42 / 52
第四部 富士川の戦い
42 そして富士川へ
しおりを挟む
「頼朝が房総にて再起?」
まずその知らせを受けたのは、大庭景親だった。
梶原景時に言われて、早馬を福原へ飛ばし、その返事を今か今かと待ち望んでいる最中だった。
景親は苦虫を噛み潰したような表情で、さらに早馬を飛ばした。
「この大事に、福原は何をやっておられるか」
実際は平維盛を大将軍として、討伐軍を編成しているのだが、その実務を担う伊藤忠清が「まだ軍とは言えない」として、出陣をさせないので、景親にはその辺の情報が伝わっていなかった。
「ええい、このまま、手をつかねておらりょうか」
景親は畠山重忠に使いを寄越して、武蔵から房総へ圧力をかけることにした。
重忠は秩父一族であるため、同じ一族の江戸重長や葛西清重の助力も期待できる。
「……承知し申した」
不承不承、といった感じで重忠はその話を受けた。
先の衣笠城合戦で、老将・三浦義明を討ったことは、想像以上に重忠に重圧を与えていた。
「……この上は、頼朝に扈従しているという、三浦との戦いに身を投じるか」
三浦が義明のかたきだと重忠に戦いを挑んで来るのなら、望むところである。
「だが」
もし三浦が、そうではない対応をしてきたら。
……思い悩む重忠に、大庭景親からの使いである、梶原景時が声をかけてきた。
*
次いで頼朝再起の報に接したのは、甲斐源氏・武田信義である。
「何、頼朝どのが」
先に信濃伊那郡に出兵し、菅冠者・平友則を討ち、ほくほく顔のところに、この報だ。
信義は渋い顔をして、客将の源六郎範頼を呼んだ。
「範頼どの、範頼どの」
「何でござろう、何でござろう」
「こうなれば平家の追討軍もやって来るだろう。どうする?」
「ええと……」
範頼は忙しい。
頼朝が房総で勢力を築き上げている今、範頼の役割は、この甲斐源氏を動かし、来たるべき平家の討伐軍にそなえることだ。
そのことにてんてこ舞いになっていた。
あまりの忙しさに音を上げて、頼朝に「何とかならないか」と文を送ったところ、「人を寄越す」という返事とともに、安達盛長の娘・亀がやって来て、「もう駄目だ」と頭をかかえたぐらいである。
「なんですか、その弱音は。ほんとうに京の人間は弱っちい」
「なんだと? こちとら、美濃や近江の源氏とも連絡をやらされ……ああ、尾張の義円や行家叔父にも文を書かねばならないし……忙しいんだよッ」
「うるさいッ」
亀が範頼の頬をひっぱたいた。
これには、範頼の隣の部屋で伊豆土産の干物にむしゃぶりついていた時政もびっくりして、「なにごとだ」と顔をのぞかせた。
「あ、人質の時政さま」
「ひ、人質!?」
時政はくわえていた干物を落とした。
開いた口がふさがらないらしい。
亀は遠慮なくずかずかと時政に近寄り、干物を拾ってあげた。
「うすうす感づいていたんでしょ、時政さまも? だって、甲斐に来て以来、武田さまと話すのは、いつもこの六郎」
「そ、それは……」
この娘、わが娘・政子に似ていないか。
時政がそんな顔をしている。
しかし、毒気を抜かれたその顔に、人質扱いされたという悔しさはない。
「まさか、それがねらいか」
範頼は感心したような表情をしたが、亀の切れ長の目でにらまれると、息を呑んだ。
「ほら、時政さまはもう納得づくで甲斐にいますから、そこは気づかいせず、尾張や近江のことをやっつけちゃいましょう」
「あ、ああ」
「時政さまも、それでよろしいですね」
「そ、そりゃあもう」
時政は勘を信じる男である。
その勘が、この、政子によく似た性格の娘にしたがう方が、今は正解だと告げた。
「では時政さまは、武田さまを手伝って、伊豆や相模、頼朝さまの方への連絡をやってください」
「お、おう」
時政としても、ここで無為に過ごすよりは、やはり働きたいし、来たるべき乱世で、名を上げたい。
干物の最後のひと切れを咀嚼すると、武田信義のいる、城主の間へと向かった。
こうして範頼はより自由な立場で、平家の追討軍に傾注することができるようになった。
亀と共に。
「今いち釈然としないが、頼むぞ亀」
「呼び捨てにしない。馴れ馴れしくしない。政子さまがたってと言うからきただけ」
「お、おう」
……ちなみにこの安達盛長の娘は、のちに範頼の正室・亀御前となるのだが、それはまた別の話である。
*
範頼が「準備不足」と断じた近江源氏と美濃源氏、そして尾張の義円と源行家には、今はまだ挙兵せず、妨害活動をしてもらうことにした。
「平家の追討軍は通すように。ただし、兵糧を供しないように」
この頃になると、さすがに平家の追討軍は京を発し、海道を目指していた。
追討軍の実務を司る伊藤忠清からすると、まだまだ準備不足だったが、頼朝再起の報が届くとそうも言っていられず、重い腰を上げた。
「しかたありませぬ。兵や米は、行く先々で徴発しましょう」
「忠清よ、それは略奪ではないか」
維盛がそう指摘すると、忠清はじろりとにらみ返した。
「今、そういうこと言っている場合ではござらん!」
「…………」
維盛としては業腹である。
準備不足はしかたない、手遅れになる前に早く出陣をと訴えていたのは、維盛だ。
それを、不足した「準備」を現地徴発で補うのかと反論してきたのは、忠清である。
むくれる維盛だったが、これ以上、何を言っても忠清の機嫌を損ねるだけ。
今、それによる追討軍の停滞だけは、何としても避けたかった。
まずその知らせを受けたのは、大庭景親だった。
梶原景時に言われて、早馬を福原へ飛ばし、その返事を今か今かと待ち望んでいる最中だった。
景親は苦虫を噛み潰したような表情で、さらに早馬を飛ばした。
「この大事に、福原は何をやっておられるか」
実際は平維盛を大将軍として、討伐軍を編成しているのだが、その実務を担う伊藤忠清が「まだ軍とは言えない」として、出陣をさせないので、景親にはその辺の情報が伝わっていなかった。
「ええい、このまま、手をつかねておらりょうか」
景親は畠山重忠に使いを寄越して、武蔵から房総へ圧力をかけることにした。
重忠は秩父一族であるため、同じ一族の江戸重長や葛西清重の助力も期待できる。
「……承知し申した」
不承不承、といった感じで重忠はその話を受けた。
先の衣笠城合戦で、老将・三浦義明を討ったことは、想像以上に重忠に重圧を与えていた。
「……この上は、頼朝に扈従しているという、三浦との戦いに身を投じるか」
三浦が義明のかたきだと重忠に戦いを挑んで来るのなら、望むところである。
「だが」
もし三浦が、そうではない対応をしてきたら。
……思い悩む重忠に、大庭景親からの使いである、梶原景時が声をかけてきた。
*
次いで頼朝再起の報に接したのは、甲斐源氏・武田信義である。
「何、頼朝どのが」
先に信濃伊那郡に出兵し、菅冠者・平友則を討ち、ほくほく顔のところに、この報だ。
信義は渋い顔をして、客将の源六郎範頼を呼んだ。
「範頼どの、範頼どの」
「何でござろう、何でござろう」
「こうなれば平家の追討軍もやって来るだろう。どうする?」
「ええと……」
範頼は忙しい。
頼朝が房総で勢力を築き上げている今、範頼の役割は、この甲斐源氏を動かし、来たるべき平家の討伐軍にそなえることだ。
そのことにてんてこ舞いになっていた。
あまりの忙しさに音を上げて、頼朝に「何とかならないか」と文を送ったところ、「人を寄越す」という返事とともに、安達盛長の娘・亀がやって来て、「もう駄目だ」と頭をかかえたぐらいである。
「なんですか、その弱音は。ほんとうに京の人間は弱っちい」
「なんだと? こちとら、美濃や近江の源氏とも連絡をやらされ……ああ、尾張の義円や行家叔父にも文を書かねばならないし……忙しいんだよッ」
「うるさいッ」
亀が範頼の頬をひっぱたいた。
これには、範頼の隣の部屋で伊豆土産の干物にむしゃぶりついていた時政もびっくりして、「なにごとだ」と顔をのぞかせた。
「あ、人質の時政さま」
「ひ、人質!?」
時政はくわえていた干物を落とした。
開いた口がふさがらないらしい。
亀は遠慮なくずかずかと時政に近寄り、干物を拾ってあげた。
「うすうす感づいていたんでしょ、時政さまも? だって、甲斐に来て以来、武田さまと話すのは、いつもこの六郎」
「そ、それは……」
この娘、わが娘・政子に似ていないか。
時政がそんな顔をしている。
しかし、毒気を抜かれたその顔に、人質扱いされたという悔しさはない。
「まさか、それがねらいか」
範頼は感心したような表情をしたが、亀の切れ長の目でにらまれると、息を呑んだ。
「ほら、時政さまはもう納得づくで甲斐にいますから、そこは気づかいせず、尾張や近江のことをやっつけちゃいましょう」
「あ、ああ」
「時政さまも、それでよろしいですね」
「そ、そりゃあもう」
時政は勘を信じる男である。
その勘が、この、政子によく似た性格の娘にしたがう方が、今は正解だと告げた。
「では時政さまは、武田さまを手伝って、伊豆や相模、頼朝さまの方への連絡をやってください」
「お、おう」
時政としても、ここで無為に過ごすよりは、やはり働きたいし、来たるべき乱世で、名を上げたい。
干物の最後のひと切れを咀嚼すると、武田信義のいる、城主の間へと向かった。
こうして範頼はより自由な立場で、平家の追討軍に傾注することができるようになった。
亀と共に。
「今いち釈然としないが、頼むぞ亀」
「呼び捨てにしない。馴れ馴れしくしない。政子さまがたってと言うからきただけ」
「お、おう」
……ちなみにこの安達盛長の娘は、のちに範頼の正室・亀御前となるのだが、それはまた別の話である。
*
範頼が「準備不足」と断じた近江源氏と美濃源氏、そして尾張の義円と源行家には、今はまだ挙兵せず、妨害活動をしてもらうことにした。
「平家の追討軍は通すように。ただし、兵糧を供しないように」
この頃になると、さすがに平家の追討軍は京を発し、海道を目指していた。
追討軍の実務を司る伊藤忠清からすると、まだまだ準備不足だったが、頼朝再起の報が届くとそうも言っていられず、重い腰を上げた。
「しかたありませぬ。兵や米は、行く先々で徴発しましょう」
「忠清よ、それは略奪ではないか」
維盛がそう指摘すると、忠清はじろりとにらみ返した。
「今、そういうこと言っている場合ではござらん!」
「…………」
維盛としては業腹である。
準備不足はしかたない、手遅れになる前に早く出陣をと訴えていたのは、維盛だ。
それを、不足した「準備」を現地徴発で補うのかと反論してきたのは、忠清である。
むくれる維盛だったが、これ以上、何を言っても忠清の機嫌を損ねるだけ。
今、それによる追討軍の停滞だけは、何としても避けたかった。
1
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』
月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕!
自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。
料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。
正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道!
行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。
料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで――
お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!?
読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう!
香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない!
旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること?
二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。
笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕!
さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その神示を纏めた書類です。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 願うのみ
神のつたへし 愛善の道』
歌人 蔵屋日唱
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる