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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

ダグスの思惑

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「いいだろう。巷を騒がす妖魔絡みの殺人。そいつの検挙にミズホの『珠玉』へ依頼したってのは聞いている。まさかうちの屋敷に宿主とやらがいるとは思わなかったが、それなら余計にさっさと解決して貰わねえとな」

 ダグスは顎を撫でるのを止めて、薄緑の目を細めた。瞳に浮かぶのは好奇心の色合いだ。

「で? 具体的にどうなんでい。妖魔を狩るとして期間と、うちが被る被害の程度は?」

「期間に関しては、はっきり言えないわ。宿主を見付ける為には、屋敷に住む者全員を見る必要がある。宿主を特定してから状態を見て対応を決める」

 商人らしい発言にコハクは苦笑して答えた。

「宿主は罪の源。自覚して罪を犯し妖魔と同調する場合もあれば、本人が気付かない内に妖魔を生み出し、やがて妖魔に喰い殺されることもある。今回、三人の人間を喰い殺した妖魔が、どういった経緯で生まれた罪なのかはまだ分からない」

 人間を喰い殺すほどの妖魔だ。それなりに深い罪だろう。

「宿主を探してその罪を探る。そうすれば必ず妖魔は姿を現す。私はそれを狩るだけよ」

「ふうむ。何事も実物を見ねえことには、商談も何もねえってか。レイモンド!」

 ダグスがドアへ向けて呼ばわると、きっちりと執事服を着込んだ壮年の男が入って来た。
 灰色の髪を撫で付けたレイモンドと呼ばれた男は、「お呼びでしょうか」とドアの横で控える。

「屋敷の事を取り仕切る執事長レイモンドだ。レイモンド、客人の事はお前に任せる」
 ダグスは立ち上がり、ジャケットの内ポケットから煙草を取りだして火を点けた。口にくわえた煙草を燻らせ、肩越しに振り返る。

「俺は俺の仕事へ戻る。あんたの仕事ぶりに期待してるぜ」
 そう言い残して、ダグスの姿はドアの向こうへ消えた。


 ドアを閉め、ダグスの湛えていた笑みが消える。深い吐息と共に吐き出された煙が、勢いをつけて空気を白く汚した。

「ミズホの『珠玉』か。初めて見たな。依頼人は治安維持警備隊、第一部隊隊長ライズか」

 足早に廊下を歩くダグスは、部屋の外で待っていた部下に渡された資料に目を通す。
 高位妖魔が起こしたとされる手口の違う二通りの殺し、マギリウヌ国と治安維持警備隊のアングレイ商会を通さない取引。マギリウヌ国、この国は科学への飽くなき探求心から、時に悪意なき災いを招く。

 もたらす利益も大きい為、かの国との取引も多い。実際に懐の携帯通信機器を筆頭として、ダグスも恩恵に預かっている。
 引っ掛かりはするが、よくも悪くもあの国のやることは表裏がない。こちらは動向を気にしつつ、保留だろう。それよりも重要なのは……ミズホ国の『珠玉』だ。

「正直、妖魔絡みだろうがなんだろうが、俺たち商人にゃ関係ないと思ってたが、『珠玉』が出張ったとなりゃ話は別だ」

 実のところ『珠玉』が今回の事件に乗り出したと聞き、足取りを追っていた所へ、門前で揉めるコハクたちと出会ったのだ。運は何処までもダグスへ味方しているらしい。

「地図にも載らねえ謎の小国ミズホ。その『珠玉』といやあ、たった五本の指しかいねえらしい。俺でさえお目にかかったのは初めてだ。しかも、あの目」

 透明な黄褐色の瞳、中で舞う破片、あの一つ一つが極上の宝石なのだと商人ダグスは知っている。

「あの目にどれ程の価値があることか。力ずくで手に入れますか?会頭」
 ダグスの指示を仰ぐ部下へ、丸めた資料を持った手を振って諌める。

「止めとけ、止めとけ。過去それをやろうとして身を滅ぼした奴がどれだけいるか、知らねえ訳じゃあるめえ」

 上質な品質と稀少価値から、通常の何倍もの値段で取引されるミズホ国の宝石。それを産むのが鉱山でも何でもなく、特殊な人間の目から産まれるものだというのだから、手に入れようと動いた人間も数知れずだ。
 そして、破滅して消えた人間も数知れず。

 商人の中では有名な教訓が「ミズホの『珠玉』に手を出すな。訪れるのは富ではなく、破滅だ」というものなのだ。

 そう、自ら手を出すな。
 向こうから手を出してきた時はその限りではない。

「ミズホ国とのコネクションが出来るだけでもめっけものだぜ。なにせあちらさん、気紛れを通り越して幻だからな」

 目を瞑り深く息を吸い込んで肺を煙で満たす。瞼の裏に映るのは、あの日出会ったミズホ国の『デンキ』と名乗った人間。

 左右から合わせ、帯で腰を締める独特の衣装に、おうとつの少ない顔立ちと黒髪の青年だった。彼が持っていた宝石は、ダグスの一生を変えた。

 宝石の稀少性も、ミズホ国の人間に出会うという奇跡も、後になって意味を知った。
 『デンキ』との邂逅は、はあの時と別にもう一度だけある。
 時を経て、また巡ってきたミズホ国との関わりは、偶然か必然か。

 思い出を振り切り、ダグスは目を開けた。答えは決まっている。我知らず浮かぶ笑みは、部下たちの表情を凍らせた。

「時に国さえ滅ぼしたという禁忌の国だ。本来は触らぬ神に祟りなし、だが。せっかくのチャンスを棒に振るのは、俺の主義に反する。なによりも……」

 大陸一の商業国ナナガ、そこで一、二を争うアングレイ商会の会頭ダグス・ハラーナ・アングレイ。常に新しいものを求め、取り入れて供給し、大きくしたのは己の勘に絶対の自信があればこそだ。
 市場に出る前の品を掘り出す嗅覚と、躊躇いなく投資する度胸。この二つを武器にダグスはここまでやってきた。

「俺の勘が言ってるぜ。商機は自分の手で掴み取れってな」

 緑の目が細まり、口角の片方を大きく吊り上げる。丸めた資料を指で弾く音が、屋敷に勢いよくこだました。
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