上 下
57 / 94
第一章:リスタート

今のノイズは?

しおりを挟む
「今はそっとしておいてあげましょう」

 イザベラの視線を受けたアメリアがゆっくりと首を横に振る。彼女の顔に黒い影は見えず、悲しそうに垂らされた目に悪意は感じられない。

 だったら、今のノイズは誰から?

 さっと見渡したが、床に座り込んだままのエミリーにも、真っ直ぐにイザベラを見ているセスにも、ショックを受けているマリエッタにも。
 この場にいる誰にも黒い影は見当たらない。耳を澄ましたが、ノイズも聞こえなかった。

 麗子の時、黒い影とノイズはいつもセットだった。ノイズは黒い影に覆われた人間の言葉に混じるだけ。
 だが、先ほどのノイズははっきりとしていなかったけれど、言葉になっていた。

 一体どういうこと? いつものノイズと違うの?

 いや、あんな風に言葉として聞こえたことが、一度ある。あれは、イザベラの死の直前。あの時のノイズは、イザベラの頭の中に響く、もう一つの声を否定して呪詛を吐いていた。

「あっ」

 動揺して考え込んでいるうちに、くるりと背を向けたマリエッタが駆け出した。逃げるように倉庫から出て行ってしまう。

 アメリアの言う通り、そっとしておいた方がいいかもしれない。イザベラはマリエッタを追わないでおこうと思ったが、直ぐに覆される。

「きゃああっ、何なのですか、あなたたちは!」

 マリエッタの悲鳴と、複数の足音が聞こえたからだ。

「マリエッタ!?」

 今度こそ駆けだそうとしたイザベラを止めたのは、アメリアではなくセスだった。

「危険です、お嬢様。俺が行ってきますから、ここから動かないように」

 早口で囁き、止める間もなく倉庫から飛び出した。

「セス!」

 イザベラは倉庫の入り口に取りすがるようにして、日がほとんど落ちてさらに薄暗くなった路地に目をやる。

 そこにはマリエッタを囲む数人の男がいた。どの男も明らかにまっとうな者に見えず、据えた目をしていた。

「お前たち! 私を誰だと思っているの」

 細腕を掴まれたマリエッタが、腕を抜こうともがいているがびくともしていない。

「どこかの令嬢様だろう?」

「令嬢は、令嬢でも、私じゃ・・・ありませんわ! さっさとお放しなさいっ」

「お放しなさい、だとよ。自分の立場が分かってねぇなァ」

「これだからお貴族様はヨォッ」

 男たちは三人。丸太のような腕と隆々と盛り上がる筋肉を持つ、髭面の男。下卑た笑いを貼り付けた、小太りの男。スキンヘッドで、やはり体格のいい男。

 セスが迷うことなく腰の剣を抜きながら男たちに迫った。声は出さない。極限まで姿勢を低くとり、地を這うように距離を潰す。

「っ! なんだ、このガキャアッ」

 セスは声も物音も立てなかったが、イザベラの声や物音は男たちに届いていた。セスの間合いに入る前に、男たちもそれぞれの得物を抜き、臨戦態勢に入る。

 イザベラの心臓に冷水が浴びせられた。

 どの男たちもセスよりも大きくてガタイがいい。

 セスは強い。時折開催される剣術大会で、常に上位。イザベラの自慢の護衛騎士だった。しかしそれは、未来のセスだ。
 現在のセスは12歳。毎日鍛錬はしているが、剣術大会にはまだ出たことがないし鍛錬はいつも一人。習っている師範も、セスの稽古に付き合う相手もいなかったため、今の彼の強さをイザベラは知らない。

 しかもセスは一人、相手は三人。マリエッタを救出という、枷もある。
 どう考えても、セスの方が分が悪い。

 だからといって、セスの加勢など出来ない。逆に足手まといになってしまう。
 イザベラは唇を噛みしめ、倉庫の扉を掴む手に力を込めるしかなかった。
しおりを挟む

処理中です...