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02 雲と

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 平将門たいらのまさかど坂東ばんどうに帰った。
 やがて将門は父の死により、跡を継ぎ、坂東ばんどう曠野こうやの開発に励んでいるという。
 平貞盛たいらのさだもりは定めていたとおり、官途にき、左馬允さまのすけとなった。
 そして仕事に励み、たまさかに京の諸賢を訪ねては学ぶ日々を過ごしていた。
 そんなある日――。

「父が死んだ? 将門にいの手で?」

 貞盛は故郷・坂東からの使いにより、父・平国香たいらのくにかの死を知った。
 それも、貞盛の源護みなもとのまもると、平将門のに巻き込まれて。
 貞盛は急ぎ、朝廷に帰郷の許可をもらい、坂東へと帰った。
 帰った先で――。

源護みなもとのまもる上の子らが、将門にいを待ち伏せ?」

 正確には、源護の三人の息子たちが何らかの理由で平将門への害意を抱き、将門を討とうとして、待ち伏せした。
 ところが将門は逆に三人の息子たちを返り討ちにした。その際、逃げる彼らを追って、源護の館や、平国香の館を焼き討ちにした。
 そして――巻き込まれたかたちで、国香は焼け死んでしまったのである。

「――もとはと言えば、源護の息子たちの待ち伏せが原因。父・国香は待ち伏せに参加していないとはいえ、かつて、将門にいの父・良将よしまさどのが死んだ時に、その所領を奪いました。これでは、父の指図でやっているのではと思われて当然」

 そして今なら、坂東平氏同士の内輪揉めということで収めることができる、将門とは融和の道を、と貞盛は言った。
 だが、良兼よしかね良正よしまさらの意見はちがった。飽くまでも将門を討つべしと唱え、それに貞盛も加われと迫った。

「行くには行きますが」

 貞盛としては、これ以上騒ぎを大きくして、朝廷が取り上げるようになったらだと考えた。
 それゆえ、良兼らについては行くが、それは彼らを止めるか、将門と話し合いたいという気持ちでの行動だった。
 案の定、将門は反攻に出て、戦場においては無類の強さを誇る将門の前に、良兼らは追い詰められていく。
 そんな中、貞盛が「話を」と言っても、将門は取り合わなかった。
 むしろ、寂しそうな目をして、刀を振るった。



「あれは――に魅入られている」

 将門の勇将ぶりには、まさにの申し子という言葉が似合う。ただ、それがために――に天賦の才を誇るだけに――さらなるをと求めるような雰囲気をまとっていた。
 むろん、そうであらねば、誰もついてこず、ましてやを収めることなど、できやしないと思いつめているようでもあった。
 ……かつては「法」を求めていたというのに。

「このままではいかん――やはり、朝廷に申し出よう」

 貞盛は帝へ上奏することを決意し、密かに信濃を経由して、京への道をたどった。
 だがそこで将門の兵に追いつかれてしまう。

「将門にい、やめてくれ。やめてくれるのなら、帝には言わない」

「……悪いが」

 将門は矢をつがえた。
 弓を引く、きりきりという音。

「……結局のところ、強くなくては誰も言うこと聞かなかった。はやめない。なら――どこまでも強くなるまでさ。だが、そのためには、今少し時を要する。あと少し……朝廷には黙っていてもらおうか」

 坂東一円を己がものにして、一大楽土を築くまであと少し。
 下手の官軍に来られても困る。
 邪魔だ。
 そう言い切って、将門は矢を放った。



 ……平貞盛は生きていた。
 生きて、京へと上って、平将門追討の官符かんぷを得た。
 が、その時すでに坂東は平将門の勢力下に入っており、頼みの綱のの平良兼は病没していた。
 そこから、貞盛の苦難が始まった。

「今や、坂東は将門にいのもの。生半可なでは、勝てぬ」

 下野しもつけへ、常陸ひたちへ。
 貞盛の逃避行、あるいは募兵の試みはつづく。
 一度、五千の兵を率いる将門と遭遇したこともあった。

「貞盛、もはや風はわれらに!」

「されど、風は変わることも……」

 乱戦のうちに、別れ別れとなり、それ以上は言えなかった。
 あるいは、将門も、聞きたくなかったかもしれない。
 いずれにせよ、何度も何度も追われた末――。

「もうよかろう」

 将門は「新皇」と称し、これまで自分に付き従った将兵らを慰労し、帰郷を許した。

「――好機だ」

 貞盛は、これを待っていた。
 さしもの将門とて、いつまでも大軍を集めていられるわけがない。
 休息を取らせ、一度は解散する時が来る。

「今こそ」

 貞盛は藤原秀郷ふじわらのひでさとと密かに連絡を取り合い、四千の兵をもって将門を攻めた。
 この時、将門が召集できた兵は千。そして衆寡敵せず、退却を余儀なくされる。
 そして――。

「将門にいが北山に陣している?」

「そうだ」

 老練な藤原秀郷は、各所に間者を放って、今や遁走をつづける将門を追った。
 すると、下総幸島しもうさこうじまの北山という地に陣して、味方の援軍を糾合せんとする将門の軍が発見された。

「攻めよう」

 将門の味方が集まっては、もう将門には勝てない。
 官軍の貞盛と秀郷も負けないにしても、その時、坂東は泥沼の戦乱争乱の地と化す。

「そうなる前に」

 それこそ――坂東が一大楽土となる芽をつぶさないうちに。
 決戦を、と言おうとした貞盛は、風を感じた。

「雲が……」

 雲が流れていた。
 北から南へと。
 今は。
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