21 / 59
第二章 安芸(あき)の項羽・武田元繁、起(た)つ
17 揺れ動く安芸
しおりを挟む
毛利興元、死す。
その訃報は、安芸全土に衝撃を与えた。
とりわけ、安芸国人一揆に属する国人(地域領主)たちにとっては、寝耳に水であり、今後の国人一揆どころか、おのれの去就すら危うくなるほどであった。
この混乱の中、冷静さを保っていた家がひとつある。
吉川家である。
「安芸武田家につく?」
「そうだ」
吉川家の当主の嫡子・吉川元経は、弟・宮庄経友と、妹・雪を城主の間に集め、今後の方針を告げた。
異論を唱えたのは、案に相違して、雪ではなく経友だった。
「しかし兄者、吉川は有田城を陥とした。そして今も、小田信忠を入れて、確保し防衛している……そして今、安芸武田に包囲されたらしいぞ。そんな状況で……」
「有田城は開城する」
元経のその発言に、今度は雪が噛みつく。
「兄上は、さようなことをされて、せっかく得た有田城を失っても、ようございますか?」
「そうだ」
にべもない元経の回答に、雪は、元経の決意の堅さを感じた。
元々、自ら出陣せず、分家の跡取りとなった経友に出陣させておき、保険をかけていた男だ。
今、その保険が活きてきたといったところか。
「……ですが、経友兄上をどうなされるのです。経友兄上はこれまで、吉川の軍を率いて、有田城を攻めた。いかに元経兄上が韜晦なさろうと、経友兄上がやったことは消せぬ。それを問われれば……」
「皆までいうな、雪。だからこそ、おぬしを呼んだのだ」
元経は懐中から、書状を取り出す。
「安芸武田家からだ」
そう言って、元経は、経友にその書状を渡した。
もう安芸武田家とやり取りをしていたのか、と雪は舌を巻いた。
経友は、元経から渡された書状の内容を検める。
「一、有田城を受け取ること。二、宮庄経友の叛乱を許すこと……随分な言い様だな」
「最後まで読め」
そう言われて最後まで読んだ経友は、元経がなぜ頑なな態度を崩さなかったのか、知った。
「……以上の条件の代わりに、吉川家は、姫を差し出すこと!?」
経友が書状を取り落とすと、雪がそれを拾って読んだ。
「あ、兄上」
元経はその渋面をさらに濃くして、言った。
「安芸武田家のな、武田元繁はな、強い女性が好みだそうだ」
元経としては、元繁の好みがどうあろうが言うことは無かったが、その食指が、妹にまで伸ばされては、別だ。
「……安芸武田家の使いによるとな、武田元繁は、吉川家が従うと聞いて、雪、お前のことにいたく関心を示し、『わが虞にふさわしい』とか抜かしたそうな」
「虞!?」
虞とは虞美人であり、西楚の覇王・項羽の愛人として知られる美女である。
御大層な言い方だな、と雪は思った。婚姻を申し込むのなら、もうちょっとそう大上段でなく、自然に……。
そこまで思って、雪は気がつく。
「お待ちください、そもそも、武田元繁どのは、じじ様、尼子経久公の弟君、尼子久幸さまの姫を娶られたばかりなのでは?」
「だから、愛人と言っているだろう」
元経の顔が歪む。彼としても、いくら安芸武田家の当主とはいえ、吉川家のことをなめ過ぎだと思ったのだ。
「……つまり、わたくしに、武田元繁どのの側室になれ、と」
この前、法蓮坊に託して送り出した、飛鳥井家の深芳野姫のことを笑えなくなった、雪は思った。
いや。
最初から笑う気など、ない。
それより……引っかかる。
いくら吉川家が武田家に対して下風に立たなくてはならないとはいえ、なぜ、その姫たる自分を側室に、となるのか。
領土の割譲や、人質の差し出しなら分かる。
さきほど言ったとおり、武田元繁は、尼子家の姫を正室にしたばかりだ。
それを、いくら己の好みとはいえ、他の女に、こういうかたちで手を出すというのは……。
「……雪? おい、雪!」
沈思黙考する雪を、経友は不機嫌の絶頂にいるものと思って、気づかって声をかけてきた。
「…………」
この引っかかり。
もしや多治比元就なら、分かるのではないか。
そこで雪は立ち上がり、城主の間を出ていこうとした。
元経はその雪に向かって、声をかける。
「おい、雪! 話はまだ途中……」
「お断りします」
「断るってお前……」
経友が、幼いころの兄妹げんかの仲裁に入った時のように、二人の間に入る。
「あんな、女の髪を引っ張るような御仁、こちらからお断りです!」
「そういう問題ではない! いいか、吉川家としてはだな……」
「なら、こんな家、出ます! 今後、わたくしは吉川には戻りません!」
「あっ、おい待て……」
元経も制止もきかず、雪はさっさと城主の間を走り抜けて出て行った。
そうこうするうちに「姫さま!」と侍女が悲鳴を上げているのが聞こえ、そののちに、雪の愛馬のいななく声が聞こえた。
「家出しやがった……」
そんなことは言わなくても分かっておる、と元経は経友に怒鳴りつけ、事態の報告を父・国経と祖父・経基にするべく、足音高く、向かうのであった。
その訃報は、安芸全土に衝撃を与えた。
とりわけ、安芸国人一揆に属する国人(地域領主)たちにとっては、寝耳に水であり、今後の国人一揆どころか、おのれの去就すら危うくなるほどであった。
この混乱の中、冷静さを保っていた家がひとつある。
吉川家である。
「安芸武田家につく?」
「そうだ」
吉川家の当主の嫡子・吉川元経は、弟・宮庄経友と、妹・雪を城主の間に集め、今後の方針を告げた。
異論を唱えたのは、案に相違して、雪ではなく経友だった。
「しかし兄者、吉川は有田城を陥とした。そして今も、小田信忠を入れて、確保し防衛している……そして今、安芸武田に包囲されたらしいぞ。そんな状況で……」
「有田城は開城する」
元経のその発言に、今度は雪が噛みつく。
「兄上は、さようなことをされて、せっかく得た有田城を失っても、ようございますか?」
「そうだ」
にべもない元経の回答に、雪は、元経の決意の堅さを感じた。
元々、自ら出陣せず、分家の跡取りとなった経友に出陣させておき、保険をかけていた男だ。
今、その保険が活きてきたといったところか。
「……ですが、経友兄上をどうなされるのです。経友兄上はこれまで、吉川の軍を率いて、有田城を攻めた。いかに元経兄上が韜晦なさろうと、経友兄上がやったことは消せぬ。それを問われれば……」
「皆までいうな、雪。だからこそ、おぬしを呼んだのだ」
元経は懐中から、書状を取り出す。
「安芸武田家からだ」
そう言って、元経は、経友にその書状を渡した。
もう安芸武田家とやり取りをしていたのか、と雪は舌を巻いた。
経友は、元経から渡された書状の内容を検める。
「一、有田城を受け取ること。二、宮庄経友の叛乱を許すこと……随分な言い様だな」
「最後まで読め」
そう言われて最後まで読んだ経友は、元経がなぜ頑なな態度を崩さなかったのか、知った。
「……以上の条件の代わりに、吉川家は、姫を差し出すこと!?」
経友が書状を取り落とすと、雪がそれを拾って読んだ。
「あ、兄上」
元経はその渋面をさらに濃くして、言った。
「安芸武田家のな、武田元繁はな、強い女性が好みだそうだ」
元経としては、元繁の好みがどうあろうが言うことは無かったが、その食指が、妹にまで伸ばされては、別だ。
「……安芸武田家の使いによるとな、武田元繁は、吉川家が従うと聞いて、雪、お前のことにいたく関心を示し、『わが虞にふさわしい』とか抜かしたそうな」
「虞!?」
虞とは虞美人であり、西楚の覇王・項羽の愛人として知られる美女である。
御大層な言い方だな、と雪は思った。婚姻を申し込むのなら、もうちょっとそう大上段でなく、自然に……。
そこまで思って、雪は気がつく。
「お待ちください、そもそも、武田元繁どのは、じじ様、尼子経久公の弟君、尼子久幸さまの姫を娶られたばかりなのでは?」
「だから、愛人と言っているだろう」
元経の顔が歪む。彼としても、いくら安芸武田家の当主とはいえ、吉川家のことをなめ過ぎだと思ったのだ。
「……つまり、わたくしに、武田元繁どのの側室になれ、と」
この前、法蓮坊に託して送り出した、飛鳥井家の深芳野姫のことを笑えなくなった、雪は思った。
いや。
最初から笑う気など、ない。
それより……引っかかる。
いくら吉川家が武田家に対して下風に立たなくてはならないとはいえ、なぜ、その姫たる自分を側室に、となるのか。
領土の割譲や、人質の差し出しなら分かる。
さきほど言ったとおり、武田元繁は、尼子家の姫を正室にしたばかりだ。
それを、いくら己の好みとはいえ、他の女に、こういうかたちで手を出すというのは……。
「……雪? おい、雪!」
沈思黙考する雪を、経友は不機嫌の絶頂にいるものと思って、気づかって声をかけてきた。
「…………」
この引っかかり。
もしや多治比元就なら、分かるのではないか。
そこで雪は立ち上がり、城主の間を出ていこうとした。
元経はその雪に向かって、声をかける。
「おい、雪! 話はまだ途中……」
「お断りします」
「断るってお前……」
経友が、幼いころの兄妹げんかの仲裁に入った時のように、二人の間に入る。
「あんな、女の髪を引っ張るような御仁、こちらからお断りです!」
「そういう問題ではない! いいか、吉川家としてはだな……」
「なら、こんな家、出ます! 今後、わたくしは吉川には戻りません!」
「あっ、おい待て……」
元経も制止もきかず、雪はさっさと城主の間を走り抜けて出て行った。
そうこうするうちに「姫さま!」と侍女が悲鳴を上げているのが聞こえ、そののちに、雪の愛馬のいななく声が聞こえた。
「家出しやがった……」
そんなことは言わなくても分かっておる、と元経は経友に怒鳴りつけ、事態の報告を父・国経と祖父・経基にするべく、足音高く、向かうのであった。
10
あなたにおすすめの小説
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
レオナルド先生創世記
ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる