琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

能力の種

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「その話は後で聞くわ」
 対価を要求するヤクロウマルを、コハクは待たせた。
 少しの間ヤクロウマルの要求を無視する形になる危険性は重々承知しているが、今はレイモンド……いや、この高位妖魔を何とかしなくてはならない。

「わたくしのことでしたらお構い無く。今回の目的は二つ。一つ目は新しい高位妖魔を仲間に加えること、これは失敗しましたがね。二つ目は皆様へのご挨拶。それさえ済みましたならさっさと退散致しましょう」

 レイモンドは胸に片手を当てて慇懃に腰を折る。

「丁寧な挨拶ありがとう。でも挨拶だと言う割には名乗りもないのね。名前の代わりに教えてくれる? 貴方のような高位妖魔が、どうやって各国の防衛システムや『デンキ』たちの監視をすり抜けたの?」

 新しい高位妖魔を迎える、ということは既に何体かの高位妖魔が仲間にいるということだ。

「それは失礼しました。仮名かりなくらいは教えましょう。わたくしはシキと申します。防衛システムや監視をすり抜けたのは、単なる能力でのごり押し、とだけ答えておきましょうか」

 腰を戻して顔を上げた彼の瞳が青い鬼火を灯す。彼の姿は鬼火から溢れた光に包まれると共に変わっていった。
 きっちりと撫で付けた灰色の髪は青色へ、瞳は髪と同じ青、執事服はそのままに四十前後かと思われた顔は若返り、見目麗しい青年となる。

「へええ。それが俺を無視してでも聞きたかったことかあ。ふうん」
 抑揚のないヤクロウマルの声に不味いとコハクは思う。彼は自分の思い通りにならないことを極端に嫌うのだ。

「ヤクロウマル、待ちなさい」
 コハクは命令で彼を縛る。使役される妖魔は主の命に逆らえない。

「ふふ、確かにふざけた高位妖魔だよねえ。で、好きにして良かったんだよねえ?」
 赤と青緑の目に仄暗い光を灯し、ヤクロウマルがにたりと笑う。

「どいつもこいつも、俺を無視。いい度胸だよね。ああ、コハク様。ちゃんと待つよ。対価は後だよねえ。後でちゃあんと別で貰う。だから俺は待ってる間、こいつで遊ぶよお?」

 そう、コハクは待てと命令した。だからヤクロウマルは対価を貰うことを待つ。命令には反していない。

 ヤクロウマルは構えも何もせず悠々と歩む。レイモンドの前まで来て無造作に抜き手を放った。レイモンドは穏やかな笑みのまま攻撃を受けようとして、直前で避けた。

「……貴様」

 避け損ねた頬に一筋、赤い線が入る。シキが入れ替わろうとした男は虚ろに突っ立っていた。男だけではない。第二部隊の人間やダグス夫婦、アルフレッドとリル、ポルクスも表情の抜け落ちた顔で微動だにしなかった。
 ヤクロウマルが能力で一時的に人間が『認識』するために必要な感覚・知覚・直観・思考を奪ったのだ。

「悪いけどさあ。種は割れてるんだよ。何度も見せて貰ったからねえ」

 口元をニタニタとした笑みの形にして、ヤクロウマルはシキの頬を撫でた。滲んだ血を指で掬い取りぺろりと舐める。

「認識をすり替えてるんでしょお? 最初に屋敷で会った時全く違和感がなかったのもそれだよねえ。本当にいた執事とすり替えてたんだ。チェルシーの記憶がすり変わってたのも、さっきから攻撃を受ける奴が変わるのもそうだよねえ」

 認識をするのは人間のみ。妖魔は本来なら適用外だ。しかし人間が認識する限り、シキの能力は効果を発揮する。罪を認識するか他者にされた時、妖魔が生まれるのと同じように。

「封じる方法は簡単だ。すり替える対象の認識を無くせばいい。誰にも認識されてない状態のやつとはすり替われない。違うかなあ?」

 嬉々として種明かしをするのは、爪に仕込んだ麻痺毒が効いているからだ。人間なら一滴で死に、高位妖魔でも一定時間は動けない。相手よりも優位に立っているからこその饒舌だった。

「成る程。及第点、と言っておこうか」

 シキの穏やかだった物腰が獰猛なものへと変わる。はっとしたヤクロウマルが後ろへ一歩下がるが、逃げ切れずシキの拳が頬を切った。
 自らと同じ傷をヤクロウマルに付けたシキは、にいっと口の端を吊り上げ拳に着いた血を舐めた。

「な、なんで? まだ動けない筈だ」

「さあ? なんでだろうな。能力を暴いた気になってぺらぺらとくっちゃべっていた馬鹿には分からんさ」

「なあっ!」
 頬に朱を昇らし、ヤクロウマルがシキを睨むがやり返しはしない。得たいが知れない相手や自分よりも強い相手には挑まないのが、ヤクロウマルの主義だった。

「さて、今回の目的は果たしました。わたくしはここらで退散致しましょう」

 また柔らかな物腰へ戻ったシキの青い目がコハクからホムラへ移る。青と黒の視線が一瞬だけ交わり、シキのいた場所には人間のレイモンドが転がっていた。

「逃げられたわね」
 シキのあまりに鮮やかな退散にコハクは溜め息を吐いた。

「ヤクロウマルウウウッ!」
「うおっとおっ! 危ないなあ」

 殴りかかってきたハルの拳をヤクロウマルは大袈裟に跳びすさって避ける。基本的に戦闘向きではない。今のもハルが毒で鈍っていなければもろに当たっていた。

 バタバタと人が倒れる物音と呻き声があちこちから上がる。ヤクロウマルの能力である薬の効果が切れたのだ。

「人間たちの解毒はしといたからあ、俺は退散ねえ。コハク様、毒で遊べたし対価はこれでいいや。戻してっ」

 犬の姿になって噛み付きにきたハルを、無様に地面を転がって避けたヤクロウマルが慌ててコハクに頼む。

「一発くらい殴られてからの方がいいんじゃないかしら」
 嘔吐感に踞るポルクスの背中を擦るコハクは冷たく応じた。

「よっしゃ! 流石コハク。分かってる!」

 犬の姿に戻ったハルは毒による痺れを妖気で無理やり中和し、拳を固めてヤクロウマルへにじり寄った。

「そんなっ、コハク様! 無理無理。俺は他の奴らと違って繊細なんですよお。一発で壊れちゃいますってえ!」

 情けない悲鳴とヤクロウマルの体が夜空を賑わせ、今回の依頼は終了となった。
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