魔王様でも出来る、やさしい畑生活の始め方~レンタルした畑の持ち主は勇者一家でした~

遥彼方

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第三十話 魔王様、倒れる

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 監視されていたとあって警戒を強めたサナトだったが、がっちりと肩を掴んでいた勇者の手が、あっさり外された。

 自由になった両拳を握り、勇者が叫ぶ。

「畑のレンタルはしょうがねぇよ。俺が家を空けてんだからよ。悪いと思って休暇とって帰ってみれば、『サナトさんがいるからお父さんいなくてもいい』だぜ? 大事な娘をたぶらかす『サナトさん』とやらを確かめなきゃ気が済まねぇだろぉがぁっ!」

 だから防犯として設置していた魔法陣を介し、サナトを監視していたらしい。ついでにサナトと一番接点のあるベスにも、酒場で耳朶を引っ張った際にこっそり魔法陣を転写していたという。

「……ぐっ。無駄にでかい声を出しおって」

 至近距離で叫ばれ、サナトはキンキンと痺れる耳を押さえた。しかも、そんなどうでもいい内容で監視されていたのか。

「しかも何だ? ジーごときに悲鳴上げてリベラに抱きつきやがって!」

「なっ、あ、あれは」

 最悪だ。よりにもよって一番知られたくない相手に。

「けっ。あんな虫ごときが怖い男になんて娘をやれるか!」

 鼻の頭にしわを寄せ、噛みつくように勇者が吼える。サナトのこめかみに青筋が浮かんだ。男の言い分は正論なのだが、勇者に言われると腹が立つ。

「ふん。怖いのではないわ。苦手なだけだ、たわけ!」

 牙を剥きだし、負けじと吠え返した。サナトと勇者、ガツンと互いの額がぶつかる。

「たわけだぁ? 上等だコラァ! 白黒つけるか魔王っ」
「いいだろう。受けてたってやるわ! 今代の勇者ぁっ」

 双方、額を押し合い、睨み合った。
 ほとんど体力の残っていない状態で勇者と戦えば確実に負けるのだが、そういう問題ではない。

「……ふふふ。この私を忘れるなんて、馬鹿な奴らね」

 そんな二人の元に、女の声が割り込んでくる。

「「あ”あ”!?」」

 サナトと勇者が同時にマーヤーに顔を向けた。マーヤーたちの周囲、否、辺りの景色が一変している。

 ピシャアアァン。

 青空が消え、鈍色の空に雷が走った。終始、曇天の空模様。まばらに草がこびりついている荒野。
 人間界から一転、魔界の光景だ。

 リベラも、ベスも、子供たちと両親の姿も消えている。彼らはワッペンによるアストライアの加護で幻影から外れたのだろう。

 ごう、と風が吹いた。マーヤーが掲げている右手の上に、巨大な赤黒い球体が、風の渦を纏って浮いている。

「ふん。ただの幻影だと思うんじゃないわよ。こいつの能力を可視化させて、私の幻影と混ぜてある。幻影をふざけた女神の加護で弾いただけじゃ、防げないわよ」

 マーヤーが、隣に立つ側近の男をくい、と親指で示した。しかし肝心の側近の男の方は及び腰だった。

「マーヤー様ぁ、ちょっとまずいんじゃないですかぁ?」
「ふん。何怖気づいてるの。大丈夫よ。あいつらが無駄話してる間にあんたと私の瘴気と魔力をつぎ込んだのよ? 現実のやつらも一緒に吹き飛ばせる威力なのだから」

 サナトと勇者の殺気に怯んだ側近の男が、ひきつった顔で訴えたが、聞く耳を持たないマーヤーが一笑にふす。

 その様子をサナトと勇者は剣呑な目で眺めながら大きく舌打ちした。

「ちっ、おい、魔王。一時休戦だ。先にあの女片付けるぞ」
「ちっ、私に命令するな、勇者。あの女を片付けるのは私だ」

 額を離し、肩を並べて歩みを進める。

 勇者のお陰だと思うと癪だが。少量とはいえ、傷の回復に割く瘴気を魔力に変換出来た。魔剣を抜いても一振りなら、耐えられる。

 サナトからゆらりと黒い炎のような魔力が立ち上る。
 隣から、さあっと眩い白い光の気がサナトの肌を焼く。

「はっ。ボロボロなやつが大口叩きやがって。ヘマすんなよ」
「はっ。誰にモノを言っている。貴様こそ、仕損じるなよ」

 勇者が白、サナトは黒の力を。互いにせめぎ合わせながら、魔剣と聖剣、対照的な柄に手をかけた。
 歩みは少しずつ速まり、駆ける。

「サナト、勇者! このマーヤーがまとめて始末してあげるわ!」

 マーヤーの掲げる球体が大きさを増し、風が吹き荒れた。常人なら立っていることもままならない風の中、衣服をたなびかせ、サナトと勇者は地を蹴り剣を抜く。

 ドン。

 二人の蹴った衝撃に耐えきれず、地面が砕けた。重い音が響いたその時には、既に二人はマーヤーと男の頭上、球体の前である。

「うるさい!」
「すっこんでろ!」

 空気の反発を強引にねじ伏せ、頭上に振りかぶった剣を振り下ろした。

 ガッ。

 サナトと勇者の剣が球体にめり込む。マーヤーの魔力と瘴気が混ざり合い、限界まで圧縮された空気の塊が、暴れまわる。構わずにそのまま振り抜いた。

「きゃああああああああああっ」
「ひぇえええええええええ~っ」

 真っ二つになった球体から凄まじい突風が起き、マーヤーと男が吹き飛ばされていった。剣が振り抜かれる直前、側近の男がマーヤーを引っ張り直撃を避けたのだ。

「そのまま魔界に帰りな」

 数十メートル飛んだところで、中指を立てた勇者の転移魔法が発動し、二人の姿が消えた。

 転移魔法を放ち終えた勇者が、難なく着地する。剣を振ったことで力尽きたサナトは、受け身も取れずに地面に落ちた。

「おい、……魔……う……」

 勇者が何か言っている。うるさい、黙れと言おうとしたが、唇が動かなかった。
 霞む視界には、降り注ぐ太陽光と肥沃な土、青々とした雑草、走ってくる複数の足。

「サナト!」
「……ナトさ……ッ!!」
「サナ……お兄ちゃ……」

 かけられる声が遠くなっていく。それに何かを思う暇もなく、意識が消え入った。




 目を開けた時、明るさに驚いた。目覚めた瞬間から明るいということに慣れていないサナトは、何度か瞬きをして己の状況を掴む。

 薄いカーテン越しに窓から日差しが入り込んでいる。そんなに強いものではないが、始終薄暗い魔界に比べると雲泥の差だ。
 本や魔法具、魔法具の材料が収納された棚。机が一つ。扉付きのクローゼット。サナトの寝ているベッド。それだけのあまり大きくない部屋だった。

 まだ、生きていたか――。
 ゆっくりと息を吐き出していると、閉められたドアの向こうから声が耳に届いた。

「くそう。よりによって何で俺のベッドを魔王が……痛てっ、つねるなよ、ケレース」
「魔王じゃない、サナトさんでしょ。大人げないわよ、あなた」
「そうよ。私のベッドに寝かせてもよかったのに、反対したのお父さんじゃない」
「当り前だ、娘のベッドに男なんか寝かせられるか」

 二つ分の溜め息が響く中、トントンという微かなノックの音がした。音の遠さからして、玄関だろうか。

「ちわーっす。サナト、まだ寝てるっすかぁ?」
「ああ、ベスさん。まだ目が覚めなくて……」
「うーしっ、まだ寝てるんっすね。よし、お前ら。今のうちにサナトの顔に落書きしてやろーぜ」

 あの、下僕……。額に青筋を浮かべ、サナトはベッドから半身を起こした。その拍子にぽとりと布が落ちる。ぬるくなったそれを拾い上げた。どうやら水に濡らした布が、額に置いてあったらしい。

「違うよ。手に早く良くなってねって書いてあげるんだよぉ」
「ベスのばーか」
「ばーか」
「なにおぅ」
「「きゃーっ」」
「しーっ。サナトさん寝てるんだから静かに」

 しぃん。少しの静寂のあと、ぱたぱたと小さな足音が近づいてくる。サナトは布を握りしめ、ぼうっとドアを眺めていた。やがて、そぅっとドアが開き、低い位置に小さな頭が覗いた。

「あーっ、サナトお兄ちゃん起きてる」

 カイルが叫んだ途端、開いたドアからリベラと子供たち、それどころか勇者とベスまでがどっとなだれ込んできた。

「サナトお兄ちゃぁん」
「サナトさん」

「……!?」

 勇者とリベラの母御以外に勢いよく抱きつかれ、サナトは身動きが出来なくなる。

「ちょっと待て! 私から離れろ」

 サナトは慌てて身をよじった。
 今着ているのはゆったりとした寝間着で、ワッペンのついたつなぎではない。農帽も軍手もない。すなわち、瘴気を封じることが出来ていない。

「瘴気なら心配しなくていいぜ。瘴気を中和する魔法具を置いてあるからな。この部屋にいる限り害はねぇよ」

 勇者がベッド脇に設置された四角い魔道具を叩いた。脱力したサナトの体にぎゅう、とさらに力が加わえられた。

「心配したんですよ」
「へっ。金づるがいねぇと困るからなぁ」
「よかったぁ」
「もう平気?」
「痛いの飛んでった?」

 口々にかけられる言葉は、今までと変わらない。貴族の変人だと思われていた時と……。

「……私は魔族で、魔王だぞ。怖くないのか?」

 サナトの問いに、リベラたちがきょとんとした顔になる。

「サナトさんが怖いと思うようなことしたことないですし。人間滅ぼさないって言ってたじゃないですか」
「本の魔王はもっと怖いんだよ。サナトお兄ちゃんは全然違うよ」
「ねー?」
「ねーっ」

「……」

 本当は分かっていた。サナトを脅威とみなしたなら、意識のないうちに殺すか、拘束なりしていた筈だ。それをされていないのだから、怖がられてはいないのだと。それでも聞いたのは、不安だったからか、怖かったからか。

 サナトは無言で目を瞑った。

 今、胸が苦しいのは、大人数に力いっぱい抱きつかれているからだ。
 喉と目の奥が痛いのは、まだ体調が悪いからだと。

 小さく己に言い訳をして。
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