琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

穴の中の目

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「離れなさい! ポルクス!」
 コハクは珍しく焦って叫んだ。やけに視界が暗い。時刻が夜の帳を下ろす頃とはいえ、コハクは夜目が利く。瞳の力を使いすぎて視力が落ちているのだ。

「ポルクス!」
 温がポルクスを強制的に後ろへ下がらせようとして、躊躇った。鋭い爪はポルクスを守るどころか引き裂いてしまう。そして、ハルの血は人間には毒だ。
 『壊すしか取り柄がない』というチヅルの言葉が頭を過り、温は歯噛みした。

 ホムラはコハクの身を優先し、彼女を抱えて後ろへ飛び退く。
 肝心のポルクスはリルを突き飛ばして、地面に膝を着いた。

 油断した。穴の中の妖魔が余りにも小さくて弱くて見逃してしまった。
 コハクを下ろし、ホムラはまた焔を生んで刀を掴んだ。暫くコハクは瞳の力を使わない方がいい。この妖魔は命を狩るしかないだろう。

「待って下さい! 何か言ってます」
 刺突の構えを取ったホムラの刀を止めたのは、ポルクスの声だった。

 ……寂しい……。

「……寂しい?」

 ポルクスが聞き返すと穴の中の緑の目が瞬いた。リル本人が動いたことで影が退き、ぽっかりと開いた穴だけが残っている。その穴から覗く緑の目だけがくっきりと浮かび上がり、ポルクスを捉えて離さなかった。

 突き飛ばしたリルは、ポルクスの横で床に倒れたまま動かない。勘でしかなかったが、リルは妖魔から離れた方がいいと思ったのだ。咄嗟のことだったから、深く考えずに強く突いてしまった。頭を打ったりしたのだろうかと心配になる。

 ……胸にぽっかりと穴が開いているんです……。
 暗く深い所から響いてくるような、寒々しいリルと同じ声がした。

「この妖魔が本当のリルの罪。ユズリハの宿主は別にいるんだわ」
 瞳に入ったユズリハから伝わってくる。
 ハルの鼻に引っ掛かったのはユズリハ、宿主と妖魔の意識が一致していなかったのは、リルを宿主としていないユズリハがいたから。そして穴の中にいる妖魔の宿主はリルだ。

 内蔵を喰われたものと、引き裂かれたものとの二件の殺し。
 穴が空いた死体はなかったから、おそらくこの妖魔はまだ人を殺していない。気配も弱々しいから、下級かせいぜい中級だろう。

 穴の中の妖魔を突き刺そうと構えるホムラと、膝を着いたまま妖魔と対峙しているポルクスをぼんやりと視界に捉える。
 妖魔の注意はポルクスへ一心に注がれていた。ポルクスも目を逸らせずにいるようだ。これは既に同調してしまっている。

「まだ香りが……魅了が残ってるんだわ」

 しかし標がない。香りも僅かで血の臭いに負けそうになっていた。これでは言葉での誘導のみになる。

「『千鶴』、『温』、仮そめの姿に戻って」

 紙で出来た少女がバラけて白い紙が舞い、壁や床に貼り付いて同化する。犬の巨体が縮んで耳と尻尾を持った青年が現れた。

 少し視界が明るくなって、ポルクスの側へ駆け寄る。もう一度瞳に光を灯した。血の臭いはハルが戻ったことで消え、甘い香りが漂い始めた。

「くっ……!」
 しかし刹那で光も香りも消え失せ、コハクに本格的な闇が下りた。チヅルは厳密には高位妖魔ではないとはいえ、能力は高位に準ずる。真名を呼ぶのは……特にハルの真名を呼ぶのは負担が大きい。これでは回復するまで暫く力を使えない。

 ポルクスは隣に来たコハクの様子に戸惑ったが、そちらを見ることは出来なかった。穴の中の緑の目から、視線を逸らすことが出来なくなっていたのだ。
 ふつふつと脂汗が額に浮く。胃の府に冷たいものが溜まっていく。瞬きすら危険な気がする。早鐘の心臓を持て余し、浅い呼吸を繰り返した。

「目が合ってしまったのね」
「……はい。どうしたらいいですか?」
 喘ぐようにコハクに指示を仰いだ。たった一言を口にするだけで、気力を使う。

「取りあえず私の手を握って」
  横から白い手がポルクスの前へ出された。穴の中の目から目線を離さずに片手で握ると、ひんやりとした細い指の感触がして呼吸が楽になった。

「大丈夫か!? ポルクス!」
「ハル、黙って見てなさい」
 慌てて駆け寄ったハルだが、コハクの一言に動きを止める。その場で迷うように尻尾を揺らした。

「で、でも、コハク!」
「いいから!」
 少し強い口調で言われてハルは黙り込んだ。コハクの命令には逆らえない。ギリギリと歯軋りし、それ以上近付かずに止まるハルの気配。本当はコハク自身が歯軋りしたい気分だった。

「方法は二つ。一つはこのままホムラが妖魔を刺し殺せば、それで終わりよ。もう一つは、私の代わりに貴方がこの妖魔の罪を暴いて従わせる」

 不甲斐なさと悔しさに荒れ狂う内心を隠して、努めて平静に言う。一つ目の方法が一番いいのは分かっていたが、何もしないで諦めるのは嫌だった。しかし、もう一つの方法は只の人間には危険が伴う。

「僕が、妖魔を?」
 若い新人隊員の声には戸惑いが滲む。

「私は今は出来ないから。ただ普通の人間が妖魔に同調した場合、精神を飲まれたり、抵抗する妖魔に喰われたりする危険がある。流石に喰われないようにはサポートするけれど、何をされるか分からないわ。やるか、やらないかは貴方の自由」

 淡々と事実を、どちらかというと悪い想定をコハクは述べた。

 ポルクスはごくりと唾を飲み込む。精神を飲まれるのも怖いし、妖魔に喰われるなんて絶対に御免だ。

「やらなかったら?」
 穴の中の目から逸らせずに見つめ続ける。伝わってくるのは敵意ではなく、痛いほどの寂しさだ。

「貴方が出来ないのであればこの妖魔は殺すわ」
 コハクの静かに発した殺すと言う言葉が、ヒヤリと胸に突き刺さった。

「やります」
 反射的にやると言ってしまった。言ってから覚悟を決める。わざわざ二つの方法とリスクの説明をしてから、選択肢を示してくれていることにコハクの誠意を感じた。
 なにより、二つの方法を言ったとき握っている手に僅かだが力が入った。あんな風に言っているけど、本当は妖魔を助けたいんじゃないかと思う。
 何よりもポルクス自身が目の前の妖魔を殺したくなかった。

「声は聞こえるわね。ゆっくり聞いてあげて」

 ポルクスの手を握る反対の手で扇子を広げ、気配を頼りに彼の前へ置いた。扇子に貼られた和紙には、妖魔がその身を宝石へと変えた琥珀の欠片が散りばめられいる。標として弱いが無いよりはましだ。

 ポルクスは頷いて大きく深呼吸したようだ。繋いだ手から伝わる小さな揺れと、長い呼吸の音がコハクの耳に届いた。
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