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01 江戸の中の武蔵野

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 ……どこまでも篠突く雨が降りそそいでいた。
 雨のにおい、緑のにおい。
 上野の山は、江戸の中の武蔵野だ。
 雨中、中村半次郎はそんな感想を抱いた。

 慶応四年七月四日、午前七時前。
 上野。
 「上野の山」と称される、徳川家の菩提寺・東叡山寛永寺がそびえるその山は、江戸開府以来残された自然があり、木々や草花が盛り、それはまさに『小』武蔵野とも言えた。
 そして旧幕府軍の抗戦派――彰義隊は、強硬路線を行く天野八郎が牛耳り、上野の山に立て籠もっていた。

西郷ウドさんサア
「始めっど、半次郎どん」
 西郷吉之助は、半次郎に、振り向かずに言った。
 西郷、半次郎ら薩摩藩兵は今、最も『堅い』寛永寺黒門口を前にしていた。
 今日こんにち上野広小路うえのひろこうじのあたり、黒門は寛永寺の正門であり、大兵力を山に『通す』には最適である。
 だからこそ、彰義隊もここを最重要地点と定め、かなりの兵をいていた。

 数日前。
 新政府の司令官・大村益次郎との会談において、西郷はうなった。
「大村さんサア、こいは」
 西郷はその大きくて丸い目を、さらに丸くして言った。
「こいは、薩摩に死ね言われるか」
 大村は答えた。
「さよう」
 にべもない返事だった。
 黒門口は、大兵力を『通す』ために最適であり、彰義隊としても最も防備を固めているであろう。
 それを。
「攻めるち言うは、死ねと同義じゃ」
 のちに西郷からそれを聞いた、同じ薩摩の海江田信義は吠えた。海江田は彰義隊に同情しており、かつ、江戸市中での会戦は不穏当であるとして、大村に対して反発していた。
 西郷としてはむしろ、彰義隊よりも武蔵野から北の方々ほうぼうに広がる、旧幕府軍の方が脅威であり、その征伐こそ必要と考えていた。
 各地の旧幕府軍を潰していけば、彰義隊など、枯死する。
「それは駄目です」
 だが西郷のその主張は、やはり大村にばっさりと切られてしまった。
「じゃっどん……」
 西郷は逆接を述べながら身を乗り出すと、大村は表情も変えずに、先回りして答えた。
「新政府は、奠都てんとします」
「奠都」
 早い話が、京から江戸へと首都を移すということである。ただし、京の人心をおもんぱかり、まだ公表していない。
「東北のこと、その後のこと、今後の国政……つまり、維新回天をすには、江戸が最善。それには」
 大村は図面の中心部を叩く。
これ彰義隊が、邪魔です」
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