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第四章 西の桶狭間 ー有田中井手の戦いー
40 熊谷元直の最期
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熊谷元直とその軍は、今や捨て身である。
「勝てるはず」と言われた、多治比猿掛城攻めに失敗し、その失敗を糊塗するために、中井手の柵に籠り、来たるべき、安芸武田家と毛利家の会戦に別動隊として参陣し、挟み撃ちに一役買って出て、功成るつもりであった。
しかし、その意図は多治比元就にことごとく見破られ、逆に分離状態にある熊谷元直を挟み撃ちにと嵌めてしまう。
「策士めが! だが、この熊谷元直、容易く食われはしない!」
まだ、勝機はある。
それは、この、目の前にいる多治比元就を討ち取ってしまうことだ。
こやつが。
こやつこそが。
安芸武田家にとって、最も危険な存在なのだ。
この、いつの間にか熊谷元直を手玉に取っている男が。
「今度こそ! 彼奴に一騎打ちを挑み、素っ首、いただいてくれる!」
吶喊する熊谷元直。
だがその前に、躍り出た男がいた。
「……長井、新九郎!」
「おや、名を覚えててくれたか? では礼に、槍を馳走してやろう!」
長井新九郎の長槍が、まるで蛇のごとく鋭く空中を這い、熊谷元直の首を目指す。
「しゃらくさい!」
元直の槍が弧を描き、新九郎の槍を弾き飛ばす。
新九郎はその槍を放さず、槍ごと体を回転させて、勢いと力の乗った一撃を繰り出す。
「そらよ!」
「うぬっ」
丁々発止の槍の戦い。
この頃には熊谷、多治比の互いの兵らも集結してきており、集団戦も始まっている。
熊谷軍の部将、山中、板垣らは必死に攻めるが、一方の多治比軍の多治比元就、井上光政も、油断なくその攻勢を受け止め、押し返す。
「かかれ! かかるんだ! 多治比の首を取れ!」
「押し返せ! 押し返せば、熊谷の首は取れるぞ!」
熊谷元直と長井新九郎。
熊谷軍と多治比軍。
じりじりとせめぎ合う、ふたつ。
だがその戦いを見つめつつ、そっと近づいてくる、ひとつの群れがあった。
*
吉川家の軍、宮庄経友を大将とするその一軍は、矢戦の終了と共に、指揮権は吉川家の姫・雪から宮庄経友へと移った。
元より、そのような作戦である。
弓矢については、鬼吉川の妙弓たる雪が。
刀槍については、猛将たる宮庄経友が。
吉川軍の三〇〇騎はごく自然に、その変更を受け入れた。というか、そのように打ち合わせを重ねていた。
「皆の衆、刀を持て」
宮庄経友は、その巨躯と豪放磊落な性格から、想像もできないほど冷静な声と表情で将兵に命じた。
「…………」
経友の目に、激突する熊谷軍と多治比軍が映る。
元就の予見どおり、突出して一騎打ちをする、熊谷元直の姿も。
「では、手はずどおり、これから、熊谷元直を討ち取る」
それはあまりにも冷静に話され、今後の予定のひとつとして言われているのかと思われるくらいだ。
「……雪、お前だけは弓を。援護を」
雪は無言でうなずく。兄・経友が冷静なのは本気である証拠だ。そしてその冷静さに負けは無い。
雪にとっては、この兄――宮庄経友こそが、弓は置いておいて、最も「鬼吉川」を体現する武者と思えた。長兄・吉川元経も優れた武者だが、政に重きを置いているゆえ、やはり経友には一歩譲り、それは本人も認めているところである。
「…………」
無表情な宮庄経友の視線が、より鋭くなり、遠く熊谷元直を見すえる。
鬼の目じゃ、と足軽たちがささやく。
経友が片手を上げた。
「進め」
経友がさっと手を下げると、吉川の将兵は、物も言わずに戦場へ進軍を開始した。
*
……そうこうしている間にも、毛利本家の軍が後背から襲ってくる。
その焦燥感が満ちてきた熊谷元直だが、蛇のように食らいついてくる長井新九郎のせいで、眼前で指揮を執る多治比元就の方へと進めない。
「しつこい奴めがッ」
「よく言われる……佳い女からな!」
新九郎一流の諧謔に、多治比軍の将兵はどっと笑う。
この場合、熊谷元直がもし多治比元就との一騎打ちであれば、死力を尽くして勝ちに行くだろう。
だが今、熊谷元直の相手は、どこの誰ともつかぬ風来坊、長井新九郎である。毛利家中の誰かでもなく。
そのことが――元直の脳裏に、元就との戦いに余力を残しておかなくては、かような流れ者に討たれてたまるか、という、後ろ向きな気持ちを生み出していた。
そしてその気持ちは、熊谷軍全軍に伝播し、不思議な停滞感を作り出していた。
そしてその隙を――宮庄経友率いる一軍が、襲撃する。
「かかれッ」
号令一下。
経友麾下の将兵は、熊谷軍に向かって、容赦のない突撃を食らわせた。
「うわっ」
「何っ」
動揺し、戸惑ううちに、熊谷軍は次から次へと討ち取られ、倒れていく。
前面の多治比元就に、多治比軍に。
完全に意識を取られていた。
それも、矢戦に終始していたはずの吉川の兵に。
後世、謀神とまで言われ畏怖されることになる、多治比――毛利元就の真骨頂が、そこにあった。
「何だと――まさかッ」
熊谷元直が咆哮する。
こうなると、長井新九郎にこだわっている場合ではない。
無理矢理にでも前へ出て、あの青二才に一太刀を。
そう覚悟を決めた、元直の耳に。
矢羽が風を切る音が聞こえた。
ひゅう。
ひゅう。
矢は、元直の甲冑をかすめ、あるいは兜に当たって鍬形を折る。
このときには、長井新九郎は抜け目なく、退いていた。
元直にも、それは分かる。
この矢は。
鬼吉川の妙弓――雪が、元直を、その射程距離に捉えたという証だ。
もう、多治比元就へ攻めかかることはできない。
雪は必ずや、その元直の背に矢を突き立てるであろう。
「こんな……ところでッ」
元直は再び咆哮し、ならば迫る吉川の兵をと猛進する。
その元直の前に、一人の巨漢が立ちふさがった。
「貴ッ様……宮庄経友かッ」
「さよう……吉川家中、宮庄経友!」
いざ尋常にという挨拶する暇もなく、二人の猛将はぶつかり合った。
巨きな熊同士の殺し合いだ、と長井新九郎は思った。
元就は叫ぶ。
「宮庄どのにつづけ! 多治比の兵! 吉川の兵! そして……毛利の兵よ!」
この頃には、相合元綱の率いる毛利本家の軍が戦場に到着し、熊谷軍と多治比軍の激突の現場へと駆けつつあった。
「多治比どのはあすこに居るぞ! 全軍突撃!」
相合元綱は、自ら愛馬に鞭打って、我先にと吶喊する。
今義経の二つ名に恥じない、見事な奇襲突撃である。
「…………!」
言葉にならない叫びを上げて、熊谷元直は、宮庄経友に向けて、突っ込んだ。
今や、進退窮まった。
多治比という、多治比元就という餌に食いつけると思いきや、それは猛毒の罠であった。
元就は開き直って窮鼠と化した「だけ」であり、安芸武田家・武田元繁との挟み撃ちになれば、必ずや撃破できるものと考えていたら、元直自身が挟み撃ちという憂き目に遭っている。
すべて、計算づくだ。
おそらく、安芸武田家と干戈を交えると分かったときから、研鑽を重ねて来たに、相違ない。
そうでなくては、ここまで、物の見事に嵌まるものか。
こうして、確実に、この熊谷元直を仕留めるべく、猛将と名高い宮庄経友をぶつけて来ているところが、その証左だ。
だが。
「……貴様……ぐらいは……」
元直のそれは、もはや人間の言葉ではなく、野獣の唸り声である。
だが、宮庄経友は、それを正確に理解した。
己もまた、心身の裡に、野獣を宿した武士であるという自覚があったからだ。
「いや寧ろ――鬼だ」
すでに何本かの矢を受けて、手負いの獣と化した熊谷元直に、宮庄経友は恐れげもなく、組み付いた。
元直の牙を剥かんばかりの咆哮に目を背けず、経友はその太い腕で、元直の甲冑を、引きちぎらんばかりに掴み上げた。
「…………!」
元直は凄絶な笑みを浮かべて、逆に経友に組み付く。
互いの巨躯が、傍からはおいそれと加勢は出来ないくらい、密接する。
「……このまま、貴様だけでも道連れにしてやる……宮庄経友」
元直は、巧みに経友と場所を入れ替え、周りの将兵らの手出しを防ぐ。
「串刺しになるなら、貴様も……持久に持ち込むなら、貴様に噛みついて」
「……必死なところ、悪いがよ」
経友は、むしろ元直の体捌きに合わせるように動いた。
気がつくと、周りの将兵は、むしろ元直と経友を避け、熊谷軍の掃討に入っていた。
「何故……」
「わが祖父、吉川経基が……何故、鬼吉川と言われるようになったか教えてやろう。そして……またの名を、俎板吉川と言うのかを」
経友はいきなり、これまでに倍する力で元直を固めた。石か金棒かと思うくらいに硬直した経友に、元直は足掻くが、微動だにしない。
……そうこうするうちに、元直は、自分を見つめる視線に気がついた。
自分の額のあたりを見つめる視線に。
かなり遠くだが、馬上、弓をぎりぎりまで引き絞る、一騎の武者が見えた。
華麗な甲冑の、姫武者を。
「鬼吉川の――妙弓!」
吉川家の姫、雪が無表情に、熊谷元直を見すえている。
「馬鹿な。あんな遠く、いくら何でもこの元直だけを当てられるものか。まさか、道連れは、貴様が――」
あわてふためく猛将・熊谷元直を、もう一人の猛将・宮庄経友は嗤った。
「当時、駆け出しの尼子経久に、こうして敵を捕まえさせて、弓矢を一発。哀れ、『俎板』の上の敵は、『鬼』の矢に……」
「まさか、やっ、やめろ! 離せ!」
「もう遅い」
幼き日から、共に弓矢を学んだ仲だ。
もう――矢を放ったことは、見ずとも分かる。
その瞬間。
熊谷元直にとっては、永遠にも近い一瞬だったが、それはゆっくりと、だが瀬を流れる水のように軽快に、元直に向かって、ほとばしって来た。
それ――雪の射た矢は、あやまたず、元直の額に突き刺さった。
「無……念……」
熊谷元直、二十八歳。
まだ、過去よりも未来に多くを持つ年齢であり、もし、安芸武田家・武田元繁が安芸を制覇したら、その右腕として、その勇武により中国地方を席捲する驍将となりえた男であった。
だが――大いなる智謀をその脳裏に潜ませる、多治比元就によって翻弄され、ついに討ち取られたのであった。
「勝てるはず」と言われた、多治比猿掛城攻めに失敗し、その失敗を糊塗するために、中井手の柵に籠り、来たるべき、安芸武田家と毛利家の会戦に別動隊として参陣し、挟み撃ちに一役買って出て、功成るつもりであった。
しかし、その意図は多治比元就にことごとく見破られ、逆に分離状態にある熊谷元直を挟み撃ちにと嵌めてしまう。
「策士めが! だが、この熊谷元直、容易く食われはしない!」
まだ、勝機はある。
それは、この、目の前にいる多治比元就を討ち取ってしまうことだ。
こやつが。
こやつこそが。
安芸武田家にとって、最も危険な存在なのだ。
この、いつの間にか熊谷元直を手玉に取っている男が。
「今度こそ! 彼奴に一騎打ちを挑み、素っ首、いただいてくれる!」
吶喊する熊谷元直。
だがその前に、躍り出た男がいた。
「……長井、新九郎!」
「おや、名を覚えててくれたか? では礼に、槍を馳走してやろう!」
長井新九郎の長槍が、まるで蛇のごとく鋭く空中を這い、熊谷元直の首を目指す。
「しゃらくさい!」
元直の槍が弧を描き、新九郎の槍を弾き飛ばす。
新九郎はその槍を放さず、槍ごと体を回転させて、勢いと力の乗った一撃を繰り出す。
「そらよ!」
「うぬっ」
丁々発止の槍の戦い。
この頃には熊谷、多治比の互いの兵らも集結してきており、集団戦も始まっている。
熊谷軍の部将、山中、板垣らは必死に攻めるが、一方の多治比軍の多治比元就、井上光政も、油断なくその攻勢を受け止め、押し返す。
「かかれ! かかるんだ! 多治比の首を取れ!」
「押し返せ! 押し返せば、熊谷の首は取れるぞ!」
熊谷元直と長井新九郎。
熊谷軍と多治比軍。
じりじりとせめぎ合う、ふたつ。
だがその戦いを見つめつつ、そっと近づいてくる、ひとつの群れがあった。
*
吉川家の軍、宮庄経友を大将とするその一軍は、矢戦の終了と共に、指揮権は吉川家の姫・雪から宮庄経友へと移った。
元より、そのような作戦である。
弓矢については、鬼吉川の妙弓たる雪が。
刀槍については、猛将たる宮庄経友が。
吉川軍の三〇〇騎はごく自然に、その変更を受け入れた。というか、そのように打ち合わせを重ねていた。
「皆の衆、刀を持て」
宮庄経友は、その巨躯と豪放磊落な性格から、想像もできないほど冷静な声と表情で将兵に命じた。
「…………」
経友の目に、激突する熊谷軍と多治比軍が映る。
元就の予見どおり、突出して一騎打ちをする、熊谷元直の姿も。
「では、手はずどおり、これから、熊谷元直を討ち取る」
それはあまりにも冷静に話され、今後の予定のひとつとして言われているのかと思われるくらいだ。
「……雪、お前だけは弓を。援護を」
雪は無言でうなずく。兄・経友が冷静なのは本気である証拠だ。そしてその冷静さに負けは無い。
雪にとっては、この兄――宮庄経友こそが、弓は置いておいて、最も「鬼吉川」を体現する武者と思えた。長兄・吉川元経も優れた武者だが、政に重きを置いているゆえ、やはり経友には一歩譲り、それは本人も認めているところである。
「…………」
無表情な宮庄経友の視線が、より鋭くなり、遠く熊谷元直を見すえる。
鬼の目じゃ、と足軽たちがささやく。
経友が片手を上げた。
「進め」
経友がさっと手を下げると、吉川の将兵は、物も言わずに戦場へ進軍を開始した。
*
……そうこうしている間にも、毛利本家の軍が後背から襲ってくる。
その焦燥感が満ちてきた熊谷元直だが、蛇のように食らいついてくる長井新九郎のせいで、眼前で指揮を執る多治比元就の方へと進めない。
「しつこい奴めがッ」
「よく言われる……佳い女からな!」
新九郎一流の諧謔に、多治比軍の将兵はどっと笑う。
この場合、熊谷元直がもし多治比元就との一騎打ちであれば、死力を尽くして勝ちに行くだろう。
だが今、熊谷元直の相手は、どこの誰ともつかぬ風来坊、長井新九郎である。毛利家中の誰かでもなく。
そのことが――元直の脳裏に、元就との戦いに余力を残しておかなくては、かような流れ者に討たれてたまるか、という、後ろ向きな気持ちを生み出していた。
そしてその気持ちは、熊谷軍全軍に伝播し、不思議な停滞感を作り出していた。
そしてその隙を――宮庄経友率いる一軍が、襲撃する。
「かかれッ」
号令一下。
経友麾下の将兵は、熊谷軍に向かって、容赦のない突撃を食らわせた。
「うわっ」
「何っ」
動揺し、戸惑ううちに、熊谷軍は次から次へと討ち取られ、倒れていく。
前面の多治比元就に、多治比軍に。
完全に意識を取られていた。
それも、矢戦に終始していたはずの吉川の兵に。
後世、謀神とまで言われ畏怖されることになる、多治比――毛利元就の真骨頂が、そこにあった。
「何だと――まさかッ」
熊谷元直が咆哮する。
こうなると、長井新九郎にこだわっている場合ではない。
無理矢理にでも前へ出て、あの青二才に一太刀を。
そう覚悟を決めた、元直の耳に。
矢羽が風を切る音が聞こえた。
ひゅう。
ひゅう。
矢は、元直の甲冑をかすめ、あるいは兜に当たって鍬形を折る。
このときには、長井新九郎は抜け目なく、退いていた。
元直にも、それは分かる。
この矢は。
鬼吉川の妙弓――雪が、元直を、その射程距離に捉えたという証だ。
もう、多治比元就へ攻めかかることはできない。
雪は必ずや、その元直の背に矢を突き立てるであろう。
「こんな……ところでッ」
元直は再び咆哮し、ならば迫る吉川の兵をと猛進する。
その元直の前に、一人の巨漢が立ちふさがった。
「貴ッ様……宮庄経友かッ」
「さよう……吉川家中、宮庄経友!」
いざ尋常にという挨拶する暇もなく、二人の猛将はぶつかり合った。
巨きな熊同士の殺し合いだ、と長井新九郎は思った。
元就は叫ぶ。
「宮庄どのにつづけ! 多治比の兵! 吉川の兵! そして……毛利の兵よ!」
この頃には、相合元綱の率いる毛利本家の軍が戦場に到着し、熊谷軍と多治比軍の激突の現場へと駆けつつあった。
「多治比どのはあすこに居るぞ! 全軍突撃!」
相合元綱は、自ら愛馬に鞭打って、我先にと吶喊する。
今義経の二つ名に恥じない、見事な奇襲突撃である。
「…………!」
言葉にならない叫びを上げて、熊谷元直は、宮庄経友に向けて、突っ込んだ。
今や、進退窮まった。
多治比という、多治比元就という餌に食いつけると思いきや、それは猛毒の罠であった。
元就は開き直って窮鼠と化した「だけ」であり、安芸武田家・武田元繁との挟み撃ちになれば、必ずや撃破できるものと考えていたら、元直自身が挟み撃ちという憂き目に遭っている。
すべて、計算づくだ。
おそらく、安芸武田家と干戈を交えると分かったときから、研鑽を重ねて来たに、相違ない。
そうでなくては、ここまで、物の見事に嵌まるものか。
こうして、確実に、この熊谷元直を仕留めるべく、猛将と名高い宮庄経友をぶつけて来ているところが、その証左だ。
だが。
「……貴様……ぐらいは……」
元直のそれは、もはや人間の言葉ではなく、野獣の唸り声である。
だが、宮庄経友は、それを正確に理解した。
己もまた、心身の裡に、野獣を宿した武士であるという自覚があったからだ。
「いや寧ろ――鬼だ」
すでに何本かの矢を受けて、手負いの獣と化した熊谷元直に、宮庄経友は恐れげもなく、組み付いた。
元直の牙を剥かんばかりの咆哮に目を背けず、経友はその太い腕で、元直の甲冑を、引きちぎらんばかりに掴み上げた。
「…………!」
元直は凄絶な笑みを浮かべて、逆に経友に組み付く。
互いの巨躯が、傍からはおいそれと加勢は出来ないくらい、密接する。
「……このまま、貴様だけでも道連れにしてやる……宮庄経友」
元直は、巧みに経友と場所を入れ替え、周りの将兵らの手出しを防ぐ。
「串刺しになるなら、貴様も……持久に持ち込むなら、貴様に噛みついて」
「……必死なところ、悪いがよ」
経友は、むしろ元直の体捌きに合わせるように動いた。
気がつくと、周りの将兵は、むしろ元直と経友を避け、熊谷軍の掃討に入っていた。
「何故……」
「わが祖父、吉川経基が……何故、鬼吉川と言われるようになったか教えてやろう。そして……またの名を、俎板吉川と言うのかを」
経友はいきなり、これまでに倍する力で元直を固めた。石か金棒かと思うくらいに硬直した経友に、元直は足掻くが、微動だにしない。
……そうこうするうちに、元直は、自分を見つめる視線に気がついた。
自分の額のあたりを見つめる視線に。
かなり遠くだが、馬上、弓をぎりぎりまで引き絞る、一騎の武者が見えた。
華麗な甲冑の、姫武者を。
「鬼吉川の――妙弓!」
吉川家の姫、雪が無表情に、熊谷元直を見すえている。
「馬鹿な。あんな遠く、いくら何でもこの元直だけを当てられるものか。まさか、道連れは、貴様が――」
あわてふためく猛将・熊谷元直を、もう一人の猛将・宮庄経友は嗤った。
「当時、駆け出しの尼子経久に、こうして敵を捕まえさせて、弓矢を一発。哀れ、『俎板』の上の敵は、『鬼』の矢に……」
「まさか、やっ、やめろ! 離せ!」
「もう遅い」
幼き日から、共に弓矢を学んだ仲だ。
もう――矢を放ったことは、見ずとも分かる。
その瞬間。
熊谷元直にとっては、永遠にも近い一瞬だったが、それはゆっくりと、だが瀬を流れる水のように軽快に、元直に向かって、ほとばしって来た。
それ――雪の射た矢は、あやまたず、元直の額に突き刺さった。
「無……念……」
熊谷元直、二十八歳。
まだ、過去よりも未来に多くを持つ年齢であり、もし、安芸武田家・武田元繁が安芸を制覇したら、その右腕として、その勇武により中国地方を席捲する驍将となりえた男であった。
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