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第0章(お試し版) 黒猫少女と仮面の師

36.最後の悪足掻き

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 息を切らせ、血を滴らせ、暗く長い通路をよろよろと進む影が一つあった。
 端正な顔を苦痛に歪め、大きく肩を上下させながら、アレフは地下深くに彫られた、煉瓦で覆われた通路を真っ直ぐに進んでいく。

 壁に這うように走る金属の管を支えに、一心不乱に最奥を目指して歩き続ける。

「……! く…よもや、ここまで追いつめられるとは……」

 断たれた腕を、自分の衣服を引き裂いて作った紐できつく縛り、出血を抑えていたが、既にかなりの量が流れている。
 顔色は非常に悪くなっており、いつ倒れてもおかしくはないような状態に陥っている。

 しかしそれでも、彼は通路の先を目指す事を止めない。
 一歩でも足を止めてしまえば、後ろから追いかけてくる彼の者に、即座に命を刈り取られてしまうからだ。

 かしゃん、かしゃん……と遠くからゆっくりと近づいてくる、鎧を鳴らす足音。
 アレフにはそれが、自分を冥界に引き摺り込む死神の足音のように聞こえ、つい数十分前まで浮かべていた余裕の表情は何処かへ消え去ってしまっている。

 そしてやがて、通路は巨大な壁が立ちふさがり、行き止まりとなる。
 しかしアレフは顔色を変える事なく、壁から伸びる突起を掴み、横に引っ張る。すると、壁の一部が真横に動き、人一人が通れるだけの入り口が現れる。

 背後から徐々に近づく死神の足音を気にしながら、アレフは素早く中に入り、音を立てないよう慎重に扉を閉じた。



 地面に点々と続く血痕を辿り、師は地下深くに続く通路を進む。
 師の頭がぎりぎり当たらない程度の高さで、息苦しさを与えるような閉ざされた長い空間の奥を、師は仮面の奥の目を細めて見やる。

「……知らぬ間に、妙なものが造られていたものだな。土竜か何かか、連中は……」

 作るには十年以上かかるに違いない通路を進み、呆れた呟きをこぼす。
 かれこれ数十分は歩いているのだが、未だ最奥に辿り着いていない。そこまでの物を作る相手の執念に、その上地上の住民の誰も知らせずに済ませるという技術力に、むしろ感嘆せざるを得ない。

 そして師は、遂に最奥の壁の前に辿り着く。
 一切の隙間を見せない行き止まりを前に、しばらくの間考え込んでいた師は、おもむろに片手を差し出すと壁に押し当てる。

 直後、師が触れた壁が徐々に赤く染まり、見る見るうちにどろどろに溶けていく。
 分厚く、硬い壁が、師の掌を中心にあっという間に崩れていき、師が通れるだけの入り口が新たに作り出された。

「無駄な事を…」

 ぼたぼたと落ちてくる、熱で溶けた土の破片を払い除けながら、師は心底面倒臭そうに呟く。

 態々後を辿る事などせず、逃げたあの男毎辺り一帯を消し飛ばしてやろうか、という考えが思考をよぎったが、それもまた面倒だと即座に却下する。
 余計なものまで巻き込んで、その後処理に追われる不利益を鑑みて、師は渋々歩を進め続けた。

 やがて師は、ある空間に辿り着く。

 それまでの狭さとは打って変わって、見上げる程の高さにある天井から、無数の光源によって照らされる巨大部屋。
 通路から伸びていた金属の管が壁中に伸び、そしてその全てが空間の中心に集まって、何かを延々と流し込んでいる。

 中心にあるのは、巨大な金属の球体とそこから伸びる無数の機械の山。
 それらは唸るような稼働音を響かせ、歯車などの部品を動かし、小さな何かを―――見覚えのある凶器を無数に生み出している。

「……あの銃弾の製造工場か。何処で仕入れてきたのかと思えば、こんな穴倉の中でこそこそ作っていたとはな……」

 師は肩を竦めてから、他の箇所を見渡していく。
 銃弾だけではない、それを撃ち出す銃や揃いの衣服、食糧らしき備蓄まで用意する設備が見当たる。

 誰も存在を知る事のない、秘密の武器工場に辿り着いたのだと気付き、師は喧しく稼働する機械の群れを見渡し、棒立ちのまま考え込んだ。

「破壊するのは容易い……だが、それではせっかくのが失われてしまうな…」

 見つけてしまった、地上で暴れている暴動集団の要たる施設を前に、どうしたものかと頭を悩ませる師。
 破壊してしまえば、事態は早くに集束するだろうが、それでは師のが達成できなくなってしまう。

 どちらを優先させるべきか、とその場で腕を組み、外の状況についてなど微塵も考えずに悩み続けていた時であった。

「―――そこを動くな!」

 不意に、聞いた声が逼迫した様子で響き、何かの金属音が届く。
 訝しげに首を傾げ、振り向いた師の視線の先では、片腕を失ったアレフが、何やら奇妙な道具を持って睨みつける姿が目に入った。

「動くな! 動けばこれを起動させますよ…!」
「…そこにいたのか。そうだ、別に此処を壊しても、お前が居れば情報には事足りるのであったか」

 ふー、ふーと我を失った獣のような荒い息を吐き、用途の不明な道具を持って凄むアレフ。
 師は全く気にした様子を見せず、反対に悩み事から解放された様子を見せ、身体毎今回の騒ぎの首謀者である男と向き合う。

「お前には色々と、聞き出さなければならん事があってな……逃げられるとは思うなよ」
「聞こえませんでしたか…!? 動いたら命はありませんよ…例えあなたであろうともね!」
「お前こそ聞いていなかったか? 質問しているのはこっちだ……というか、それが何だというのだ」

 ほとんど満身創痍といった姿を晒し、それでも余裕を保ち続けるアレフに、師は億劫そうに肩を竦める。
 手にした道具が、彼の優位性を示す根拠であるようだが、それが何なのか全くわからなくては、畏れを抱く理由にはならなかった。

「これですか…? これは所謂、自爆装置ですよ……この工場に隠された爆弾を、国一つ破壊できる威力を持った爆弾を起動させる、唯一無二の装置。暴動に邪魔が入り、計画が狂った時に備えて、誰にも知らせずに用意しておいたものですよ…!」
「…成功しようがしまいが、最後には全員殺すつもりだったんじゃないのか? お前自身も…」
「ふふふ……やはりあなたにはお見通しでしたか。ええ、確かにその通りですよ…!」

 顔から血の気を引かせ、今にも倒れそうな状態だというのに、アレフの目は尋常ではない狂気を孕んだまま、詩を見据え続けている。
 己が如何なろうとも、本来の計画通りに国を亡ぼす……その想いだけで、死にかけの身体をその場に留まらせているのだ。

 師は、彼のその様を見て少し悩む。このままだと、自分が情報を仕入れるよりも先に、かつての愚王の弟は全てを粉微塵に吹き飛ばしてしまうつもりのようだ。
 師は内心で面倒がりつつ、相手を刺激しないよう、静かな声で語りかける。

「…一つ、聞いておきたい事があるのだが、いいか? 冥途の土産というものだ」
「ふふ、ふふふふ……流石のあなたでも、この状況はどうにもなりませんか。いいでしょう、応えてあげましょう…!」

 少し、臆した様子を演じてみせると、アレフは見事に騙され、満面の笑みを浮かべて喋り出す。
 簡単に操られる男に落胆しつつ、本音を悟られ、自爆装置を起動させられないよう細心の注意を払いながら、師は続けて問いを口にする。

「ならば失礼して……この銃弾、中の薬品は如何様にして製造法を知った?」
「ああ…それはフェムト氏の長年の研究の賜物ですよ。この国には世界最大の魔術研究機関がありますからねぇ……本人が研究費用を幾らか横領して、つい最近完成したのです。素晴らしい出来だと私でも思っていますよ…!」
「……誰か別の人間から、齎されたわけではないのか」
「…? どうしてそんな発想になるのですか? 彼の努力の結晶なんですから、あまり馬鹿にしないで頂きたいのですがねぇ…?」
「……外れか、無駄な時間を過ごしたな」

 部下の研究結果を我が事のように自慢げに語るアレフだが、師は何やら落胆した様子を見せ、気だるげに天井を仰ぐ。
 その様子を訝しむアレフだったが、師は構わず視線を彼に戻し、再び問いの声を発する。

「……何故、〝漂流者〟を探していた? あれらが持つ知識を如何に有用と知ったのか、聞いておきたいのだが…」
「そんなもの…権力者の間で知らない者などいませんよ。遥か昔に存在した、〝漂流者〟の叡智によって繁栄したかの大国の伝説は、幼き頃に何度も聞かされていましたからね。我が兄も、かつてさらなる栄華を得るために追い求め、居場所を突き止めるまでは辿り着いていたほどですしね…」
「……お前の口ぶりからするに、手には入らなかったようだがな」
「邪魔が入りましたからねぇ……どこぞの魔女の所為で。お陰で兄は死に、私はこれまで苦汁を嘗めさせられる羽目になりましたし……」

 ぎり、と起爆装置を持つアレフの手に力が籠もる。
 過去に反乱の主犯となった魔女を―――その姿を現在、表向きの姿として使っている鎧の大男を睨みつけ、アレフは犬歯を剥き出しにして凄絶に笑う。

「そうでしたねぇ…! そのどこぞの魔女は、あなたの弟子だったんでしたっけねぇ…! 根も葉もない噂に踊らされて、無残に殺された黒髪の森人女と同じく!」
「……」
「20年前の反乱は、そもそもがあの忌々しい半森人女の復讐心が始まりでしたか! 姉の仇だ、復讐だと、愚かな人民を唆して起こした下らない弔い合戦でしたっけ!?」

 悪魔のように顔を歪める愚王の弟を前に、師は何も答えない。
 突き刺すような視線を全身に受けながら、肯定も否定もせず、ただじっと立ち尽くすだけであった。

「どうせあなたも、師弟愛なんて言う下らない感情の為に、ここまで私を追ってきたんでしょう!? 馬鹿ですねぇ、愚かですねぇ! あんな女一人くらい見捨てれば、二人共失う事などなかったというのに! 欲張ったから、こんな結果に陥るのですよ!」
「……」
「こんな所にまで来て、御苦労ですねぇ…! 全部無駄です! 全部が炎に呑まれ、跡形もなく消えるのですよ! そうなるのが、私の立てた計画の結末だったんですよ!」

 唾を吐き散らし、起爆装置を見せつけて笑う狂人達の頭目。
 自分を含む全ての破壊を目論む彼は、屈辱に満ちた半生へ自分を追いやったあらゆる存在に対し、狂いに狂った激情を叩きつけるつもりでいる。

 そこに、他人種や同人種などの意識はない。一切の差別なく、自分が疎む者達に、破滅を齎そうとしていた。

「精々、私という悪の胤を殺しそこなった事実を悔やみながら―――死んでください」

 一言も発する事なく、好きなだけ喋り終えたアレフが唐突に穏やかに告げる。
 そして―――震える手で握りしめていた起爆装置の突起を、渾身の力で押し込み、心からの笑みを浮かべてみせるのだった。
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