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依頼2ー無気力の蔓延る科学国家マギリウヌ国

稚拙で愚直な交渉

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「妖魔と宿主の分離! 興味深い現象だ。今すぐやってみせてくれ。いや、待てよ。測定機器を用意しなくては」
「待って下さい! 約束が先です。分離したら彼女を家に帰してあげて下さい」

 いそいそと動き始めたアウリムを、慌ててポルクスは引き止めた。
 ラナイガの言っていた事の意味は理解しきれていない。けれど、そのままが強みなんだというのが助言の一つだとポルクスは解釈していた。そのままの自分に従うなら、目の前の少女を助けたい。ラナイガから向けられたナイフには、色々な意味が込められていそうだったが、ひとまず棚上げだ。

 優位な交渉をするなら自分の全てを使え。よくは分からないなりに、ポルクスはそう励まされたと思っている。
 そして、ラナイガから受け取った助言はそれだけではない。

「ああ、分離してしまえばなんの研究材料にもならないからね。要らないよお。それよりも君だ。分離が終わったら頭蓋を開かせて貰っていいかなあ?」

「アウリム科学技術長官」
 大きな目をさらに見開き、ポルクスに詰め寄るアウリムとの間にコハクが割り込む。
「何だね?」
 コハクへ問いを発するアウリムの声には、不機嫌さが如実に表れていた。

「彼の完全な身柄引渡し要求は通らなかった。実験への協力には条件が付いているわ」
 アウリムへ向ける黄褐色の瞳の中では、くるくると茶色の破片が勢いよく踊っていた。

「彼はあくまで協力者。貴方が好きにする権利はない。協力はしても実験材料にはならないわ」
 ナナガ国は身柄引渡し要求を蹴り、代わりに実験への協力にだけ応じた。その際に条件を提示しマギリウヌ国はそれを呑んでいる。

「ふうむ。なら協力して貰えばいいのかなあ?」
 にいっと口の端を吊り上がり、コハクを見ていた青緑の目がまたポルクスへ戻る。口を開きかけたコハクの肩を、ポルクスが引いた。

「『石』になる過程を見せればいいんですよね?」
 弾かれたように見上げるコハクを見向きもせず、青年はアウリムへ強い視線を向けている。

「『珠玉』の力を借りずに出来るかなあ?」
「それは」
 危険だと続けようとしたコハクの言葉を、青年が遮る。

「構いません。ただし、条件があります」
 コハクの肩に手を置いたまま、明るい金髪の青年は、アウリムだけを見据えていた。まただ。先程からこの青年はコハクを無視してどんどん事態を進めていく。荒れた胸の内に呼応して、黄褐色の瞳が色を変えるほど破片が乱舞した。

「待ちなさい、ポルクス。あの少女は中級、それも高位妖魔に近いわ。ミソラの時とは違うのよ」
 ポルクスの青い垂れ目がアウリムからコハクへ向く。
「コハクさん、僕は……」
 迷うように瞳を揺らして何かを言いかけ、止めた。視線がまたアウリムへと戻る。コハクの肩を掴むポルクスの手に力が籠った。

「元々の条件は、この実験へ協力する代わりに、対妖魔銃をナナガ国へ優先的に輸出することと、三年前、ナナガ国に出た高位妖魔の情報でしたね」

 三年前を口にした時、青い目に陰りが差し、コハクは肩に小さな震えを感じた。見ると自分の肩を掴む青年の手が微かに震えている。そっと青年の手に自分の手を重ねると、驚いたように見開かれた青の目と、黄褐色の視線が交わる。
 視線の交錯は一瞬。
 垂れ目に意を決した色が浮かんで、金髪の青年はコハクに小さく耳打ちをした。

「条件がどうのなんて知らないねえ。そういうのはボロスとやった方がいいんじゃないかなあ」

 アウリムはいかにも気乗りしない様子だ。持っていたペンをぶらぶらと意味もなく振り始めた。檻の中の少女は膝を抱えて、おどおどとこちらを窺っている。シオリはコハクとポルクスの二人を楽しそうに見ていた。

「ボロス国家元首と交渉するのはラナイガ議会長の仕事です。僕が交渉するのはアウリム科学技術長官、貴方です」

 ポルクスの手の震えは止まっていた。コハクの心に様々な感情が飛来する。青年の震えが止まった事を安堵する感情、自分の手が青年の力になった事を嬉しく思う感情、どうして手を重ねてしまったのかを疑問に思う感情だ。
 いや、そもそも何故そんなことを考えているのだろうと、内心で混乱するほどコハクは無表情になった。

 コハクの心情など知らず、ポルクスとアウリムは交渉を進めていく。

「ふうん。交渉ねえ。私はそんなもの興味がないよ」
「そうでしょうね。ですから興味のあることを提示します」

 コハクの肩に置いたのとは反対の手で、ポルクスは胸ポケットを探り何かを取り出す。自分の出来る事を知り使えと、ラナイガは言った。今ポルクスに出来る事の中で、アウリムの興味を引けるものはこれしかない。

「妖魔との対話で手に入れた『石』です。これを研究材料として譲ります。その代わり」
 広げた手のひらの上には、真っ黒なその辺の道端に転がっていそうな石が数個、その中に一つだけ色が付いたものを認めてコハクは息を飲む。

「条件の追加です。僕はアウリム科学技術長官に、マギリウヌ国の対妖魔銃の技術を対価として要求します」

 アウリムの青緑の目線が食い入るように『石』へ注がれた。吸い寄せられるように『石』へ伸びるアウリムの枯れた指先から、さっと『石』を握り込んで手を引っ込める。

「トルマリン。それも一つだけピンクとグリーンのバイカラー! ウォーターメロン! この『石』には力が宿っているのかねえ!?」

「それは分かりません。石の大半はハヤミさんに渡してしまいましたから」

 妖魔との対話の産物である大量の『石』の扱いに困ったポルクスは、ハヤミに引き取って貰っていた。その時この色つきの『石』だけは自分で持っているようにと返されたのだ。

「いや、いい。調べれば解ることだ。そんなことよりも、素晴らしい! 君は『石』を制限なしに生み出せるのか!」
 アウリムは目を充血させ、哄笑を上げた。ひとしきり笑った後、アウリムは上機嫌に頷いた。

「いいよお。技術を渡そう。論文でいいかなあ?」
「開発に関わった科学者を一人、期間を設けて派遣して下さい」

 これもラナイガに示唆されていたことだった。技術に劣るナナガ国では、論文だけ渡されても実現に時間がかかる。アウリムはこれに躊躇うことなく頷く。これで交渉はひとまず成立した。


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次回の更新は8月16日からです。
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