琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

文字の大きさ
63 / 90
依頼2ー無気力の蔓延る科学国家マギリウヌ国

紙切れの重み

しおりを挟む
 帰り道、背負った鞄の重みがシリアの肩にずっしりとかかる。分厚い教科書の重みは勿論、精神的な重みが大きかった。原因は今日配られた成績表にある。AからEまでの成績判定で綺麗にEの揃った紙切れが一枚。たった一枚の紙切れ、これがシリアの立場を表してしまうのだ。

「ただいま」
 沈んだ声で自宅の扉を開けると、キッチンにいた母親が振り向いた。

「お帰りなさい」
 流しの洗い物を置き、タオルで手を拭いた母親は無言でシリアへ手を差し出す。

「この間のテストの成績表。今日でしょう?」
 のろのろとシリアが鞄から取り出した紙を、引ったくるように受け取った母親は、ざっと目を通してから眉を吊り上げた。

「E、E、E、E、E! なんて情けない!」
 口答えなど出来る筈もなく、小さく身を強張らせて金切り声で吹き荒ぶ、説教の嵐を耐えるしかなかった。


 苦悶の時を耐えた後、整然と植えられた街路樹が立ち並ぶ河川敷で、木の根もとへ腰掛けたシリアは溜め息を吐く。

 成績が理由で母親に叱られた時、シリアは決まってここから川を眺めた。穏やかに流れる水面を眺めていると落ち着くのだ。
 さらさらと流れる水音と、小さく反射する水面をぼうっと瞳に映し、やがてシリアは持っていた教科書を開いた。教科書にずらりと並んだ問題と数式を、膝に立て掛けたノートに書き写す。それから似たような問題を解こうと足掻いた。

 教科書を見る。解き方は書いてある。しかし、解き方そのものが理解出来ない。どうしてこうなるのかが解らない。大体問題自体が何がいいたいのだろうか。何を意味しているのだろうか。

「なんでこんなに駄目なんだろう」

 母親は努力が足りないという。
 勉強する時間が足りてない、お前には必死さがない、そんなことでどうするのだ、情けないったらない。隣の家の息子はA判定が三つもあった、向かいの家の娘は科学者になり、国から多額の給付金が生涯保障される。比べてお前はどうだろう? E判定ばかり取るなんて、本当にお前は私の子なのか。

「私だって努力してるのに。必死に考えてるのに」

 一生懸命覚えようと何度も書き写した。問題を解こうと教科書とにらめっこをした。書き写した内容は入ってこないし、暗唱した単語や歴史上の史実や人物の名は、覚える側から忘れてしまう。問題は殆どが解けることなく、シリアの努力は点数に反映されない。

 何度目になるか分からない溜め息を吐いて、ノートから顔を上げたシリアは、同じように木陰に佇む人影に気付いた。

「キリング・バンクディ?」
 驚いて目を丸くしたシリアの声は思うよりも大きく、人影は煩わしそうにこちらを向いた。

 マギリウヌ人の例に漏れず、銀髪に水色の瞳を持つ彼はキリング・バンクディだ。シリアは声をかけてしまったことを後悔した。キリングの切れ長の目と薄い唇は、いつも不機嫌そうで近寄りがたい。何よりも彼という存在は、シリアにとってあまり目にしたくないものであった。

 万年オールA判定でスクールの首席。あのボロス国家元首の孫であり、一位以外を取ったことがないという、シリアとは真逆の人間だった。

 彼は面白くなさそうにシリアを一瞥してから、また川面へと視線を戻す。足元の石を拾い、二、三個川へ投擲してから、くるりと川へ背を向けた。そのまま無言で川辺りの道を行ってしまった。

 シリアは遠ざかっていくキリングの背中をぽかんと見送り、はっと我に返った。

「大変! 遅れちゃう」
 勉強の遅れを取り戻す為に通っている塾への道すがら、隙間の時間をいつもここで過ごすのが日課なのだが、当然長居は出来ない。あまりのんびりとしていては遅れてしまう。
 シリアは教科書とノートを鞄に突っ込んで、慌ててスカートに着いた土埃を払った。

※※※※※※※※※※※

 シリアの過去に触れて、ポルクスはアウリムへシリアを家に帰す交渉をしたのは失敗だったかもしれないと思った。
 ここまでシリアが語ったのは、勉強の出来ない劣等感、母親との確執、居場所のない生活。父親がどうなのかはまだ分からないが、このまま彼女を元の場所に帰しても救いはあるのだろうか。自分の見通しの甘さに腹が立つ。

 細い手足に嵌められた枷、暗い色を灯した瞳、怨嗟を含んだ声、押し寄せてくる感情が、苦しい辛いと訴えてくる。なんとかしたい。自分以外の人間が苦しんでいるのはどうにも嫌だ。

 妖魔と向き合うとき、いつも胸が潰れそうになる。彼らの哀しみや苦しみを感じる度に泣きそうになる。楽にしてあげたくて、自分の全身全霊でなんとか出来ないかと足掻く。しかし妖魔たちは大抵、己の言いたいことを吐き出すと『石』になってしまうのだ。
 それは楽になれたということなのだろうか。少しでも力になれたのだろうか。そうでないというのなら、ポルクスの価値は……どこにあるというのか。

 ふっと、バートンの怒った顔が心をよぎった。

 ハルの『終わらせて貰えるのも慈悲だ』という言葉が甦る。脳内でコハクが『貴方と私は違う』と、『簡単に人に命を委ねないで!』と叫んだ。何か大事なことを掴みかけた気がした時、シリアがまた語り出す。

 掴みかけた感覚は消えて、ポルクスの意識は目の前に戻っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...