琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

少女の胸に開く穴

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 ポルクスの意識が完全に妖魔に向いたのが伝わったのか、穴の中の妖魔が語り始めた。

「私は愛されていますの?」
「え?」
 突然の問いにポルクスは聞き返すことしか出来なかった。

「欲しいと言えば何でも買って貰えましたわ。いつも可愛い、綺麗と言って貰えましたわ」
「うん」

 目の前の妖魔から流れてくる虚しさと寂しさに、ポルクスは飲まれまいと必死になった。コハクはいつもこんなものと向き合っているのか。本当に凄いと思う。
 握ったコハクの手が、命綱のようにポルクスの意識を支えた。

「綺麗で可愛くしていましたわ。完璧なお嬢様でいましたわ。だから私を見て!愛して!」

 大勢に囲まれて、蝶よ花よとおだてられても本当に欲しいものは、それじゃない。

 父は多忙で殆ど家にいない。可愛がってくれないわけではなかった。幼い頃は前触れもなく帰宅して、リルの頭を撫でてまた直ぐに仕事へ出て行った。
 先生に誉められたこと、出来るようになった計算式、話したいことは山ほどあっても口を開く暇もなく行ってしまう。
 リルが成長するにつれ、父の帰宅時間にかち合うことすら無くなっていった。

 母は厳しく奔放な人だった。着飾りかた、美しく見える所作、言葉遣い、立ち居振る舞いを教えてくれた。子供のリルの目から見ても美しい母は目標であり憧れであった。
 しかし美に関するあらゆる事に情熱を傾ける母の目に、リルが入っているのか分からなかった。
 おまけに母の部屋には貴族や有力者や商人の男たちがひっきりなしに出入りして、決まってリルは使用人に母の部屋から離された。

 ……寂しい、私を見て、私を愛して。

 ぽつり、ぽつりと穴が開く。空虚で暗く、深い穴が。

 ポルクスは押し寄せる痛みに顔を歪めた。思わず握った手に力が入る。

「彼もまた、私を愛しているとは言いませんでしたわ」

 流行りの店も、出来たばかりの高級レストランも、雑誌に乗る絶景スポットも嫌だと言った。困った顔をして連れて行ってくれた、小汚ない界隈。品よく取り繕っていた彼の顔が少年みたいに崩れた時、その表情にリルは恋をしたのだ。

 彼は一つのパンを分け合う価値を、貧しさの中で必死に生きることを、寄り添う家族の温もりを知っている人だった。

 穴が埋まる。男の声で、仕草で、表情でリルに生まれた温かい感情が穴を埋める。

 男に騙されているのは知っていた。他に女がいることも知っていた。それでもいいと思っていた。思っていたのに。

 会えば会うほど、惹かれれば惹かれるほど、苦しくなった。もっと先を、もっと多くを望んでしまう。
 なんて醜い感情だろうか。他の女に嫉妬した。みっともなく喚いて側にいてくれと叫びたくなった。

「でも出来ませんでしたわ。私は完璧でいなければいけませんの」

『醜く媚びを売るな、そんなみっともないことをしなくても貴女に相応しい男は勝手に寄ってくるものよ』
 幼い子供に染み込んだ言葉は、呪いのようにリルを縛り付ける。

「埋まった穴の分、いいえ、埋まった穴よりも大きな穴が開きました……!」

 醜い感情など抱いてはならない。男にすがるなどしてはならない。いつでも顔を上げて、胸を張って、綺麗に着飾って、美しく完璧に。
自分を騙して、空虚な中身を隠し、外見だけ整えて、完璧な『私』を装う。

「私を見て! 私を愛して! 見てくれないなら、愛してくれないなら……いっそ全て無かったことにすればいい。あの人の前から消えて元の完璧なリルへ戻ればいいんです」

 そうしてリルは男の前から逃げたのだ。一方的にもう会えないと告げて、アングレイ商会のお嬢様に戻った。

 胸に更なる大きな穴を開けて、罪悪感に潰されそうになりながら、後悔を抱えて元の日々を送った。

 それが、彼女の罪。

「……なんですか、それ」

 ポルクスは流れ込んでくる虚しさと寂しさに、胸が潰れそうになった。リルの男への想いに切なくなった。そうやって感情が振り回されてから、彼女の罪を聞いて、沸き上がったのは怒りだった。

「みっともなく泣きわめくことの何がいけないんですか!?好きだって、愛してるって、愛してほしいって素直に言えばいいじゃないか」
 色々なことが納得出来なくて、腹が立った。

「私は完璧でいなければいけないの」
 妖魔の声には少し苛立ちが含まれていた。

「完璧な人間なんているもんかっ!」
 叫ぶように言って、肩で大きく息をした。頭に血が上っている自覚はあったが、冷静ではいられなかった。

「ポルクス、あまり感情的にならないで」
 隣でコハクがたしなめるが、知ったことではなかった。目の前の妖魔が危険だとか説き伏せなければならないとか、そんなものは全部頭から消えて、ただ思うままに口を動かす。

「何でそんなことになるんですか。見てほしい、愛してほしいって、自分がしてほしいことばっかり言って! それじゃあ貴女はちゃんと見てあげたんですか? 愛してるって言ったんですか!?」

「言ってはいませんわ。けれど、察してくれるのが当たり前でしょう?」
 妖魔の言葉に、ポルクスの中で何かがぷつんと音を立てて切れた。

「それが思い上がりだって言うんだよ! 自分が与えられないことを、他人に欲しがるばっかりいるなんて、子供だ!」
 ポルクスの言葉には敬語すら抜けてきている。最早、説得でもなくただの口論である。

「ちょっと、ポルクス」
 人間同士の言い合いならばいいのだが、相手は妖魔だ。コハクは握っているポルクスの手を引っ張った。

「コハクさんは黙ってて下さい」
 ぴしゃりと言われてコハクは目を白黒させる。

「それと! 見てくれないなら、愛してくれないならって、何でそう決めつけるんですか? あの人から聞いたんですか? 見てない、愛してないって? 聞いてもいない癖に勝手に決めつけるな! 挙げ句の果てにいっそ全てなかったことにすればいいだって?」

「貴方に何が分かるというんですの!? 今まで誰にも言われたことなんてありませんでしたわ! 誰も本当の私を見てはくれないんです」
 妖魔の苛々は、はっきりとした敵意に変わりつつあった。
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