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第一章 シグルド10歳 ケヴィン16歳 アネット15歳(?)
一章-5
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一体、何だったんだろ?
返されたぼろぼろの守り袋。手元に戻ってきて嬉しいという気持ちは薄く、頭の中は疑問符でいっぱいだ。
ケヴィンはきっと、わざわざ探しに来たのだろう。守り袋の持ち主を。
──探しているのは、これか?
真夜中の裏庭で、ケヴィンは手の中のものを月明かりにさらした。
声音には、本当の持ち主か探るような雰囲気。
うなずいたら、昨晩の相手だと白状するようなものだ。
けれどアネットはうなずいた。守り袋を返してほしかったから。
そしてケヴィンの出方をうかがった。
ケヴィンの醜態を見たことを口止めするのか。それともアネットをクビにすることで醜態をなかったことにしようとするか。
が、アネットの予想を裏切り、ケヴィンは黙って守り袋をアネットの手のひらに押し付けて去っていった。
返しに来ただけ? そんなのってアリなの?
下働きの仲間たちでさえごみと言い放つ守り袋。それを高貴な生まれであるケヴィンがわざわざ返しに来る?
わけわかんない。
でも一つだけわかることがある。
ケヴィンはあの夜のことで、アネットを叱るつもりがないということだ。
叱るのなら、守り袋を返してくれる時に何か言ってきただろう。
どの程度だかわからないけど、ケヴィンにはあの夜の記憶がある。そしてアネットがあの夜の相手だということにも気付いているはずだ。
けれどそのことを問い質してくることもなかったし、その後何があるわけでもない。
これはもしかして、あの夜のことは忘れていいってこと?
らっきー♪
気がかりがなくなって、ようやくいつもの生活に戻れる。
そのはずだった。
その日も、調理室やその周辺に、甘いにおいがただよった。
「今日も近衛隊の方々がおみえになるんだってね!」
「さっきちらっと見たけど、上の料理長はりきってたよ。久しぶりのお菓子作りだもんね。あの人、本当はお菓子作りのほうが好きなんだってね」
「それにしてもいーにおい! しあわせ~」
こういう日は仕事も楽しくなる。
お菓子のにおいの残る下の使用人の休憩室で夕食を食べていると、女使用人の頭であるオルタンヌが入り口から顔をのぞかせた。
「アネット。ちょっとおいで」
「ふぁい」
席を立ったが最後、夕食に戻れなくなるかもしれない。残り数口のパンとスープを急いで口の中に詰め込み、もごもごしながら入り口前にいるオルタンヌの前まで行く。
オルタンヌはあきれたように小さくため息をつき、アネットに背を向けて廊下を歩きだした。
アネットは口の中の物を少しずつ飲み込みながらついていく。
それにしても珍しい。上の女使用人もたばねるオルタンヌは、事情があってアネットに声をかけることはめったにないのだ。
しかも何故か、普段は下の使用人の立ち入りを禁止している、主人たちが暮らす邸の“表”に向かっている。
嫌な予感がした。
今頃になって、あの夜のことを怒られたりしたりして……。
あれから10日以上たつから考えにくいけど、他にはやらかした覚えがない。
口の中のものをすっかり飲み込んだアネットは、ひやひやしながらオルタンヌについて一階の廊下を歩く。
階段室に向かう様子がないことに気付いたころ、アネットは何か変だと思った。
わざわざ“表”に連れてきてまで叱るのなら、邸の主人の所へ連れていかれるはずだ。そういう話を聞いたことがあるのに、何故か上の階に行かない。
主人であるクリフォード公爵の部屋は三階だ。
向かう先にあるのは、記憶に間違いがなければ客室のはず。
入るように言われたのは、覚えていた通り客室だった。
“裏”とは違っておしみなくランプの灯された部屋。つややかな皮のソファや柱にほどこされた金色の装飾に目をちかちかさせていると、オルタンヌに言われた。
「扉を閉めなさい」
「あ、はい」
アネットは入ってきた時のままにしてしまった扉を、慌てて閉める。
振り返ると、オルタンヌは部屋の中央に置かれたテーブルの横に立っていた。
テーブルの上にはフリルのついたピンク色のドレスが置かれている。
きれいなドレス……。
目の保養になるが、嫌な予感がする。先程とは別の、嫌な予感が。
側に行くと、オルタンヌは神妙な顔をしてアネットに言った。
「ケヴィン様からの贈り物です。これを着て、今夜ケヴィン様のお相手をなさい」
ドレスを見たところで予想がついたけど、ひとの口から聞くと衝撃的で聞き直したくなる。
「えっと、それってつまり……」
オルタンヌは困ったように目じりを下げた。
「つまりその、ベッドを共にするということです」
ここまで言われれば、これ以上聞き直すのは愚というものだ。
下働きに分不相応な贈り物をするってことは、やっぱりそういうことよね……。
アネットはがっくり肩を落とす。
それを見たオルタンヌは、気遣わしげに声をかけてきた。
「すまないわね、アネット。ケヴィン様のご要望なのよ。浮いた噂の一つもないケヴィン様を見ていて、今後結婚された時の生活を心配してたビィチャムさんが、今回のことをことのほか喜んでいてね。あなたにどうしてもお願いしたいと言うのよ」
ビィチャムとは、この邸の男使用人の頭だ。忠義に厚く、クリフォード公爵の唯一の子息であるケヴィンをことのほか大事にしている。
ビィチャムの心配はもっともだと、アネットも思う。16にもなって女に興味がないなんて、不能か別の趣味があるのかもと疑っても仕方ない。
アネットがあきれ交じりのため息をつくと、オルタンヌもため息をついた。
「お手当はちゃんとつけます。その後の面倒も見ます。だから、嫌だろうけど頼まれてくれないかしら? ……ケヴィン様は一体どこであなたを見染めたのかしらね……」
どこかといえば、やっぱりあの夜、ベッドの中でなんだろうなぁ……。
アネットはドレスの袖を持ち上げた。
オルタンヌはほっとしたように笑みをつくった。
「頼まれてくれるのね。助かるわ。お手当の他にもほしいものがあったら、多少のものなら融通するわ」
「でしたら、このことはみんなには内緒にしてください。ケヴィン様とそういう関係になったって知られたら、これからの仕事がやりにくくなっちゃうから」
あっさりした口調で言ったつもりなのに、オルタンヌは悲しそうに表情を歪める。
別にそんなに悲愴な顔をされるようなことでもないんだけどなぁ……。
どうしたものかと思案して、アネットは口を開いた。
「初めての相手がケヴィン様のようなかっこいい人だなんて、らっきーなくらいですよ」
そう言ってにこっと笑ってみせる。
オルタンヌは、アネットのお気楽な様子に目をぱちくりさせた。
別に大したことじゃない。
結婚すれば誰だってすることだ。それに悪い邸に当たれば、その邸の主人に無理矢理慰み者にされていたかもしれないし、使用人の誰かに手篭めにされてたかもしれない。
クリフォード公爵は清廉潔白な人で使用人をそのように扱ったりしないし、邸の使用人たちにも教育が行きわたっていて、強引な人もいない。
ただ、残念に思う。
ケヴィンはそういうことをしない人だと思っていた。
汚れてすり切れた守り袋を、ごみだと思わずにアネットに返してくれた。
優しい人だと思っていた。下働きの気持ちも汲んでくれる、思いやりのある人だと。
結局、勝手な思い込みだったわけだけど。
守り袋を返してくれたのは、誰だったのかを確かめて、相手をさせるためだったのか……。
そう思うと、本当に残念に思う。
ケヴィンの相手をするということで、お風呂に入らせてもらえた。身綺麗にするためにごくたまに入らせてもらえるけど、いつもは水でしぼった布で体を拭ふくだけ。お湯で体を洗えるのは気持ちいい。これもらっきーだ。
きれいなドレスを着れるのもらっきー。
「急いで用意したものだから、ちょっとサイズが合わないわね。あとで直すから今夜はこれで行ってちょうだい」
アネットにドレスを着せてくれながら、オルタンヌが言う。
………………そりゃそうよね。一晩だけで済むとは限らない。
いつもおさげにしている薄茶色の髪は、編まないことにされた。背中でふわふわと髪が揺れて何だかくすぐったい感じがする。
一生着るはずがなかったドレスを着せてもらい、ちょっと気持ちが浮き立つ。
支度が済んでケヴィンの部屋に移動する時も、オルタンヌに先導されてちょっとだけお姫様気分だった。
「ここで待っていなさい」
ケヴィンの寝室まで連れてこられて、アネットは一人残された。
一人なのをいいことに、アネットは部屋の中をいろいろと見て回る。
10日とちょっと前、初めてここに来たときはいろいろあってゆっくり部屋をながめる余裕なんてなかった。
ベッドサイドのテーブルに置かれたランプの明かりをたよりに、分厚いカーテンをめくって窓の外をながめてみたり、壁紙に描かれた細かい模様を目をこらして見てみたり、部屋の中に置かれているタンスの装飾彫りを指でなぞってみたりする。
それらもあきてしまうほど時間がたち、アネットはようやくベッドに目を向けた。
ふかふかで寝心地のいいベッドだった。もう一度寝てみたいとは思うけど、今はそんな気になれない。
さすがのあたしも、そこまで図太くないっていうか……。
これからすることを考えると、ベッドにはあまり近付きたくない。
相手がケヴィンのようにかっこいい人でらっきーと言ったのは本当だが、だからといって進んで抱かれたいと思うわけじゃない。
正直、怖い。
そう思ったとたん、緊張が高まってきた。
体が震え、心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。
落ち付け、あたし!
心の中で言い聞かせたって、何の効果もない。
胸を押さえて深呼吸しているところにカチャという物音がして、アネットは背筋を伸ばして硬直した。
どこか疲れた様子で寝室に入ってきたケヴィンは、顔を上げてすぐアネットの姿を見付け凝視した。
「誰だ!?」
怒鳴られてびくっとする。
恐々としながらも、アネットとだとわからないのかもしれないと思い至った。
アネットはしどろもどろになりながら答えた。
「守り袋を拾っていただいた者です。ドレスをくださってありがとうございました」
すると威嚇するようにアネットをにらみつけていたケヴィンが、ふっと視線をゆるめる。
「あ、ああ……」
間の抜けた受け答え。アネットの変わりように驚いたのだろう。
本人だってびっくりな変身ぶりだ。
ケヴィンは口ごもりながら言った。
「気に入ったか?」
「はい」
それっきり長い沈黙がおりる。
ケヴィンの行動を待つアネットと、そんなアネットを凝視するケヴィン。
アネットは耐えきれなくなって、口を開いた。
「自分で脱いだほうがいいですか?」
ケヴィンから返事はなかった。
アネットは覚悟を決めて胸元の結び目を解いていく。
返されたぼろぼろの守り袋。手元に戻ってきて嬉しいという気持ちは薄く、頭の中は疑問符でいっぱいだ。
ケヴィンはきっと、わざわざ探しに来たのだろう。守り袋の持ち主を。
──探しているのは、これか?
真夜中の裏庭で、ケヴィンは手の中のものを月明かりにさらした。
声音には、本当の持ち主か探るような雰囲気。
うなずいたら、昨晩の相手だと白状するようなものだ。
けれどアネットはうなずいた。守り袋を返してほしかったから。
そしてケヴィンの出方をうかがった。
ケヴィンの醜態を見たことを口止めするのか。それともアネットをクビにすることで醜態をなかったことにしようとするか。
が、アネットの予想を裏切り、ケヴィンは黙って守り袋をアネットの手のひらに押し付けて去っていった。
返しに来ただけ? そんなのってアリなの?
下働きの仲間たちでさえごみと言い放つ守り袋。それを高貴な生まれであるケヴィンがわざわざ返しに来る?
わけわかんない。
でも一つだけわかることがある。
ケヴィンはあの夜のことで、アネットを叱るつもりがないということだ。
叱るのなら、守り袋を返してくれる時に何か言ってきただろう。
どの程度だかわからないけど、ケヴィンにはあの夜の記憶がある。そしてアネットがあの夜の相手だということにも気付いているはずだ。
けれどそのことを問い質してくることもなかったし、その後何があるわけでもない。
これはもしかして、あの夜のことは忘れていいってこと?
らっきー♪
気がかりがなくなって、ようやくいつもの生活に戻れる。
そのはずだった。
その日も、調理室やその周辺に、甘いにおいがただよった。
「今日も近衛隊の方々がおみえになるんだってね!」
「さっきちらっと見たけど、上の料理長はりきってたよ。久しぶりのお菓子作りだもんね。あの人、本当はお菓子作りのほうが好きなんだってね」
「それにしてもいーにおい! しあわせ~」
こういう日は仕事も楽しくなる。
お菓子のにおいの残る下の使用人の休憩室で夕食を食べていると、女使用人の頭であるオルタンヌが入り口から顔をのぞかせた。
「アネット。ちょっとおいで」
「ふぁい」
席を立ったが最後、夕食に戻れなくなるかもしれない。残り数口のパンとスープを急いで口の中に詰め込み、もごもごしながら入り口前にいるオルタンヌの前まで行く。
オルタンヌはあきれたように小さくため息をつき、アネットに背を向けて廊下を歩きだした。
アネットは口の中の物を少しずつ飲み込みながらついていく。
それにしても珍しい。上の女使用人もたばねるオルタンヌは、事情があってアネットに声をかけることはめったにないのだ。
しかも何故か、普段は下の使用人の立ち入りを禁止している、主人たちが暮らす邸の“表”に向かっている。
嫌な予感がした。
今頃になって、あの夜のことを怒られたりしたりして……。
あれから10日以上たつから考えにくいけど、他にはやらかした覚えがない。
口の中のものをすっかり飲み込んだアネットは、ひやひやしながらオルタンヌについて一階の廊下を歩く。
階段室に向かう様子がないことに気付いたころ、アネットは何か変だと思った。
わざわざ“表”に連れてきてまで叱るのなら、邸の主人の所へ連れていかれるはずだ。そういう話を聞いたことがあるのに、何故か上の階に行かない。
主人であるクリフォード公爵の部屋は三階だ。
向かう先にあるのは、記憶に間違いがなければ客室のはず。
入るように言われたのは、覚えていた通り客室だった。
“裏”とは違っておしみなくランプの灯された部屋。つややかな皮のソファや柱にほどこされた金色の装飾に目をちかちかさせていると、オルタンヌに言われた。
「扉を閉めなさい」
「あ、はい」
アネットは入ってきた時のままにしてしまった扉を、慌てて閉める。
振り返ると、オルタンヌは部屋の中央に置かれたテーブルの横に立っていた。
テーブルの上にはフリルのついたピンク色のドレスが置かれている。
きれいなドレス……。
目の保養になるが、嫌な予感がする。先程とは別の、嫌な予感が。
側に行くと、オルタンヌは神妙な顔をしてアネットに言った。
「ケヴィン様からの贈り物です。これを着て、今夜ケヴィン様のお相手をなさい」
ドレスを見たところで予想がついたけど、ひとの口から聞くと衝撃的で聞き直したくなる。
「えっと、それってつまり……」
オルタンヌは困ったように目じりを下げた。
「つまりその、ベッドを共にするということです」
ここまで言われれば、これ以上聞き直すのは愚というものだ。
下働きに分不相応な贈り物をするってことは、やっぱりそういうことよね……。
アネットはがっくり肩を落とす。
それを見たオルタンヌは、気遣わしげに声をかけてきた。
「すまないわね、アネット。ケヴィン様のご要望なのよ。浮いた噂の一つもないケヴィン様を見ていて、今後結婚された時の生活を心配してたビィチャムさんが、今回のことをことのほか喜んでいてね。あなたにどうしてもお願いしたいと言うのよ」
ビィチャムとは、この邸の男使用人の頭だ。忠義に厚く、クリフォード公爵の唯一の子息であるケヴィンをことのほか大事にしている。
ビィチャムの心配はもっともだと、アネットも思う。16にもなって女に興味がないなんて、不能か別の趣味があるのかもと疑っても仕方ない。
アネットがあきれ交じりのため息をつくと、オルタンヌもため息をついた。
「お手当はちゃんとつけます。その後の面倒も見ます。だから、嫌だろうけど頼まれてくれないかしら? ……ケヴィン様は一体どこであなたを見染めたのかしらね……」
どこかといえば、やっぱりあの夜、ベッドの中でなんだろうなぁ……。
アネットはドレスの袖を持ち上げた。
オルタンヌはほっとしたように笑みをつくった。
「頼まれてくれるのね。助かるわ。お手当の他にもほしいものがあったら、多少のものなら融通するわ」
「でしたら、このことはみんなには内緒にしてください。ケヴィン様とそういう関係になったって知られたら、これからの仕事がやりにくくなっちゃうから」
あっさりした口調で言ったつもりなのに、オルタンヌは悲しそうに表情を歪める。
別にそんなに悲愴な顔をされるようなことでもないんだけどなぁ……。
どうしたものかと思案して、アネットは口を開いた。
「初めての相手がケヴィン様のようなかっこいい人だなんて、らっきーなくらいですよ」
そう言ってにこっと笑ってみせる。
オルタンヌは、アネットのお気楽な様子に目をぱちくりさせた。
別に大したことじゃない。
結婚すれば誰だってすることだ。それに悪い邸に当たれば、その邸の主人に無理矢理慰み者にされていたかもしれないし、使用人の誰かに手篭めにされてたかもしれない。
クリフォード公爵は清廉潔白な人で使用人をそのように扱ったりしないし、邸の使用人たちにも教育が行きわたっていて、強引な人もいない。
ただ、残念に思う。
ケヴィンはそういうことをしない人だと思っていた。
汚れてすり切れた守り袋を、ごみだと思わずにアネットに返してくれた。
優しい人だと思っていた。下働きの気持ちも汲んでくれる、思いやりのある人だと。
結局、勝手な思い込みだったわけだけど。
守り袋を返してくれたのは、誰だったのかを確かめて、相手をさせるためだったのか……。
そう思うと、本当に残念に思う。
ケヴィンの相手をするということで、お風呂に入らせてもらえた。身綺麗にするためにごくたまに入らせてもらえるけど、いつもは水でしぼった布で体を拭ふくだけ。お湯で体を洗えるのは気持ちいい。これもらっきーだ。
きれいなドレスを着れるのもらっきー。
「急いで用意したものだから、ちょっとサイズが合わないわね。あとで直すから今夜はこれで行ってちょうだい」
アネットにドレスを着せてくれながら、オルタンヌが言う。
………………そりゃそうよね。一晩だけで済むとは限らない。
いつもおさげにしている薄茶色の髪は、編まないことにされた。背中でふわふわと髪が揺れて何だかくすぐったい感じがする。
一生着るはずがなかったドレスを着せてもらい、ちょっと気持ちが浮き立つ。
支度が済んでケヴィンの部屋に移動する時も、オルタンヌに先導されてちょっとだけお姫様気分だった。
「ここで待っていなさい」
ケヴィンの寝室まで連れてこられて、アネットは一人残された。
一人なのをいいことに、アネットは部屋の中をいろいろと見て回る。
10日とちょっと前、初めてここに来たときはいろいろあってゆっくり部屋をながめる余裕なんてなかった。
ベッドサイドのテーブルに置かれたランプの明かりをたよりに、分厚いカーテンをめくって窓の外をながめてみたり、壁紙に描かれた細かい模様を目をこらして見てみたり、部屋の中に置かれているタンスの装飾彫りを指でなぞってみたりする。
それらもあきてしまうほど時間がたち、アネットはようやくベッドに目を向けた。
ふかふかで寝心地のいいベッドだった。もう一度寝てみたいとは思うけど、今はそんな気になれない。
さすがのあたしも、そこまで図太くないっていうか……。
これからすることを考えると、ベッドにはあまり近付きたくない。
相手がケヴィンのようにかっこいい人でらっきーと言ったのは本当だが、だからといって進んで抱かれたいと思うわけじゃない。
正直、怖い。
そう思ったとたん、緊張が高まってきた。
体が震え、心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。
落ち付け、あたし!
心の中で言い聞かせたって、何の効果もない。
胸を押さえて深呼吸しているところにカチャという物音がして、アネットは背筋を伸ばして硬直した。
どこか疲れた様子で寝室に入ってきたケヴィンは、顔を上げてすぐアネットの姿を見付け凝視した。
「誰だ!?」
怒鳴られてびくっとする。
恐々としながらも、アネットとだとわからないのかもしれないと思い至った。
アネットはしどろもどろになりながら答えた。
「守り袋を拾っていただいた者です。ドレスをくださってありがとうございました」
すると威嚇するようにアネットをにらみつけていたケヴィンが、ふっと視線をゆるめる。
「あ、ああ……」
間の抜けた受け答え。アネットの変わりように驚いたのだろう。
本人だってびっくりな変身ぶりだ。
ケヴィンは口ごもりながら言った。
「気に入ったか?」
「はい」
それっきり長い沈黙がおりる。
ケヴィンの行動を待つアネットと、そんなアネットを凝視するケヴィン。
アネットは耐えきれなくなって、口を開いた。
「自分で脱いだほうがいいですか?」
ケヴィンから返事はなかった。
アネットは覚悟を決めて胸元の結び目を解いていく。
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