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第一章:リスタート

黒い影は見えない

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 死ぬ前に貴族の男に重なっていた黒い影。前回あれは、あの時にしか見なかった。
 それは麗子の意識が目覚めていなかったからだろうか。

 独りでに右手が制服の胸の辺りを掴み、左手が口元にいく。
 親指の爪を噛む。

 麗子の時、黒い影はあちこちにあった。一番濃くて恐ろしかったのは父親だ。麗子を殴るときにはいつも黒い影とノイズが重なっていて、麗子はそういうものだと思っていた。物心ついた時からあったから。

 父親以外にも、同級生たちに時々黒い影が見えた。黒い影が見える時、大抵彼らは麗子に何かしらしてくる。馬鹿にしたり、小突いたり、体を触ってきたり。そのことから麗子は、麗子に対しての悪意が黒い影なのだと思っていた。

 黒い影など普通は見えないものだと気付いたのはいつだっただろう。
 誰にも言えず、一人で病院に行くと、ストレスによる精神病の一種だと診断された。それから間もなく父親のもとを飛び出したからか、薬が効いたのか、黒い影を見なくなった。

 だけど麗子の死の間際。麗子を刺したあの男には、黒い影が重なっていた……。

 イザベラの意識が、どんどんと麗子の意識に沈んでいく。
 今、どこにも黒い影なんてない。ノイズだって聞こえない。なのに暗い。指先が冷たくなってくる。

 カリッ。爪が鳴る音が、遠くで聞こえた。

 ふわ。
 急に左手が温かくなった。やんわりと力を加えられて、唇から親指が離れる。

「授業が終わりましたよ、お嬢様」
「あ……」

 驚いて自分の左手を見ると、セスがイザベラの手を包むように握っていた。
 薄くかけられていた、ほの暗いフィルターが取り払われる。音が戻ってくる。指先に血が通う。

「大丈夫ですか? まだお加減が悪いのでは」

 セスの柔らかい声。少し硬い手が、温かい。

 なんだか泣きそうな気分になって、イザベラはぷいっと横を向いた。

「少し考え事をしていただけ。大丈夫よ」

 誤魔化すように教室を見渡すと、生徒たちが思い思いに歓談しながら荷物を整理していた。その中の一人に視線が止まる。

 一人の男子生徒がアメリアと話していた。

 グレーのようなくすんだ金髪に青い瞳。甘いマスクには爽やかな微笑みが浮かんでいる。イザベラよりも頭一つ高い細身の体を包む制服が、彼のスタイルの良さを際立たせていた。

 ジェームス・ヘンリー・キャンベル。小説内のヒーローで、イザベラの現婚約者だ。イザベラの一つ上で、今の時点では王位継承権、第二位の王子である。
 今の時点としたのは、これから五年後、王位継承権第一位の王太子が崩御してジェームス王子が王太子になるからだ。

「ああ、愛しのイザベラ。元気になったんだね。心配していたんだよ」

 イザベラの視線に気付いたジェームスが、こちらを向いた。
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