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依頼2ー無気力の蔓延る科学国家マギリウヌ国
真逆の二人
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シリアとキリングの奇妙な逢瀬は不思議に続いた。
といっても最初の頃はシリアが木陰で教科書と格闘していると、いつの間にかキリングがいたり、逆にキリングが川へ石を投げ入れているところへ、シリアが到着したりだった。そこに会話も何もなく、ただ互いの時間を潰すのみだ。
偶然息抜きの場所が重なっているだけの関係。
この日も同じ時が流れていた。おもいおもいの時間を過ごし、それぞれのタイミングでこの場所から離れて現実へ帰る。この日も同じだろうとシリアは思ってペンを仕舞った。
ペンケースのチャックを閉めていると、視界に白い靴が入る。不思議に思って靴を辿って上を見上げると、キリングが立っていた。
「なあ、お前シリア・ローレンだろ? 万年最下位の」
どうやら万年首席が有名なように、万年最下位も有名だったらしい。シリアの気分は落ち込んだ。
「そうだけど、悪い?」
頬を膨らませてぶっきらぼうに答えた。
「別に」
キリングの答えもまた、ぶっきらぼうだった。短い一言で済ませ、黙り込んだまま立っている。居心地が悪くなってシリアは苛ついた声を上げた。
「何? 何の用?」
「何でそんなものが解らないんだ?」
キリングの目線は殆ど空欄の埋まっていない問題集に注がれていた。シリアの頬に朱が昇る。
この人はわざわざ馬鹿にしにきたんだ。惨めさから滲む涙を堪えようと、シリアは唇を噛んだ。
「貸せよ」
目の前に差し出された手を見て、シリアは瞬きをした。驚きに涙が引っ込む。キリングは睨むような目で、むっつりと唇を引き結んでいた。
「どこが解らないんだ? 見せてみろ」
「え?」
ますます驚いてキリングの顔をまじまじと見詰める。彼は不機嫌そうに眉をしかめたが、手は引っ込めなかった。
「何で?」
「何でもいいだろ」
戸惑いながらノートをキリングの手に乗せると、彼はノートに目を走らせて更に渋面になった。
「何だこれ」
「馬鹿にするんなら、返して!」
かっとなってノートを取り返そうと手を伸ばすが、さっとノートを持つ手が上げられてしまうと、キリングよりも背が低いシリアには届かなかった。
「違う。そうじゃない」
「じゃあ、何なのよ」
なんとか取り返そうとぴょんぴょん跳ねるが、シリアの動きに合わせてキリングはノートを上へやる。
「毎日ここで勉強してたじゃないか。なのに何でこんな問題が解けないんだ」
「やっぱり馬鹿にしてるんじゃない!」
悔しくてまた涙を滲ませるシリアに、キリングの冷たそうな表情が溶けた。
「だから違う! 不思議なだけだ。何で努力しているのに解らないんだ」
彼は少し困った顔で早口に喋ったが、シリアは涙目で怒鳴り返した。
「好きで解らないんじゃないわ!」
目元で盛り上がった涙は、ぽろりと地面に落ちて小さな染みを作る。
「何で解らないのかなんて私が聞きたいわよ! でも、解らないものは解らないの」
分かりきったことを再確認させるなんて、嫌な奴だ。シリアはキリングが油断して下げたノートを引ったくり、乱暴に鞄へ詰め込んでその場を去った。
ポルクスはぐらつく頭を片手で押さえて、どういうことだと首を捻った。シリアから伝わってくるのは憤慨だけれど、キリングは悪気がなかったように思える。
それにしても、こんなに長く同調したのは初めてだ。ぐらぐらと揺れる視界をなんとかしようとポルクスは何度も瞬きをした。汗で濡れた背中に貼り付くシャツの感覚が気持ち悪い。
もしかすると、シリアを救う突破口はキリングにあるのかもしれない。どちらにしてももう少し聞いてみれば分かるだろうと、ポルクスはもう一度シリアへ意識を向けようとした。
「そこまでよ」
「コハクさん?」
ポルクスの鼻先に広げられた扇が視界を遮る。同時にシリアとの同調も切れた。シリアから押し寄せていたじっとりとした重圧も霧散する。急に体が軽くなって、ポルクスは大きくよろめいた。
「おいで。ハル」
コハクの黄褐色の瞳の中を舞う茶色の破片がくるりと質量を変えて青年の姿になる。
倒れそうになったポルクスを、現れたハルが支えた。
「どうして止めたんです。まだ途中なんですよ」
「馬鹿。真っ青な顔して何いってんだよ」
腕から抜けようとするポルクスの額を、ハルは軽く小突いた。たったそれだけの衝撃でふらつく青年をひょいと抱える。
「アウリム科学技術長官。今日の実験はここまでよ。滞在期間は今日を含めて五日もある。急ぐ必要もないでしょう?」
「実験への手出しはルール違反ではないのかね?」
「手出しではないわ。提案よ。このまま続けても妖魔と宿主の分離も、『石』へ変えることも叶わずにポルクスが呑まれて終わるわ。それでは困るのではないの?」
ポルクスの懐から脱け出したミソラが、口に何かをくわえてコハクの肩に乗った。差し出したコハクの手のひらへ、黒くなんの変哲もない石をぽとりと落とす。
「代わりにこの『石』を提供するわ。これで手を打ちなさい」
「ちょっ! 勝手に決めないで下さい。僕なら……ぶっ」
『貴方はちょっと黙ってなさいな』
コハクの肩から音もなく跳んで、ポルクスの元へ戻ったミソラが尻尾で顔面を叩き黙らせる。シリアは無言で、また膝を抱えて踞った。
狂喜して『石』に飛び付いたアウリムを尻目に、この日の実験は終わりとなった
といっても最初の頃はシリアが木陰で教科書と格闘していると、いつの間にかキリングがいたり、逆にキリングが川へ石を投げ入れているところへ、シリアが到着したりだった。そこに会話も何もなく、ただ互いの時間を潰すのみだ。
偶然息抜きの場所が重なっているだけの関係。
この日も同じ時が流れていた。おもいおもいの時間を過ごし、それぞれのタイミングでこの場所から離れて現実へ帰る。この日も同じだろうとシリアは思ってペンを仕舞った。
ペンケースのチャックを閉めていると、視界に白い靴が入る。不思議に思って靴を辿って上を見上げると、キリングが立っていた。
「なあ、お前シリア・ローレンだろ? 万年最下位の」
どうやら万年首席が有名なように、万年最下位も有名だったらしい。シリアの気分は落ち込んだ。
「そうだけど、悪い?」
頬を膨らませてぶっきらぼうに答えた。
「別に」
キリングの答えもまた、ぶっきらぼうだった。短い一言で済ませ、黙り込んだまま立っている。居心地が悪くなってシリアは苛ついた声を上げた。
「何? 何の用?」
「何でそんなものが解らないんだ?」
キリングの目線は殆ど空欄の埋まっていない問題集に注がれていた。シリアの頬に朱が昇る。
この人はわざわざ馬鹿にしにきたんだ。惨めさから滲む涙を堪えようと、シリアは唇を噛んだ。
「貸せよ」
目の前に差し出された手を見て、シリアは瞬きをした。驚きに涙が引っ込む。キリングは睨むような目で、むっつりと唇を引き結んでいた。
「どこが解らないんだ? 見せてみろ」
「え?」
ますます驚いてキリングの顔をまじまじと見詰める。彼は不機嫌そうに眉をしかめたが、手は引っ込めなかった。
「何で?」
「何でもいいだろ」
戸惑いながらノートをキリングの手に乗せると、彼はノートに目を走らせて更に渋面になった。
「何だこれ」
「馬鹿にするんなら、返して!」
かっとなってノートを取り返そうと手を伸ばすが、さっとノートを持つ手が上げられてしまうと、キリングよりも背が低いシリアには届かなかった。
「違う。そうじゃない」
「じゃあ、何なのよ」
なんとか取り返そうとぴょんぴょん跳ねるが、シリアの動きに合わせてキリングはノートを上へやる。
「毎日ここで勉強してたじゃないか。なのに何でこんな問題が解けないんだ」
「やっぱり馬鹿にしてるんじゃない!」
悔しくてまた涙を滲ませるシリアに、キリングの冷たそうな表情が溶けた。
「だから違う! 不思議なだけだ。何で努力しているのに解らないんだ」
彼は少し困った顔で早口に喋ったが、シリアは涙目で怒鳴り返した。
「好きで解らないんじゃないわ!」
目元で盛り上がった涙は、ぽろりと地面に落ちて小さな染みを作る。
「何で解らないのかなんて私が聞きたいわよ! でも、解らないものは解らないの」
分かりきったことを再確認させるなんて、嫌な奴だ。シリアはキリングが油断して下げたノートを引ったくり、乱暴に鞄へ詰め込んでその場を去った。
ポルクスはぐらつく頭を片手で押さえて、どういうことだと首を捻った。シリアから伝わってくるのは憤慨だけれど、キリングは悪気がなかったように思える。
それにしても、こんなに長く同調したのは初めてだ。ぐらぐらと揺れる視界をなんとかしようとポルクスは何度も瞬きをした。汗で濡れた背中に貼り付くシャツの感覚が気持ち悪い。
もしかすると、シリアを救う突破口はキリングにあるのかもしれない。どちらにしてももう少し聞いてみれば分かるだろうと、ポルクスはもう一度シリアへ意識を向けようとした。
「そこまでよ」
「コハクさん?」
ポルクスの鼻先に広げられた扇が視界を遮る。同時にシリアとの同調も切れた。シリアから押し寄せていたじっとりとした重圧も霧散する。急に体が軽くなって、ポルクスは大きくよろめいた。
「おいで。ハル」
コハクの黄褐色の瞳の中を舞う茶色の破片がくるりと質量を変えて青年の姿になる。
倒れそうになったポルクスを、現れたハルが支えた。
「どうして止めたんです。まだ途中なんですよ」
「馬鹿。真っ青な顔して何いってんだよ」
腕から抜けようとするポルクスの額を、ハルは軽く小突いた。たったそれだけの衝撃でふらつく青年をひょいと抱える。
「アウリム科学技術長官。今日の実験はここまでよ。滞在期間は今日を含めて五日もある。急ぐ必要もないでしょう?」
「実験への手出しはルール違反ではないのかね?」
「手出しではないわ。提案よ。このまま続けても妖魔と宿主の分離も、『石』へ変えることも叶わずにポルクスが呑まれて終わるわ。それでは困るのではないの?」
ポルクスの懐から脱け出したミソラが、口に何かをくわえてコハクの肩に乗った。差し出したコハクの手のひらへ、黒くなんの変哲もない石をぽとりと落とす。
「代わりにこの『石』を提供するわ。これで手を打ちなさい」
「ちょっ! 勝手に決めないで下さい。僕なら……ぶっ」
『貴方はちょっと黙ってなさいな』
コハクの肩から音もなく跳んで、ポルクスの元へ戻ったミソラが尻尾で顔面を叩き黙らせる。シリアは無言で、また膝を抱えて踞った。
狂喜して『石』に飛び付いたアウリムを尻目に、この日の実験は終わりとなった
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