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第一章:リスタート

護衛騎士の領分(セス視点)

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「何だったんですか、一体」
 呆然とエミリーを見送ったセスは、ぽつりと呟いた。

 突然の嵐のように、買い物のテスト問題を置いていったエミリー。
 護衛についてきただけなのに、プレゼントを贈り合うだって? そんなこと、考えたこともなかった。

 買い物の仕方を教えてもらったのは助かった。恥ずかしいことにセスは金を使って何かを買ったことがない。母親と暮らしていた時はその日の食べ物にも困り、ゴミをあさるか盗むしかしたことがなかった。
 イザベラに拾われてからは、衣食住全て支給される。給金も貰ってはいたが、イザベラの側を離れることのなかったセスは、もらった給金をため込むばかりだった。

「セス」

 名を呼ばれて視線を下ろすと、頬をほんのりと染めたイザベラがいた。
 いつもは凛とした紫の瞳が潤み、美しい眉が少し下がっている。桜色の艶やかな唇が小さく開いて、何かを言いたそうにしていた。

 その表情にどくっと心臓が波打つ。

 そんな心臓に悪いような表情のイザベラが、息のかかるような距離にいる。
 それどころか両手には細い肩がすっぽりと収まり、イザベラの背中が自分の胸につくほど。プラチナブロンドに馴染ませた香油の匂いが鼻をくすぐる、そんな距離。

 ぼうっと血が上った頭で、あれ、どうしてこんなに近くにいるのかと不思議に思ってから、怪しい動きをしたエミリーを警戒して無意識にイザベラを護ろうとしたことを思い出す。

 抱き寄せたままだったことも。

「申し訳ありません!」

 弾かれたように肩から手を離し、セスは後ろに下がった。

「そう、そうよね」

 イザベラの瞳が、先ほどとは違う色をまとってさらに潤んだ。泣きだす一歩手前のような表情に、胸をぎゅっと掴まれた。痛い。

「セスは自分の仕事をしただけ、なのよね」

 紫色の瞳が、下を向いた。微かに震える長いまつ毛が影を落とし、瞳が曇る。急な雷雨の前兆のようなそれに、セスの心には、『泣かせたくない』の一言だけが浮かんだ。

「お嬢様」

 気が付くと、イザベラの手を握っていた。まつ毛が跳ね上がり、紫の瞳が見開かれる。セスの心臓もまた、跳ね上がっていた。

 まずい。どうして手を握ってしまったのだろう。こんなの、護衛騎士の領分を超えている。今すぐ離すべきだ。そう、理性は告げている。

「今の俺とお嬢様は、その、護衛騎士と公爵令嬢ではなくてテストを受ける生徒ですから」

 なのにセスはイザベラの手を握ったまま微笑んでいた。
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