に着替え、腰に巾着を下げた。
二人が出かける前にパルマから鍵を託され焦った。
今日はたぶん遅くなるから外で食べていらっしゃい、とお金まで渡されてしまったのだ。
私が悪い人間だったら、きっとこの鍵誰かに売っちゃうぞと半眼で鍵を見ながら呟く。
「信頼されすぎでは」
時々心配になる。けれどこの信頼が痛いほど嬉しかった。
鍵は巾着に大事にしまってある。
湿った地面の上をゆっくり歩いていく。すぐに止んだ事もあり、泥が跳ねることは無かった。
のんびりと市場へ向かっていたが、シャヌと行った店に行くのも良いかもしれないと行先を変更した。
賑やかな街の中。うろ覚えだが、大丈夫だろうと思いつつキョロキョロ周りをみながら歩く。
「たしかこっちだったような…?」
細い路地へ入っていく。そう、確かグネグネ曲がっていたはずと思いながら進む。
しかし、見覚えのない道へ入ってしまったようだ。
真っ白な高い壁が両側にそびえ立ち、圧迫感のある裏道へ入ってしまった。
背中に冷や汗が流れる。まさかこれは。
「迷子…?」
ぽつんと呟いた言葉は壁に吸い込まれていった。
元来た道を戻ろうと、体の向きを変えた瞬間目の前に濃紺が広がっていた。
濃紺色の高級そうな生地。首元まである被服の中心から広がるように銀糸で刺繍が施されている。
ゆったりとした袖口から銀の腕輪をした男の手が覗き、腰に巻かれた銀の布には剣が差されていた。
ゆっくりと視線を上へと向ける。
形の良い口元、すっと通った鼻梁、そしてアメジスト色の美しい瞳。
常闇を思わせる黒い髪が風になびく。
予想外の人物が目の前にいた。
「久しぶりだな、お嬢さん。私の事は覚えているか?」
ゆっくりと優しげに目を細める恩人。忘れるはずもない。
「お久しぶりです、サージェ様」
驚きのあまり目を見開いたまま挨拶を交わす。
「聞いていた通り、言葉が上達しているな」
ぼそりと呟く彼に首をかしげる。早口でよく聞き取れなかった。サージェはにこりと笑う。
「こんな所でどうかしたのか?ここは庁舎の裏口だぞ」
どうやら事情聴取を受けた建物の裏に来ていたらしい。
恥ずかしさを堪え、道に迷った事を白状した。
くすくすと笑った彼は少しここで待っているようにと言って、少し離れた場所にある扉から敷地内へ入って行った。言われたとおりに待っていると、しばらくして巾着を持って彼は戻ってきた。
「執務室に財布を忘れてな」
「それは、困りましたでしょう?」
苦笑する彼に私はほんの少し笑う。現役の貴族相手にどう接して良いのか考えあぐねていた。
相手が気安げに話しかけてくるので余計にだ。
「何処か行きたい所があったのか?公休日で特に用事もない、案内しよう」
「以前、シャヌと一緒に行った、店を探していたのですが…」
「なるほど、迷ったのか。どんな店だ?」
店の外観や内観、店主の事を説明した。
「すまない、思い当たる店がないな」
申し訳なさそうにサージェは眉を下げた。貴族男性には馴染みのなさそうな店だから仕方のない事である。
「待たせたのに、案内もできないのは心苦しい。詫びと言っては何だが、お茶でもご馳走しよう」
私はぎょっとした。別に市場か広場に出られさえすれば分かるのだ。
「そこまでして頂くわけには…」
私の焦りもどこ吹く風、彼は私を連れ立って歩いていく。どうしたものかと頭を悩ます。
「あの、サージェ様は私の恩人で…ご馳走して頂くわけには…」
「あれは仕事上偶然助けただけだ、気にしなくていい」
彼の背中を追って気付いた時には表通りに出ており、知っている光景にほっとした。
突然サージェが立ち止まり、止まれなかった私は彼の背中に顔面を強打した。
「ぶっ」
「では、助けたお礼に私とお茶をして欲しい」
振り返り爽やかな笑みを浮かべる彼に、もう何も言えなくなった。
何故それがお礼になるのだ!心の叫びは誰にも聞こえない。
無言を肯定と捉えたようで、にこやかに店へと誘導される。
「ここ、一人では入りづらくてな。女性と一緒ならば入れそうな気がしたんだ」
高級そうな外観のカフワの目の前で立ち止まった。床には柔らかそうなアラベスク模様の絨毯が広がっており、皆思い思いの場所に座っている。クッションがそこかしこに置いてある。壁は深みのある紅色で統一されていた。ゆらゆらと揺れるランプの光が心地よく辺りを照らし、居心地の良い空間を作り出している。魔煙も壁際にいくつも並んでおりキラキラとガラスが輝いていた。
なるほど、女性客が多く男性客は少ない上に女性と入店している。この人ならば、一緒に来てくれる女性もたくさんいそうだが、ちらりとサージェを見上げる。
にこやかな笑顔のままの彼に背中を優しく押され、共に入店する。
お礼もしっかり言いたかったので、丁度良いと言えば丁度良いのだろうか。
「個室はあるか?」
店員へ問いかけるサージェの言葉に思考から引き戻される。今、何と言ったのだ。
「二階にございます。ご案内いたします」
動揺するあまり挙動不審になりながら、ゆっくりと階段を上る。
他の人たちと同じように一階で良かったのだが…いたたまれない気持ちになる。
重厚感のある扉の向こうの六畳程の部屋へ案内された。ターコイズブルーの美しい絨毯が広がっており、大きなクッションが壁際に高く積まれていた。絨毯の上に座布団のようなやや薄めのクッションも敷いてある。ランプが部屋の四隅でゆらゆら揺れている。
一階よりも薄暗く、どことなく恋人同士の逢瀬にぴったりの雰囲気を醸し出していた。
サージェに勧められ絨毯の上に座る。彼は私の後ろにたくさんクッションを置いて、そして自分も座った。緊張で体が強張る。
こっそり見ると、彼も私を微笑みながら見ていた。じわりと額に汗がにじむ。
無言が辛く、私はゆっくりと口を開く。
「先日は、助けて頂き本当に、感謝しております」
「気にしなくていい、あと楽にしてくれ」
メニュー表を手にしたサージェが笑う。緊張するに決まっている、相手は貴族だ。下手な事をしたら、パルマやアラムに迷惑がかかるかもしれない。そして優しい笑顔は非常に心臓に悪い。
「好きなものを選んでくれ」
「でも…」
「遠慮しなくていい」
じっと見つめられ、仕方なしにメニュー表に目を落とす。
目をこする、金額が恐ろしく高いのである。メニュー表を二度見した。アブダッド以上にぼったくり…いやアブダッドは良心的だと言っていい。いざとなったら自分の分は自分で払うつもりでいたのだが、正直これは払える自信が無くなった。プルプル震える指先で一番安いものを探す。
モルン茶が唯一どうにか払えそうだ、国民的飲み物、モルン茶一杯で大銀貨とはこれ如何に。
たしかこれくらいなら財布に入っていたはずだ。サージェの目の前で財布の中身を確認する勇気はない。
「モルン茶を…」
「ふふ、もっと頼んで良いのに」
そう言って彼は床に置いてあったベルを鳴らす。しばらくして店員がやって来て注文を取り始めた。
「モルン茶を二つ、あとインクーリオの焼き菓子、タペティオ、ムクロジの砂糖漬けを頼む」
随分と食べるものだと驚く。私の視線にサージェは苦笑する。
「甘いものが好きなんだ、知り合いは皆甘いものが苦手でな」
「甘いものを食べると、幸せになるのに、皆さんもったいないです」
心底そう思う、お菓子が苦手なんて人生損している。
私の言葉にサージェは瞳を輝かし、前のめりになる。
「そうなんだ。私が食べていると皆顔をしかめてな。誰とも語り合えず寂しかった」
しばらく菓子の話に花を咲かせた。
ノックの音がし、扉がゆっくりと開く。店員が皿をいくつも運び入れてくる。
「タペティオでございます」
そっと絨毯の上に置かれる。
ブルーの小さな菓子が山積みになっているのを見て、目が輝く。あれは鳥籠にいた時シャヌと一緒に食べた菓子である。柔らかいマシュマロのような食感と不思議な甘さに虜になったのだ。
インクーリオの焼き菓子はフィナンシェのような見た目をしていた。ムクロジの砂糖漬けは名前の通りの菓子である。どれも山積みになっており、果たしてこれは何人分なのだろうと不安になった。
最後にモルン茶がトレイに乗せられたままポットごと置かれた。カップも二つ並んでいる。
「さて、食べるとするか」
目を輝かせ菓子に手を伸ばすサージェに、本当に甘いものが好きなのだなと感じる。
私はカップにモルン茶を注ぎ、サージェの近くにそっと置いた。
自分のカップにもそのまま注ぐ。
「ありがとう。菓子も食べてくれ、さすがに一人では食べきれない」
菓子を示され、心が揺れる。食べても良いのだろうか。
戸惑う私を見て何を思ったのか、サージェはタペティオを一つ摘まみ私の口元に近づけた。
動揺のあまり挙動不審になった私の唇に菓子が触れている。
彼を見ればにんまりと笑っており、顔に熱が集まった。
「自分で食べられま、むぐ…」
最後まで言わせてもらえず、菓子を押し込まれる。
少々強引すぎやしないか貴族様。しかし美味しい、シャヌと食べた懐かしの菓子である。
もきゅもきゅと咀嚼する私を暖かな目で見るサージェ。小動物を眺めるような目に見えるのは気のせいだろうか。これはもしや餌付けなのだろうか。
「美味しいか?」
まだ咀嚼中の為こくんと頷く。彼は笑みを深めた。
正式に名乗っていなかった、と彼は思い出したように自己紹介をはじめた。
「サージェ・アル=イルハーム、アグダン国文官だ。今年32歳になった」
アラムからはサージェとしか聞いていなかった。外国人の名前は長くて耳慣れない。
「リツ・サトウです。28歳です。グラヴェニア国風の、カフワで働いています」
年齢はぼそぼそと言った。
ニートじゃなくて心底良かったと思う。肩書が何もない自己紹介程辛いものは無い。
「リツと呼ばせてもらおう。私の事はサージェと呼んでくれ」
首をかしげる。すでに呼んでいると思うのだが。
疑問に感じたことが通じたのか、サージェが微笑み爆弾を投下した。
「敬称は不要だという事だ」
「いえ、あの貴族の方に、呼び捨ては…」
「私が良いと言っている。貴族と言っても没落した家だ」
しかしアラムから、彼は古くから続く血筋らしく無下にできない立場だと聞かされている。
困った、こういう時にどのような返しをすれば正解なのか分からない。
誰か助けて下さい!私は心の中で助けを呼ぶが勿論助けなど来ない。
貴族らしく偉そうにして貰ったほうが何倍も接しやすいような気がする。
「呼ぶまで菓子を食べさせるぞ」
いい笑顔で菓子を私の口に持ってくる彼に、早々に白旗を上げた。
「呼びます、呼びます!サージェ…さん」
「不合格」
菓子を押し込まれあわあわと慌てる。
何でこんなに楽しそうなのだこの人は。そしてきちんと呼ぶまでこれは続いた。
「イケメン怖い」
私の目は死んだ魚のようになっているに違いない。
サージェは満足そうにつやつやとした表情で菓子を食べている。
もう自棄になり、私も菓子を摘まみだす。
タペティオがとても美味しい、焼き菓子も美味しいとむぐむぐ食べる。
「一緒に菓子を食べてくれる人が欲しかったんだ。また一緒に菓子を食べてくれないか?」
ぽつりとサージェが言った。アメジスト色の瞳は私の方をじっと窺っている。
この人は他に友人がいないのだろうか。強制的な名前呼びにも納得した。初めての友達ならば、きっとどうして良いか分からなかったに違いない。可哀そうになり私は絆された。
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