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05 人斬り、中村半次郎
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赤松小三郎は、その日――慶応三年九月三日、私塾を出て、用足しに行こうとしたところ、ちょうど薩摩藩士・篠原国幹と行き会った。
「篠原君、篠原君」
「何ですか」
篠原もまた、赤松から兵学を学ぶ身である。寡黙な男だが、赤松に対しては口を開いた。
「実は薩摩に帰った有馬君に、文があってね」
「有馬にでごわすか」
この時点で篠原は、藩が赤松を斬ることにしたことを知らない。
密命であり、また、赤松に味方するかもしれない人間には特に緘口するように、厳命が下っていた。
赤松は懐中から書状を取り出す。
そして、篠原君が郷里に文を送る際のついでで良い、と手渡した。
「承知し申した」
篠原は書状を押し戴き、すぐにでも送ると言った。
「そこまでせんでも」
「いえ、先生のためですから」
篠原は踵を返して藩邸へと戻っていった。
赤松はその背を見送り、そして旅支度を整えるため、京の町へと買い物に出た。
――その日はとても晴れていて、温かく、夕暮れ時にはそれはそれは美しい茜色の空になるだろうと思われた。
*
中村半次郎は、田代五郎左衛門を伴って、藩邸を出た。
先行して、三人ほど斥候に出してある。
藩邸の門をくぐる時、半次郎はちらりと田代を見て、言った。
「俺が斬る」
「…………」
「不満か? だが、他ならぬ先生、俺が斬るんでなければ、俺はそいつを斬る」
「……分かった」
こうして半次郎と田代は刺客として京の町へと出た。
ちょうど二人が出た直後、篠原が藩邸に帰ってきたが、二人はそれを知る由も無かった。
*
西郷は大久保の手紙を見て、驚く。
「赤松先生の排除、そいが目的……」
大村益次郎の推論は、こうだ。
幕府が赤松に食指を動かす。赤松はその理想のため、幕府へと向かう。そこを、薩摩に斬らせる。
「そも、幕府軍は仏式。英国式の赤松君は不要……どころか、有害な敵」
ならば排除だろう、と大村は語ったという。
そして大久保は最後にこう締めくくった。
「上田に戻るのであれば、上田に働きかけて、せめて隠居なり蟄居なり、先生を封印してもらうよう、私が動く。動くから」
日本の将来のため、赤松を斬るな。
西郷は立ち上がった。
「小野さん!」
西郷は手下の小野強右衛門に命じて、急ぎ半次郎を止めるよう、走らせた。
*
夕刻。
東洞院通。
半次郎は、斥候の三人から、赤松がこの通りへ向かったことを聞き、田代と頷き合った。
この、「洞院」の意味するところは、上皇や法皇の院であり、古代、平安の御世には通りに多くの院あり、また、竹田街道へ出る道であるため、非常に混雑していることで知られていた。
だが、この日の夕刻、その混雑が嘘のように、通りは閑散としていた。
まるで、これから行う暗殺に誂えたようだ。
そう思う半次郎は、視線の先に赤松の姿を認めた。
「いた」
田代は返事をせず、黙って半次郎と通りの左右に分かれた。
通りの左と右の双方から、赤松を追い詰める意図である。
「…………」
歩みは重いが、止めるべくもなく、田代の方はむしろ気取られぬためであったが、二人はゆっくりと、ゆっくりと赤松との距離を縮めていく。
あと数歩。
そう思った時だった。
「中村君」
赤松が振り向いた。
「先生……」
半次郎は刀を握った。
「僕を斬る気かい」
「主命、ごわんど……」
何を悠長なと言いたげな田代を、半次郎は睨めつける。
「そんな剣呑な気を洩らしちゃあ、駄目だ」
いかに剣に疎い僕でも気づくよ、と赤松は笑った。
「でも、薩摩を裏切る形になる以上、こうなることは、ある意味、分かって当然だった」
赤松は笑いながら、懐中に手を伸ばす。
「では」
赤松が懐中から短銃を。
撃鉄に指を。
その瞬間。
半次郎が、抜刀。
「……チェストォオ!」
万感の想いを込めた、斬。
短銃が、宙に飛んだ。
茜色した、夕空に。
赤松の、紅い血も。
「篠原君、篠原君」
「何ですか」
篠原もまた、赤松から兵学を学ぶ身である。寡黙な男だが、赤松に対しては口を開いた。
「実は薩摩に帰った有馬君に、文があってね」
「有馬にでごわすか」
この時点で篠原は、藩が赤松を斬ることにしたことを知らない。
密命であり、また、赤松に味方するかもしれない人間には特に緘口するように、厳命が下っていた。
赤松は懐中から書状を取り出す。
そして、篠原君が郷里に文を送る際のついでで良い、と手渡した。
「承知し申した」
篠原は書状を押し戴き、すぐにでも送ると言った。
「そこまでせんでも」
「いえ、先生のためですから」
篠原は踵を返して藩邸へと戻っていった。
赤松はその背を見送り、そして旅支度を整えるため、京の町へと買い物に出た。
――その日はとても晴れていて、温かく、夕暮れ時にはそれはそれは美しい茜色の空になるだろうと思われた。
*
中村半次郎は、田代五郎左衛門を伴って、藩邸を出た。
先行して、三人ほど斥候に出してある。
藩邸の門をくぐる時、半次郎はちらりと田代を見て、言った。
「俺が斬る」
「…………」
「不満か? だが、他ならぬ先生、俺が斬るんでなければ、俺はそいつを斬る」
「……分かった」
こうして半次郎と田代は刺客として京の町へと出た。
ちょうど二人が出た直後、篠原が藩邸に帰ってきたが、二人はそれを知る由も無かった。
*
西郷は大久保の手紙を見て、驚く。
「赤松先生の排除、そいが目的……」
大村益次郎の推論は、こうだ。
幕府が赤松に食指を動かす。赤松はその理想のため、幕府へと向かう。そこを、薩摩に斬らせる。
「そも、幕府軍は仏式。英国式の赤松君は不要……どころか、有害な敵」
ならば排除だろう、と大村は語ったという。
そして大久保は最後にこう締めくくった。
「上田に戻るのであれば、上田に働きかけて、せめて隠居なり蟄居なり、先生を封印してもらうよう、私が動く。動くから」
日本の将来のため、赤松を斬るな。
西郷は立ち上がった。
「小野さん!」
西郷は手下の小野強右衛門に命じて、急ぎ半次郎を止めるよう、走らせた。
*
夕刻。
東洞院通。
半次郎は、斥候の三人から、赤松がこの通りへ向かったことを聞き、田代と頷き合った。
この、「洞院」の意味するところは、上皇や法皇の院であり、古代、平安の御世には通りに多くの院あり、また、竹田街道へ出る道であるため、非常に混雑していることで知られていた。
だが、この日の夕刻、その混雑が嘘のように、通りは閑散としていた。
まるで、これから行う暗殺に誂えたようだ。
そう思う半次郎は、視線の先に赤松の姿を認めた。
「いた」
田代は返事をせず、黙って半次郎と通りの左右に分かれた。
通りの左と右の双方から、赤松を追い詰める意図である。
「…………」
歩みは重いが、止めるべくもなく、田代の方はむしろ気取られぬためであったが、二人はゆっくりと、ゆっくりと赤松との距離を縮めていく。
あと数歩。
そう思った時だった。
「中村君」
赤松が振り向いた。
「先生……」
半次郎は刀を握った。
「僕を斬る気かい」
「主命、ごわんど……」
何を悠長なと言いたげな田代を、半次郎は睨めつける。
「そんな剣呑な気を洩らしちゃあ、駄目だ」
いかに剣に疎い僕でも気づくよ、と赤松は笑った。
「でも、薩摩を裏切る形になる以上、こうなることは、ある意味、分かって当然だった」
赤松は笑いながら、懐中に手を伸ばす。
「では」
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その瞬間。
半次郎が、抜刀。
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赤松の、紅い血も。
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