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05 沈黙に積雪
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劉秀の首に十万戸。
王郎はそう宣して、劉秀を捕らえようとした。
前漢成帝の落胤として皇帝を称した以上、更始帝との対決は避けられない。
であるならば。
「劉秀の首を取る。昆陽の戦いの勝者を討てば、おれに箔がつく」
今や王郎の下につきたいという者は引きも切らず、真定王・劉楊もまた、十万の兵と共に降った。
「真物の漢室の王も降った。おれ……いや朕は、今まさに皇帝である」
得意の絶頂の王郎だが、その権勢が砂上の楼閣であったことを、やがて思い知らされることになる。
*
静かな空から、はらりはらりと白い雪がちらつき、そしてやがて、そこら中を白く塗りつぶしていく。
「…………」
劉秀は、あばら家の軒先で、粗末な木製の椀に盛られた豆粥を啜っていた。
「かようなものしかなくて」
鄧禹は詫びたが、劉秀は黙って頭を振った。
このささやかな食事を用意するため、馮異が薪を集め、鄧禹が焚火を熾したのを、劉秀は知っている。
ともに将来の柱石となるべき二人が、労を厭わずに作った料理だ――感謝しかない。
劉秀が謝意を述べようとしたとき、近くの大樹に寄りかかっていた馮異が口を開いた。
「それで、明公」
「何だ」
「いずこへ」
「……そうだな」
劉秀は髭をしごいて、しばし思案する。
頼ろうと思っていた真定王・劉楊は王郎に従った。
劉楊は十万の兵を擁していたが、自立せず、王郎の下につくということ。
これは。
「真定王、不羈ならず」
その本質は、流されて動くような男。
それが劉秀の読みである。
実際、劉秀が天下を取ったのち、劉楊は叛することになるのだが、それが露見すると真定から出ず、かといって武装蜂起もせず、劉秀からの使いにも、ただ会わないままにしていた。
やがて劉秀の方から、劉楊の親族にあたる耿純が改めて派遣されると、これには会おうとした。しかし劉楊はその隙を衝かれ、耿純に討ち取られてしまう。
「ことを為すにあたって、ただ良かれと思う方へ首を向ける。ただそれだけだ」
首だけ動いたところで、体も動かさなければ、止まっていると同様だ。
「……よし」
劉秀は思い切って椀を呷って、豆粥を一気に嚥んだ。
「旨い」
莞爾として笑う劉秀に引き込まれるように、鄧禹たちも笑った。
馮異は大樹から身を離して劉秀に近づく。
すると劉秀は椀を隠した。
「お代わりなら遠慮しておくぞ。あとは卿らで食せ」
「ありがたき御言葉。が、さにあらず」
馮異は、劉秀の前で片膝をついた。
「これからどうなさいます」
「ふむ」
劉秀は椀を置いて立ち上がった。
気がつくと、鄧禹らもまた、片膝をついて、劉秀の次なる言葉を待っている。
「卿らを悩ませて申し訳なく思う。さて、これからだが、真定に行く」
真定王・劉楊はその消極性により、王郎に従っているが、それはそういう姿勢を取っているだけに過ぎない。
「敢えて、そこへ行く」
邯鄲を出ない王郎とちがって、対面して説けば、劉楊は落とせる。
そして劉秀の策はそれにとどまらない。
彼は沈黙の中、今まさに降り積もる雪のように考えを重ねていた。
「大樹将軍、今、この河北において、王郎に従うのはどのくらいか」
「ほとんど」
大樹将軍・馮異はにべもない。
だが、彼は己の分析を付け加えることを忘れなかった。
「しかし、その大体が、真定王の如くただ従っているのみ」
「落とせる者も、いると」
「さよう」
劉秀は笑った。沈着冷静な彼にしては珍しく、大声を上げて笑った。
「大樹将軍、卿の読みは正しい。しかし、もう少し考えねば。今、ほとんどと言ったな?」
馮異は目を見開いたが、そして劉秀の言わんとするところを悟り、「そのとおりでござる」と答えた。
「そうか……では、そのほとんどに含まれない者が動く。あたかも、王莽に赤眉・緑林が、そして更始帝に兄がいたように」
現状、更始帝の下にある劉秀としては、かなり際どい発言であったが、それだけに、鄧禹らに強く響いた。
「つまり」
この発言は鄧禹である。
馮異はもう立ち上がって、愛馬に向かっていた。
「明公、王郎に敵対する者が現れる、と」
「そうだ。そしてその者たちと手を携える。さすれば、真定王も落とせよう。王郎と戦えよう。そして……」
それ以上劉秀は話すことはなく、ただ黙って、天から降り落ちる雪を見た。
鄧禹らもそれに倣った。
その先は、天下を意味していることは、言葉にならなくても、誰にとっても明らかであった。
そして、馮異は愛馬を駆った。
「王郎に敵対する者」を求めて。
王郎はそう宣して、劉秀を捕らえようとした。
前漢成帝の落胤として皇帝を称した以上、更始帝との対決は避けられない。
であるならば。
「劉秀の首を取る。昆陽の戦いの勝者を討てば、おれに箔がつく」
今や王郎の下につきたいという者は引きも切らず、真定王・劉楊もまた、十万の兵と共に降った。
「真物の漢室の王も降った。おれ……いや朕は、今まさに皇帝である」
得意の絶頂の王郎だが、その権勢が砂上の楼閣であったことを、やがて思い知らされることになる。
*
静かな空から、はらりはらりと白い雪がちらつき、そしてやがて、そこら中を白く塗りつぶしていく。
「…………」
劉秀は、あばら家の軒先で、粗末な木製の椀に盛られた豆粥を啜っていた。
「かようなものしかなくて」
鄧禹は詫びたが、劉秀は黙って頭を振った。
このささやかな食事を用意するため、馮異が薪を集め、鄧禹が焚火を熾したのを、劉秀は知っている。
ともに将来の柱石となるべき二人が、労を厭わずに作った料理だ――感謝しかない。
劉秀が謝意を述べようとしたとき、近くの大樹に寄りかかっていた馮異が口を開いた。
「それで、明公」
「何だ」
「いずこへ」
「……そうだな」
劉秀は髭をしごいて、しばし思案する。
頼ろうと思っていた真定王・劉楊は王郎に従った。
劉楊は十万の兵を擁していたが、自立せず、王郎の下につくということ。
これは。
「真定王、不羈ならず」
その本質は、流されて動くような男。
それが劉秀の読みである。
実際、劉秀が天下を取ったのち、劉楊は叛することになるのだが、それが露見すると真定から出ず、かといって武装蜂起もせず、劉秀からの使いにも、ただ会わないままにしていた。
やがて劉秀の方から、劉楊の親族にあたる耿純が改めて派遣されると、これには会おうとした。しかし劉楊はその隙を衝かれ、耿純に討ち取られてしまう。
「ことを為すにあたって、ただ良かれと思う方へ首を向ける。ただそれだけだ」
首だけ動いたところで、体も動かさなければ、止まっていると同様だ。
「……よし」
劉秀は思い切って椀を呷って、豆粥を一気に嚥んだ。
「旨い」
莞爾として笑う劉秀に引き込まれるように、鄧禹たちも笑った。
馮異は大樹から身を離して劉秀に近づく。
すると劉秀は椀を隠した。
「お代わりなら遠慮しておくぞ。あとは卿らで食せ」
「ありがたき御言葉。が、さにあらず」
馮異は、劉秀の前で片膝をついた。
「これからどうなさいます」
「ふむ」
劉秀は椀を置いて立ち上がった。
気がつくと、鄧禹らもまた、片膝をついて、劉秀の次なる言葉を待っている。
「卿らを悩ませて申し訳なく思う。さて、これからだが、真定に行く」
真定王・劉楊はその消極性により、王郎に従っているが、それはそういう姿勢を取っているだけに過ぎない。
「敢えて、そこへ行く」
邯鄲を出ない王郎とちがって、対面して説けば、劉楊は落とせる。
そして劉秀の策はそれにとどまらない。
彼は沈黙の中、今まさに降り積もる雪のように考えを重ねていた。
「大樹将軍、今、この河北において、王郎に従うのはどのくらいか」
「ほとんど」
大樹将軍・馮異はにべもない。
だが、彼は己の分析を付け加えることを忘れなかった。
「しかし、その大体が、真定王の如くただ従っているのみ」
「落とせる者も、いると」
「さよう」
劉秀は笑った。沈着冷静な彼にしては珍しく、大声を上げて笑った。
「大樹将軍、卿の読みは正しい。しかし、もう少し考えねば。今、ほとんどと言ったな?」
馮異は目を見開いたが、そして劉秀の言わんとするところを悟り、「そのとおりでござる」と答えた。
「そうか……では、そのほとんどに含まれない者が動く。あたかも、王莽に赤眉・緑林が、そして更始帝に兄がいたように」
現状、更始帝の下にある劉秀としては、かなり際どい発言であったが、それだけに、鄧禹らに強く響いた。
「つまり」
この発言は鄧禹である。
馮異はもう立ち上がって、愛馬に向かっていた。
「明公、王郎に敵対する者が現れる、と」
「そうだ。そしてその者たちと手を携える。さすれば、真定王も落とせよう。王郎と戦えよう。そして……」
それ以上劉秀は話すことはなく、ただ黙って、天から降り落ちる雪を見た。
鄧禹らもそれに倣った。
その先は、天下を意味していることは、言葉にならなくても、誰にとっても明らかであった。
そして、馮異は愛馬を駆った。
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