ミラクルVRゲーム

佐伯和彦

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ギルギルとの対決

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 三 ギルギルとの対決

 おれはあわてて手前の岩の陰に隠れた。
 レイカを守るなんて偉そうなことを言ったことを後悔した。とても手に負えない。まるでライオンと道ばたで出会った子ウサギのような気分だった。しかもその子ウサギは、怖さで身体が震えて止まらず、口まで心臓がせり上がってきて、ほっぺたの中でばたばた暴れている感じだ。
 他のみんなも近くにある木や岩の陰に隠れようとしているが、他人に関わっていられるような状況じゃない。ハッピーエンドなど、映画の中だけの都合のいい結末だ。このままじゃ本当に命を落としかねない。
 目の前の森が激しく揺れる。木々のざわめきが耳の奥まで響き渡ってくる。
 おれはキングコングの映画を思い出していた。木々が激しく揺れ、突然怪物が巨体を現す。
「ギイイイイイ」
 ギルギルのけたたましい叫びが聞こえた。
「いよいよだ! 弓を構えろ!」ツヨシが言う。
 しかしみんなおびえた目で見返すばかりだ。ショウタとシンタは完全に涙目になっている。
 最初にコーイチが勇気を振り絞って、背中に背負った弓をはずし、筒から矢を取り出して構えた。弓を思いっきり引いて、怪物が姿を現すのを待っている。
 その直後、二十メートルほど先のクヌギの木の隙間から、ギルギルが姿を現した。高さは二階建ての家ぐらいありそうだった。体の色は薄い緑で、足の部分が、短い体毛におおわれている。大きな鎌を構え、逆三角形の頭の左右の頂点に大きな目がついている。首を左右に傾けてこちらをにらむ姿は、おれのよく知っているオオカマキリだった。
 昔からカマキリは好きになれない。だいたいその姿がいただけない。カマキリというあだ名の国語の先生がいたが、生徒に暴力ばかりふるっていた。堀本と言う名前だったが、ある日生徒が思い違いで「カマキリ先生課題を持ってきました」なんて言っちまったときには、みんな肝を冷やしたもんだ。その生徒が職員室に連行されると、中から激しく殴る音と悲鳴が聞こえてきた。その生徒が二日休んだのは、風邪のせいなんかじゃあぜったいにない。
 みんながいっせいに弓矢を放った。戦闘に不慣れなせいか、半分以上がギルギルまで届かない。それでも何本かがギルギルの体に当たったが、むなしく跳ね返されるだけだった。
 馬鹿げてる。こんな武器であんな怪物に勝てると思ってるのか?
 ただ、おれも手をこまねいて見ているわけにもいかず、渡されていた弓矢を見よう見まねで構えて放った。弓矢は放たれた後すぐに失速し、老人のおしっこのように勢い無く五メートルほど手前に落ちた。
「ギイイイイイイイイイ!」
 ひときわ甲高い奇声が響き渡った。
「次の矢を放つんだ!」ツヨシが叫ぶ。
 みんなあわてて抜いた矢を取り落としながらも、再び構えて放った。
 ツヨシの放った矢だけが、ギルギルのお腹の柔らかい部分に軽く刺さった。彼ぐらい筋肉があれば、勢いのある矢を放つことができる。ただ、それでも矢の先が二センチほどギルギルのぬめっとした肌に刺さっただけだ。そのせいか、ギルギルが激しく暴れて突進してきた。
 それを逆効果って言うんだ! 下手に攻撃するから反撃される! おれはツヨシの無駄な筋肉を呪った。
「うわー!」みんな、叫び声とともに攻撃をやめた。あわてて逃げ回ったために、バラバラに散ってしまった。岩陰に隠れる者、木の陰に隠れる者、いろいろだった。ただ、ツヨシだけは逃げていなかった。槍を構えてギルギルを待ちかまえている。
「ツヨシ! 無茶だ。やめろ!」コーイチが叫んだ。
 ツヨシのこめかみには汗が光っている。体は小刻みに震えていたが、気持ちで何とか立ちはだかっていた。
 ギルギルは容赦なく進んでくる。鎌でツヨシの体をなぎ払おうとしたが、ツヨシはそれを予期していたように飛び跳ねてかわし、後ろ足の関節部分に槍を思い切り突き立てた。
「ギエエエエエエエ!」ひときわ甲高い声とともに、ギルギルの体がのけぞった。
 すかさずツヨシは、槍を抜いて、お腹のど真ん中に突き立てた。槍が中程まで食い込むと、ブシュッと言う音とともに薄緑色の汁のようなものが傷口から垂れる。今時のホラー映画でも見たことのないグロテスクさだ。緑色のどろどろした汁ほど気持ち悪いものはない。昔、怪我したときにたまった膿が緑色で、自分の体から出てきたことに吐きそうなほどの嫌悪感を覚えた記憶がある。
 ギルギルは天を仰ぐように体全体を持ち上げ、そのまま仰向けに倒れた。
 どっというすごい音がした。ツヨシはその衝撃で体のバランスを崩し、ギルギルの後ろ足ではじき飛ばされた。背中を激しく打ち、嗚咽を漏らしたツヨシにコーイチが駆け寄る。
「何やってるのよ。みんなツヨシを助けて!」
 レイカに言われて、ようやくみんな我に返った。
 キョウイチとヤスオがツヨシに駆け寄り、彼を肩に担いだ。
 おれは完全に出遅れた。レイカにいいところを見せるはずが、とんだ間抜けだった。ただ、動くことができなかったのは、ユカリのせいだった。彼女がおれに抱きついたまま離れてくれない。引きはがそうとすると、コアラのように抱きついてくる。
 ギルギルはしばらく手足をばたつかせていたが、横の大木に足を絡ませて、必死で起き上がろうとしている。
「今のうちに早く!」再びレイカが叫んだ。
 双子のショウタとシンタも体を縮こまらせながら草むらから出てきて、ツヨシの体を引っ張った。おれはユカリを引きずるようにして、何とか岩陰までたどり着いた。まるで柔道の試合で押さえ込みから逃げようとする選手のようだった。
 ギルギルが再び体勢を立て直した頃には、みんな岩陰に隠れることができた。しかしみんな体中泥にまみれ、手足に血を流している。
「こんな人数じゃだめだ。もっと人手がいる。これじゃ、一匹もやっつけられない」ツヨシがつぶやいた。
「子供が何人いてもだめさ。アントニオ猪木級の大人が数人いないとやっつけるのは無理だよ」おれが言うと、みんなの視線が集まった。
「アントニオ? 誰だそれ?」コーイチが言う。
「アントニオ! すばらしい名前の響き! きっと救世主に違いないわ!」ユカリが目をきらきらさせておれを見る。
「たとえだよ。キン肉ムキムキマンの大人じゃないと無理だってことさ」おれが答える。
「そのアントニオを連れてこられないのか?」
 コーイチの目は真剣だった。よけいなことを言うんじゃなかった。猪木がこんな所に来てくれるはずがない。
 おれは苦し紛れに言った。「アントニオは忙しいから、すぐには連れてこられない」
 みんなが『じゃあ、言うなよな』という目で睨んでくる。
 おれは話をそらすために言った。「この村の大人って、本当に誰もいないのか?」
「頼りになりそうな大人はみんな連れ去られたんだ。大人二十人の集落さ。そのうちの十五人がさらわれた。残っているのは寝たきりかよぼよぼの老人とおいらたち子供だけさ」コーイチが言う。
 みんな神妙な顔だ。とりあえず猪木のことは忘れてくれた。『体育の吉岡先生なら来られるかも』なんて言わなくてよかった。
 市役所の職員みたいな村の実態調査は、これぐらいにしないと危ない。体勢を立て直したギルギルが、すごい形相でこっちに向かってくる。
「まずは安全なところまで逃げよう!」ツヨシが叫んだ。
「ギイイイイイイイ!」再びギルギルの雄叫びが響き渡る。
 全員立ち上がると、来た道を必死で走った。ギルギルは後を追おうとしているが、大木に邪魔されて、でかい体を持て余している。
「うわああ!」突然、悲鳴とともにキョウイチの体が視界から消えた。
「たいへん! 落とし穴よ!」レイカが叫ぶ。
 みんなあわてて立ち止まり、キョウイチの落ちた穴をのぞき込んだ。深くて奥の方は見えない。『リング』に出てくる古井戸のように深くて暗い。
「どうする?」コーイチがツヨシに言う。
「これは落とし穴じゃなくて、蟻の巣だ。ここに落ちるとやっかいだぞ」ツヨシが答えた。「キョウイチ、聞こえるか!」
 少し遅れて、キョウイチの声が深い穴の奥から微かに聞こえてくる。
「聞こえるよー。だいじょうぶだべ。ちょっと足をすりむいたけどな。中には何もいないよー」
「ロープを貸してくれ」
 ツヨシがヤスオから五メートルはありそうなロープを受け取り、近くの木に結びつけて、穴の中に垂らした。
 木々のざわめく音が激しくなる。ギルギルが迫っているのだ。
「さあ、降りるんだ。この中にみんなで隠れよう」ツヨシが言う。
「でも、本当に中はだいじょうぶなのか?」おれが言った。
 貞子が黒髪を振り乱して出てきたら、とても耐えられそうにない。意地悪なオヤジが何を仕組んでいるかわからない。
「考えている暇はない。地上で離ればなれになるより、みんなで行動した方がいい」
 ツヨシにせかされて、ショウタとシンタがまずロープにつかまって降りていった。レイカ、コーイチと続き、おれとユカリもロープにつかまった。ギルギルが迫ってくる音がする。
「さあ、早く!」ツヨシはおれに重なるようにして、ロープにしがみついた。それと同時にギルギルの鎌がロープをなぎ払い、木の根元で切れて、三人は一気に穴の底まで落ちていった。
 おれは激しく尻を打ったが、ユカリがクッションになりケガは免れた。それでも痛かった。凍ったアスファルトの上で一度転んだことがあるが、それに匹敵する痛みだった。
 ツヨシもうめき声を上げている。ユカリのうめく声が聞こえるが、それほど痛みは感じていないようだった。
 しばらく尻をさすっていると、ようやく痛みも治まってきた。周りを確認しようとしたが、穴の底は暗くて何も見えなかった。消費期限切れのパンを食べたときのようなかび臭いにおいがした。
「だいじょうぶ?」
 レイカの甘い髪の香りがして、彼女の手がおれの肩に触れた。思わずびくついてしまい、レイカが慌てて手を離すのがわかった。
 目が慣れてくると、わずかながら穴の中が見えてきた。地上から五メートルぐらいの深さがある。下に木の葉がたくさん敷かれているので、この程度の痛みで済んだようだ。
「やっぱり蟻の穴だ。ずっと横に続いてる。早く外に出る方法を探さないと、奴らに食われちまうぞ」ツヨシが言った。
「この国の蟻って人を食べるのか?」おれは思わず大きな声を出した。
「しーっ! 声がでかい。蟻が人を食べるのは当たり前だろ。大きな声を出すと、それを聞きつけて奴らが来る」
 そんなのおれらの世界では聞いたことない。オヤジの野郎とんでもない設定にしやがったな!
 横に続く穴は六つに枝わかれしていた。粗めの布をすりあわせるような微かな音がしたかと思うと、それが次第に大きくなる。そして急にわき上がるように大きくなった。おれは恐怖で縮み上がった。
「まずい、来たぞ!」
 ツヨシがあわてて立ち上がる音がした。
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