ウイルス感染

蒼井龍

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殺し屋

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「よしっ……これで準備OKっと…」

 私は鏡に向かって一人呟く。
 今朝は外出するために身なりを整えていたところだ。
 私の普段の外出といえば、仕事に関係するものが多いが、今回はそうではない。
 まあ、前回の仕事と繋がっていることなので、仕事といえば仕事だが、武器を持って戦わない以上、今日の外出は仕事とはいえないだろう。
 考えてみれば、武器を持たないで外出するのは初めてだ。
 果たしてそれは本当に大丈夫なのだろうか?
 このご時世、誰もが武器を身につけている。
 護身用と称して、人を傷つけるために武器を所持している者も多い。
 なら、私自身の身を守るためにも、武器は持っていくことにしよう。
 私は一度鏡から離れ、別の部屋へと移動する。
 その部屋の机の上には、刀と拳銃が置いてある。
 無意識に両方を手に取ったところで、私は思考を開始する。
 よく考えてみると、今日は別に戦いに行くわけではないから、両方を持っていく必要はないように思える。
 さて、どちらを持っていくことにしようか?
 私はしばらく考え、刀を机に戻し、拳銃を持って部屋を出た。
 刀は大きいし、目立ってしまう。
 しかし、拳銃となれば話は別だ。
 小型で小さいため、あまり目立つ事はない。
 私は改めて荷物の確認をする。
 持っていくものの量は少ないが、念のための確認はしておいて損はないはずだ。 
 しかし、何かを忘れているようで仕方ない。
 なんだか物凄く不安を感じる。
 あっ……思い出した。
 重要な事を忘れていた。
 私は鏡の前に戻り、引き出しから包帯を取り出し、それを右腕に巻いていく。
 それも、二の腕から指先までしっかりと。
 こんな大事な事を忘れるなんて……
 我ながら恥ずかしい……
 仕事以外のことになると、気抜けしてしまう私の性格、そろそろ本格的に直す努力をした方がいいのかもしれない。
 とにかく、これで準備は完了した。
 私は玄関の扉を開け、外へと足を踏み出した。
 ちなみに私の家は、一軒家ではなく、ごく普通のアパートだ。
 しかし、私以外の住人はこのアパートから出て行ってしまった。
 皆、それぞれの理由で引っ越ししていったが、それはただの口実で、実際は違う理由があったのだろうと思われる。
 その理由とは、ずばり私だ。
 世界にはまだ、殺し屋を受け入れられない人も多くいる。
 それは当然のことだ。
 殺し屋は、時に非感染者をも殺す。
 仕事の障害になるものは容赦しない。
 それが殺し屋という存在だ。
 私はそんな容赦の無さは持ち合わせていないが、ここに住んでいた住人達は、私を怖がり、ここから離れていった。
 私は見慣れた道を歩いていく。
 時折、人とすれ違うが、その人達も私を避けるようにして歩いていく。
 殺し屋はある程度の功績を上げると、名前や経歴が新聞などに載ってしまうのだ。
 遠くで仕事をする分には構わないだろうが、近くにいて、いつ殺されるか分からない状況となれば、怖がられても仕方ない。
 もう一度言うが、私にそんな容赦の無さは存在しない。
 まあ、彼らの気持ちは分からなくもないので、彼らのことを責めたりはしない。
 それに、人の気持ちなど、私にとってはどうでもいいものだ。
 だからこそ、私は今日の外出には大きな不安を感じていた。
 人の気持ちが分からない私に、果たして何が出来るのか?
 考えても仕方ない。
 十五分程歩いたところで、一軒の家が見えてくる。
 私は一呼吸置いてから、その家の扉をノックする。
 返事はない。
 今度は扉を引いてみる。
 予想通り、鍵はかかっていなかった。
 私は一瞬だけ躊躇し、玄関の中に足を踏み入れる。
 電気はついていなかったが、既に日が昇っているため、あまり暗くはない。
 私はさらに奥へと足を踏み入れ、捜索を開始した。
 しかし、いくら探しても、目的の人物は見つけられなかった。
 ここに奴がいないとなれば、他の可能性は一つに絞られる。
 私はすぐにこの家を出て、その場所へと向かった。
 十分後、私は小さな丘に来ていた。
 そこには、小さなお墓に手を合わせる少年、クワの姿があった。

「やっぱりここにいたのね」

 クワから返事はない。
 私は構わずに言葉を続ける。

「いつになったら復帰する気?」

 私はあえてきつめの口調でクワに語りかける。
 多くの犠牲者を出したあの一件から既に、一週間が経過している。
 こいつはその間、ただの一度も戦場に赴いてはいない。

「分かってるでしょ?あれは仕方ないことだったのよ。いつまで過去に囚われているつもり?」

 あの一件、デージーを殺したあと、彼女に殺されたタツナミは感染者となり、クワに襲いかかった。
 クワは呆然としており、動くことができなかった。

 だから、私が殺した。

 クワの師匠を、殺し屋集団のまとめ役を殺したのは私だ。
 タツナミだけではない。
 感染者に殺されてしまった殺し屋達も、次々と生き残った殺し屋を襲い始めた。
 みんなの体力は残っておらず、戦うことができなかったため、私は彼らを避難させ、感染者となった殺し屋達の半数程を私が殺した。
 そこから先は私も何があったかは分からない。
 聞いた話によると、残りの感染者の対処などの後処理は、別の集団が引き継いだらしい。
 自分でも嫌になった。
 感染者になったとはいえ、一緒に戦った者達を躊躇なく殺せる自分が。
 私以外の殺し屋は、自分達の元仲間を殺すことを躊躇した。
 それが判断として正しいか間違っているかで言えば、それは間違った行為だ。
 しかし、人として正しいか間違っているかの話をすれば、彼らは正しかった。
 人として間違っているのは恐らく私だ。
 私はこれからどんな顔をしてクワや他の殺し屋の人達と会えばいいのだろうか。
 私はこの一週間、ずっとそのことばかりを考えてしまい、その間はまともに仕事ができていなかった。
 そして、私と同じく、クワも最近は仕事ができていないらしい。
 原因は私がよく分かっている。
 
「君は間違ってないよ。君がいなきゃ僕は死んでたし、他の人達もそうだったと思う」

 クワがいつの間にか立ち上がり、そう言った。

「あれ?同じこと前にも言ったっけ?」

「そうね……一週間前も同じ事を言われた気がするわ…」
 
 クワはこちらを振り向かずに会話をする。
 お互いに気まずい空気が流れる。

「私のこと、恨んでる?」
 
 私は単刀直入に聞いた。
 
「やめてくれ!それ以上何も言うな!」
 
 クワの答えは私の想像を絶するものだった。

「『君の事を恨んでいるか?』だって?当たり前だろ!そんな事!あの人は僕の師匠だったんだ!信頼してた!尊敬してた!僕にとっては数少ない信頼できる人だったんだ!そんな人を君は殺した!これが恨まずにいられる訳がないだろう!」

 クワはクワの中で何かが弾けた様に捲し立てた。
 私は胸が締め付けられるような苦しみを味わった。
 分かっていた。
 クワが私の事を恨み、罵倒してくるのは分かっていたつもりだ。
 それでも心が痛んでしまう。
 覚悟はしていたはずなのに……

「違うんだ……分かってる…本当は分かってるんだ…君が命の恩人だという事は。君は僕の味方で、あれは仕方のない事だった……それは分かってるんだ……でも、誰かのせいにしないとおかしくなるんだ……」

 気が付けば、クワの怒鳴り声は止まり、クワは自らの涙と共に、静かに己の気持ちを口にしていた。
 私はクワを刺激しない様にそっと話しかける。

「あなたはもう戦えないの?二度と戦場には戻ってこないの?」

「僕は……もう…戦えないよ…戦う理由が分からなくなったんだ…」

「なら、戦う理由をもう一度見つけなさい」

 私は一歩だけクワに歩み寄る。
 
「一度過去に戦うと決めたなら、最後まで戦い抜きなさい。それが今のあなたの義務よ」

「無理だ……僕はもう…」

「あなたはタツナミの犠牲を無駄にする気なの?」

 クワがようやくこちらを向く。

「あの時、タツナミはあなたを庇った。それは、あなたに全てを託したという事。その思いをあなたは無駄にするというの?」

「違……僕は…」

「ねえクワ、よく聞いて」

 私はクワの近くまで歩み寄り、彼の頬に手を添える。

「戦う理由が分からないというなら、まずはその理由を見つけなさい。誰かのせいにしなければならないなら、私のせいにしても構わない」

 クワが驚く様な顔をする。
 私のこの言葉は、どうやら想定外のものだったらしい。
 私は構わず言葉を続ける。

「その代わり、出来るだけ早く戦場に戻りなさい。あなたの力を必要としている人はきっといる。少なくとも、私はあなたの事を信頼しているし、頼りたいと思っている」

 クワは再び涙を流す。

「何で……僕は…君にあんな事を言ったのに……」

「私は、あの程度の事を言われたくらいじゃ何とも思わない。だからお願い、私の…私達の所に戻って来て」

 クワはしばらく沈黙し、涙を流した。

「しばらく……一人にして欲しい…気持ちの整理がついたら…君に会いに行く…」

 私はその言葉に静かに返事をしてその場を去った。
 家に帰った後、私は服も着替えずに、真っ先にベッドに潜り込む。
 私はそれだけ疲れていたし、緊張していた。
 今まで行ってきたどんな任務よりも、今日の出来事はハードだった。
 時刻は夕方で、寝るにはかなり早い時間だ。
 私はベッドの中でゴロゴロしながら、今日の出来事について考える。
 クワが私を罵倒したときの事、クワの悩み事、私とクワの関係。
 今日のことが鮮明に思い出せる。
 世間の人々は、殺し屋は人の命を奪うことを躊躇しない異常者の集団だと思っている。
 しかし、それは正しくない。
 殺し屋にも、殺し屋としての悩みはいくらでもあるし、一人一人の殺し屋の気持ちも事情も異なる。
 当然だ。
 何故なら、殺し屋も人間だから。
 世間では、未だに殺し屋を差別している地域が数多く存在する。
 しかし、殺し屋が存在しなければ、とっくの昔に人類は滅びてしまっているため、世間も殺し屋に対して強くは出れない。
 感染者と自らの悩みと世間での扱い。
 殺し屋は、これら全てと戦わなければならない。
 そんな環境で己を見失わずにいる事は難しい。
 私でも、時々戦う意味や、自分の目的を見失ってしまう。
 自分で選んだ道とはいえ、あまりにも過酷すぎる。
 こんな事を考えても仕方ない。
 それは分かっている。
 しかし、どうしても考えてしまう。
 私も、昔のクワやアルの様に気楽でいられればいいのに……
 そういえば最近あいつに会ってないな……
 アルの笑顔を見れば元気が出るだろうか?
 私はあいつの事が嫌いなはずなのに、こういう時には頼りたくなってしまう。
 
「久しぶりに会いに行こうかな…」

 私はそう呟き、再び外へ出る。
 
 十分後、私は目的の場所へと辿り着く。
 ドアを開けて、ボロボロの建物の中に入る。
 チリン、とベルの音が鳴り、奥から声が聞こえる。

「いらっしゃーい、アルビドゥスのお店へようこそ!」

「私よ。いつも通り、武器のメンテナンスをお願いするわ」

「ニンファー⁉︎久しぶり!最近来てくれなかったから心配してたんだよ!一週間前の仕事はどうだった?事後報告くらい頂戴よお!」

「アル……心配してくれるのは嬉しいけど、一週間前の仕事についてはあまりいい思い出がないから、あまり思い出させないで」

 相変わらずテンションの高いアルの言動。
 それにより、今日のモヤモヤが少しだけ晴れていく。
 普段はあまり好きでないアルの性格も、こういう時にはありがたく思える。
 自分ながら身勝手な考え方だ。
 アルは早速武器を手に取り検分する。
 私はいつも通り、椅子に座って静かに待つ。
 こちらが静かにしていても、アルは常に何かを話してくれる。
 今日は何の話をされるのかと、少しだけ楽しみにしていたが、今日のアルの話は、私の想像を遥かに超えるものだった。

「いやあ、にしても偶然ってのはあるもんだねえ。まさか私の数少ない友人が一日に二人もきてくれるなんてねえ」

 アルのその前置きに私は少し嫌な予感がした。
 友人だって?一人は間違いなく私として、もう一人は誰だ?
 そもそも、この店の存在を知ってる人自体が少ないし、さらにそこから友人となれば、本人も言っているように相当数は少ない。
 今日に限ってそんな人物が来るとすれば、私ともう一人は絶対にあいつしかいない。

「二人って事は、もしかして今日クワも来たの?」

 謎の緊張で声が少し変になる。

「あれ?何で分かっちゃったのかな?せっかくびっくりしてくれるかなあ?と思って少し溜めてみたんだけどなあ」

 何でクワがここに……
 クワは確かにこの店のこと自体は知っていて、アルとも面識があるが、クワがここに来る事はあまりない。
 なぜなら、クワの武器は、この店とは違う場所で購入しているため、メンテナンスや、弾薬の補充なども、その店で行なっている。
 クワがここに来る時は、基本的には私と一緒の時だけのはずなのだが……

「……クワは何か言ってた?」

「んー?ニンファー大丈夫?なんか調子悪そうだよ?」

 アルの観察眼はやはり鋭い。
 私のバイタルの変化を見逃さない。

「私は大丈夫よ……それより、クワがここに来るなんて珍しいこともあるものね」
 
 何とかして今朝の出来事を悟られないようにしなければ……
 
「ずっとニンファーのことについて喋ってたよ」

「私について……?」

「実はね、一週間前にあったこと、全部クワに聞いたんだ」

「なっ………⁉」

 流石にこれには驚きを隠せなかった。
 アルはいつのまにか私の正面に立っていた。

「クワはね、ずっとニンファーに謝ってた。『ニンファーに酷いことを言ってしまった』ってずっと泣きながら今日の事と一週間前のことを教えてくれた」

「それだけ?クワはたったそれだけの事を言いにここにきたの?」

「クワはかなり気にしてたみたいだよ。ニンファーはどうなの?」

「私?別にあいつの事は恨んでないわ」

「そうじゃなくて、辛くなかった?」

「別に辛い事なんて一つも……」

「無関係な人を殺して、いつも取り乱してるニンファーが、友達の大切な人を殺して何とも思ってない訳がないよね?」

 アルのその言葉は、私の中に深く突き刺さり、私は少しの間泣き喚いてしまった。

「私は……あの人を…殺したくはなかった…」

「知ってる。ニンファーは優しいからそう思って当然だよ」

「でも殺してしまった!私がこの手で殺した!もう……あいつに合わせる顔がない!これからどんな顔をしてあいつに会えばいいのか分からない!」

「ニンファーがクワの師匠を殺したのはクワを守るためでしょ?」

「それでも……私…あいつに言われたの…」

「何て言われたの?」

「私…あいつに聞いたの……『私の事を恨んでいるか』って……」

「それで?」

「『そんなの当然だろ』って。その言葉は覚悟してたはずなのに……私…耐えきれなかった…」

「大丈夫だよ、ニンファー。クワもあなたがした事は分かってくれてるはずだよ」

 アルはとても優しい声で私を慰める。
 その声は、私が初めて聞く声だった。
 私が嫌っている人間の声なのに、心地よく感じてしまう。

「ニンファーは、クワのお師匠さんを殺した事を後悔してるの?」

「後悔はしてない……私が動かなきゃ…あいつが死んでた…でも、そのせいであいつから嫌われた!私の事を理解してくれる数少ない人なのに!私が……私が自分で捨ててしまった!もう…どうすればいいのか分からない!」

「なら、その気持ちはちゃんとクワに伝えるべきだよ」

「アル……」

「クワの話、聞いたんだけどさ、ニンファー、自分の話はほとんどしなかったらしいじゃん。クワの気持ちだけ聞いて、自分の気持ちは隠すっていうのは少しおかしいと思う」

「そんなことは……」

「ニンファー、約束して。明日にはきちんとクワと話し合うって。それを約束してくれるなら……」

 中々最後を言わないアルに痺れを切らし、私は問い詰める。

「何をしてくれるのよ……」

 アルはニッコリ笑って答える。

「今日のメンテナンス代、無料にしてあげる」

「何それっ!」

 アルと珍しく真面目な話ができたと思ったら最後にオチをつけやがった。

「あははははは!」

 アルは声を上げて笑う。
 私もいつしか、それに釣られて笑い声を発していた。
 数年振りの笑顔は、思いの外気持ちのいいものだった。
 私はその気持ちよさを、しばらく堪能し、家に帰った。
 後は、次にクワに会った時、自分の気持ちを言葉に出来るかどうか。
 それだけが問題だった。

 次の日。

 ドアのノックで目を覚ます。
 来客だろうか?
 しかし、今日はまだ人に会える格好はしていない。
 少なくとも、寝る前に外した包帯は付けないと……

「僕だ。君と話がしたい」

 私の家に来たのはクワだった。
 少し意外だった。
 確かにクワは昨日、『気持ちの整理がついたら会いに来る』とは言っていたが、こんな早くになるなんて想定外もいいところだ。
 しかし、私もクワと話したいと思っていたので、これはこれで好都合。
 相手がクワなら包帯もする必要はないだろう。
 私はそう考え、玄関の扉を開ける。

「ニンファー……包帯はしなくていいの?」

「包帯を付けてる時間が勿体ないって思っただけよ。それより、早く中に入って。私もあなたに話したいことがあるの」

 私はクワを部屋の中へと案内し、お互い、机を挟んで椅子に座る。
 しばらくの間、気まずい沈黙がその場を支配する。
 私とクワは、お互いにお互いの表情を観察し、相手が何を考えているのかを考える。
 
「……ニンファーも僕に話があるって言ってたよね?」

「ええ……」

 先に口を開いたのはクワだった。

「……あなたも私に話が?」

「うん……」

 やはり気まずい。
 しかし、こればっかりは仕方ない。
 遅かれ早かれ、私達が顔を合わせればこうなる事は分かっている。
 むしろ、時間が経っていた時の方が気まずいだろう。
 そういう意味では、クワに感謝出来る。

「とりあえず、どっちから話す?」

「じゃあ、僕から話させてもらうよ」

 お互いに少しだけ空気が緩んだところで本題だ。
 まず、クワの気持ちを先に聞く。

「まずは、君に謝ろうと思う。昨日、君の事をあんな風に言ってしまった事は、どれだけ謝っても許されないと思う」

 私は黙ってクワの話に耳を傾ける。
 
「君に言われた事を、僕なりに考えてみた。僕の戦う理由について。結局、人間っていうのは、目的が一番大事だよね」

「それで、あなたは何のために戦うの??」

「その質問に答える前に、少し、僕の話を聞いて欲しい」

 そう言われてしまえば、こちらに断る権利はない。
 私は黙ってクワを促す。

「僕はね、殺し屋になる前、普通の子供だったんだ。友達と遊んで、親にダメだと言われた事をこっそりとやってしまう、至って普通の子供だった」

 話の先が見えてこないが、それでも今はクワの話が終わるのをじっと待つ。

「ある時、僕は何人かの友達と一緒に、親に行っては行けないと言われた場所に立ち入ったんだ。子供の無邪気な好奇心でね。最初は楽しかったんだ。でも、そんな時間も長くは続かなかった。その場所は、ゾンビの溜まり場だったんだ」

 『ゾンビ』という言葉は一旦無視する。
 クワは私の前で、あえてこの言葉を使った。
 絶対に何かしらの意味があるはずだ。

「そして、僕以外の人が殺されてしまった。僕だけが、運良く逃げれたんだ。どうやって逃げたかはもう覚えてない。その日は、両親にその日の出来事を伝えて、こっぴどく怒られて終了だった」

 クワはどこか遠いところを見るようにしながら喋る。
 昔の事を思い出しながら喋っているのだろうか?

「僕は友達を失って一人になった。そして、僕はゾンビを恨んだ。あいつらのせいで友達は殺された。僕は憎悪の感情を覚え、ゾンビに復讐するために師匠の元へ弟子入りし、殺し屋になった」

 クワはゾンビという言葉を少しだけ強調する。

「ゾンビは人間に害を与える醜い化け物。僕はずっとそう思って戦ってた」

 クワはそこで一回言葉を区切る。

「でも、君と出会って価値観が変わった。君は、僕が…僕達がゾンビと呼ぶ化け物を、感染者と呼び、被害者として扱う。最初、僕にはその考え方の意味が分からなかった。けど、君の話を聞いてる内に、僕は納得してしまったんだ」

 クワの声には、自嘲の念が込められていた。

「つまりね、僕には君と出会ってから、戦う理由というのを見失っていたんだ。価値観が変わってしまったんだから、これは仕方のない事だと思う。でも、何の目的を持たずに戦う事は僕には出来ない」

 ようやく話が本題に戻った。
 最初は無意味な話だと思ってしまった。
 しかし、事実はそうでなかった。
 クワは、自分なりに私と向き合う方法を考えてくれてたのだ。

「それで、あなたは何のために戦うの?」
 
 最初と同じ質問を繰り返す。
 クワの答えは端的だった。

「僕は君のために戦う」

「私の……ため?」

 流石にこの答えは想定外過ぎる。
 クワは戸惑う私を無視し、身を乗り出し、私の手をとって叫ぶ。

「そうだ!君は僕の命を何度も救ってくれた!君は僕より強い!けど、僕は君を助けたい!今まで助けてもらった分、今度は僕が君を助ける!」

 そこまで言って落ち着いたのか、クワは乗り出した身を元に戻した。

「それに…昨日言ってくれたよね。『信頼してるし、頼りたいと思ってる』って。その言葉で、僕は君のためになりたい!って思ったんだ」

「………」

 最早私は何て答えればいいのか分からない。
そんな私を無視してクワは言葉を続ける。

「それに君、『誰かのせいにしなければならないのなら、私のせいにしても構わない』って言ってたでしょ?だから、僕は君に言われた通り、戦う理由を君のせいにしてみた」

「何それっ!」

 その言葉に吹き出させずにはいられない。
 昨日、アルと一緒に笑いあってから、少しだけ明るい性格になれたのを感じた。
 それがいい事なのか悪い事なのかは分からないが、自然に笑えるようになった事は、きっと悪い事ではないはずだ。
 
「さて、それじゃ次は君の番だよ。君は僕はに何を話したいと思ったの?」

 そうだ、クワはしっかりと自分の気持ちを話した。
 今度は私の番だ。

「私は昨日、あなたに言われた言葉で傷ついてしまった。私が命懸けで守ったのに罵倒されて、裏切られた気持ちになった」

「それは……ごめん…悪いと思ってるよ」

 クワの反応をみて、私は慌てて訂正する。

「違うの。私は別に怒っている訳じゃない。ただ、分かって欲しかっただけ。私はあなたを傷つけたいんじゃなくて、守りたいっていう事を、他でもないあなたに分かって欲しいだけなの」

「うん、君は僕の味方だ。それくらいの事は分かってる」

「ならいいの。私から言いたい事は、これだけだから」

「それだけでいいの?」

「うん、これだけでいい」

 こうして私達は、仲直りする事に成功した。
 殺し屋にも、殺し屋の悩みがある。
 それは時に反発し、対立し合う。
 しかし、しっかり話し合う事が出来れば、誰も傷付かずに済む。
 私は今日、それを知った。
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