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第二章 安芸(あき)の項羽・武田元繁、起(た)つ
12 戦端
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安芸武田家当主・武田元繁は、尼子経久の弟・久幸の女を娶ると、安芸を手中に収めるべく、行動を開始した。
手始めは、厳島神社の神領の押収である。厳島神社の神領の主、神領主の家は東西に分裂し、紛争をつづけており、武田元繁にとっては、格好の獲物だった。
しかるのちに元繁は、神領の大野河内城をも強奪し、そして己斐城を囲んだ。
「――許せん。予を、虚仮にしおって」
京にいる大内義興の怒りは、ついに頂点に達した。安芸の安定を図るために、飛鳥井家から養女を迎えて、それを嫁がせてまで、武田元繁に入れ込んで、そして安芸へ送り出したのだ。
それが、何だ。その元繁が叛旗をひるがえし、逆に安芸をおのれのものにしようと戦端を開いてくる。
「どうか……ここは、義興さまご自身か、あるいは陶興房さまにお帰り頂いて――」
京へ上って、大内義興に面会した毛利家宿老・志道広良は、飛鳥井家の姫・深芳野を上手く美濃守護・土岐家へ周旋できたことを告げつつ、安芸への支援を願った。
しかし、義興は怒りつつも冷静さを失わなかった。
「いや――今、予が京を離れるわけにいかない。陶も同じぞ」
今、大内家の軍が周防に帰ると、せっかく足利義稙が奪還した政権が、またしても奪われてしまう。
一兵でも惜しい。
まして、大内家の重臣かつ名将である陶興房を手放すわけにもいかない。
「そこで毛利家と――そうだな、吉川家にも命を下そう。安芸武田家討伐の命を」
「何ですと!?」
たかだか国人に過ぎない毛利に、安芸守護代であり、大名である武田元繁への、討伐命令を出すとは。
これはつまり……。
*
「大内家には、もう手が無い……そう言いたい、ということでございますな」
無言で酒杯を重ねる兄・毛利興元を前に、多治比元就はそう言った。
興元は、もう何杯目かの酒杯を呷る。
無理もない。
安芸の情勢の安定化を図り、恥を忍んで、出て行った大内家に対して、安芸守護代の家柄の安芸武田家の帰国を願った。
大内家は、興元の願いを十二分に聞き届けた。
養女とはいえ、女を嫁がせて、安芸武田家・武田元繁を厚遇し、その上で安芸に戻した。
ところが、その当の武田元繁が裏切って、討伐対象である尼子の支援を受け、叛旗をひるがえした。
つまり、興元の進言は、完全に裏目に出た。
そういうことである。
「ですが兄上、まだ悲歎に暮れるには、早すぎますぞ」
元就は興元の酒を止めることに成功した。一瞬ではあるが。
「兎にも角にも、命を下すということは、兄上が勝手に京から帰国し、大内家から出て行ったことに関しては、不問に付すということ」
安芸武田家・武田元繁の帰国についての活動は、飽くまでも裏方としての活動であり、大内義興としても、興元の案を採用はしたが、表立っては反応を示していなかった。
それが今、正式に、毛利家に対して、命令を発した。
無断帰国及び脱走を咎めるのであれば、まずはそこからすべきであり、それをしないということは、お咎めなし、ということである。
少なくとも、元就にはそう思えたし、興元に対しても、そう思うように仕向けた。
「……つけ加えてですぞ、兄上」
さりげなく酒杯と徳利をたぐり寄せ、元就は興元に言う。
「吉川家と共に、というところに安芸国人一揆の結成を認めた、という風に捉えられます」
安芸国人一揆。
毛利興元が、京から勝手に帰国したあとに結成した、国人(地域領主)たちを同盟させて、自衛に努めるという組織である。自衛のためには、大内家に対しても、その団結をもって抗うことも想定していた。
大内家としては、勝手な組織活動であり、眉をひそめていたが、今、ここに、安芸国人一揆の発起人と一番の加盟者――毛利興元と吉川元経に対して、安芸武田討伐を命じてきたということは、その現状を追認したと見なせる。
「……それはしかし、吉川家と尼子家のつながりを見透かして、牽制してきただけではないのか」
尼子家当主・尼子経久の妻は、吉川元経のおばである。当然ながら、尼子家と吉川家の関係は深い。
興元としては、吉川家を安芸武田家側に取り込まれないための、予防措置と見た。
「いやまあ、そういう向きもござろうが……しかし、ここは国人一揆の国人たちの力の結集が無いと、安芸武田家と戦えません。であるなら、国人一揆のことを考えて、の方が、少なくとも衆目はそう判じるものかと」
実際のところ、元就としては、大内義興がどこまで何を考えているか、知る余地もなかったが、今は興元の酒を止めるために必死だった。
興元は、安芸武田家の叛乱勃発から、明らかに度を越えた酒量となり、それは興元の若い体を蝕んでいた。
興元の妻・高橋氏の依頼もあり、元就はこうして吉田郡山城にやって来て、そこで大内義興の命令を知ったわけである。
「……しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの安芸武田家。多治比どのの言うとおり、大内義興さまが毛利を許した、国人一揆を認める、ということだとしても……安芸武田家を討伐せよ、とは……」
これは難問だ、と興元はまた、酒を杯になみなみと注いだ。
「…………」
難問であることは、元就も認めたので、それ以上、何も言えなくなってしまった。
安芸武田家は、厳島神社の神領を吸収合併し、大野河内城という要害を手に入れた。その勢いに乗って、己斐城を囲んでいる。
「これを素直に、己斐城救援に向けて兵を出すとなると、安芸武田家としてはこれ幸いとばかりに、毛利と、そして吉川を叩き潰さんと合戦になるであろう」
興元は、そうなれば安芸武田家に勝てるものか、と自嘲した。
現状、安芸において、安芸武田家は最大にして最強の勢力である。周防の大内家か、あるいは出雲の尼子家が本気を出せば、討伐できないこともないが、大内家は上洛中で動けず、尼子家は安芸武田家を支援する立場だ。
つまり、毛利家と吉川家、そして国人一揆が総力を挙げて結集したところで、安芸武田家は勝てる相手ではないのだ。
「くそっ……こんなときに、法蓮坊がいればなぁ」
興元は歎くが、今や法蓮坊は還俗して、美濃において父と共に国盗りに挑んでいるという。
一方の元就は、今後をどうするか、ふと、たとえば伊勢新九郎だったら、どう考えるだろうな、と思案した。
「…………」
元就の脳裏に、安芸の勢力地図が浮かぶ。
安芸武田家。
厳島神社の神領。
己斐城。
毛利家、吉田郡山城。
吉川家……。
「……そうだっ」
元就は何かを思いつき、宿老・志道広良を呼び、安芸の地図を持ってくるよう言いつけた。
手始めは、厳島神社の神領の押収である。厳島神社の神領の主、神領主の家は東西に分裂し、紛争をつづけており、武田元繁にとっては、格好の獲物だった。
しかるのちに元繁は、神領の大野河内城をも強奪し、そして己斐城を囲んだ。
「――許せん。予を、虚仮にしおって」
京にいる大内義興の怒りは、ついに頂点に達した。安芸の安定を図るために、飛鳥井家から養女を迎えて、それを嫁がせてまで、武田元繁に入れ込んで、そして安芸へ送り出したのだ。
それが、何だ。その元繁が叛旗をひるがえし、逆に安芸をおのれのものにしようと戦端を開いてくる。
「どうか……ここは、義興さまご自身か、あるいは陶興房さまにお帰り頂いて――」
京へ上って、大内義興に面会した毛利家宿老・志道広良は、飛鳥井家の姫・深芳野を上手く美濃守護・土岐家へ周旋できたことを告げつつ、安芸への支援を願った。
しかし、義興は怒りつつも冷静さを失わなかった。
「いや――今、予が京を離れるわけにいかない。陶も同じぞ」
今、大内家の軍が周防に帰ると、せっかく足利義稙が奪還した政権が、またしても奪われてしまう。
一兵でも惜しい。
まして、大内家の重臣かつ名将である陶興房を手放すわけにもいかない。
「そこで毛利家と――そうだな、吉川家にも命を下そう。安芸武田家討伐の命を」
「何ですと!?」
たかだか国人に過ぎない毛利に、安芸守護代であり、大名である武田元繁への、討伐命令を出すとは。
これはつまり……。
*
「大内家には、もう手が無い……そう言いたい、ということでございますな」
無言で酒杯を重ねる兄・毛利興元を前に、多治比元就はそう言った。
興元は、もう何杯目かの酒杯を呷る。
無理もない。
安芸の情勢の安定化を図り、恥を忍んで、出て行った大内家に対して、安芸守護代の家柄の安芸武田家の帰国を願った。
大内家は、興元の願いを十二分に聞き届けた。
養女とはいえ、女を嫁がせて、安芸武田家・武田元繁を厚遇し、その上で安芸に戻した。
ところが、その当の武田元繁が裏切って、討伐対象である尼子の支援を受け、叛旗をひるがえした。
つまり、興元の進言は、完全に裏目に出た。
そういうことである。
「ですが兄上、まだ悲歎に暮れるには、早すぎますぞ」
元就は興元の酒を止めることに成功した。一瞬ではあるが。
「兎にも角にも、命を下すということは、兄上が勝手に京から帰国し、大内家から出て行ったことに関しては、不問に付すということ」
安芸武田家・武田元繁の帰国についての活動は、飽くまでも裏方としての活動であり、大内義興としても、興元の案を採用はしたが、表立っては反応を示していなかった。
それが今、正式に、毛利家に対して、命令を発した。
無断帰国及び脱走を咎めるのであれば、まずはそこからすべきであり、それをしないということは、お咎めなし、ということである。
少なくとも、元就にはそう思えたし、興元に対しても、そう思うように仕向けた。
「……つけ加えてですぞ、兄上」
さりげなく酒杯と徳利をたぐり寄せ、元就は興元に言う。
「吉川家と共に、というところに安芸国人一揆の結成を認めた、という風に捉えられます」
安芸国人一揆。
毛利興元が、京から勝手に帰国したあとに結成した、国人(地域領主)たちを同盟させて、自衛に努めるという組織である。自衛のためには、大内家に対しても、その団結をもって抗うことも想定していた。
大内家としては、勝手な組織活動であり、眉をひそめていたが、今、ここに、安芸国人一揆の発起人と一番の加盟者――毛利興元と吉川元経に対して、安芸武田討伐を命じてきたということは、その現状を追認したと見なせる。
「……それはしかし、吉川家と尼子家のつながりを見透かして、牽制してきただけではないのか」
尼子家当主・尼子経久の妻は、吉川元経のおばである。当然ながら、尼子家と吉川家の関係は深い。
興元としては、吉川家を安芸武田家側に取り込まれないための、予防措置と見た。
「いやまあ、そういう向きもござろうが……しかし、ここは国人一揆の国人たちの力の結集が無いと、安芸武田家と戦えません。であるなら、国人一揆のことを考えて、の方が、少なくとも衆目はそう判じるものかと」
実際のところ、元就としては、大内義興がどこまで何を考えているか、知る余地もなかったが、今は興元の酒を止めるために必死だった。
興元は、安芸武田家の叛乱勃発から、明らかに度を越えた酒量となり、それは興元の若い体を蝕んでいた。
興元の妻・高橋氏の依頼もあり、元就はこうして吉田郡山城にやって来て、そこで大内義興の命令を知ったわけである。
「……しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの安芸武田家。多治比どのの言うとおり、大内義興さまが毛利を許した、国人一揆を認める、ということだとしても……安芸武田家を討伐せよ、とは……」
これは難問だ、と興元はまた、酒を杯になみなみと注いだ。
「…………」
難問であることは、元就も認めたので、それ以上、何も言えなくなってしまった。
安芸武田家は、厳島神社の神領を吸収合併し、大野河内城という要害を手に入れた。その勢いに乗って、己斐城を囲んでいる。
「これを素直に、己斐城救援に向けて兵を出すとなると、安芸武田家としてはこれ幸いとばかりに、毛利と、そして吉川を叩き潰さんと合戦になるであろう」
興元は、そうなれば安芸武田家に勝てるものか、と自嘲した。
現状、安芸において、安芸武田家は最大にして最強の勢力である。周防の大内家か、あるいは出雲の尼子家が本気を出せば、討伐できないこともないが、大内家は上洛中で動けず、尼子家は安芸武田家を支援する立場だ。
つまり、毛利家と吉川家、そして国人一揆が総力を挙げて結集したところで、安芸武田家は勝てる相手ではないのだ。
「くそっ……こんなときに、法蓮坊がいればなぁ」
興元は歎くが、今や法蓮坊は還俗して、美濃において父と共に国盗りに挑んでいるという。
一方の元就は、今後をどうするか、ふと、たとえば伊勢新九郎だったら、どう考えるだろうな、と思案した。
「…………」
元就の脳裏に、安芸の勢力地図が浮かぶ。
安芸武田家。
厳島神社の神領。
己斐城。
毛利家、吉田郡山城。
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