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愚かな王太子に味方はいない
最愛の人の裏側
マノン嬢の階段転落事件の後。
公爵邸に戻った私は、自分の部屋で泣いて、泣いて、泣きました。
泣き疲れて眠って、朝起きて思いました。
たとえ愛されていなくても、私はシモン・オベール・ド・ゴールという人間を愛していて、信じています。
寡黙だけど優しくて。誠実で真面目な努力家のシモン様。
そんなシモン様がたとえトリュフォー男爵令嬢に恋をしたとしても、正式な婚約者をないがしろにされるでしょうか。
シモン様なら。きっとトリュフォー男爵令嬢と交際なさる前に道理を通されるでしょう。私に事情を話し、両陛下と公爵家の了承を経て婚約破棄の手続きを踏み、あらためてトリュフォー男爵令嬢を婚約者として立てるはず。
「何かがおかしいです」
私は侍女に腫れた目を冷やしてもらい、身支度を整えました。
「お願いがございます。お父様。『影』を貸していただきたいのです」
「王太子殿下のことか」
「はい。お父様はどこまで把握なさっていますか」
「‥‥‥」
沈黙ということは、かなり深く把握されているのね。
王侯貴族は大抵『影』という、情報収集などを担う裏組織を持っています。細かな役割は家門によって違いますが、大方は情報収集と表に見えない護衛任務、隠蔽工作などです。
「いいだろう。お前に影をつける。殿下の従者がいるだろう。あの二人と話してみろ」
「貸すではなく、つけるですか?」
どういうことでしょう。影に情報を集めてもらおうと思っていましたが、護衛をつけるようです。護衛が必要な所に行けということでしょうか。
「もう大方の調査は済んでいる。私から説明するより、会って『見る』方が早いだろう」
「ありがとうございます」
部屋に出ると、既に5人の『影』が待っていたのですが。
「ベネディクト様!! どうして貴方が」
「しーっ」
5人の中の一人がベネディクト様でした。
「お嬢様。これから城下町に出ます。こちらの認識阻害の魔道具をお使いください。殿下もどうぞ」
城下町に? なぜ??
わけが分からないまま認識阻害の魔道具をつけ、ベネディクト様と一緒に城下町に向かいました。残りの4人の影は姿を消していますが、ついてくるのでしょう。
「やあやあ、お久しぶりですー」
「階段での事件以来ですな」
城下町のとある食堂で、ブーシェ伯爵令息とクーザン侯爵令息が手を上げました。夕食時の食堂には平民たちが所狭しと席に着き、賑やかに食事をしています。
こんなところははじめてで、ベネディクト様と一緒にまごまごしていると、ブーシェ伯爵令息が「座って座ってー」と向かいの席を示しました。
「若鳥の香草焼きとパン、4つねー」
「はいよ」
年配の給仕の女性にブーシェ伯爵令息が声をかけます。ええと、オーダーをなさったのでしょうか。
「すみませんねー。こんなところに来ていただいて」
「いえ。それよりもあの‥‥‥」
にこやかなブーシェ伯爵令息の名を呼ぼうとして、私は口をつぐみました。わざわざ認識阻害をかけてここにいるのです。正体がバレるようなことをしてはいけないでしょう。
「賢明ですな。名前は呼ばないほうがいいです。偽名を使うこともできますが、ぼろが出ても困りますからな」
クーザン侯爵令息がにやりと笑うと、給仕の女性が器用に4つもの皿を持ってきました。もう料理ができたようです。香ばしい匂いが立ち上りました。
「本当なら貴族の名前なんて平民はいちいち覚えてなかったり知らなかったりするんで、名前を呼び合っても構わないんですけどねー。今は俺たちの名前を知ってる人がいるもんで」
ブーシェ伯爵令息がくいっと親指を後ろに向けました。
「ヴィード。厨房手伝ってくれてありがとう。休憩しておくれ」
「ああ、ありがとう」
親指の差す方向をたどると、厨房から出てくる男性が。
「!! シッ」
「あッ!」
私とベネディクト様は慌てて口をふさぎました。危ない、もう少しで名前を呼んで、気づかれてしまうところでした。
どうして、シモン様がこんなところに!
平民の恰好をなさったシモン様が、料理片手に他の方々が空けた席に座ります。
「今日も美味かったよ、ヴィード」
「それはよかった。ああ、この間のやつらはどうなった」
「ヴィードが追い払ってくれてから、憲兵が一掃してさ。あいつら薬やって暴れたり子どもを誘拐したり、ろくな連中じゃなかったからスッキリしたよ」
「そうか」
「ヴィードのおかげだよ。ほら、俺のおごりだから飲め」
「もらおう」
中年の男に背中を叩かれたシモン様は、ははっと笑って木の杯をあおりました。
親指を戻したブーシェ伯爵令息が、手で壁を作るようにして言います。
「この間店で暴れたギャングを、殿下が叩きのめして追い払ったんですよ。その後憲兵を派遣して対処したってわけです」
「私たちは息抜きに連れて来たんですけどね。根っからの仕事人間ですからな。目にした面倒ごとを解決しまくってるんですな」
「それは、兄上らしいけど。流石は兄上だけど」
二人の説明に、ベネディクト様がなんとも言えない表情でシモン様を見つめました。
「この料理もね、パン以外はシモン様が作ったやつですよー。普通に店をやっていけるレベルでしょー?」
「えっ!?」
「え!?」
私は、目の前に置かれた料理に視線を落としました。
こんがり焼かれた鳥肉にナイフを入れると、口に運びました。
「美味しいです」
あら塩と香草のきいたパリッとした皮の下から、しっかりとした弾力とじゅわりとした肉汁の旨味が広がりました。華やかで繊細な貴族料理とは違う、素朴だけどガツンと力強いお料理です。
「ああ、そういえば知っているか。第二王子殿下のことなんだが」
二つほど向こうの席に座るシモン様が、何気なく切り出しました。
「なんだ。ヴィードは物知りだな!」
「第二王子殿下ってすごい人なんだろ」
「男前らしいわね」
「ああ。お前たちが見たことないくらい男前で、何をやらしても天才だ。その第二王子殿下が俺たちのために立ち上がったらしいぞ」
シモン様の話に食堂にいた客たちが耳を傾けます。おのおの賑やかに食事をしていたのに、口を閉じたり手を止めたりして、興味津々のようです。
「うわっ」
ベネディクト様が片手で顔をおおいました。
「なんて人だ。僕の外堀を埋めまくってる」
「行動力と求心力のある方ですからな。民の信頼も勝ち取ってらっしゃる」
「それでどうして、僕に王位を譲ろうとするんだ‥‥‥」
「ご自分の価値をご自分が一番分かっておられませんからな」
「あああああ‥‥‥」
頭を抱えるベネディクト様と肩をすくめるクーザン侯爵令息の会話を聞きながら、私はシモン様の表情に釘づけでした。
「笑ってらっしゃいます」
客たちに囲まれたシモン様は、見たことがないくらいに肩の力を抜いて、笑っておられました。
「シモン様は、ここでの暮らしの方が楽しくて、幸せなのではないでしょうか」
軽く小突かれ、笑顔で小突き返すシモン様。あんなに楽しそうなシモン様を私は見たことがありません。
「そうならいいんですがね‥‥‥」
「?」
クーザン侯爵令息が意味深に言葉を濁して、ちらっとシモン様に視線を走らせました。それを追うと、シモン様が楽しそうに笑った後、ふっと下を向いて表情を消して。
ゾッとするような暗い目をなさいました。
「‥‥‥ここも、兄上の居場所じゃないんだね‥‥‥」
激しく動揺したのは私だけで、ベネディクト様は驚くこともなく寂しそうにつぶやかれました。クーザン侯爵令息もブーシェ伯爵令息も目を伏せただけです。
「シモン様はよくあのようなお顔をなさるのですか‥‥‥?」
私の呟きを誰も否定しませんでした。誰も。
どうして、とは言えませんでした。
一番でありなさい。絶対に負けてはいけません。
王妃殿下からの呪詛の言葉。王太子としてのプレッシャー。ベネディクト様と比べられる日々。
それらを跳ね返すための努力でさえ、「努力しないと勝てない凡愚」「努力しても勝てない無能」などといい、嘲笑う者もいましたから。
底冷えのする表情は一瞬だけ。
すぐに笑顔に戻ったシモン様が、第二王子殿下が腐敗した王と王政派を正そうとしていること、反乱の狼煙を上げるタイミングを告げています。王太子とマノン嬢の醜聞も。私との婚約破棄をするつもりだということも。
「俺たちが高い税金にひーひー言ってるっていうのに! 国王と王妃は贅沢三昧かよ」
「王太子も王太子だ! なんとか男爵って悪いやつの娘に騙されて!」
「そうだそうだ!」
「第二王子殿下、ばんざい!」
「ベネディクト殿下ばんざい!」
客たちが腐敗に憤慨し、怒りと第二王子殿下への期待にわああっと盛り上がります。その喧噪が、中心にいるシモン様が、とても遠くに感じました。
ひとしきり盛り上がった後、シモン様がみんなをなだめ、食堂を出て行かれました。
興奮の余韻が残る食堂で、私は重いため息を吐きました。
「私は、シモン様のことを何も知らなかったのですね」
容姿端麗、才色兼備なベネディクト様に大きな劣等感を持っていらっしゃること。そのせいでご自身を過小評価なさっていること。
比喩ではなく、血がにじむまで努力なさっていること。滅多に笑わないこと。その分時折見せて下さる笑顔が素敵なこと。深く落ち着く樹木の香りがすること。
私が知っているのは、それだけです。
シモン様に巣食う闇があんなに深いだなんて知りませんでした。
「オレリア嬢には絶対に見せないからね」
ベネディクト様が、ため息のように言葉を吐きました。
顔を上げると、すこし寂しそうに笑うベネディクト様がいました。
「オレリアといる時だけは、兄上は絶望しないんだ。オレリアと一緒なら、王宮だろうが城下町だろうがあんな顔しない。穏やかな顔で、眩しそうに幸せそうにしてる。オレリアは兄上の光だもの。僕は兄上の闇だから、うらやましい」
「ベネディクト様。私は貴方もシモン様の光だと思っています」
私は思わず、ベネディクト様の髪に手を伸ばしました。シモン様の硬い髪とは違うさらさらとした銀髪を撫でました。
「シモン様は私によく話してくださいました。幼い頃、無理矢理貴方を抱っこしていたこと。小さな貴方の温もりに、シモン様自身が癒されていたと。あの母の息子でいても、歪まないでいられたのは、天使のような貴方のおかげだと」
「兄上が、そんなことを?」
「ええ。自慢話もたくさん聞かされました。シモン様の中で、ベネディクト様は素直で可愛い完璧な弟なんですもの」
弟の話をするシモン様は、いつも優しい顔をなさっていて。私はそんなシモン様が大好きで、そんな顔をさせるベネディクト様が大嫌いなのです。
「はは、そっか‥‥‥って、いつまで触ってるのさ!」
「むー。やっぱり生意気」
大人しく撫でられていたベネディクト様が、ひょいと頭をどけてしまいました。耳がちょっと赤くなっています。こういう所は可愛いんですけどね。
「さて。姉と弟の麗しい交流は置いておいて」
「「誰が姉と弟ですか!」」
確かにシモン様と結婚したら、義理の弟になりますけれど。なんだかんだ小さい頃から見ていますから、本当の弟のようにも思っていますけれど。
「うわーお。息ぴったり」
聞き捨てならないことを言うブーシェ伯爵令息を睨みましたが、どこ吹く風です。飄々と、マノン嬢の自作自演が映った魔道具があること、断罪のための証拠書類の数々の説明を受けました。
「なるほど。流石は兄上。嫌になるほどの根回しだね」
「その割には嬉しそうですね」
ベネディクト様が腕を組み、背もたれに身を預けました。口調は困っていますが、口元がにやけています。
「嬉しいに決まってる。僕の理想の兄上が予想の兄上を超えてくれたんだからね」
「どうひっくり返すつもりですか?」
「簡単さ。反乱の旗印を取り換える。種は兄上が自分で蒔いてるからね。さっき兄上がギャングを憲兵に対処させたって言ってただろう。そういうの、今に始まったことじゃないはずだ。困ってる人を見かける度に、手を打ってたんじゃないか」
言われてああ、と合点がいきました。
シモン様が息抜きのついでにされていた、様々な人助けが『種』ということなのでしょう。
シモン様の政策・施策は貴族の利益より平民に優先順位を置いていたので、貴族派には嫌われておりましたが、国民の支持は絶大です。
ご本人はやって当たり前のことをしているだけだからと、気にもとめておられませんでしたが。
「国民からの人気は僕より兄上の方が圧倒的に上。だからほら」
ベネディクト様の視線が、さきほどシモン様の扇動で第二王子殿下を湛えていた人たちに向かいました。
「でもよぅ。第二王子が王様でいいのか? 俺たちに今まで色々してくれたのは王太子だぞ」
「そうだよな。天才だのなんだの言われてるけど、第二王子は何してんのか分かんねーし」
「でも国王を倒してくれるんだろ。今の税金が安くなるんなら、どっちでもいいや」
「分かんねーぞ。第二王子も国王と同じになるかも‥‥‥」
「‥‥‥第二王子じゃなくて、王太子殿下が立ち上がってくれたらなぁ」
彼らは反乱を起こしてくれる第二王子を歓迎しているものの、本音はシモン様を望んでいました。
「芽はもう出てる。僕は水と肥料をやるだけさ」
立ち上がったベネディクト様が、認識阻害の魔道具を外して声を張り上げました。
「その通り!」
「え? なんだ、貴族!?」
「誰だ? あんな人今までいたか?」
突然のことに戸惑う人々に、悠々と近づいたベネディクト様がにっこりと笑いました。
「私はベネディクト・ベルジュ・ド・ゴール。第二王子です」
「だ、第二王子殿下」
「私と貴方がたは同志。臣下の礼はいりません。なぜなら、私は王太子である兄の命で動いているのですから」
慌てて膝をつこうとする人々をとめ、美しい笑みを浮かべたベネディクト様は、神々しくさえ見えました。普段はあんなに生意気ですのに!
「王太子殿下が!」
「本当ですか」
「ええ。神に誓って本当です。マノン嬢との噂も、彼女の背後にいる貴族たちの不正を暴くための偽装なのです」
命令は受けてませんし、シモン様の意向の逆です。
マノン嬢とのことは、胸がずきっと痛みました。真実は何なのでしょうか。
「我が兄は民のため、国のため、親をも断罪する覚悟を固めた! 自らの私利私欲で重税を課す国王・王妃・王政派をこれ以上許すわけにはいかない! その志はここにいる皆と同じ! 我々は同志だ!」
「おおおっ!」
拳を突き上げるベネディクト様に続いて、人々も拳を突き上げました。
「王太子殿下ならやってくれると思ってたんだよ!」
「やっぱりなぁ」
嬉しそうに隣の肩を叩く人。少し涙ぐんだ人もいました。
ああ、シモン様。貴方はこんなに好かれているんですよ。見せて差し上げたいです。
人々の興奮が少し静まった頃、ベネディクト様が少し声を落として言い含めました。
「反乱を起こす前に国王や王政派に気づかれてはいけません。このことは内密に。ただし、ヴァスール公爵家だけは味方です。王政派ですが、ずっと王太子殿下を支え、殿下に賛同されています」
神妙な顔つきで皆がうなずいたところで、ベネディクト様が戻って来られました。
認識阻害の魔道具を付け直し、食堂を出ます。
先頭を行くベネディクト様の足取りに迷いはありません。
「離宮から出たことがなかったのでは?」
「ないけど、地図は頭に入ってる」
驚いて尋ねると、なんてことないように答えられました。
「これから僕は兄上の足跡をたどって、兄上の扇動を僕の扇動でひっくり返していく。オレリア嬢はマノン嬢が担当した結界の補強と、トリュフォー男爵家の商会の馬車の襲撃を頼んだ」
「ええ。任せて。でもシモン様の足跡なんて分かるの?」
後をつけようにも、シモン様が食堂を出てから時間が経っています。どうするのでしょう。
「食堂で気づかれないように魔法で印をつけておいた。それに兄上が扇動するのは、今まで兄上が助けてきた人たちだ。兄上が施した政策・施策の場所と憲兵を派遣した場所に行けばいい。候補はたくさんあるけど、兄上は長く城を開けられない。近場から回るはずだから絞り込める」
確かにさきほどの食堂は貴族街と城下町の境目。城からほど近い場所でした。
「あとは僕を推す貴族派の連中だけど。ブーシェ伯爵令息」
「はい、何でしょー」
「ブーシェ伯爵との交渉の席を設けてほしい」
「いいですけど、手強いですよー。しかもシモン様が口説き落とした後です」
「‥‥‥兄上、本当に貴方って人は!」
額に手をあてて天を仰いだベネディクト様の口元は、笑っていました。
公爵邸に戻った私は、自分の部屋で泣いて、泣いて、泣きました。
泣き疲れて眠って、朝起きて思いました。
たとえ愛されていなくても、私はシモン・オベール・ド・ゴールという人間を愛していて、信じています。
寡黙だけど優しくて。誠実で真面目な努力家のシモン様。
そんなシモン様がたとえトリュフォー男爵令嬢に恋をしたとしても、正式な婚約者をないがしろにされるでしょうか。
シモン様なら。きっとトリュフォー男爵令嬢と交際なさる前に道理を通されるでしょう。私に事情を話し、両陛下と公爵家の了承を経て婚約破棄の手続きを踏み、あらためてトリュフォー男爵令嬢を婚約者として立てるはず。
「何かがおかしいです」
私は侍女に腫れた目を冷やしてもらい、身支度を整えました。
「お願いがございます。お父様。『影』を貸していただきたいのです」
「王太子殿下のことか」
「はい。お父様はどこまで把握なさっていますか」
「‥‥‥」
沈黙ということは、かなり深く把握されているのね。
王侯貴族は大抵『影』という、情報収集などを担う裏組織を持っています。細かな役割は家門によって違いますが、大方は情報収集と表に見えない護衛任務、隠蔽工作などです。
「いいだろう。お前に影をつける。殿下の従者がいるだろう。あの二人と話してみろ」
「貸すではなく、つけるですか?」
どういうことでしょう。影に情報を集めてもらおうと思っていましたが、護衛をつけるようです。護衛が必要な所に行けということでしょうか。
「もう大方の調査は済んでいる。私から説明するより、会って『見る』方が早いだろう」
「ありがとうございます」
部屋に出ると、既に5人の『影』が待っていたのですが。
「ベネディクト様!! どうして貴方が」
「しーっ」
5人の中の一人がベネディクト様でした。
「お嬢様。これから城下町に出ます。こちらの認識阻害の魔道具をお使いください。殿下もどうぞ」
城下町に? なぜ??
わけが分からないまま認識阻害の魔道具をつけ、ベネディクト様と一緒に城下町に向かいました。残りの4人の影は姿を消していますが、ついてくるのでしょう。
「やあやあ、お久しぶりですー」
「階段での事件以来ですな」
城下町のとある食堂で、ブーシェ伯爵令息とクーザン侯爵令息が手を上げました。夕食時の食堂には平民たちが所狭しと席に着き、賑やかに食事をしています。
こんなところははじめてで、ベネディクト様と一緒にまごまごしていると、ブーシェ伯爵令息が「座って座ってー」と向かいの席を示しました。
「若鳥の香草焼きとパン、4つねー」
「はいよ」
年配の給仕の女性にブーシェ伯爵令息が声をかけます。ええと、オーダーをなさったのでしょうか。
「すみませんねー。こんなところに来ていただいて」
「いえ。それよりもあの‥‥‥」
にこやかなブーシェ伯爵令息の名を呼ぼうとして、私は口をつぐみました。わざわざ認識阻害をかけてここにいるのです。正体がバレるようなことをしてはいけないでしょう。
「賢明ですな。名前は呼ばないほうがいいです。偽名を使うこともできますが、ぼろが出ても困りますからな」
クーザン侯爵令息がにやりと笑うと、給仕の女性が器用に4つもの皿を持ってきました。もう料理ができたようです。香ばしい匂いが立ち上りました。
「本当なら貴族の名前なんて平民はいちいち覚えてなかったり知らなかったりするんで、名前を呼び合っても構わないんですけどねー。今は俺たちの名前を知ってる人がいるもんで」
ブーシェ伯爵令息がくいっと親指を後ろに向けました。
「ヴィード。厨房手伝ってくれてありがとう。休憩しておくれ」
「ああ、ありがとう」
親指の差す方向をたどると、厨房から出てくる男性が。
「!! シッ」
「あッ!」
私とベネディクト様は慌てて口をふさぎました。危ない、もう少しで名前を呼んで、気づかれてしまうところでした。
どうして、シモン様がこんなところに!
平民の恰好をなさったシモン様が、料理片手に他の方々が空けた席に座ります。
「今日も美味かったよ、ヴィード」
「それはよかった。ああ、この間のやつらはどうなった」
「ヴィードが追い払ってくれてから、憲兵が一掃してさ。あいつら薬やって暴れたり子どもを誘拐したり、ろくな連中じゃなかったからスッキリしたよ」
「そうか」
「ヴィードのおかげだよ。ほら、俺のおごりだから飲め」
「もらおう」
中年の男に背中を叩かれたシモン様は、ははっと笑って木の杯をあおりました。
親指を戻したブーシェ伯爵令息が、手で壁を作るようにして言います。
「この間店で暴れたギャングを、殿下が叩きのめして追い払ったんですよ。その後憲兵を派遣して対処したってわけです」
「私たちは息抜きに連れて来たんですけどね。根っからの仕事人間ですからな。目にした面倒ごとを解決しまくってるんですな」
「それは、兄上らしいけど。流石は兄上だけど」
二人の説明に、ベネディクト様がなんとも言えない表情でシモン様を見つめました。
「この料理もね、パン以外はシモン様が作ったやつですよー。普通に店をやっていけるレベルでしょー?」
「えっ!?」
「え!?」
私は、目の前に置かれた料理に視線を落としました。
こんがり焼かれた鳥肉にナイフを入れると、口に運びました。
「美味しいです」
あら塩と香草のきいたパリッとした皮の下から、しっかりとした弾力とじゅわりとした肉汁の旨味が広がりました。華やかで繊細な貴族料理とは違う、素朴だけどガツンと力強いお料理です。
「ああ、そういえば知っているか。第二王子殿下のことなんだが」
二つほど向こうの席に座るシモン様が、何気なく切り出しました。
「なんだ。ヴィードは物知りだな!」
「第二王子殿下ってすごい人なんだろ」
「男前らしいわね」
「ああ。お前たちが見たことないくらい男前で、何をやらしても天才だ。その第二王子殿下が俺たちのために立ち上がったらしいぞ」
シモン様の話に食堂にいた客たちが耳を傾けます。おのおの賑やかに食事をしていたのに、口を閉じたり手を止めたりして、興味津々のようです。
「うわっ」
ベネディクト様が片手で顔をおおいました。
「なんて人だ。僕の外堀を埋めまくってる」
「行動力と求心力のある方ですからな。民の信頼も勝ち取ってらっしゃる」
「それでどうして、僕に王位を譲ろうとするんだ‥‥‥」
「ご自分の価値をご自分が一番分かっておられませんからな」
「あああああ‥‥‥」
頭を抱えるベネディクト様と肩をすくめるクーザン侯爵令息の会話を聞きながら、私はシモン様の表情に釘づけでした。
「笑ってらっしゃいます」
客たちに囲まれたシモン様は、見たことがないくらいに肩の力を抜いて、笑っておられました。
「シモン様は、ここでの暮らしの方が楽しくて、幸せなのではないでしょうか」
軽く小突かれ、笑顔で小突き返すシモン様。あんなに楽しそうなシモン様を私は見たことがありません。
「そうならいいんですがね‥‥‥」
「?」
クーザン侯爵令息が意味深に言葉を濁して、ちらっとシモン様に視線を走らせました。それを追うと、シモン様が楽しそうに笑った後、ふっと下を向いて表情を消して。
ゾッとするような暗い目をなさいました。
「‥‥‥ここも、兄上の居場所じゃないんだね‥‥‥」
激しく動揺したのは私だけで、ベネディクト様は驚くこともなく寂しそうにつぶやかれました。クーザン侯爵令息もブーシェ伯爵令息も目を伏せただけです。
「シモン様はよくあのようなお顔をなさるのですか‥‥‥?」
私の呟きを誰も否定しませんでした。誰も。
どうして、とは言えませんでした。
一番でありなさい。絶対に負けてはいけません。
王妃殿下からの呪詛の言葉。王太子としてのプレッシャー。ベネディクト様と比べられる日々。
それらを跳ね返すための努力でさえ、「努力しないと勝てない凡愚」「努力しても勝てない無能」などといい、嘲笑う者もいましたから。
底冷えのする表情は一瞬だけ。
すぐに笑顔に戻ったシモン様が、第二王子殿下が腐敗した王と王政派を正そうとしていること、反乱の狼煙を上げるタイミングを告げています。王太子とマノン嬢の醜聞も。私との婚約破棄をするつもりだということも。
「俺たちが高い税金にひーひー言ってるっていうのに! 国王と王妃は贅沢三昧かよ」
「王太子も王太子だ! なんとか男爵って悪いやつの娘に騙されて!」
「そうだそうだ!」
「第二王子殿下、ばんざい!」
「ベネディクト殿下ばんざい!」
客たちが腐敗に憤慨し、怒りと第二王子殿下への期待にわああっと盛り上がります。その喧噪が、中心にいるシモン様が、とても遠くに感じました。
ひとしきり盛り上がった後、シモン様がみんなをなだめ、食堂を出て行かれました。
興奮の余韻が残る食堂で、私は重いため息を吐きました。
「私は、シモン様のことを何も知らなかったのですね」
容姿端麗、才色兼備なベネディクト様に大きな劣等感を持っていらっしゃること。そのせいでご自身を過小評価なさっていること。
比喩ではなく、血がにじむまで努力なさっていること。滅多に笑わないこと。その分時折見せて下さる笑顔が素敵なこと。深く落ち着く樹木の香りがすること。
私が知っているのは、それだけです。
シモン様に巣食う闇があんなに深いだなんて知りませんでした。
「オレリア嬢には絶対に見せないからね」
ベネディクト様が、ため息のように言葉を吐きました。
顔を上げると、すこし寂しそうに笑うベネディクト様がいました。
「オレリアといる時だけは、兄上は絶望しないんだ。オレリアと一緒なら、王宮だろうが城下町だろうがあんな顔しない。穏やかな顔で、眩しそうに幸せそうにしてる。オレリアは兄上の光だもの。僕は兄上の闇だから、うらやましい」
「ベネディクト様。私は貴方もシモン様の光だと思っています」
私は思わず、ベネディクト様の髪に手を伸ばしました。シモン様の硬い髪とは違うさらさらとした銀髪を撫でました。
「シモン様は私によく話してくださいました。幼い頃、無理矢理貴方を抱っこしていたこと。小さな貴方の温もりに、シモン様自身が癒されていたと。あの母の息子でいても、歪まないでいられたのは、天使のような貴方のおかげだと」
「兄上が、そんなことを?」
「ええ。自慢話もたくさん聞かされました。シモン様の中で、ベネディクト様は素直で可愛い完璧な弟なんですもの」
弟の話をするシモン様は、いつも優しい顔をなさっていて。私はそんなシモン様が大好きで、そんな顔をさせるベネディクト様が大嫌いなのです。
「はは、そっか‥‥‥って、いつまで触ってるのさ!」
「むー。やっぱり生意気」
大人しく撫でられていたベネディクト様が、ひょいと頭をどけてしまいました。耳がちょっと赤くなっています。こういう所は可愛いんですけどね。
「さて。姉と弟の麗しい交流は置いておいて」
「「誰が姉と弟ですか!」」
確かにシモン様と結婚したら、義理の弟になりますけれど。なんだかんだ小さい頃から見ていますから、本当の弟のようにも思っていますけれど。
「うわーお。息ぴったり」
聞き捨てならないことを言うブーシェ伯爵令息を睨みましたが、どこ吹く風です。飄々と、マノン嬢の自作自演が映った魔道具があること、断罪のための証拠書類の数々の説明を受けました。
「なるほど。流石は兄上。嫌になるほどの根回しだね」
「その割には嬉しそうですね」
ベネディクト様が腕を組み、背もたれに身を預けました。口調は困っていますが、口元がにやけています。
「嬉しいに決まってる。僕の理想の兄上が予想の兄上を超えてくれたんだからね」
「どうひっくり返すつもりですか?」
「簡単さ。反乱の旗印を取り換える。種は兄上が自分で蒔いてるからね。さっき兄上がギャングを憲兵に対処させたって言ってただろう。そういうの、今に始まったことじゃないはずだ。困ってる人を見かける度に、手を打ってたんじゃないか」
言われてああ、と合点がいきました。
シモン様が息抜きのついでにされていた、様々な人助けが『種』ということなのでしょう。
シモン様の政策・施策は貴族の利益より平民に優先順位を置いていたので、貴族派には嫌われておりましたが、国民の支持は絶大です。
ご本人はやって当たり前のことをしているだけだからと、気にもとめておられませんでしたが。
「国民からの人気は僕より兄上の方が圧倒的に上。だからほら」
ベネディクト様の視線が、さきほどシモン様の扇動で第二王子殿下を湛えていた人たちに向かいました。
「でもよぅ。第二王子が王様でいいのか? 俺たちに今まで色々してくれたのは王太子だぞ」
「そうだよな。天才だのなんだの言われてるけど、第二王子は何してんのか分かんねーし」
「でも国王を倒してくれるんだろ。今の税金が安くなるんなら、どっちでもいいや」
「分かんねーぞ。第二王子も国王と同じになるかも‥‥‥」
「‥‥‥第二王子じゃなくて、王太子殿下が立ち上がってくれたらなぁ」
彼らは反乱を起こしてくれる第二王子を歓迎しているものの、本音はシモン様を望んでいました。
「芽はもう出てる。僕は水と肥料をやるだけさ」
立ち上がったベネディクト様が、認識阻害の魔道具を外して声を張り上げました。
「その通り!」
「え? なんだ、貴族!?」
「誰だ? あんな人今までいたか?」
突然のことに戸惑う人々に、悠々と近づいたベネディクト様がにっこりと笑いました。
「私はベネディクト・ベルジュ・ド・ゴール。第二王子です」
「だ、第二王子殿下」
「私と貴方がたは同志。臣下の礼はいりません。なぜなら、私は王太子である兄の命で動いているのですから」
慌てて膝をつこうとする人々をとめ、美しい笑みを浮かべたベネディクト様は、神々しくさえ見えました。普段はあんなに生意気ですのに!
「王太子殿下が!」
「本当ですか」
「ええ。神に誓って本当です。マノン嬢との噂も、彼女の背後にいる貴族たちの不正を暴くための偽装なのです」
命令は受けてませんし、シモン様の意向の逆です。
マノン嬢とのことは、胸がずきっと痛みました。真実は何なのでしょうか。
「我が兄は民のため、国のため、親をも断罪する覚悟を固めた! 自らの私利私欲で重税を課す国王・王妃・王政派をこれ以上許すわけにはいかない! その志はここにいる皆と同じ! 我々は同志だ!」
「おおおっ!」
拳を突き上げるベネディクト様に続いて、人々も拳を突き上げました。
「王太子殿下ならやってくれると思ってたんだよ!」
「やっぱりなぁ」
嬉しそうに隣の肩を叩く人。少し涙ぐんだ人もいました。
ああ、シモン様。貴方はこんなに好かれているんですよ。見せて差し上げたいです。
人々の興奮が少し静まった頃、ベネディクト様が少し声を落として言い含めました。
「反乱を起こす前に国王や王政派に気づかれてはいけません。このことは内密に。ただし、ヴァスール公爵家だけは味方です。王政派ですが、ずっと王太子殿下を支え、殿下に賛同されています」
神妙な顔つきで皆がうなずいたところで、ベネディクト様が戻って来られました。
認識阻害の魔道具を付け直し、食堂を出ます。
先頭を行くベネディクト様の足取りに迷いはありません。
「離宮から出たことがなかったのでは?」
「ないけど、地図は頭に入ってる」
驚いて尋ねると、なんてことないように答えられました。
「これから僕は兄上の足跡をたどって、兄上の扇動を僕の扇動でひっくり返していく。オレリア嬢はマノン嬢が担当した結界の補強と、トリュフォー男爵家の商会の馬車の襲撃を頼んだ」
「ええ。任せて。でもシモン様の足跡なんて分かるの?」
後をつけようにも、シモン様が食堂を出てから時間が経っています。どうするのでしょう。
「食堂で気づかれないように魔法で印をつけておいた。それに兄上が扇動するのは、今まで兄上が助けてきた人たちだ。兄上が施した政策・施策の場所と憲兵を派遣した場所に行けばいい。候補はたくさんあるけど、兄上は長く城を開けられない。近場から回るはずだから絞り込める」
確かにさきほどの食堂は貴族街と城下町の境目。城からほど近い場所でした。
「あとは僕を推す貴族派の連中だけど。ブーシェ伯爵令息」
「はい、何でしょー」
「ブーシェ伯爵との交渉の席を設けてほしい」
「いいですけど、手強いですよー。しかもシモン様が口説き落とした後です」
「‥‥‥兄上、本当に貴方って人は!」
額に手をあてて天を仰いだベネディクト様の口元は、笑っていました。
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