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転職して欝々としていたら、友達の弟に遭遇。……ときめきとか、縁のない言葉だと思っていたんだけど!?

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「お疲れ様です」

 終業の時刻になると、次々に同僚たちが席をたつ。

「お疲れ様です」

 笑顔で返しながら、私も自分の作業を終えて、保存する。
前の会社はちょっとブラックで、定時に帰るなんてめったになかったから、定時すぐに席をたつのはまだ慣れない。

「お疲れ様」
「佐伯さん、お疲れ様です」

 隣の席から声をかけられて、笑顔を返す。
一瞬、肩がびくっと震えそうになったのは気づかれていないはず。

「まだ作業しているの?定時に仕事を終わらせるのも能力のうちよ」

 冷ややかな目で私に言い捨てて、佐伯さんはバッグを手にさっそうとフロアを去る。

「お疲れ様です……」

 60歳の定年間近だというのに、佐伯さんはきびきびしていて、年齢を感じさせない。
その背中にぎこちない声をかけて、溜息を飲み込んだ。

 とぼとぼと、地下鉄にむかう。
この転職は失敗だったかも……。

 前の会社は、同業種の、下請けの会社だった。
仕事量は多く、お給料は安く、納期も仕事内容もむちゃぶりが当たり前だった。
それにうんざりして、30歳を目前に今の会社に転職したんだけど……。

 勤め始めて3週間、正直、前の会社が恋しい。

 まだ慣れないから、とも思う。
前の職場なら、私のこれまでの実績から得られていた。
今の職場では、まだその信用がない。
そこで、足場から作り直すのは思った以上に大変だった。

 それに、前の職場は20代と30代前半が中心だった。
けど、今の職場は50代の人がほとんどだ。
話題も、健康の話や子どもの就職の話、親の介護に年金の話と、トーンが違い過ぎる。
おいしいごはんやさんの話とかの共通の話題でも、いいと思うお店はぜんぜん違うし。
いっしょに話していても、アウェイな感じがする。

 ただ正直、私の精神をガリガリ削っているのは、ほぼ佐伯さんだ。

 悪い人ではないのだと、思う。
思うけど、嫌われてるのかもとも思う。

 朝「おはようございます」って言えば挨拶は返してくれる。
けど、そのあと「今日はいいお天気ですね」とか付け加えたら視線をそらされる。
 ひどいときは、私がきたら席を立ち、始業ぎりぎりまで戻らない。
 他の人が気を使って声をかけてくれたら、横から割って入る。
そして、前に働いていた人の話題とか、私にはわからない話題ばかり選ぶ。

 仕事中も「前の会社ではどうしていたの?」って、やたら聞かれる。
 それを無視することもできず答えたら、
「あー!あー!そうなんだ!前の会社ではそうしてたのねー!!でも、今はこの会社にいるから、この会社のやり方に従ってね!」
 と、まるで私が前の会社と比べてディスったみたいに叫ぶ。

 おかげで、他の人にも嫌われないか不安だよ……。

 楽し気な観光客に囲まれながら、がたごと地下鉄に揺られる。
 今頃、前の職場のみんなは仕事してるんだろうな。
スマホでSNSのアプリを開きかけて、そのままバッグにしまう。
今は、友達の楽しそうなとこもつらそうなとこも見たくない。

 最寄りの駅で地下鉄を降りて、階段で地上に出た。
ふと、ファストフード店の看板が目にはいる。

 太りやすいから、普段はファストフードは食べないようにしている。
けど、ぎとぎとしたとろけるチーズがおいしそうなチーズバーガースペシャルの看板に「期間限定」って書かれているのをみて、ふらふらとお店に入った。

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