6 / 6
06 東寺合戦
しおりを挟む
京の都にひときわ目立つ、五重塔。
教王護国寺、通称・東寺。
足利直冬は、そこに本陣を構えていた。
「山名は何をしているか」
その直冬の問いに誰も答えない。
無視しているのではない。
忙しく、慌ただしくしているからだ。
直冬の入京により南朝復興かと思われたが、しかし今度は逆に、播磨に釘付けにしておいた足利義詮が反転攻勢に出て、摂津の神南にまで進出し陣を構えたのだ。
ともすれば京だけでなく、南朝の行宮の在る河内の金剛寺すら睨むこの布陣に、後村上帝が悲鳴を上げた。
「疾く、討つべし」
直冬としては尊氏がいつ来るか分からないため、兵力を温存しておきたいところである。
逆に南朝の将、楠木正儀の出陣を求めた。
「……応」
当時の正儀は、京の近く、石清水八幡宮に在陣していた。
正儀は直冬の要請に応じたものの、さすがに寄騎を要求し、それが山名だった。
正儀と山名は摂津へ向けて進軍し、そこで義詮の軍勢と遭遇、衝突した。
世に言う神南の戦いである。
激戦を繰り広げた正儀と山名だったが、義詮の方には、佐々木道誉、赤松則祐といった将領が揃っており、押しに押され、やむなく石清水八幡宮へ向けて撤退した。
「何ということだ」
直冬は歯噛みして悔しがったが、そういう自身の耳にも、東から足利尊氏が率いる軍勢が迫っているとの一報が入った。
「上等だ。返り討ちにしてくれる」
麾下の赤松氏範が止める暇もなく、直冬は東寺を飛び出していく。
一三五五年二月六日。
年明けを終えた京において、史上、「東寺合戦」と称される、市中での戦いが勃発した。
足利尊氏率いる北朝の軍を相手に、直冬は善戦したが、いかんせん、頼みの綱の楠木正儀が援軍を出せず決定打に欠け、そして二月の末には、義詮の軍が京の北から攻め入り、ついに直冬は北から義詮、東から尊氏という二正面作戦を強いられることになった。
*
「……もう退け」
「うるさい」
楠木正儀は、単身密かに、東寺の五重塔に籠る足利直冬を訪ね、逃走を勧めていた。
正儀によれば、京は琵琶湖方面からの物流が抑えられ、兵站がままならぬという。
「だから、帰れ」
「帰らぬ」
直冬は頑是ない駄々っ子のような表情をして拒絶したが、彼もまた、京の南朝軍が限界であることを察していた。
「だが、退けぬ。今こそ、養父直義の仇を討たん」
直冬は五重塔の上から、東を望んだ。
そこには、丸に二つ引の足利家の幟を翩翻とひるがえらせ、足利尊氏の軍勢が迫って来る姿が見えた。
「……好機ぞ。敵は首魁たるおれを討たんと迫っているようだ」
そう言って笑う直冬の目に、もはや正儀は映っていない。
映っているのは尊氏、いやさ直義である。
「鬼に憑かれたか」
だがその呟きは直冬に聞かれることもなく、また正儀も敢えてこれ以上言うこともなく、ただ一礼して別れを告げた。
正儀は歎息した。
「鬼のための戦は、無益だ」
後醍醐帝なり北畠親房なり、生きてあるうちならば今後の展望が望めようが、彼らはもはや鬼籍にいる。
展望など、ありやしない。
「だからこのような無名の帥が通るのだ」
無名の帥とは、大義名分や理由のない戦のことである。
正儀はその虚しさを痛感し、五重塔を背に、石清水八幡宮へと戻っていった。
楠木正儀。
やがて南北朝合一への展望を拓く男ではあるが、それにはまだ時が足りなかった。
細川頼之という盟友を得るまでの、時が。
*
……京の市中の戦いは熾烈を極めた。
直冬は、いつしか東寺に戻っていた。
五重塔を仰ぐ。
「ここより眺むれば、尊氏の所在を」
「その必要は無いぞ」
直冬がゆっくりと振り向くと、そこには壮年の武者が立っていた。
「足利、尊氏……」
「今さらだが、敢えて父とは名乗らん。叛賊・足利直冬、予が直々に成敗してくれる」
「抜かせ」
直冬は嬉々として刀を抜いた。
一方の尊氏は、薙刀を構えた。
その薙刀は――足利家重代の宝刀・骨喰である。
「参る!」
「来い!」
勝負は、一瞬。
直冬が跳ぶ。
骨喰が舞う。
……気がつくと、直冬の刀は、骨喰に叩き折られていた。
「……くっ」
「終わりだ、直冬」
こんな時に限って、直視をするな。
今まで――今まで、避けて来たくせに。
「ケエエエエッ」
直冬の奇声。
直冬は、折れた刀を投げつけた。
たまらず、尊氏が骨喰で弾くと――直冬はいなくなっていた。
「消えたか」
だがそれでいい。
その生を全うしたくなったのなら、それでいい。
尊氏は、膝をついた。
「……うっ」
だがそのまま倒れそうになるところを、支える者がいた。
「義詮……」
「大儀です、父君」
「言いよるわ」
尊氏は義詮に肩を支えられながら、何気なく、手にした骨喰を見た。
「……いるか、骨喰」
「ご臨終のときには」
それまでは、足利家の当主として戦え――ということか。
息子の言外の励ましに、尊氏は笑い、義詮もまた笑った。
一三五五年三月。
年明けこそ鬼笑う――という、北畠親房の言葉どおりにはなったが、最後に笑ったのは、生者たちであった。
*
時は流れ、一三五八年四月三十日。
京にて。
足利尊氏、薨去。
その死の直前まで、争乱の芽を摘むため九州へ下向せんとしていたが、最後には義詮と基氏に後事を託し、その生を終えた。
巨大な才能と勢力に恵まれながらも、矛盾多き人生であったが、生者に後を任せることができたことは、この時代にしては稀であり、彼の人生に花を持たせたと言えよう。
そして――尊氏の死から百日後。
義詮に一子が生まれる。
幼名、春王。
のちの足利義満である。
【了】
教王護国寺、通称・東寺。
足利直冬は、そこに本陣を構えていた。
「山名は何をしているか」
その直冬の問いに誰も答えない。
無視しているのではない。
忙しく、慌ただしくしているからだ。
直冬の入京により南朝復興かと思われたが、しかし今度は逆に、播磨に釘付けにしておいた足利義詮が反転攻勢に出て、摂津の神南にまで進出し陣を構えたのだ。
ともすれば京だけでなく、南朝の行宮の在る河内の金剛寺すら睨むこの布陣に、後村上帝が悲鳴を上げた。
「疾く、討つべし」
直冬としては尊氏がいつ来るか分からないため、兵力を温存しておきたいところである。
逆に南朝の将、楠木正儀の出陣を求めた。
「……応」
当時の正儀は、京の近く、石清水八幡宮に在陣していた。
正儀は直冬の要請に応じたものの、さすがに寄騎を要求し、それが山名だった。
正儀と山名は摂津へ向けて進軍し、そこで義詮の軍勢と遭遇、衝突した。
世に言う神南の戦いである。
激戦を繰り広げた正儀と山名だったが、義詮の方には、佐々木道誉、赤松則祐といった将領が揃っており、押しに押され、やむなく石清水八幡宮へ向けて撤退した。
「何ということだ」
直冬は歯噛みして悔しがったが、そういう自身の耳にも、東から足利尊氏が率いる軍勢が迫っているとの一報が入った。
「上等だ。返り討ちにしてくれる」
麾下の赤松氏範が止める暇もなく、直冬は東寺を飛び出していく。
一三五五年二月六日。
年明けを終えた京において、史上、「東寺合戦」と称される、市中での戦いが勃発した。
足利尊氏率いる北朝の軍を相手に、直冬は善戦したが、いかんせん、頼みの綱の楠木正儀が援軍を出せず決定打に欠け、そして二月の末には、義詮の軍が京の北から攻め入り、ついに直冬は北から義詮、東から尊氏という二正面作戦を強いられることになった。
*
「……もう退け」
「うるさい」
楠木正儀は、単身密かに、東寺の五重塔に籠る足利直冬を訪ね、逃走を勧めていた。
正儀によれば、京は琵琶湖方面からの物流が抑えられ、兵站がままならぬという。
「だから、帰れ」
「帰らぬ」
直冬は頑是ない駄々っ子のような表情をして拒絶したが、彼もまた、京の南朝軍が限界であることを察していた。
「だが、退けぬ。今こそ、養父直義の仇を討たん」
直冬は五重塔の上から、東を望んだ。
そこには、丸に二つ引の足利家の幟を翩翻とひるがえらせ、足利尊氏の軍勢が迫って来る姿が見えた。
「……好機ぞ。敵は首魁たるおれを討たんと迫っているようだ」
そう言って笑う直冬の目に、もはや正儀は映っていない。
映っているのは尊氏、いやさ直義である。
「鬼に憑かれたか」
だがその呟きは直冬に聞かれることもなく、また正儀も敢えてこれ以上言うこともなく、ただ一礼して別れを告げた。
正儀は歎息した。
「鬼のための戦は、無益だ」
後醍醐帝なり北畠親房なり、生きてあるうちならば今後の展望が望めようが、彼らはもはや鬼籍にいる。
展望など、ありやしない。
「だからこのような無名の帥が通るのだ」
無名の帥とは、大義名分や理由のない戦のことである。
正儀はその虚しさを痛感し、五重塔を背に、石清水八幡宮へと戻っていった。
楠木正儀。
やがて南北朝合一への展望を拓く男ではあるが、それにはまだ時が足りなかった。
細川頼之という盟友を得るまでの、時が。
*
……京の市中の戦いは熾烈を極めた。
直冬は、いつしか東寺に戻っていた。
五重塔を仰ぐ。
「ここより眺むれば、尊氏の所在を」
「その必要は無いぞ」
直冬がゆっくりと振り向くと、そこには壮年の武者が立っていた。
「足利、尊氏……」
「今さらだが、敢えて父とは名乗らん。叛賊・足利直冬、予が直々に成敗してくれる」
「抜かせ」
直冬は嬉々として刀を抜いた。
一方の尊氏は、薙刀を構えた。
その薙刀は――足利家重代の宝刀・骨喰である。
「参る!」
「来い!」
勝負は、一瞬。
直冬が跳ぶ。
骨喰が舞う。
……気がつくと、直冬の刀は、骨喰に叩き折られていた。
「……くっ」
「終わりだ、直冬」
こんな時に限って、直視をするな。
今まで――今まで、避けて来たくせに。
「ケエエエエッ」
直冬の奇声。
直冬は、折れた刀を投げつけた。
たまらず、尊氏が骨喰で弾くと――直冬はいなくなっていた。
「消えたか」
だがそれでいい。
その生を全うしたくなったのなら、それでいい。
尊氏は、膝をついた。
「……うっ」
だがそのまま倒れそうになるところを、支える者がいた。
「義詮……」
「大儀です、父君」
「言いよるわ」
尊氏は義詮に肩を支えられながら、何気なく、手にした骨喰を見た。
「……いるか、骨喰」
「ご臨終のときには」
それまでは、足利家の当主として戦え――ということか。
息子の言外の励ましに、尊氏は笑い、義詮もまた笑った。
一三五五年三月。
年明けこそ鬼笑う――という、北畠親房の言葉どおりにはなったが、最後に笑ったのは、生者たちであった。
*
時は流れ、一三五八年四月三十日。
京にて。
足利尊氏、薨去。
その死の直前まで、争乱の芽を摘むため九州へ下向せんとしていたが、最後には義詮と基氏に後事を託し、その生を終えた。
巨大な才能と勢力に恵まれながらも、矛盾多き人生であったが、生者に後を任せることができたことは、この時代にしては稀であり、彼の人生に花を持たせたと言えよう。
そして――尊氏の死から百日後。
義詮に一子が生まれる。
幼名、春王。
のちの足利義満である。
【了】
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる