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05 テュイルリーのばら
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翌日。
ルイ十八世国王陛下の執務室にて。
私はマリー・テレーズ殿下と共に、タレイランの知己であるナポリのオトラント公爵なる人物を待っていた。
殿下はあいかわらずむすっとした顔をしており、そこを陛下から「もっと愛想良くしなさい」と叱言を受けていた。
「叔父上、この顔は妾の生来のもの。今さら変えられぬ」
ルイ十八世はあいまいな笑みを浮かべる。
御歳六十を越える陛下としては、この、数少ない親類である「王女」に、少しでも貴族たちや国民に「受け」を良くしてほしいというところだろう。
ルイ十八世。
この方も、亡国と流浪の中、辛抱強く耐え、ついに国王と成ったお方であるが、姪であるマリー・テレーズ殿下と比較すると、いささか勇に欠け、その賢さも狡さと映ってしまうきらいがあった。
陛下は気まずくなった沈黙をかき消すように「まだか」と呟く。
その時だった。
執務室のドアが開き、タレイランと――フーシェが入ってきたのは。
片足を引きずらないと歩けないタレイランを、何とフーシェがその腕を取って、支えながら。
「……これは、何としたことじゃ。これがオトラント公? なぜ、ジョゼフ・フーシェと言わぬ? なぜ、リヨンの霰弾乱殺者と言わぬ? なぜ……妾の父に死刑票を投じた男と言わぬ?」
当然のことながら、マリー・テレーズ殿下は激昂した。
ナボリのオトラント公爵と思いきや、よりによってフーシェ警察卿である。
さもありなん。
しかしタレイランは平然とした顔で、
「いやいや、こちらのわれらが警察卿こそ、ナポリ王国よりオトラント公に叙爵されておる」
と、宣った。
当のフーシェはというと、ごくごく冷静にうなずいた。
そして、いかにも自分はリヨンの霰弾乱殺者であり、殿下の父君の処刑に賛意を示した、と告げた。
殿下の怒り、心頭である。
ぎり、という歯ぎしりのような音がして、その瞬間、周囲に妙なる香りが満ちた。
殿下の口から、何かの欠片が零れ落ち、その香りは、香り玉によるものだと知れた。
貴人、特に女性は、口臭を気にして、このようなものを口中に含むことが、まま、あった。
「……ナポリ王国など、そういえば両シチリア王国に併呑された国ではないか」
「さよう。そのあたりに思いをいたされなかった、殿下。殿下の手落ちでござろう、如何?」
おろおろするルイ十八世をよそに、殿下とタレイランは火花を散らせる。
そのそばで、フーシェはというと、ひとつ、ため息をついた。
これが、殿下の癇に障った。
「何が言いたい、警察卿!」
「……御意を得て申し上げますが」
この痩せぎすの男、フーシェの声は、意外によく響いた。
「お気に召さぬということであれば、私は退散いたしましょう。ですが、殿下におかれましては、私に何かご下問ありとのこと。であれば、この場でお聞きいただいた方が、お互いにとって、時間の節約となるのでは?」
にべもない、とはまさにこのことだった。
このジョゼフ・フーシェという男は、周りの雰囲気を意に介さず、実にあっさりと本題に入った。
それは実に堂々として、しかも要を得ており、さしもの殿下も、問いを発するしかなかった。
「では問う……汝は、わが弟の死を、死に至らしめたあのあり様を、何か知っておるのか」
「…………」
問えと言っておきながら、沈黙で返す。
このフーシェという男は、実に捉えどころがない。
殿下がまた癇癪を爆発させないかとはらはらしていると、その殿下も、奇妙な表情をしていた。
というのも、警察卿は、何と殿下ではなく、陛下に対して、意味ありげに視線を向けているからだ。
ルイ十八世陛下は、何ゆえに朕を見ると聞いた。
フーシェは答えた。
今のマリー・テレーズ殿下のご下問、答えてもよろしゅうございますか、と。
陛下はフーシェに対して、そんなもの、別に無理して答えずともよろしかろうと、あたりさわりのないことを言った。
気がつくとタレイランは沈黙して見守っている。
フーシェは威儀を正した。
「マリー・テレーズ殿下」
「何じゃ」
「殿下は……それを、どうしても知りたいのですか?」
「むろんじゃ」
「…………」
それでもフーシェは答えない。
一体、何を考えているのか。
ここで殿下が怒気を発すれば、この話は終わっていたかもしれない。
だが、殿下は、マリー・テレーズという女性は、ここで終わるような人物ではなく、むしろその弟への愛を、無限の愛を証明した。
「……伏してお願い奉ります、ジョゼフ・フーシェ警察卿」
何と、殿下はフーシェに対して頭を下げた。
「どうか、不幸な弟が、なぜあんな目に遭ったのか、教えてくださいませ」
その姿は凛としていて、まるで、ばらだった。
そう、今この瞬間、マリー・テレーズ殿下は、テュイルリーのばらだった。
……フーシェは目を見開き、ついに、時が来たかと呟いた。
ルイ十八世国王陛下の執務室にて。
私はマリー・テレーズ殿下と共に、タレイランの知己であるナポリのオトラント公爵なる人物を待っていた。
殿下はあいかわらずむすっとした顔をしており、そこを陛下から「もっと愛想良くしなさい」と叱言を受けていた。
「叔父上、この顔は妾の生来のもの。今さら変えられぬ」
ルイ十八世はあいまいな笑みを浮かべる。
御歳六十を越える陛下としては、この、数少ない親類である「王女」に、少しでも貴族たちや国民に「受け」を良くしてほしいというところだろう。
ルイ十八世。
この方も、亡国と流浪の中、辛抱強く耐え、ついに国王と成ったお方であるが、姪であるマリー・テレーズ殿下と比較すると、いささか勇に欠け、その賢さも狡さと映ってしまうきらいがあった。
陛下は気まずくなった沈黙をかき消すように「まだか」と呟く。
その時だった。
執務室のドアが開き、タレイランと――フーシェが入ってきたのは。
片足を引きずらないと歩けないタレイランを、何とフーシェがその腕を取って、支えながら。
「……これは、何としたことじゃ。これがオトラント公? なぜ、ジョゼフ・フーシェと言わぬ? なぜ、リヨンの霰弾乱殺者と言わぬ? なぜ……妾の父に死刑票を投じた男と言わぬ?」
当然のことながら、マリー・テレーズ殿下は激昂した。
ナボリのオトラント公爵と思いきや、よりによってフーシェ警察卿である。
さもありなん。
しかしタレイランは平然とした顔で、
「いやいや、こちらのわれらが警察卿こそ、ナポリ王国よりオトラント公に叙爵されておる」
と、宣った。
当のフーシェはというと、ごくごく冷静にうなずいた。
そして、いかにも自分はリヨンの霰弾乱殺者であり、殿下の父君の処刑に賛意を示した、と告げた。
殿下の怒り、心頭である。
ぎり、という歯ぎしりのような音がして、その瞬間、周囲に妙なる香りが満ちた。
殿下の口から、何かの欠片が零れ落ち、その香りは、香り玉によるものだと知れた。
貴人、特に女性は、口臭を気にして、このようなものを口中に含むことが、まま、あった。
「……ナポリ王国など、そういえば両シチリア王国に併呑された国ではないか」
「さよう。そのあたりに思いをいたされなかった、殿下。殿下の手落ちでござろう、如何?」
おろおろするルイ十八世をよそに、殿下とタレイランは火花を散らせる。
そのそばで、フーシェはというと、ひとつ、ため息をついた。
これが、殿下の癇に障った。
「何が言いたい、警察卿!」
「……御意を得て申し上げますが」
この痩せぎすの男、フーシェの声は、意外によく響いた。
「お気に召さぬということであれば、私は退散いたしましょう。ですが、殿下におかれましては、私に何かご下問ありとのこと。であれば、この場でお聞きいただいた方が、お互いにとって、時間の節約となるのでは?」
にべもない、とはまさにこのことだった。
このジョゼフ・フーシェという男は、周りの雰囲気を意に介さず、実にあっさりと本題に入った。
それは実に堂々として、しかも要を得ており、さしもの殿下も、問いを発するしかなかった。
「では問う……汝は、わが弟の死を、死に至らしめたあのあり様を、何か知っておるのか」
「…………」
問えと言っておきながら、沈黙で返す。
このフーシェという男は、実に捉えどころがない。
殿下がまた癇癪を爆発させないかとはらはらしていると、その殿下も、奇妙な表情をしていた。
というのも、警察卿は、何と殿下ではなく、陛下に対して、意味ありげに視線を向けているからだ。
ルイ十八世陛下は、何ゆえに朕を見ると聞いた。
フーシェは答えた。
今のマリー・テレーズ殿下のご下問、答えてもよろしゅうございますか、と。
陛下はフーシェに対して、そんなもの、別に無理して答えずともよろしかろうと、あたりさわりのないことを言った。
気がつくとタレイランは沈黙して見守っている。
フーシェは威儀を正した。
「マリー・テレーズ殿下」
「何じゃ」
「殿下は……それを、どうしても知りたいのですか?」
「むろんじゃ」
「…………」
それでもフーシェは答えない。
一体、何を考えているのか。
ここで殿下が怒気を発すれば、この話は終わっていたかもしれない。
だが、殿下は、マリー・テレーズという女性は、ここで終わるような人物ではなく、むしろその弟への愛を、無限の愛を証明した。
「……伏してお願い奉ります、ジョゼフ・フーシェ警察卿」
何と、殿下はフーシェに対して頭を下げた。
「どうか、不幸な弟が、なぜあんな目に遭ったのか、教えてくださいませ」
その姿は凛としていて、まるで、ばらだった。
そう、今この瞬間、マリー・テレーズ殿下は、テュイルリーのばらだった。
……フーシェは目を見開き、ついに、時が来たかと呟いた。
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