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10 告白と涙
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私が無意識に、座っている位置をコウさんから気持ち離すと、コウさんはフッと笑いながらガサガサとレジ袋からペットボトルのお茶を取り出し、私の方へ差し出して来た。また距離が縮まって、緊張する。
「葉摘さんて、たまに可愛い動きしますよね。さっきコンビニから買ってきたお茶です。良かったら、どうぞ」
か、可愛い動きって……!?
言い方! それに、鼻で笑われた!? 四十女に可愛いとかやめて、そういうの慣れてないから。
目の前には、少し結露のあるペットボトル。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
お茶の誘惑に負けたのと、どうしたらいいかわからなくなって受け取ってしまっていた。最近ペットボトルのキャップが固くて開けづらい。
もたついてると、
「開けましょうか?」
コウさんが親切にもそう申し出てくれたけど、さすがにそこまで非力じゃないし。
「だ、大丈夫です」
たかがペットボトルのキャップに本気で力を出した。
お茶は喉を潤してくれると同時に、私に冷静さも取り戻してくれた。ゆっくり飲んでると、落ち着いて来る。身体の中に渦巻いていた内野さんへの嫌悪感でさえ薄れてくるのがわかる。
コウさんも袋から同じお茶をもう一本取り出すと、軽々とキャップを回して開けると飲み始めた。
ふたりきりで、静かな夜の空間で適度な距離でお茶を飲む。ぼーっとしてまったり寛いでいる自分がいる。
コウさんに告白しておかなければ、とふと思った。
そう、私が四十歳だということを。
さっきのデート発言は、悩み多き年増女へのただのリップサービス、浮かれてはいけない。矢坂(やさか)さんへの報われない想いや先輩からのセクハラを目の当たりにして、同情されただけ。
コウさんは、優しい人だ。
それはやっぱり元ホストで、女性の扱いに慣れているからだと思う。しかも心理カウンセラーだし。女性客全員にきっと丁寧に寄り添ってあげていたに違いない。私もただの悩み相談の客。しかも五歳も年上。今のうちに、私の心がおかしな期待をしないように、年齢のことは言っておくべき。彼の態度が変わろうと、それは仕方がないこと。
「向井さん、私、四十歳なんです。だから……」
思い切って口にしたが、そこで言葉に詰まってしまった。
その先は、なんて続けようとしていたんだっけ?
「だから? なんです?」
コウさんは、私の言葉の続きを真剣に聞こうとしてくれている。彼の反応は、私が予想していたのとは全く違っていた。
てっきり、わざとらしく驚いて、そうは見えないとか、若いとか、見え透いたフォローをしてくるものとばかり思っていた。
「だから……からかわないで下さい」
期待させないでと言う代わりに、そう言っていた。
ああ、私はいつからこんなに面倒くさい女になったんだろう。
卑屈になって自滅してしまうタイプ。男性からは扱いにくいって、呆れられるタイプ。
「からかっているわけではないんです。そういう風に感じてしまわれたのでしたら、すみません」
謝られた?
「一時期、全力でホストをやってたんで、結局気になる女性にも仕込まれた通りのやり方しかできないんです。まずは観察、行動パターンや大まかな性格を掴む、少しずつ近づく、話題の共有、困っていたら助ける、褒める、セクハラにならない程度に触れる」
「!?」
ちょっと待って?
さらっと色々な情報を流してきたけど、何か大事な告白もついでみたいに流されたような? 聞き違い? 気になる女性? って、例えであって、私のことではない……か。有り得ない。
「葉摘さん、嫌でした? オレに髪触られて」
困り果てたように眉を寄せるコウさんの顔につい、
「い、嫌ではなかったですけど……」
な、なに言ってるの私!?
「けど?」
ま、また疑問形で返してくるし。
「お付き合いしているわけでもないのに、気安く髪を触る男性とか、私は苦手です」
「そうですよね。本当に失礼しました」
まずい……。 言い過ぎた!?
私のキツイ言い方にも気を悪くすることなく謝ってくれたコウさんの表情は、全く穏やかで、微かに口角はあがっていて笑みを浮かべているようにさえ見える。
この人、なんなの?
これ以上この場にると、私の心が乱される気がした。
「色々ありがとうございました。帰ります」
「送りますよ」
「もう、落ち着きましたし、ひとりで帰れます」
「車で送らせて下さい。悩み相談の日程や場所の打ち合わせもしたいですし」
理由をつけて送ってくれようとする。優しくて狡い。そう言われると断りにくい。
「車の鍵持ってるんで、このまま行きましょう」
コウさんはスっと立ち上がると、座っている私に手を貸そうとしてくれたのか、手のひらを向けて来た。
どうしたら良いかと目を泳がせてしまった私を見て、
「あ、すみません。つい」
コウさんはすぐに手を引っ込めた。
気安く触る男性は苦手と言ったけれど、手を貸してくれようとするその優しさを嬉しく思ったことは否定できない。
それは男性の親切に慣れていないから、だけではない想い。矢坂さんへの甘い綿菓子のような想いをコウさんという新しい心地よいそよ風が少しずつ吹き飛ばしていくみたい。
この前と違って、コウさんが車の助手席の方のドアを開けてくれたことに驚く。
特に意味は、ないか。
いちいち反応するのも恥ずかしくて、素直に従って助手席に座った。運転席のコウさんがさっきのソファより近い。息遣いまで感じてしまう。
「車の中が狭くてすみません。この辺り、立地は良いんですけど、道の幅が狭いんで車も小さめにしました」
「私は大丈夫です」
「良かった。あ、音楽かけても良いですか?」
「どうぞ」
コウさんの左手の長い指がナビのモニター画面を切り替えて操作をする。指輪をしていない指。
スピーカーから流れて来たのは、どこかで聴いたような懐かしさのあるバラード系の洋楽だった。耳を傾けたくなる美しいメロディ、男性の歌声。
「〈シカゴ〉というバンドの曲です」
「シカゴ?」
「もう半世紀くらい活動している息の長いバンドです。アメリカのシカゴで結成されたそうなんですが、活動拠点はロサンゼルスだそうです。この曲は【素直になれなくて】っていうんです。綺麗なバラードでしょ? サビが印象的なんですよね。偶然ラジオで聴いて、忘れられなくて好きになりました」
最近音楽さえ、興味を持って聴いたことなんてなかった。
素直に……。
あまりに情緒的な旋律に、涙腺がやられた。色々あって、精神が不安定になっていたのかもしれない。
またグズグズし始めた私の頭に、コウさんの大きな手が乗った。
「あ、っと。また手を出してしまってすみません」
と、慌てて離れていく手を名残惜しいと感じてしまった。
「泣きたい時は、ちゃんと泣いておいた方が良いですよ。ずいぶん溜まっていたみたいですね。オレのことは気にせず、思いっきりどうぞ」
泣いて良いと言ってくれるコウさん。
コウさんは、今私が一番欲しい言葉をくれた。
車の中で、またひとしきり泣いた。
きっと、コウさんに呆れられるくらい泣いたと思う。でも、何も言わずに好きなだけ泣かせてくれた。
彼の温かな手のひらと〈シカゴ〉のバラード曲は、胸の中にあった四十女の硬い氷を次々と溶かしてくれた。
川平駅に近づく頃には涙も収まっていて、悩み相談の日程も場所もほとんどコウさんによって提案、決定されていた。
来週の土曜日の午前十時に川平駅前で待ち合わせ。場所は遊園地って。
まるで、本当にデートみたいで……。
「あの、遊園地では人も多いですし、落ち着いて話せないんじゃ……」
「かえって賑やかな場所も気を遣わないで話せて良いもんですよ」
「そうでしょうか?」
そもそも、私は年下のコウさん相手に何を相談しようとしているんだろう?
うまく話せる自信もなかった。それなら、適当に話して時間も潰せる遊園地でもいいか。お金を払うのは私だし。
「わかりました。では来週の土曜日、どうぞよろしくお願いします。料金は確か前金で二時間五千円でしたよね。追加料金はありますか?」
対面相談の料金だけで良いのだろうか。
料金の話をするのは当たり前とはいえ、胸にモヤモヤしたものが広がった。
「無しで大丈夫です。〈サン・ルイ〉のお客さま価格にしてあげますよ。場所を遊園地と提案したのはオレですし、二時間五千円ではなくて当日は無制限で五千円でいいですよ。それ以外にかかる二人分の遊園地のチケット代や飲食代はオレが持ちます」
「え? それはおかしいです。だってそれじゃ、向井さんが損をします!」
「オレはもうホストじゃありませんから。あなたは五千円だけ出して、あとはお財布はしまっておいて下さい」
黒縁眼鏡の向こう側から控えめな笑みを向けてくるコウさんに、そう押し切られた。
「葉摘さんて、たまに可愛い動きしますよね。さっきコンビニから買ってきたお茶です。良かったら、どうぞ」
か、可愛い動きって……!?
言い方! それに、鼻で笑われた!? 四十女に可愛いとかやめて、そういうの慣れてないから。
目の前には、少し結露のあるペットボトル。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
お茶の誘惑に負けたのと、どうしたらいいかわからなくなって受け取ってしまっていた。最近ペットボトルのキャップが固くて開けづらい。
もたついてると、
「開けましょうか?」
コウさんが親切にもそう申し出てくれたけど、さすがにそこまで非力じゃないし。
「だ、大丈夫です」
たかがペットボトルのキャップに本気で力を出した。
お茶は喉を潤してくれると同時に、私に冷静さも取り戻してくれた。ゆっくり飲んでると、落ち着いて来る。身体の中に渦巻いていた内野さんへの嫌悪感でさえ薄れてくるのがわかる。
コウさんも袋から同じお茶をもう一本取り出すと、軽々とキャップを回して開けると飲み始めた。
ふたりきりで、静かな夜の空間で適度な距離でお茶を飲む。ぼーっとしてまったり寛いでいる自分がいる。
コウさんに告白しておかなければ、とふと思った。
そう、私が四十歳だということを。
さっきのデート発言は、悩み多き年増女へのただのリップサービス、浮かれてはいけない。矢坂(やさか)さんへの報われない想いや先輩からのセクハラを目の当たりにして、同情されただけ。
コウさんは、優しい人だ。
それはやっぱり元ホストで、女性の扱いに慣れているからだと思う。しかも心理カウンセラーだし。女性客全員にきっと丁寧に寄り添ってあげていたに違いない。私もただの悩み相談の客。しかも五歳も年上。今のうちに、私の心がおかしな期待をしないように、年齢のことは言っておくべき。彼の態度が変わろうと、それは仕方がないこと。
「向井さん、私、四十歳なんです。だから……」
思い切って口にしたが、そこで言葉に詰まってしまった。
その先は、なんて続けようとしていたんだっけ?
「だから? なんです?」
コウさんは、私の言葉の続きを真剣に聞こうとしてくれている。彼の反応は、私が予想していたのとは全く違っていた。
てっきり、わざとらしく驚いて、そうは見えないとか、若いとか、見え透いたフォローをしてくるものとばかり思っていた。
「だから……からかわないで下さい」
期待させないでと言う代わりに、そう言っていた。
ああ、私はいつからこんなに面倒くさい女になったんだろう。
卑屈になって自滅してしまうタイプ。男性からは扱いにくいって、呆れられるタイプ。
「からかっているわけではないんです。そういう風に感じてしまわれたのでしたら、すみません」
謝られた?
「一時期、全力でホストをやってたんで、結局気になる女性にも仕込まれた通りのやり方しかできないんです。まずは観察、行動パターンや大まかな性格を掴む、少しずつ近づく、話題の共有、困っていたら助ける、褒める、セクハラにならない程度に触れる」
「!?」
ちょっと待って?
さらっと色々な情報を流してきたけど、何か大事な告白もついでみたいに流されたような? 聞き違い? 気になる女性? って、例えであって、私のことではない……か。有り得ない。
「葉摘さん、嫌でした? オレに髪触られて」
困り果てたように眉を寄せるコウさんの顔につい、
「い、嫌ではなかったですけど……」
な、なに言ってるの私!?
「けど?」
ま、また疑問形で返してくるし。
「お付き合いしているわけでもないのに、気安く髪を触る男性とか、私は苦手です」
「そうですよね。本当に失礼しました」
まずい……。 言い過ぎた!?
私のキツイ言い方にも気を悪くすることなく謝ってくれたコウさんの表情は、全く穏やかで、微かに口角はあがっていて笑みを浮かべているようにさえ見える。
この人、なんなの?
これ以上この場にると、私の心が乱される気がした。
「色々ありがとうございました。帰ります」
「送りますよ」
「もう、落ち着きましたし、ひとりで帰れます」
「車で送らせて下さい。悩み相談の日程や場所の打ち合わせもしたいですし」
理由をつけて送ってくれようとする。優しくて狡い。そう言われると断りにくい。
「車の鍵持ってるんで、このまま行きましょう」
コウさんはスっと立ち上がると、座っている私に手を貸そうとしてくれたのか、手のひらを向けて来た。
どうしたら良いかと目を泳がせてしまった私を見て、
「あ、すみません。つい」
コウさんはすぐに手を引っ込めた。
気安く触る男性は苦手と言ったけれど、手を貸してくれようとするその優しさを嬉しく思ったことは否定できない。
それは男性の親切に慣れていないから、だけではない想い。矢坂さんへの甘い綿菓子のような想いをコウさんという新しい心地よいそよ風が少しずつ吹き飛ばしていくみたい。
この前と違って、コウさんが車の助手席の方のドアを開けてくれたことに驚く。
特に意味は、ないか。
いちいち反応するのも恥ずかしくて、素直に従って助手席に座った。運転席のコウさんがさっきのソファより近い。息遣いまで感じてしまう。
「車の中が狭くてすみません。この辺り、立地は良いんですけど、道の幅が狭いんで車も小さめにしました」
「私は大丈夫です」
「良かった。あ、音楽かけても良いですか?」
「どうぞ」
コウさんの左手の長い指がナビのモニター画面を切り替えて操作をする。指輪をしていない指。
スピーカーから流れて来たのは、どこかで聴いたような懐かしさのあるバラード系の洋楽だった。耳を傾けたくなる美しいメロディ、男性の歌声。
「〈シカゴ〉というバンドの曲です」
「シカゴ?」
「もう半世紀くらい活動している息の長いバンドです。アメリカのシカゴで結成されたそうなんですが、活動拠点はロサンゼルスだそうです。この曲は【素直になれなくて】っていうんです。綺麗なバラードでしょ? サビが印象的なんですよね。偶然ラジオで聴いて、忘れられなくて好きになりました」
最近音楽さえ、興味を持って聴いたことなんてなかった。
素直に……。
あまりに情緒的な旋律に、涙腺がやられた。色々あって、精神が不安定になっていたのかもしれない。
またグズグズし始めた私の頭に、コウさんの大きな手が乗った。
「あ、っと。また手を出してしまってすみません」
と、慌てて離れていく手を名残惜しいと感じてしまった。
「泣きたい時は、ちゃんと泣いておいた方が良いですよ。ずいぶん溜まっていたみたいですね。オレのことは気にせず、思いっきりどうぞ」
泣いて良いと言ってくれるコウさん。
コウさんは、今私が一番欲しい言葉をくれた。
車の中で、またひとしきり泣いた。
きっと、コウさんに呆れられるくらい泣いたと思う。でも、何も言わずに好きなだけ泣かせてくれた。
彼の温かな手のひらと〈シカゴ〉のバラード曲は、胸の中にあった四十女の硬い氷を次々と溶かしてくれた。
川平駅に近づく頃には涙も収まっていて、悩み相談の日程も場所もほとんどコウさんによって提案、決定されていた。
来週の土曜日の午前十時に川平駅前で待ち合わせ。場所は遊園地って。
まるで、本当にデートみたいで……。
「あの、遊園地では人も多いですし、落ち着いて話せないんじゃ……」
「かえって賑やかな場所も気を遣わないで話せて良いもんですよ」
「そうでしょうか?」
そもそも、私は年下のコウさん相手に何を相談しようとしているんだろう?
うまく話せる自信もなかった。それなら、適当に話して時間も潰せる遊園地でもいいか。お金を払うのは私だし。
「わかりました。では来週の土曜日、どうぞよろしくお願いします。料金は確か前金で二時間五千円でしたよね。追加料金はありますか?」
対面相談の料金だけで良いのだろうか。
料金の話をするのは当たり前とはいえ、胸にモヤモヤしたものが広がった。
「無しで大丈夫です。〈サン・ルイ〉のお客さま価格にしてあげますよ。場所を遊園地と提案したのはオレですし、二時間五千円ではなくて当日は無制限で五千円でいいですよ。それ以外にかかる二人分の遊園地のチケット代や飲食代はオレが持ちます」
「え? それはおかしいです。だってそれじゃ、向井さんが損をします!」
「オレはもうホストじゃありませんから。あなたは五千円だけ出して、あとはお財布はしまっておいて下さい」
黒縁眼鏡の向こう側から控えめな笑みを向けてくるコウさんに、そう押し切られた。
応援ありがとうございます!
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