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06 黄家渡の戦い
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寧王と王陽明、両軍の兵力の詳細は伝わっていない。
ただ、寧王側は十万の兵のうち、六万の軍で南京攻略(少なくとも、目的は)に出たと伝えられ、王陽明側はそれに対して奇襲を仕掛けたらしいため、六万より少なく、四、五万ではないかと思われる。
王陽明を主将とし、伍文定を副将とするその軍は、黄家渡と呼ばれる地で、あるいは渡しで、寧王を襲撃した。
「おのれ!」
歯噛みする寧王が返り討ちを命じると、次にとんでもない情報が飛び込んで来た。
「南昌、陥落!」
寧王が、嘘だという前に、それはあっという間に寧王軍の将兵に伝播した。
「そ、そんな」
「もう、終わりだ」
落ち着けと怒鳴る寧王だが、南昌に留め置いた何人かの家臣が続々とやって来ると、さすがに事実であると認めざるを得なかった。
それにしても。
「早すぎる……」
七月二十日、王陽明、南昌を攻撃。その日のうちに陥落せしめ、その後すぐさま、南昌へ戻りつつある寧王の軍を捕捉した、という次第である。
この間、実に寧王の挙兵から、一か月と少ししか経っていない。
王陽明の速戦と策戦の勝利である。
*
「南京を手に入れられていたら、危なかった」
しかし、当の王陽明は胸をなでおろしていた。
もし南京を陥とされていたら、と思うと気が気ではなかった。
「混水摸魚の計が、これほどまでに当たるとは」
「それにしても、陽明先生は学問だけでなく、兵法も能くするのですな」
今さらですが、と伍文定が感心したように頷くと、王陽明は照れたように答えた。
「……ちと、若い頃に少し」
王陽明はかつて、五溺といって、五つの物事に嵌まったことがある。そのうちのひとつが武芸・兵法であり、それに溺れたことが、今役立ったことになる。
その時、王陽明の部下が寧王の艦隊の様子を報じた。
「寧王艦隊、鉄鎖で繋いだまま、こちらから逃がれんとしてやがります」
「そうか」
王陽明は旗艦「青竜」の前進を命じた。
この上は、寧王に艦隊をばらばらにするという発想と、その時間を与えないよう、攻めるしかない。
「李子実と劉養正の動きは?」
「特にありません」
こちらは伍文定とその手下の会話だ。寧王の幕僚で警戒すべきは李子実と劉養正だが、その両名とも、未だに動かない。
「やはり寧王はしょせん、その程度の器だったんでしょう」
仮に寧王に天下を制する野望と才能があったのであれば、まずは南京を制する。その上で、北伐するなり、盤踞するなりして、覇を唱えれば良い。
ところが寧王はそうしなかった。どころか、(王陽明の策に嵌まったとはいえ)南京を攻めずに引き返すという、最も愚かな選択肢を採った。
そして今。
「艦隊を鎖でつないでいるということの意味を教えてくれるはずの李子実と劉養正。彼らを自由にしていないとは」
あの世で洪武帝と永楽帝が聞いたら、ため息をつきそうな振る舞いである。
だが王陽明は先帝らに敬意を払いつつも、容赦なくその不肖の子孫へ攻撃を加えた。
*
明くる日。
さすがの寧王も、このままでは立ち行かぬと、旗艦「麒麟」にて、そうだ李子実と劉養正にでも策を聞いてみるかと思ったその時。
「……火だ!」
近くの漁船を供用してもらったのか、粗末だが、しかし大量の葦を燃やした火炎を載せた船が、寧王艦隊へと突っ込んできていた。
「火計……!」
寧王は臍を噛んだ。
かつて、寧王の祖先である朱元璋が、宿敵である陳友諒と鄱陽湖で戦うにあたって用いた策。
朱元璋の軍師である劉基、またの名を劉青田が献策した策。
その火計が、朱元璋の子孫である寧王に牙を見せて襲いかかって来ていた。
ただ、寧王側は十万の兵のうち、六万の軍で南京攻略(少なくとも、目的は)に出たと伝えられ、王陽明側はそれに対して奇襲を仕掛けたらしいため、六万より少なく、四、五万ではないかと思われる。
王陽明を主将とし、伍文定を副将とするその軍は、黄家渡と呼ばれる地で、あるいは渡しで、寧王を襲撃した。
「おのれ!」
歯噛みする寧王が返り討ちを命じると、次にとんでもない情報が飛び込んで来た。
「南昌、陥落!」
寧王が、嘘だという前に、それはあっという間に寧王軍の将兵に伝播した。
「そ、そんな」
「もう、終わりだ」
落ち着けと怒鳴る寧王だが、南昌に留め置いた何人かの家臣が続々とやって来ると、さすがに事実であると認めざるを得なかった。
それにしても。
「早すぎる……」
七月二十日、王陽明、南昌を攻撃。その日のうちに陥落せしめ、その後すぐさま、南昌へ戻りつつある寧王の軍を捕捉した、という次第である。
この間、実に寧王の挙兵から、一か月と少ししか経っていない。
王陽明の速戦と策戦の勝利である。
*
「南京を手に入れられていたら、危なかった」
しかし、当の王陽明は胸をなでおろしていた。
もし南京を陥とされていたら、と思うと気が気ではなかった。
「混水摸魚の計が、これほどまでに当たるとは」
「それにしても、陽明先生は学問だけでなく、兵法も能くするのですな」
今さらですが、と伍文定が感心したように頷くと、王陽明は照れたように答えた。
「……ちと、若い頃に少し」
王陽明はかつて、五溺といって、五つの物事に嵌まったことがある。そのうちのひとつが武芸・兵法であり、それに溺れたことが、今役立ったことになる。
その時、王陽明の部下が寧王の艦隊の様子を報じた。
「寧王艦隊、鉄鎖で繋いだまま、こちらから逃がれんとしてやがります」
「そうか」
王陽明は旗艦「青竜」の前進を命じた。
この上は、寧王に艦隊をばらばらにするという発想と、その時間を与えないよう、攻めるしかない。
「李子実と劉養正の動きは?」
「特にありません」
こちらは伍文定とその手下の会話だ。寧王の幕僚で警戒すべきは李子実と劉養正だが、その両名とも、未だに動かない。
「やはり寧王はしょせん、その程度の器だったんでしょう」
仮に寧王に天下を制する野望と才能があったのであれば、まずは南京を制する。その上で、北伐するなり、盤踞するなりして、覇を唱えれば良い。
ところが寧王はそうしなかった。どころか、(王陽明の策に嵌まったとはいえ)南京を攻めずに引き返すという、最も愚かな選択肢を採った。
そして今。
「艦隊を鎖でつないでいるということの意味を教えてくれるはずの李子実と劉養正。彼らを自由にしていないとは」
あの世で洪武帝と永楽帝が聞いたら、ため息をつきそうな振る舞いである。
だが王陽明は先帝らに敬意を払いつつも、容赦なくその不肖の子孫へ攻撃を加えた。
*
明くる日。
さすがの寧王も、このままでは立ち行かぬと、旗艦「麒麟」にて、そうだ李子実と劉養正にでも策を聞いてみるかと思ったその時。
「……火だ!」
近くの漁船を供用してもらったのか、粗末だが、しかし大量の葦を燃やした火炎を載せた船が、寧王艦隊へと突っ込んできていた。
「火計……!」
寧王は臍を噛んだ。
かつて、寧王の祖先である朱元璋が、宿敵である陳友諒と鄱陽湖で戦うにあたって用いた策。
朱元璋の軍師である劉基、またの名を劉青田が献策した策。
その火計が、朱元璋の子孫である寧王に牙を見せて襲いかかって来ていた。
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