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第三部 石橋山の戦い
27 負けいくさ
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頼朝勢の佐奈田与一による、俣野景久の首取りは、乾坤一擲の策だったが、失敗に終わった。
頼朝の一の武者である与一の敗死により、頼朝勢には大いに動揺が走り、この機をのがす大庭景親ではない。
「今ぞ! 渋谷や海老名、熊谷にも声をかけよ! 石橋山のうしろの伊東にもかかるように言え!」
率いてきた豪族たちに総攻撃を命じ、みずからも馬に乗って、景親は石橋山へと突撃した。
*
「……ここまでか」
石橋山の山頂にて、迫りくる敵に弓を引き、百発百中の腕前を披露した頼朝だったが、このいくさはもうこれまでだなという感覚があった。
それは、累代の武者であるからゆえのものか、頼朝独自のものかは判然としないが、とにかく「負けた」というのはわかった。
「もはやこれまで。逃ぐる算段を」
麾下の将たち――特に宗時――は言いづらいだろうと思って、頼朝はみずから言った。
一同の目は、土肥実平に注がれる。
実平は、このあたりの領主だった。
「されば申し上げます」
実平は、みなが思っているとおり、このあたりの領主であるから、逃げ道は何となくわかると言う。
「……されど、みながみな、逃げられるとは限らん。この場合、大人数は不利」
散り散りになって逃げた方が、隠れるにも有利だし、何より、追っ手を分散できる。
ここで頼朝が口を開いた。
「大庭の軍は一枚岩ではない。この頼朝に付きたい、と言って寄越した者もいる」
飯田家義というその武者は、渋谷重国の子である。
家義は、かつて大庭御厨をめぐって大庭景親とあらそい、飯田という地を得た。
独力で土地を得たという達成感もつかの間、景親の娘を娶ることになった。
結局のところ、大庭の一党とされてしまった家義は不満をかかえており、そこへ頼朝の挙兵という一報が飛び込んだ。
ぜひにと言って頼朝勢に加わろうとしたが、父である渋谷重国が大庭景親の招聘に応じてしまう。
……頼朝はこの飯田家義に目をつけていた。
石橋山の戦いが始まる前に密かに連絡を取り、まだ頼朝から心を離れていないことを確かめ、これあるを期して、そのまま大庭景親の軍に加わるように仕向けた。
「……そして今に至るわけだが、先ほど弓を射ながら見ていたが、飯田の陣は動きが鈍い。心変わりはしていない」
後日頼朝は、この飯田家義と、そしてこの時はまだ見知らぬ仲であった梶原景時に、最も気を遣ったと政子に告げた。
「飯田の陣に攻めかかろう。いや、そのふりをする」
頼朝は言う。
飯田の陣に攻めかかる振りをして紛れ込み、そのまま、頼朝らは散り散りに分散し、逃げる。
「しかし、逃げると言うても……いずこへ?」
宗時は問うた。
頼朝は土地鑑のある実平についていくとして、あとの者たちはどうするか。
「三浦を頼れ」
それのみを言い置いて、頼朝はまず自分が最初にと、飯田の陣に向かった。
遅れてはならじと、実平も走る。
宗時はまだ頼朝の言葉を反芻していたが、やがて自分が最後と気づき、急いで飯田の陣を目指した。
*
「三浦を頼れとは、どういうことだ」
おそらく頼朝が、敵に聞かれるのを警戒して言ったのだろう。
北条宗時は、まだそれを反芻してぶつぶつ言いながら、山中を徘徊していた。
飯田の陣を抜け、今はどこだか知らないが、とにかく山の中を徘徊していたのだ。
「頼朝どのは土肥の館へ行けただろうか」
いずれ攻められるだろうが、土肥実平の館に行けば、ひと息つける。
そこからさらに、逃げることもできる。
宗時にとって、今はそれだけは安心できる材料だった。
「待てよ」
そこからさらに、逃げる。
逃げると言っても、どこへ。
「あ」
三浦を頼れ。
その言葉。
頼朝が最初から言っていた言葉。
そこから導き出される逃げ道。
「いや……逃げ道ではない。戦うための、勝つための道」
そうか。
その時、宗時は悟った。
頼朝が何を目指していたか。
何を狙っているか。
喚き声を聞こえる。
この声には、聞き覚えがある。
「伊東……」
どうやら、山の中を彷徨ううちに、石橋山のうしろの山へ至ってしまったようだ。
だが、好都合だ。
伊豆には政子、義時がいる。
父・時政は甲斐に行っている。
ならばこの宗時が果たすべきは。
「義時、父を頼んだぞ。政子、頼朝どのと、いつまでも達者でな」
宗時は刀を抜いた。
木々の間から、伊東祐親があちこちを指差し、兵を叱咤しているのが見える。
「父上、北条を頼みます。そして頼朝どの……どうか、武運を」
宗時は駆け出す。
木と木の間をすり抜け、伊東祐親のいるところへ。
狙うは首だ。
それが駄目なら。
「われこそは北条三郎宗時! 頼朝どのを伊豆へ連れて帰りたてまつる! そこをどけッ、伊東ッ」
「ぬっ、貴様、北条!」
祐親が抜刀する。
宗時が奇声を上げて斬りかかる。
刀と刀が弾け、飛んでいく。
組み討つ二人。
蹴り、殴り、そして転がっていく二人。
「追えッ、追えッ」
「祐親さまを守り参らせよ!」
祐親と宗時がごろごろと山の下へと落ちていくのを、兵たちが追いかける。
……北条宗時。
伊東祐親麾下、小平井久重に射られて死んだとも伝えられる。
あるいは戦場で右腕を失ったため、家臣と共に信濃の安曇郡に隠居したとも言われる。
いずれにせよ、義時や政子にとっては、困ったところもあるが、頼りがいのある兄はこの時から消息を絶ち、歴史上には現れなくなった。
頼朝の一の武者である与一の敗死により、頼朝勢には大いに動揺が走り、この機をのがす大庭景親ではない。
「今ぞ! 渋谷や海老名、熊谷にも声をかけよ! 石橋山のうしろの伊東にもかかるように言え!」
率いてきた豪族たちに総攻撃を命じ、みずからも馬に乗って、景親は石橋山へと突撃した。
*
「……ここまでか」
石橋山の山頂にて、迫りくる敵に弓を引き、百発百中の腕前を披露した頼朝だったが、このいくさはもうこれまでだなという感覚があった。
それは、累代の武者であるからゆえのものか、頼朝独自のものかは判然としないが、とにかく「負けた」というのはわかった。
「もはやこれまで。逃ぐる算段を」
麾下の将たち――特に宗時――は言いづらいだろうと思って、頼朝はみずから言った。
一同の目は、土肥実平に注がれる。
実平は、このあたりの領主だった。
「されば申し上げます」
実平は、みなが思っているとおり、このあたりの領主であるから、逃げ道は何となくわかると言う。
「……されど、みながみな、逃げられるとは限らん。この場合、大人数は不利」
散り散りになって逃げた方が、隠れるにも有利だし、何より、追っ手を分散できる。
ここで頼朝が口を開いた。
「大庭の軍は一枚岩ではない。この頼朝に付きたい、と言って寄越した者もいる」
飯田家義というその武者は、渋谷重国の子である。
家義は、かつて大庭御厨をめぐって大庭景親とあらそい、飯田という地を得た。
独力で土地を得たという達成感もつかの間、景親の娘を娶ることになった。
結局のところ、大庭の一党とされてしまった家義は不満をかかえており、そこへ頼朝の挙兵という一報が飛び込んだ。
ぜひにと言って頼朝勢に加わろうとしたが、父である渋谷重国が大庭景親の招聘に応じてしまう。
……頼朝はこの飯田家義に目をつけていた。
石橋山の戦いが始まる前に密かに連絡を取り、まだ頼朝から心を離れていないことを確かめ、これあるを期して、そのまま大庭景親の軍に加わるように仕向けた。
「……そして今に至るわけだが、先ほど弓を射ながら見ていたが、飯田の陣は動きが鈍い。心変わりはしていない」
後日頼朝は、この飯田家義と、そしてこの時はまだ見知らぬ仲であった梶原景時に、最も気を遣ったと政子に告げた。
「飯田の陣に攻めかかろう。いや、そのふりをする」
頼朝は言う。
飯田の陣に攻めかかる振りをして紛れ込み、そのまま、頼朝らは散り散りに分散し、逃げる。
「しかし、逃げると言うても……いずこへ?」
宗時は問うた。
頼朝は土地鑑のある実平についていくとして、あとの者たちはどうするか。
「三浦を頼れ」
それのみを言い置いて、頼朝はまず自分が最初にと、飯田の陣に向かった。
遅れてはならじと、実平も走る。
宗時はまだ頼朝の言葉を反芻していたが、やがて自分が最後と気づき、急いで飯田の陣を目指した。
*
「三浦を頼れとは、どういうことだ」
おそらく頼朝が、敵に聞かれるのを警戒して言ったのだろう。
北条宗時は、まだそれを反芻してぶつぶつ言いながら、山中を徘徊していた。
飯田の陣を抜け、今はどこだか知らないが、とにかく山の中を徘徊していたのだ。
「頼朝どのは土肥の館へ行けただろうか」
いずれ攻められるだろうが、土肥実平の館に行けば、ひと息つける。
そこからさらに、逃げることもできる。
宗時にとって、今はそれだけは安心できる材料だった。
「待てよ」
そこからさらに、逃げる。
逃げると言っても、どこへ。
「あ」
三浦を頼れ。
その言葉。
頼朝が最初から言っていた言葉。
そこから導き出される逃げ道。
「いや……逃げ道ではない。戦うための、勝つための道」
そうか。
その時、宗時は悟った。
頼朝が何を目指していたか。
何を狙っているか。
喚き声を聞こえる。
この声には、聞き覚えがある。
「伊東……」
どうやら、山の中を彷徨ううちに、石橋山のうしろの山へ至ってしまったようだ。
だが、好都合だ。
伊豆には政子、義時がいる。
父・時政は甲斐に行っている。
ならばこの宗時が果たすべきは。
「義時、父を頼んだぞ。政子、頼朝どのと、いつまでも達者でな」
宗時は刀を抜いた。
木々の間から、伊東祐親があちこちを指差し、兵を叱咤しているのが見える。
「父上、北条を頼みます。そして頼朝どの……どうか、武運を」
宗時は駆け出す。
木と木の間をすり抜け、伊東祐親のいるところへ。
狙うは首だ。
それが駄目なら。
「われこそは北条三郎宗時! 頼朝どのを伊豆へ連れて帰りたてまつる! そこをどけッ、伊東ッ」
「ぬっ、貴様、北条!」
祐親が抜刀する。
宗時が奇声を上げて斬りかかる。
刀と刀が弾け、飛んでいく。
組み討つ二人。
蹴り、殴り、そして転がっていく二人。
「追えッ、追えッ」
「祐親さまを守り参らせよ!」
祐親と宗時がごろごろと山の下へと落ちていくのを、兵たちが追いかける。
……北条宗時。
伊東祐親麾下、小平井久重に射られて死んだとも伝えられる。
あるいは戦場で右腕を失ったため、家臣と共に信濃の安曇郡に隠居したとも言われる。
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