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安らかに

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ある日、いつも通りにフードをあげるとご飯を食べたあと、ご飯を吐いてしまいました。

病院に行って診てもらうと

「数値がだいぶ上がってるねぇ。まだご飯を食べるんだったらちゃんとあげて欲しいけど、あまり多い量一気にあげないようにしてねぇ。」

と言われました。

それからご飯を1日3回に分けて、その後少しして4回に増やし、ご飯をあげていました。


ですがある日、まったくご飯を食べなくなってしまいました。その日の診察で

「吐き気があるのかな。今日は吐き気止め出しとくからそれでも食べなかったらまた来てね。」

ということでした。

ですが、ゆめちゃんはご飯を自分から食べてくれることはありませんでした。母によると

「またご飯食べて気持ち悪くなるのが怖いんじゃないかなぁ。」

との事でした。

吐き気止めが切れて、病院で食べてくれないことを話すと、

「点滴を打とうかぁ。明後日ぐらいにもう1回来てくれる?」

と言われ心配しながらも家に帰りました。

その夜、母が私の部屋に来て

「ゆめちゃんがピンチらしい。今から病院行くけど、行く?」

と言われました。時間は深夜1時半頃でした。

「いく!絶対いく。」

私はとっさにそう言っていました。

妹もつれ家族4人で車に揺られること約20分。病院で点滴に打たれているゆめちゃんは息が荒くなっていました。その時には、立って歩くのも辛そうで、しっぽを降って寄ってきてくれたものの、すぐに伏せてしまいました。

その後、先生から家に連れて帰る許可を貰い、車で連れて帰りました。

連れて帰ったあとも、ずっと辛そうにしていました。私は次の日も学校だったため4時前に寝ました。

次の日、学校に行く前に、息は辛そうながらもいつも通り行ってらっしゃいをしてくれました。この調子なら私が帰るまでは生きていてくれる、そう思いました。

ですが、迎えを呼ぼうと思い、家に電話をかけた時、

「ほのちゃん(妹)連れてきて。父さんが待っとるけぇ。ゆめちゃんが1時間ぐらい前に逝ってしまったけぇ。」

と、震える声で母が言いました。

その後、妹と走って車まで行き、家に帰ると眠ったような安らかな顔で寝ていました。父と母によると、だいぶ苦しんだようです。しかし、一生懸命頑張って生きようとしていたとの事でした。

2月1日火曜日2時50分頃ゆめちゃんは天国に行ってしまいました。4年6ヶ頑張って私たちの家族として生きてくれました。
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