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06 こころを継ぐ者
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珠光は、郷里の生活を楽しんだ。
昼下がり、農作業の一段落に。
例の農民が、仲間を連れて、やって来る。
「珠光坊、茶をば賜われ」
おどけていう農民に皆どっと笑い、そして珠光の点てた茶を味わうのだ。
そうこうするうちに、古市という豪族の若者が「茶をくれ」と庵に上がり込んで来た。
「おれは、播磨法師だ」
播磨法師。
まだこの時は出家の身だが、やがて家督を継ぎ、古市澄胤と名乗ることになる。
そして、珠光から「こころの文」という手紙を貰うまでになった、茶の数寄者となる男である。
「旨い」
播磨法師は片手でばんばんと膝を叩いて、感歎の意を示した。
「茶というのは、唐物で飲み、名画とか見て、楽しめばいいと思うておった」
実際、古市家は淋汗茶湯という、夏風呂と茶の湯、それに庭に滝を流し木を植えて花を飾って、さらに名画を鑑賞して香を聞いて、そして名物の茶器に茶を入れて飲んで楽しむ催し物をしていた。
だが播磨法師はそれとはちがう、珠光の茶に関心を示した。
「最初は、つまらん茶だと馬鹿にするつもりだった」
がははと笑ってから、播磨法師はがばと頭を下げて、珠光に弟子入りを申し込んだ。
「この茶はいい。おれにはわかる。唐物を使う奴より、ずっといい」
播磨法師は、言葉にできないがこころでわかると、どんと胸を叩いた。
「こころか……」
こうして、播磨法師は珠光の一番弟子になった。
それは播磨法師が古市澄胤という大名になっても変わらずつづくことになる。
*
「山城へ行くことになった」
ある日、澄胤はそう言って、珠光へ別れを告げに来た。
当時、山城国は、山城国一揆という、国人たちの連合体により席巻され、幕府は手を焼き、そこで、山城に影響力を持つ古市家に、白羽の矢が立ったという。
「いや、茶はつづける。ただ」
そう言って、澄胤はちらりと後方を振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「お初にお目にかかります。村田と申します」
村田は興福寺の尊教院、その下部(寺男)を務めているという。
「師よ。村田は師の子ぉいうらしい」
澄胤は気まずそうに言った。
澄胤はこの時、大和の守護代とも言うべき立場である。
それにより村田がこのような境遇であることを知り、師の弟子として、どうするべきかと思い悩んでいたが、会ってみると馬が合い、茶についても合うことを発見した。
「ひとつ、師に会わせてみるか」
折りしも山城への出陣を命じられており、大和から離れる前に、この件を何とかしておこうと一念発起した。
澄胤としては、珠光が出家の身でありながら女に手を付けても、何とも思わぬ。
村田にも聞いたが、村田も特に今の境遇に不満はないし、珠光が大金持ちでもないので、今さら子と名乗っても、という心境である。
そして当の珠光はというと――
笑っていた。
「師よ?」
「いやいや、今さらながら、道賢の子と会えるとは思わなんだ。まこと、人の生きる道は、異なもの味なもの」
珠光は村田を養子にした。
今の自分がこうして、野の庵において茶を愉しみ、澄胤のような有為の弟子を得て、過ぎ越すことができるのも、道賢のおかげだ。
そういう、道賢のこころが嬉しかった。
だからこうして、道賢に報いたかった。
*
村田は宗珠と名乗ることになった。
宗珠は、実父・道賢のように名物や唐物を用いる茶を好んだ。
だがそれもいいと珠光は思う。
「そのこころがそう命じているのなら、それもまた善し。それもまた、茶」
珠光は敢えて否定せず、宗珠の茶を見守った。
宗珠はそれに感謝したが、ある時、それでは珠光の茶は、どうなるのかと聞いた。
「そういう茶がやりたいという者が出れば善し。出なければ、それまで」
そう言って珠光は莞爾として笑うのだった。
やがて珠光は亡くなり、一番弟子であった古市澄胤も戦死した。
宗珠は武野紹鴎という弟子を得たが、それでも気になるのは、やはり珠光の茶である。
「この珠光の茶碗を継ぐ者。それはいるのだろうか」
宗珠は持っていた唐物の大体は紹鴎に託した。
ただ、珠光茶碗だけは、奈良の町の商人に渡した。
それは、この茶碗を欲しいと思う者が現れたら売って欲しいという願いと、師父である珠光と実父である道賢の郷里なら、そういう者が現れるのではないか、という仄かな希みである。
そして時は経ち。
*
「この茶碗、ええのう」
ひとりの若者が、その茶碗を手にすることになる。
かつて、宗珠から茶碗を売ることを託された商人は、売買の証文を作るから、名を教えてくれと若者に聞いた。
「宗易いいます」
のちの利休である。
【了】
昼下がり、農作業の一段落に。
例の農民が、仲間を連れて、やって来る。
「珠光坊、茶をば賜われ」
おどけていう農民に皆どっと笑い、そして珠光の点てた茶を味わうのだ。
そうこうするうちに、古市という豪族の若者が「茶をくれ」と庵に上がり込んで来た。
「おれは、播磨法師だ」
播磨法師。
まだこの時は出家の身だが、やがて家督を継ぎ、古市澄胤と名乗ることになる。
そして、珠光から「こころの文」という手紙を貰うまでになった、茶の数寄者となる男である。
「旨い」
播磨法師は片手でばんばんと膝を叩いて、感歎の意を示した。
「茶というのは、唐物で飲み、名画とか見て、楽しめばいいと思うておった」
実際、古市家は淋汗茶湯という、夏風呂と茶の湯、それに庭に滝を流し木を植えて花を飾って、さらに名画を鑑賞して香を聞いて、そして名物の茶器に茶を入れて飲んで楽しむ催し物をしていた。
だが播磨法師はそれとはちがう、珠光の茶に関心を示した。
「最初は、つまらん茶だと馬鹿にするつもりだった」
がははと笑ってから、播磨法師はがばと頭を下げて、珠光に弟子入りを申し込んだ。
「この茶はいい。おれにはわかる。唐物を使う奴より、ずっといい」
播磨法師は、言葉にできないがこころでわかると、どんと胸を叩いた。
「こころか……」
こうして、播磨法師は珠光の一番弟子になった。
それは播磨法師が古市澄胤という大名になっても変わらずつづくことになる。
*
「山城へ行くことになった」
ある日、澄胤はそう言って、珠光へ別れを告げに来た。
当時、山城国は、山城国一揆という、国人たちの連合体により席巻され、幕府は手を焼き、そこで、山城に影響力を持つ古市家に、白羽の矢が立ったという。
「いや、茶はつづける。ただ」
そう言って、澄胤はちらりと後方を振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「お初にお目にかかります。村田と申します」
村田は興福寺の尊教院、その下部(寺男)を務めているという。
「師よ。村田は師の子ぉいうらしい」
澄胤は気まずそうに言った。
澄胤はこの時、大和の守護代とも言うべき立場である。
それにより村田がこのような境遇であることを知り、師の弟子として、どうするべきかと思い悩んでいたが、会ってみると馬が合い、茶についても合うことを発見した。
「ひとつ、師に会わせてみるか」
折りしも山城への出陣を命じられており、大和から離れる前に、この件を何とかしておこうと一念発起した。
澄胤としては、珠光が出家の身でありながら女に手を付けても、何とも思わぬ。
村田にも聞いたが、村田も特に今の境遇に不満はないし、珠光が大金持ちでもないので、今さら子と名乗っても、という心境である。
そして当の珠光はというと――
笑っていた。
「師よ?」
「いやいや、今さらながら、道賢の子と会えるとは思わなんだ。まこと、人の生きる道は、異なもの味なもの」
珠光は村田を養子にした。
今の自分がこうして、野の庵において茶を愉しみ、澄胤のような有為の弟子を得て、過ぎ越すことができるのも、道賢のおかげだ。
そういう、道賢のこころが嬉しかった。
だからこうして、道賢に報いたかった。
*
村田は宗珠と名乗ることになった。
宗珠は、実父・道賢のように名物や唐物を用いる茶を好んだ。
だがそれもいいと珠光は思う。
「そのこころがそう命じているのなら、それもまた善し。それもまた、茶」
珠光は敢えて否定せず、宗珠の茶を見守った。
宗珠はそれに感謝したが、ある時、それでは珠光の茶は、どうなるのかと聞いた。
「そういう茶がやりたいという者が出れば善し。出なければ、それまで」
そう言って珠光は莞爾として笑うのだった。
やがて珠光は亡くなり、一番弟子であった古市澄胤も戦死した。
宗珠は武野紹鴎という弟子を得たが、それでも気になるのは、やはり珠光の茶である。
「この珠光の茶碗を継ぐ者。それはいるのだろうか」
宗珠は持っていた唐物の大体は紹鴎に託した。
ただ、珠光茶碗だけは、奈良の町の商人に渡した。
それは、この茶碗を欲しいと思う者が現れたら売って欲しいという願いと、師父である珠光と実父である道賢の郷里なら、そういう者が現れるのではないか、という仄かな希みである。
そして時は経ち。
*
「この茶碗、ええのう」
ひとりの若者が、その茶碗を手にすることになる。
かつて、宗珠から茶碗を売ることを託された商人は、売買の証文を作るから、名を教えてくれと若者に聞いた。
「宗易いいます」
のちの利休である。
【了】
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