オールバックを辞めない

lacconicksou77

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憂喜美波 5

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「せっかくだから、お前達には特別に、今度のテストについて良いことを教えてやろうかな」
「先生。そんなことより、聞いて欲しい大事な話があります」
「国語教師が話すテストのについての話よりも大事な話があるのか」
 帰りのホームルーム。私は立ち上がって渡辺の話を遮った。渡辺は普段から鬼と言われている顔を更に捻じ曲げ、不服そうだったが、私は構わず続けた。
「大事な話です。今、伊勢谷君にオールバックの件で、毎日反省文を書かせていると思います。それを辞めさせて上げてくれませんか?そして、伊勢谷君のオールバックを、学校として認めてあげてくれませんか」
 渡辺もクラスの穂花以外のみんなも、驚いた顔で私を見つめてくるのが分かる。
「何言ってるんだ。この間吉田先生に、伊勢谷に対する学校側の態度を非難してきたのはお前だろ。反省文を書かせるようにしたのは、お前の意見も取り入れてのことだぞ。分かっているだろ?」
「はい。だからこそ、責任を感じています。私は間違っていました」
「間違っていた?」
「はい。そもそもオールバックがなぜダメなんですか。説明してもらえませんか?」
 ある意味賭けだった。私は一度引火させて、火の消えた松明を、もう一度燃やそうとしている。上手く燃えてくれるかは分からない。火の粉は私に飛び掛かる恐れも大いにあった。
 だけど、それでもいい。私はとっくに腹を括っている。
「何故って…」鬼は呆れたような表情に変わる。
「学校には校則というルールがある。そのルールに反しているからだ。学校とは、勉学を学ぶと同時に、社会に出る前に、社会のことを学ぶ場でもある。学校の単純なルールも守れないやつが、大人になって社会のルールを守れる訳がない。それが理由だ」
「じゃあ聞きます。渡辺先生はいつも車で通勤していますよね?車道を走る時には法定速度というものがあると思います。法定速度をどの道でも絶対に守っていると胸を張って言えますか?先生の車が、学校の正門側の道路を、猛スピードで校門に入っていくという話は、何度も聞いたことがあります」
「そ、それとこれとは…」
「まだあります。先生はタバコを吸いますよね。この学校には中庭に喫煙所があります。タバコは喫煙所で吸わなければいけません。だけど私は先生が体育館の裏でタバコを吸っているのを見かけたことがあります。そしてその吸殻は捨てに行くわけでもなく、いつも置きっぱなしにしていますよね?」
 何か言葉を発しようとした渡辺を遮って続ける。
「まだあります。あと一つ。誰か、生徒手帳の十三ページを開いて見て」
 この学校の生徒は、ブレザーの右胸ポケットに生徒手帳を入れる決まりになっている。クラスの皆は言われるがままに、一斉に生徒手帳を開いた。パラパラとページのめくる音が聞こえる。
「ごめん。結衣。そのページ、ちょっと読んでみてくれる?」
 隣の席の結衣が、ページを開き終えたのを横目で確認した私は、結衣にお願いした。
 急に話しかけられた結衣は当惑した様子だったが、読み見始めてくれた。
「(生徒心得、十三箇条。生徒の髪型について。男子生徒。本校の男子生徒は以下の三つの条件に沿った髪型であること。一。前髪は眉にかからない長さとする。ニ。襟足はブレザーの襟元にかからない長さとする。三。毛染めやパーマメントなど学生に相応しくない髪型をしない。)です」
「ありがとう結衣」私は席を移動し伊勢谷君の隣へ来た。そして伊勢谷君の方へ手を向けた。
「見てください。伊勢谷君の髪型のどこが校則違反なんですか?前髪は全くない。襟足もギリギリかかっていません。パーマでも染めてもいないし。この髪型のどこが校則違反なんですか。先生。教えてください」
 鬼は壕を煮やしきった顔でこちらを睨み付けてくる。
「屁理屈を…。うるさいね。三つ目の(学生に相応しくない髪型)に入っているだろ」
「屁理屈じゃありません。三つ目は、パーマと毛染め以外の定義が曖昧です」
 渡辺は言葉が出ない。私は更にたたみかける。
「法定速度違反や喫煙所外での喫煙。ルールを散々破っているいい歳をした大人が、なんのルールも破っていない、大人しい転校生に対して、罰を与えている現状です。おかしいですよね?自分でもおかしいと思わないの?伊勢谷君に謝るべきだよ。伊勢谷君の反省文を辞めさせて、伊勢谷君のオールバックを認めなさいよ」
 渡辺が教卓を手で思い切り叩いた。バンッ。と大きな音が響く。
「教師に向かってなんだその口の聞き方は。そんなに教師のやることが気に入らないんだったらな。出て行きなさいよ。この教室からも学校からも」
 会話になっていない。私の言葉を何も聞かず、言い返せず、熱くなって崩れた私の語尾の揚げ足をとる渡辺に、私は呆れた。
「わかりました。出ていきます」
 私は席に戻り、机の中の教科書を鞄に詰め込み始めた。
「帰らなくていいと思う」
 火の消えていた松明に、着火剤が塗られた。
 その着火剤は意外にも、伊藤だった。伊藤は席から立ち上がっていた。
「さっきから聞いていると、美波さんは何も間違ったことを言っていないじゃないか。だから帰る必要はないよ。帰るとしたら先生の方だよ。何も言い返すことも出来ないんだから」
「そうだよな。美波は帰る必要ない。先生は伊勢谷に謝ってオールバックを認めるべきだ」
 西田も立ち上がる。西田に続いて岡本も。結衣と夏帆も。小林と松村、穂花も立ち上がった。
 松明にもう一度火がついた。
 釣られるようにして、クラスの皆が立ち上がる。それぞれが渡辺に抗議の言葉を浴びせた。渡辺も応戦するように言葉を返していたが、数が違いすぎる。渡辺の声はあっという間に掻き消される。次第に、鬼の目にも涙が浮かんで来ていた。
「もういいわ。やってられないわよ」
 渡辺がそう叫んで教壇をひっくり返して、扉から教室を出ていこうとした時だった。
「待って!」雨のような声が教室に轟いた。
 その声の主は伊勢谷君だった。
 あのセリフ以外で伊勢谷君の声を初めて聞いた私達は、渡辺も、動きを止めた。
 伊勢谷君は立ち上がると教卓の方へ歩き出した。半分体が扉から出ていた渡辺を教室の中に入れ、扉を閉める。続いて倒れた教壇を起こすと、教壇の前に立った。
 私達は偶然立ち寄った銀行で銀行強盗に襲われた客のように、ただ伊勢谷君の動きを見ているしかなかった。
「みんな、俺のためにありがとう。ちょっと話したいことがあるんだ。とりあえず座ってよ」
 銀行強盗に銃で脅された客のように皆が席に座った。渡辺も床に体育座りしていた。
「何から話せばいいのかなんだけど…」
 伊勢谷君は気恥ずかしそうなようすで頭を掻く。私は全身を耳にしたつもりで、耳を傾ける。
「オールバックを続ける理由について。色んな人に聞かれたよ。誰かに憧れているの?とか、こだわりがあるの?とか。でもそんなんじゃないんだ。俺はただ、俺という存在を認めて欲しかったんだ。自分を偽らずに生きる大切さをみんなに気が付いて欲しかったんだ」
 伊勢谷君は教室全体を見渡し、一人一人に目を向けた。
「世の中には色んな人がいる。目が見えなかったり、耳が聞こえなかっいたり。このクラスでも一緒だ。明るい子がいれば暗い子もいる。運動できる子もいれば、勉強が出来る子もいる。人気者がいれば、人気がない子も。色んな人がいるんだ。でも本当は、そうやって感じている感覚って、自分だけの物なんだよ。誰かにとっては、山あり谷ありに見える道でも、誰かにとっては平らな道に見えたりもする。今のこの世界は、多種多様な価値観に溢れていて、人の数だけ正解や不正解があり、人の数だけ正義や悪も存在する。なのにこの世界の人達はよく大衆に騙される。多くの人が言っていること、行っていることこそが、正しいと判断してしまう。みんながそうだったように。だからこそ、みんなには、〔確固たる優しい自分〕という物を持っていて欲しいんだ。そして、もう一つ言いたいと。こんなにも価値観が溢れている世の中なんだ。誰かに合わせるというのはしんどいことだし、ある組織の中で自分を合わせたとしても、次の組織へ移ればまた外れてしまうことだって、往々にしてある。だから、人からどう思われたいかじゃなくて、自分がどうしたいいかで、自分の在り方を決めて欲しい。本当の自分を、大事にして欲しい。自分を貫き続けると、きっといつかは周りが認めてくれるから。みんなが俺を認めてくれたように。言いたかったのはそれだけ」
 私は何故だか涙が溢れていた。涙が溢れて止まらなかった。
「あと最後に、何も悪いことをしていない俺に、反省文を書かせた渡辺先生にお願いがあるんだけど」
 伊勢谷君は渡辺の方を向いて、ニッコリと笑う。渡辺は体育座りをしたままぼうっと伊勢谷君に視線を送っていた。
「明日は、このクラスのみんなが、本当の自分でいれられる空間にしてほしいんだ」


電車の車窓には、アニメに登場する男物の制服を着て、茶色のウィッグを被った美少年が写っていた。私だ。私が男装を始めたのはいつからだったか。私はBL作品が好きだ。小説も漫画も私の本棚には溢れんばかりのBLグッズが並べられている。今は好きな漫画の主人公のコスプレをしている。
 これが本当の私だ。
 小学生の低学年の頃からだっただろうか。BL世界に興味を持ち始めた頃から、リアルな世界に〔関わりたい〕と思う人間が極端に減ったのは。
 ポケットに入れたスマホが震えたので取り出す。画面を見ると、母からだった。何度も着信が入っている。男装がバレないよう家を出るつもりだったが、玄関に腰掛けて、慣れない革靴を履くのに手間取っている時に見つかってしまった。
 要らぬ心配はかけたくなかったが、説明するのも面倒だったので私スマホの電源を切った。家に帰ったらちゃんと全部話そう。
 今は学校へ向かう電車に乗っている。周囲の人達からの視線を、有名人になったのではないかと思えるくらいに気分は高揚していた。
 正門をくぐって教室へ向かう。電車の中では呑気に有名人になった気分でいたが、学校の敷地内に入ると急に緊張してきた。全身にうっすら汗を掻き始めているのが分かる。けど、ここまで来て引き返すという選択肢はない。私は力強く歩みを進めた。

「いやあ。やっぱこれ楽チンだわ」
 教室の前に着いて、胸に手を当て呼吸を整え、いざ入ろうと扉に手をかけた時、いつもはチャイムギリギリに教室に来るはずの西田の声がして、思わず手を止めた。
「今日、西田やけに早いじゃん」
 結衣の声がする。
「おう。いつも朝練の後、着替えるのに手間取っちゃうんだよ。でも今日はそのまま来たんだ。こんなにも時間が変わるなんて、自分でもビビったよ」
 扉を開けず、そっと窓から中を覗く。
 西田はサッカー部の練習着を着ている。夏帆は雑誌に出てきそうな上下にピンクを取り入れた派手な私服姿。いかにもモデルといった感じだ。結衣は見るからにお金持ちそうな上品なワンピース姿をしている。いつもよりお淑やかに見える。
 教室の奥に目をやる。伊藤と松村と小林の三人組は渋谷系や原宿系といったチャラついた格好をしている。伊藤に関しては、俳優の菅野君を意識しているのが丸わかりだ。キャラと違いすぎていたが、いつもの制服姿よりはかっこよく見えた。
 さらに後ろに目をやると、ゴスロリ姿の穂花がいた。これに関しては……。私と同じで覚悟を決めてきたのだろうと思った。
 他のクラスメイトもみんなが、思い思いの格好をしている。
 昨日、伊勢谷君の申し入れを受け入れた渡辺先生が、校長先生に頭を下げに行ったのだ。その結果、私達のクラスは今日一日だけ、それぞれが思い思いの格好で登校しても良いことになった。
 私はそこで、本当の自分をさらけ出すことに決めた。伊勢谷君の言葉を信じて見ようという気になったのだ。
 改めて扉に手をかけて思い切って勢い良く開いた。
 視線が全て私に集まる。私は足早に席まで移動した。視線が私を追いかけてくる。
「美波…。その格好…」
「これが本当の私なの」
 口に手を当てて目をまん丸にした結衣と夏帆にそう言った。
「美波…」
 私の心臓は今にも破裂しそうなくらい、大きな音を立てている。
「めっちゃかっこいいよ…。え、私と付き合って!」
「これ(ランイズボウイ)の主人公と同じ格好でしょ。クオリティ高すぎ!」
 私の心配をよそに、二人は好感を持ってくれた。西田も「男に惚れそうになるぜ」など軽口を叩いている。
 私はこの時初めて、二人のことを親友だと思えた。そして気が付いた。私は最初から、この二人と親友になりたかったのだと。私はなんだか嬉しくて涙が出そうになりながら笑った。
 ガラガラと扉が開く音がした。
「えええええええええええええええ」
 扉から入って来た人物を見て西田は驚いていた。何事かと思って扉の方を見ると、私達も、クラスの他のみんなも、西田と同じような声を上げた。
 教室に入って来たのは伊勢谷君だ。
 しかし、あれだけこだわっていたオールバックの髪型が、今流行のマッシュスタイルになっていた。伊勢谷君は照れ臭そうに笑いながら席へと歩き出す。私は思わず尋ねる。
「どうしたの、その髪型?」
「これが、本当の俺だよ。毎朝セットするの面倒だったんだ」
 はにかみながら言う伊勢谷君を見て、後ろの席の夏帆が「かっこいい」と呟くのが聞こえて、私は思わず笑ってしまった。
 ガラガラと扉が開く音がした。
「おええええええええええええええ」
 扉から入って来た人物を見て、西田が先ほどよりも大きな声を上げた。何事かと思って扉の方を見ると、クラスメイト全員が西田と同じような声を上げた。
 教室に入って来たのは渡辺先生だ。
 しかし、いつものジャージ姿ではない。豹柄のズボンに大きな虎の顔がプリントされたシャツ。あの鬼のような顔には厚いメイクが施されていた。
「先生どうしちゃったの?」
 鬼虎に、勇猛果敢にも、質問したのは西田だ。
「うるさいわね。これが本当の私よ。貴方達だけ好きな格好するなんて、ずるいじゃないの」
 別人と思われるかもしれないのでもう一度書こう。国語教師で生徒指導の、通称、鬼の渡辺先生だ。渡辺先生の感情が昂ると、口調が変わることに気が付いてはいたが、そういうことだったのか。私達は言葉を失った。笑ってていいのか、ダメなのか。どういうリアクションが正解なのかが分からない。
「でも、先生。全然似合ってないね」
 伊勢谷君の言葉に、堪えきれなくなった数人が吹き出した。私はまだ堪えていた。
「もう。ひど~い。先生、怒っちゃうわよ。背負い投げ~」
 生徒指導の鬼の渡辺先生のオネエ芸能人のモノマネに、私は笑いを堪えられなかった。堪えられる者はいなかった。モノマネをしたことで、これが鬼の渡辺先生の渾身のボケだと分かった。どこまでがそうなのかは分からないが。
 私が笑っている。教室にいるみんなが笑っている。
 いじめられている時も、カーストのトップに立ってからも、私は学校が楽しいなんて、一度も思ったことはなかった。だけど今は楽しいと感じている。
 私が笑って、みんなも笑っている空間が、楽しいと感じている。
 笑顔の花が咲く教室には、私がずっと躍起になっていた、カーストなんて、存在しない物のように思えてきた。伊勢谷君が昨日言っていたみたいに、私には見えていて、他の人には見えてすらいなくて、自分だけが感じる感覚だったのかもしれない。
 これからはありのままに生きていくよ。そう言う意味を込めて、前の席に座る伊勢谷君にだけ聞こえるようにお礼の言葉を言った。
 そんな私に、伊勢谷君は小さく右手を上げた。

 ちなみに、身内の法事だか何かで学校を休んでいた、事情を知らない吉田先生は、この日の昼から学校へ来た。終わりのホームルームで教室に入った時。私達の姿を見て、慌てふためいて渡辺先生の元へ話をしにいくと、渡辺先生の姿を見て倒れてしまったらしい。笑
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