織田家の人々 ~太陽と月~

四谷軒

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第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~

03 如庵の回想

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 織田信雄おだのぶかつは、「秀吉との和睦など、ありえん」と息巻いていたが、その叔父にして近臣の織田長益は、

「これは、好機だ」

 と判じた。
 当時、天正大地震という奇禍もあり、羽柴徳川両陣営とも厭戦の雰囲気が漂いつつあった。
 長益は、兄である信長や、秀吉や家康のような名将ではないが、それでも今が好機だということはわかった。

「信雄は人がい」

 兄・信忠からそのように評価された信雄には、これ以上、秀吉と家康の間で揉まれるような立場は耐えられないであろうし、いずれ潰れてしまうであろう。
 そう、あの京雀きょうすずめはやし立ては、謎かけなのだ。
 織田の源五(長益)が泥をかぶれ、との。



 あれから。
 信雄は結局、秀吉との和睦に応じた。
 秀吉から「伊賀と伊勢半国を譲る」と言われ、何よりも長益に「これ以上の戦いは無益」と説かれ、ついに根負けした。
 これにより、のちに小牧長久手の戦いといわれる、日本全国を巻き込んだ大いくさは、終息することになる。
 しかし結果として、信雄は家康を裏切って秀吉にくだったと白眼視され、それを苦にしたのか、信雄は秀吉に逆らうような言動を取るようになる。
 そして最後には秀吉の怒りを買い――改易、流罪となった。

あの時小牧長久手の時、叔父上が余計なことを」

 以後、信雄は長益と会うたびに、そういうを言うようになる。
 それでも、信雄はそのあとの関ヶ原、大坂の陣といった争乱期を生き抜き、最終的には五万石の大名として返り咲き、老後は能に茶にと優雅な生活を送ることになる。



 一方で長益は。

「これより、有楽うらくと称す」

 信雄の改易に責任を感じたのか、出家した。
 揚羽蝶あげはちょうの家紋の直垂を脱ぎ、法衣ほうえをまとった。
 実は長益はキリシタンで、如庵Joanという洗礼名を持っていた。
 洗礼を受けながら出家とは、矛盾した行いに見えるが、この時代の人たちは案外、そういう矛盾を感じなかったかもしれない。

「まるで……月を飛ぶ蝶のようだ」

 あの頃――尾張にいた少年だったあの頃、兄・信長がつらまえた、蝶々。
 そのあとすぐに解放されたあの蝶々は、ふうわりふわりと舞って行ったが、今ごろ、どうしているだろうか。
 いや、あの蝶々が程なくして死んだのはわかる。わかっているのだ。
 今、言いたいのは、その蝶々のような。

「この有楽……それ自身のことよ」

 時は元和四年(一六一八年)。
 有楽は京の建仁寺けんにんじ塔頭たっちゅう、正伝院を再興し、そこに茶室を設けた。
 号して、如庵じょあん
 己の霊名クリスチャンネームと同じ名を冠した。
 今、織田源五郎長益おだげんごろうながます改め如庵有楽じょあんうらくは、その如庵の丸い窓から、ふと外を眺めた。

「蝶が……」

 茶室から土間を見ると、土間の袖壁に、丸い窓がある。
 あたかも――月のような。
 その月のような窓の外、有楽の好んだ椿が咲き誇る庭を。
 蝶々が、待っていた。

「月を飛ぶ……蝶……」

 丸窓の外。
 後世、有楽椿Camelia Urakiといわれる椿の、その淡紅色の花弁を。
 蝶々が舞い、降りた。

 ──つらまえたぞッ! 源五!

「信長にい……」

 有楽は大井戸茶碗を取り落としそうになった。
 今、まさにその織田信長に歳を取らせたような容貌の男が、その蝶々の止まった椿の陰から、のそりと姿をあらわしたからである。



「ご無沙汰しております、叔父上」

 信長(の老後)に似ていた男は、信雄であった。
 親子だから似ていて当たり前であるが、この登場には面食らった。
 そういえば、信雄の改易以来、会っていないが、随分と老け込んだものだ。
 たしか出家して、今は「常真」と号しているとか。

織田信長が夢枕にあらわれましてな」

 常真は照れくさそうに、その禿頭とくとうでた。

「……父が言うのです。『あまり源五を嫌うな、おぬしが今生きていられるのは、誰のおかげぞ』、と」

「……兄上が、いや、信長さまが」

 常真はくすっと笑って、もう左様さような上下のことなど、どうでも良いではありませんか、と言った。

「もはや織田も豊臣もなく、徳川の世。そのようなこと、誰が気にかけましょう」

 それより……と、茶室の中、常真はと迫った。

「叔父上が父を殴ったというのは、まことか?」

「……それでござるか」

 有楽は頭をいた。
 若気の至りだったとは思う。
 それでも、兄・信行の命を奪った兄・信長のことをゆるせなかった。
 あの、「月を飛ぶ蝶々」を眺めてつらまえて離した夕べの思い出を、汚されたような気がしたからだ。

「……まことでござる」

 常真は驚きの表情を示したが、その経緯いきさつを聞いて、得心した。

「……実は、夢枕の父が、信長おれを殴った唯一の男ぞ、粗略にするな、と」

「兄上は死んでまで……」

 やはり、本能寺のあの時、会いに行っておけば良かったか。
 そう後悔する有楽のうちに、はっと気づくものがあった。

「もしや」

 あの時信長が敢えて殴られたのは、有楽の気持ちを尊重してくれたからではないか。
 すぐさま殴り返されたから、あの時は気づかなかったが、すでに戦陣を駆けめぐっていた信長にとって、孺子こぞうの拳など、けるに苦労はいらない。
 そして、そのすぐさま殴り返したことも。

「そうしておけば、この有楽が当主に逆らったことの罰を受けたことになる」 

 よくよく考えれば、有楽が離してといった蝶々を、すぐに解放した兄だ。
 信行を討ったことは無念だが、それでも有楽のことは、大事にしてくれていたのだ。
 たとえ、距離を置かれても。
 亡くなった今でも。

「兄上……」

 突如、滂沱ぼうだとして涙を流す有楽に、常真はおろおろとするばかりである。
 人がい。
 信忠の言ったとおりだ。
 ことあるごとに、小牧長久手の恨み言を言ってくるのも、そういう、人の──己の生の感情を大事にするからだ。

「……いや失礼した」

 有楽は涙を拭いて、茶をてた。
 点てながら、ふと思った。
 そういえば信忠も、常真のことを案じていた。

「え、そのようなことが」

 有楽がそれを告げると、常真は大井戸茶碗の中に涙を落とした。
 そんな彼を見遣みやりつつ、有楽は考えた。
 あの時。
 信忠は信雄常真を案じつつも、長益有楽のことも案じていたのではないか。
 もうひとりの弟、神戸信孝はその気性の激しさから、信忠はやがては身を滅ぼすと予見していた。
 そして実際、そのとおりになった。
 一方で。

信雄常真どのはそれがしを嫌いはしたが、殺すようなことはなかった。ましてや、切腹して下を道連れになど」

 何のことはない。
 誰しも、有楽のことを気にしてくれていたのだ。
 この、月を飛ぶ蝶々のような男を。

「……ありがたいことだ」

 ここでようやく常真が顔を上げた。
 彼もまた、何か吹っ切れたような顔をしていた。
 そしてぽつりぽつりと、隠居して京の北野に居を構えたことを告げた。

「それはいい」

 有楽は、今度茶を点てに参りましょうと言った。
 それを聞いて、常真は笑った。
 その笑顔は、信長に似て、あるいは信行、はたまた信忠にも似た、快活な笑顔だった。



 ……有楽椿に蝶が舞う。
 土間の袖の、丸窓から眺めると、それはまるで月を飛ぶ蝶のよう。

「信長にい、信行にい、信忠どの……あなたがたもまた、あのような蝶を大事にしてくれる方々であった」

 このような人々に囲まれて、実に幸せであったと、有楽は思う。

「……なら、精々、大事にしてくれた分、飛ぼうではないか……うつくしく」

 織田有楽。
 利休の弟子として、格別の扱いを受け、茶室・如庵などのかたちのある美を、あるいは茶道・有楽流などの、かたちのない美を残す。
 それはまた、彼を囲んだ人々が、月を飛ぶ蝶のような彼を、大事にしてくれたおかげかもしれない。


【了】
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