これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい 〜貞盛と将門〜

四谷軒

文字の大きさ
1 / 3

01 風と

しおりを挟む
 ……風が吹いてきていた。
 北からの風が。
 朔風さくふうが。

 天慶てんぎょう三年二月十四日、未申ひつじさるの刻(午後三時)。
 下総しもうさ、北山。
 「新皇しんのう平将門たいらのまさかど率いる軍と、平貞盛たいらのさだもり率いる官軍が対峙していた。
 将門は北に、貞盛は南に。
 その陣する位置により、風向きは将門に有利といえた。

「……矢戦の用意」

 将門が号令を下すと、将兵らは一斉に矢を構えた。

「……来るぞ」

 官軍の副将、藤原秀郷ふじわらのひでさとは甥の貞盛に注意を促した。
 貞盛は軽くうなずき、迫り来る矢への備えを命じた。

「良いか。必ずは来る。備えるのだ」

 とはいうものの、天性の用兵巧者いくさじょうずの将門の前には、一度は撃破されるだろうと貞盛はひとちた。

「だが」

 貞盛はふと、昔を思い出していた。

「……だが、風は変わる。いずれ変わる。われら武士が下に置かれるこの世も、変わる」



 数年前。
 みやこ
 平貞盛は、京へ上るとすぐ、年上の従兄弟の平将門を訪ねて行った。
 当時の将門は、左大臣・藤原忠平ふじわらのただひらの推挙で滝口武者たきぐちのむしゃ(御所の衛士)を務めていた。

「貞盛、久しいのう」

「将門にい

 屈託のない将門の顔を見て、貞盛は故郷の坂東ばんどうのことを思い出した。
 将門は、坂東の大きな空と広い大地を――そのを感じさせる男だった。
 だが首を振ってそれにまらないようにする。
 貞盛は、官人としての出世を望んでおり、努めて坂東のことは考えないようにしていた。

「滝口など、暇なことよ」

 将門としては、検非違使けびいしとなって、京の軍事・警察を担う働きがしたかった。
 その点、貞盛は馬寮めりょう(朝廷の馬の管理をする官庁)の左馬允さまのすけに任ぜられることになっており、馬寮は検非違使を補佐して働くことがあったため、将門としては垂涎の対象である。

「でも、いいのさ」

 将門は京を案内すると言って貞盛を誘い、気づいたら夜中、酒を飲みながら都大路みやこおおじ蹣跚まんさんと歩いていた。
 貞盛が「京の酒にしてはすぎる」と顔をしかめていると、将門が言った。

「おれは、坂東に帰る」

「将門にい、それはまことか」

「まことだ」

 将門は、京の外れから敢えて取り寄せた濁酒どぶろくをあおりながら、答えた。

「京で……検非違使の仕事をして、学びたかったが、もういい。もうこれ以上いても、検非違使にはなれそうにないし、もういい」

 貞盛がその濁酒の入った瓶子へいしを見て、もしや密造かと思っていると、「やめろ」と将門は笑った。

「検非違使を目指していたくせに……と思っただろう? だがおれがなりたいのは検非違使というか、をやめさせる男になりたかったんだ」

「なにゆえ」

「坂東を見てみろ、法なんぞ無いところだぞ、あれは。だからおれは、こうして京で学んで、ちゃんとをやめさせる男になりたかった……強いからといって、言うことを聞かせる、坂東の例のあのやり方ではなく」

 当時の坂東は無法地帯とも言えて、たとえば、ほかならぬ将門の父が亡くなった時に、平国香たいらのくにか(貞盛の父)、平良兼たいらのよしかねに所領を奪われている。

「それも、京からせいだ」

 将門はそう結論づけた。
 せめて鎮守府ちんじゅふ大宰府だざいふのような、「国の中の国」みたいな組織が坂東にあれば、もう少し坂東は治まっていたのやもしれない。

「そのための検非違使だったんだが……をやめさせるのが、の最たるものではないか」

 だがそれももう終わりだと将門はこぼした。

「このまま京で鳴かず飛ばずでいるよりは、坂東に帰る。帰って、己の力で何とかするさ」

 将門には、夢があった。
 この時代、未開の地・坂東に、一大楽土を築き上げるという夢を。
 それは――のちに「武士」と呼ばれる身分、あるいは勢力の者たちにとって、より良い世の中をつくりたいという、将門の切なる願いであった。

「将門にい……しかし」

 貞盛もまたそういう想いを抱いていた。
 地方において、開発に、兵事に、治安に携わる「武士」たちの世の中、それはきっと来る。
 そのためには、まずは朝廷において官人として立身し、に備えるべきである。
 だからこそ、貞盛は敢えて故郷の坂東のことを頭から捨て去り、京において生きる覚悟をしてきたのだ。
 将門は「わかっているさ」と貞盛の肩をたたいた。

「京にいた方が、いいにはいい……けど、親父がもう帰ってこいってさ」

 将門の父・良将よしまさ鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんを務めた稀代の名将である。兄である国香や良兼ではなく弟の良将が鎮守府将軍に任じられていることから、それが分かる。
 そして、そういうが原因か、良将は、国香と良兼と仲が悪く、揉めていた。
 だから息子に――武勇の誉れ高き将門に、帰れと言ってきているのか。

「――申し訳ありません」

「何、貞盛……おぬしのせいではないさ。親同士、兄弟同士で勝手にしているだけさ」

「ならばそれこそ――将門にいの出番でしょうな」

 ぜひそのを収めて下されと貞盛がおどけると、将門は大いに笑った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...