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01 野狐禅(やこぜん)の怪僧
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銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。
(作者意訳)
この道についていえば、「自分で自分の心を導いていくように。逆に、(執着にとらわれるような)自分の心を、その自分が引きずられることがないように」と、古人(恵心僧都)も「往生要集」において述べている。
珠光「古市播磨法師宛一紙」(「心の師の文」)より
野狐禅をしている。
最初は、そう思った。
ここは奈良の町外れ。
時代は、将軍・足利義教の御世。
杢市検校の子、茂吉は釣りから帰るところを、野原で座禅を組む魁偉な僧を見かけた。
僧は瞑目していた。
僧というよりは、怪僧といった方がいい。
「…………」
茂吉の手に提げた魚が、ぴくんと動いた。
怪僧の目が開く。
「魚か」
じろりと。
その眼の動きは、画に描かれた達磨大師のよう。
「酒のつまみには持って来いじゃ」
僧としてはあるまじき破戒である。
怪僧は立ち上がった。
「…………」
茂吉は、後退って、そして言葉を失った。
立ち上がった怪僧の墨染の衣の袂から。
「ど、髑髏」
髑髏が転がり落ちたからである。
それが、茂吉――のちの珠光と、怪僧――一休宗純の出会いだった。
*
「これは、謝った」
一休は、杢市検校のあばら家で茂吉に詫びた。
茂吉は腰を抜かしてしまったが、一休が背負ってくれて、問われるがままに家の場所を教え、そのままこのあばら家に帰ったというわけである。
「まさか、茂吉と共に来るとは。一休禅師」
この怪僧は父の客人だったのか、と茂吉はようやくにして起ち上がりながら思った。
「ほんにほんに。これも仏縁じゃて」
何が仏縁だ。茂吉はむっとしたが、それでも父の客人であるので、饗応の準備をした。
検校とは、目の見えない者がなる官位である。
つまり茂吉の父、杢市は目が見えない。
その分、目の見える自分が働かなくては。
茂吉はそう心がけており、まず魚を串で刺し、炙る。
ほう、と一休が早くも顔に喜色を浮かべる。
その一休に、茂吉はさっと酒を差し出す。
「どうぞ」
「すまんの」
一休は勢いよく酒を飲んだ。
「旨い」
一休は手の甲で口を拭う。
それはどこか上品さを感じさせ、思わず酒を注いでしまう。
「おお。だが、次は杢市どのに注いでやれ」
生え放題の蓬髪と髭。
そして髑髏を袂に転がす一休は、気がつくとこちらの懐に入って来ていて、それでいて嫌な感じはしない。
「杢市どの」
「何か」
「おぬしの平曲、聞かせてはくれんか」
「かしこまりました」
杢市は愛用の琵琶を茂吉から受け取り、かき鳴らす。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり……」
一休は髑髏を撫でながら、目に涙をにじませていた。
「……ええのう」
もしかしたら、その髑髏は一休にとって大切な人だったのかもしれない。
(作者意訳)
この道についていえば、「自分で自分の心を導いていくように。逆に、(執着にとらわれるような)自分の心を、その自分が引きずられることがないように」と、古人(恵心僧都)も「往生要集」において述べている。
珠光「古市播磨法師宛一紙」(「心の師の文」)より
野狐禅をしている。
最初は、そう思った。
ここは奈良の町外れ。
時代は、将軍・足利義教の御世。
杢市検校の子、茂吉は釣りから帰るところを、野原で座禅を組む魁偉な僧を見かけた。
僧は瞑目していた。
僧というよりは、怪僧といった方がいい。
「…………」
茂吉の手に提げた魚が、ぴくんと動いた。
怪僧の目が開く。
「魚か」
じろりと。
その眼の動きは、画に描かれた達磨大師のよう。
「酒のつまみには持って来いじゃ」
僧としてはあるまじき破戒である。
怪僧は立ち上がった。
「…………」
茂吉は、後退って、そして言葉を失った。
立ち上がった怪僧の墨染の衣の袂から。
「ど、髑髏」
髑髏が転がり落ちたからである。
それが、茂吉――のちの珠光と、怪僧――一休宗純の出会いだった。
*
「これは、謝った」
一休は、杢市検校のあばら家で茂吉に詫びた。
茂吉は腰を抜かしてしまったが、一休が背負ってくれて、問われるがままに家の場所を教え、そのままこのあばら家に帰ったというわけである。
「まさか、茂吉と共に来るとは。一休禅師」
この怪僧は父の客人だったのか、と茂吉はようやくにして起ち上がりながら思った。
「ほんにほんに。これも仏縁じゃて」
何が仏縁だ。茂吉はむっとしたが、それでも父の客人であるので、饗応の準備をした。
検校とは、目の見えない者がなる官位である。
つまり茂吉の父、杢市は目が見えない。
その分、目の見える自分が働かなくては。
茂吉はそう心がけており、まず魚を串で刺し、炙る。
ほう、と一休が早くも顔に喜色を浮かべる。
その一休に、茂吉はさっと酒を差し出す。
「どうぞ」
「すまんの」
一休は勢いよく酒を飲んだ。
「旨い」
一休は手の甲で口を拭う。
それはどこか上品さを感じさせ、思わず酒を注いでしまう。
「おお。だが、次は杢市どのに注いでやれ」
生え放題の蓬髪と髭。
そして髑髏を袂に転がす一休は、気がつくとこちらの懐に入って来ていて、それでいて嫌な感じはしない。
「杢市どの」
「何か」
「おぬしの平曲、聞かせてはくれんか」
「かしこまりました」
杢市は愛用の琵琶を茂吉から受け取り、かき鳴らす。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり……」
一休は髑髏を撫でながら、目に涙をにじませていた。
「……ええのう」
もしかしたら、その髑髏は一休にとって大切な人だったのかもしれない。
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