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アルの死から一週間が経過した。
私は未だにそのショックから抜け出せていなかった。
当然、仕事は出来ていない。
この一週間、私は本当に何もせずに、部屋に引きこもって、ただぼーっとしていた。
その間考えていた事は、やはりアルの事だ。
私は往生際悪く、ひょっとしたら、まだアルは生きているのではないかという事を何度も思った。
これは、私にとっての現実逃避だ。
私は何度も自殺を考えた。
それくらい、私にとってアルという人物の存在は大きかった。
だが、それは出来ない。
死ぬのが怖いからだ。
それに、クワもいる。
アルが命をかけて守ったクワを置いて死ぬのは、アルの努力を無駄にすることになる。
何より、向こうでアルに怒られるのが嫌だった。
今まで死後の世界なんて想像もした事ないし、信じてもいなかったが、今現在はその存在を信じていた。
アルにもう一度会える。
そう信じていたかった。
都合のいい事を言っているのは分かっている。
だが、そうでも思っていないと、私の精神が耐えられない。
せめてもう一度だけ、もう一度だけアルに会いたい。
私はずっとそう願った。
当然、奇跡は起こらない。
死んだ人間が生き返るわけがない。
分かってはいても、私の苦しみはどんどん大きくなっていった。
こんな事を考えるのは不謹慎極まりない上に、アルの行為を冒涜することにもなってしまうが、アルじゃなくて、私が死ねば良かったとも思った。
私ではなく、アルが生き残ってくれれば、どれほど人を助けられたか…
私は絶望に囚われていた。
こんな体になってからは、感染してしまった事で絶望し、この体を呪い、恨んだ事もあった。
だが、そんなのは全然絶望ではなかった。
本当の絶望は、自分に何か起こる事じゃない。
自分の大切にしているものに何かが起こる。
これが本当の絶望だった。
私の今まで絶望してきた出来事なんて、アルの死に比べれば、本当にちっぽけな事だったと自覚した。
自分で勝手に苦しみ、一人で愚痴を言っていたようなものだ。
私には一体何が残っていて、何が出来るのだろうか?
答えは勿論分かっている。
私に残っているのはもう一人の親友。
出来る事は戦う事だ。
分かってはいる、頭では分かっているのだ。
しかし動けない。
一週間も経つというのに、私の悲しみや苦しみは、全く収まらなかった。
それどころか、日が経てば経つほど、私の苦しみは大きくなっていった。
恐らく、私に出来る事は何もない。
もう一生戦う事は出来ないだろう。
「ごめんね…アル…私…もう…ダメだ…」
そんな時、不意に部屋の扉がノックされた。
「アル…?」
一瞬だけ期待し、それはないと、現実を見る。
今は誰とも会いたくない。
私はしばらくそのノックを無視した。
いわゆる居留守という奴だ。
しかし、ノックの音は鳴り止まない。
それでも私は無視をし続けた。
しばらくして、ようやくノックが止んだ。
そして、ノックをしてきた人物は、諦めて声をかけてきた。
その声は、私のよく知る声だった。
「ニンファー、僕だよ。いるんでしょ?開けてよ。君と話しがしたいんだ」
来たのはクワだった。
相手がクワなら話を聞かない理由はない。
アルが親友であると同時に、クワもまた親友なのだ。
数少ない友人は大切にしなければならない。
私はすぐに立ち上がり、ドアを開けた。
「やあ、一週間ぶりだね」
「いらっしゃい、もてなす事は出来ないけど、ゆっくりしていって」
私はクワを部屋に上げ、椅子に座らせた。
「それで、今日は何しに来たの?」
「さっき言った通りだよ」
クワはさっき、私と話をしに来たと言った。
一体何の話なのだろうか?
「ニンファー、顔色悪いよ?大丈夫?」
言われてみれば、クワが来てから少しだけ体調が悪くなった気がする。
まあ、気にする程の事でもないだろう。
「ええ、久しぶりに人と会ったから、体が慣れてないだけだと思う。気にしないで。それより話って何?」
クワは思い出したように言う。
「そうそう、その事なんだけどね、僕は今日、君に謝りに来たんだよ。この一週間、僕も色々忙しくて、君とまともに話せてなかったからね」
「謝る?クワが?何で?」
正直、クワが私に謝る理由が見当たらない。
「僕のせいでアルが死んでしまった事を謝ろうと思う。本当にごめん…謝っても許されない事だとは分かってるけど、僕の事を許してほしい」
私は何故か分からないが、ものすごい気持ち悪さを感じた。
「何でクワがその事で謝るの?あれは別にクワのせいじゃないでしょ?」
クワはゆっくりと首を振った。
「いや、あれは完全に僕のせいだ。僕が撃たれなければ、アルは自分で自分の事を治療出来たはずなんだ。彼女が僕を助けなければ、彼女は死なずに済んだんだ」
私はただただ戸惑うばかりだ。
何故今になってクワがそんな事を言うのかが分からない。
「別にクワが気負う必要はどこにもないでしょ?アルは自分の命を犠牲にしてあなたを助けたんだから、そんな事を言うのはアルにも失礼よ」
クワはしばらく沈黙した。
やがて、とても言いにくそうに言った。
「だから…そうじゃなくて…」
私はとうとう苛々して言った。
「何が言いたいの?言いたいことがあるならはっきり言ってよ!」
クワが覚悟を決めたように言う。
「分かった。ならはっきり言わせてもらうよ」
私は静かにクワの次の言葉を待つ。
「僕を恨んでいるなら、素直にそう言って欲しい」
私の苛立ちが急に冷めていった。
その代わり、さっきから感じていた気持ち悪さがさらに強くなった。
「何で?何で私がクワを恨むの?勝手に勘違いしないでよ…」
私は平静を装って言う。
「君が僕を恨む理由は、僕が君を止めたからだ」
「………」
私は何も言えなくなってしまった。
自覚はないが、恐らく図星なのだろう。
クワはさらに畳み掛けるように言う。
「僕が君がランジアさんを撃つのを止めなければ、アルは死ななかった。だからこれは僕の責任だ」
私は抵抗を試みる。
「ちょっと待ってよ…あの時クワが止めてくれなかったら、私はもっと大勢の殺し屋に狙われて、今頃死んでた。クワには感謝してる」
「そんなはずはない。君は、自分よりも他人を優先する。君は、自分が狙われて殺されようと、人を守る事を優先する。この前の任務でランジアさんを庇ったのがいい証拠だよ」
「仮にそうだったとしても、あなたは私を守るために行動した。恨んでなんかいない」
私がそう言うと、クワは思いっきり机を叩いた。
「そんなわけがない!いい加減に認めなよ!君は僕を恨んでいる!」
「そんな証拠はどこにも……」
とうとうクワは私に最後まで喋らせる事をしなかった。
「証拠ならある!だって、あの日!師匠を殺された日!僕は君を恨んだ!君が僕を守るために行動したと分かっていても君を恨んだんだ!状況はあの時とかなり似ている!君が僕を恨まないわけがないんだ!」
「やめて……」
私の声はクワには届かなかった。
「君が認めるまで僕は何度も言うよ」
「もうやめて……」
「君は僕を恨んでいる」
私は吐き気を必死に抑えつける。
「もうやめて……それ以上は……」
「アルを殺したのは僕だ」
「もうやめてって言ってるでしょ!」
ついに私は感情を制御しきれず、クワを怒鳴りつけてしまった。
「何で⁉何でそんな事言うの⁉私を追い詰めるのがそんなに楽しい⁉︎私はあなたを恨んでいるなんて思いたくないの!もう私にはクワしかいないのに!」
もう、自分で何を言っているのかも分からなくなってしまった。
「そうよ!あなたの言う通り!私はあなたを恨んでいる!あなたが止めさえしなければ!私の戦闘力ならアルを助けられた!」
クワは私の言葉を黙って聞いている。
「私はあなたを恨んでいるなんて思いたくない!アルが死んで、頼れるのはもうあなただけなのに!」
そこまで言ったところで、私は自分の感情がどんどん収まっていくのを感じた。
冷静になったところで、私はクワに謝る。
「ごめんなさい……私を助けてくれたのに…こんな事言っちゃって…」
俯きがちに謝る私を、クワは優しく諭すように言う。
「いや、いいんだ。僕もそうだったから」
あの時のクワも、今の私と同じ気持ちだったのだろうか?
なら、あの時にクワが取り乱した理由がよく分かる。
現に、私も今は冷静とは言えない状態だった。
「ニンファー、あの日、君が僕に何て言ったか覚えてる?」
私は首を振る。
あの時は、クワを励ますのに必死で、私が何と言ったのかは記憶していない。
「君は僕にこう聞いた。『もう戦えないの?二度と戦場には戻ってこないの?』ってね。この言葉を君にそのまま返すよ。君はもう戦えないの?」
私はしばらく真剣に考える。
「分からない……戦いたいとは思っている……でも、体が動かないの……」
「その気持ちはよく分かるよ」
「クワ…私はどうしたらいいの…?」
「君は何のために戦っているの?何の目的があって君はこの過酷な環境に身を置いてるの?」
私が戦う理由。
最初は成り行きだった。
しかし、今は…いや、一週間より前までは、明確な目的があった。
だが、今となってはそんな私の目的はどうでもよくなり、無くなってしまっていた。
「人が戦うのには理由が必要だ僕がそうであるように」
「私はもう戦えないよ……だって、戦う理由が本当にないんだもの…今まで目標にしていた事は、今の目標ではないから……」
クワは大袈裟に溜息をついた。
「戦う理由がないなら、まずはその理由を見つけよう。僕は君にこう言われて、君のために戦うことにした」
「………」
「理由がないなら、まずは見つける事だよ。なんなら、思い出すのでもいい。君は今までは、何を理由に戦ってきたの?」
私は昔戦ってきた時に考えていた事を思い出す。
「……人を…守るため…かな?」
私は普段から言っていることを言った。
クワはゆっくりと首を振った。
「違う。それはあくまで建前だ。君の本心じゃない。もしそれがほんとうなら、君は感染者を殺しても悩まない。だってそうでしょ?感染者を殺すことが、人を守ることに直結する。殺せば殺すほど、君の目的は達成されるんだから、君が悩む理由はない」
そうだ、思い出した。
私が人を守るために戦うと言っていたのは、本当に最初の方だけだった。
では、途中からは何のために戦っていたのか?
私は必死に考える。
すると、言葉が自然と出てきた。
「私は、この世界の真実が知りたい!何で私がこんな体になってしまったのかが知りたい!何で私は人を殺さなきゃいけないのかが知りたい!何故世界がこんな風になってしまったのかを知りたい!」
そう、それが私の目的だった。
他にも知りたい事は一杯ある。
何故ウイルスが世界に蔓延したのか、何故私だけがウイルスに感染しながらも、非感染者の味方をできるのかが知りたい。
私の知りたい事を全て数えるのは、恐らく不可能だろう。
それくらいに、世界への疑問点は多い。
私のこの答えに、クワは満足したように頷く。
「それが君の目的なら、僕も協力するよ」
「えっ……いいの?」
クワはニッコリと笑って答える。
「もちろんだよ。僕は君のために戦うって決めてるんだから…僕の戦う理由は君だ。だから、君の目的は僕の目的でもあるんだ」
そう言われて、あの日の会話を思い出す。
確かに、クワはそんな事を言っていた気がしなくもないが………
「あなた、あれ本気だったの?」
クワはキョトンとして返事をする。
「うん、もちろん」
「はあ……」
私は大きく溜息をついてしまった。
「えっ…?僕何かおかしいこと言った?」
「別に…何も…」
正直、あれを間に受けているとは思っていなかったし、本気にするとしてもせいぜい数日くらいだと思っていた。
いくらなんでも素直過ぎだ。
「まあ、クワが協力してくれるって言うなら、心強いことこの上ないわ。期待してるわ。よろしく」
「こちらこそ。それじゃ、言いたい事も言えたし、聞きたい事も聞けたから、僕はもう帰るね。バイバイ」
「お疲れ様」
私たちはそう言って別れた。
クワのおかげでだいぶ気が楽になった。
アルには少し申し訳ないとも思うが、ようやく私は立ち直る事ができた。
明日からはずっと仕事をしてなかった分、一生懸命働くとしよう。
私はそう決意し、次の日からは前線に復帰した。
任務中にクワと会う事もあった。
クワは、ランジアの集団を抜け、別の集団に所属したらしい。
クワが新しく所属した集団は、アルが殺された日に監視をしていた集団だそうだ。
あの集団にも若干以上の不安はあるが、ランジアの取りまとめる集団よりはマシだと思い、私は何も言わなかった。
そもそも、他人の決断に口を出す資格など、誰にも存在しない。
というわけで、しばらくの間は普通の生活を送った。
前と変わった事があるとすれば、それは、私が感染者を殺しても、それほど悩まなくなった事くらいだろう。
目的がはっきりした途端、悩む事はなくなった。
きっといい事だ。
復帰したての時は、アルの死がフラッシュバックする事もあったが、その回数も少しずつ減っていった。
アルの事を忘れる気はないし、忘れる事などできないだろうが、アルの事を考えずに仕事できる方が、捗るのもまた事実。
やはり仕事とプライベートは区別する必要がある。
私が新しい気持ちで仕事に復帰してから約一ヶ月後、新たな展開が訪れた。
その日、私は仕事を終えて、武器のメンテナンスをしている途中に、突然の来客があったのだ。
来たのは予想通りクワだった。
アル亡き今、私の住所を知っているのはこいつだけだ。
クワは他の人物に私の住所を教える場合は、ちゃんと私に許可を取ってくる。
「いらっしゃい、相変わらずもてなしてあげれないけど、ゆっくりしていって」
「ありがとう、ニンファー。こちらも相変わらず手土産とかはないけど、すぐに出ていくから安心してくれ」
そう言ったクワは椅子に座る。
私も座り、クワの話を待つ。
「単刀直入に言う。次の僕達の仕事を手伝ってほしい」
まあ、そんなことだろうとは思った。
クワが私の家に来る時の要件は、極稀にある例外を除けば、殺し屋としての仕事に関わる事だ。
いつも通りと言えばいつも通りだが、ここから先の方が重要だ。
「内容によるわね…まず聞きたいのは、本当に私の力が必要かどうかって事ね」
「君の力は間違いなく必要だし、君も興味を持つと思う」
クワは自信を持ってそう言った。
『私の力が必要』というところは自信を持たなくてもいいのだが……
それより、『私も興味を持つ』だって?
一体どういう事だ?
「三日後、僕の所属する集団が大勝負に出る。そのためにハイドさんは……」
ハイド?誰だそれ?
「ああ、ハイドさんっていうのはその集団のリーダーだよ。ほら、この前、君と喋ってた人」
なるほど、あの男の人か……
正直、あまりいい印象はない。
「まあ、君からすれば当然だろうね……話を戻してもいい?」
「ええ、話の邪魔して悪かったわね」
「ええと…どこまで話したっけな…そうそう、それで、ハイドさんは人員を集めて三日後に備えている」
「そこまでの話は分かったわ。それで、三日後に何が始まるっていうの?」
「世界の真相を暴く」
クワのその言葉に、私の心臓の鼓動が早くなる。
「それは…どういう意味?」
「ハイドさんは、この世界を作ってしまった元凶である、ウイルスの研究をしていた研究施設を特定した。そこに行けば、ウイルスの何かしらの情報があるはずで、世界を元に戻すきっかけが見つかるかもしれない」
なるほど…そういう事か…
一応理解は出来た。
問題は、なぜ私が必要とされているかだ。
「その場所が結構遠い場所でね…かなりの大遠征になるんだ。車とかがあればいいんだけど、ああいう高機動力の乗り物は希少で手に入らない。だから、全員で歩いて行く事になるんだけど、その途中でも当然、感染者と遭遇する。だから、出来るだけ戦力がほしいってハイドさんは考えているんだ」
なるほど、理解した。
一つだけクワに聞きたいことがある。
「私を引き入れようとしてるのはあなた?それともハイド?」
クワは苦笑しながら答える。
「ハイドさんだ。僕はあくまでただのメッセンジャーだよ」
やはりか……
クワの頼みなら是非もなく引き受けたのだが、ハイドの頼みとなると少し遠慮しておきたくはあるな……
「ついでにハイドさんから伝言を預かってるんだけど……」
「どんな?」
「『お前の無害認定を取り付けた恩と、二人の親友を助けようとした恩を忘れるな』だってさ」
「………」
何だそれ?ものすごく腹が立つ。
だから私に手伝えと?ふざけるな。
私の無害認定を取り付けたのは完全に自分達のためだし、アルとクワの件についても、最初から助ける気などなかったではないか。
本当なら絶対に引き受けたくない案件だが、クワが関わっている以上は、手伝わざるを得ない。
クワは絶対に死なせない。
私はそう決めている。
それに、世界の真実を知りたいという私の目的とも利害が一致している。
行かない理由がない。
「本当に来てくれるの?嬉しいよ。ありがとう。実を言えば、君が来てくれる可能性は低いと踏んでたから、正直ホットしている」
「どうしてそう思ったの?」
「まだ君がハイドさんの事を許せていないと思って…」
確かにハイドのことは許せてない。
だが、ここで行かなければ、私の目的は永久に達成されないだろう。
私にだって損得勘定は働く。
クワが本気で心配したような声で言う。
「ハイドさんのことが嫌いでも、仕事中は仲良くしてよ?」
「それくらいは分かってるわよ……それで?三日後の何時にどこに集合すればいいよの?」
クワはポケットからメモを取り出して言う。
「えっ~と、集合時間は午前五時、場所は、街のはずれにある丘だね」
「分かった。じゃあ、その時間にまた会いましょう」
「うん、言っとくけど、死なないでよ?」
「そっちこそ」
クワは笑って答える。
「僕は大丈夫だよ、だって、君が守ってくれるんでしょ?」
「それをいうなら、あなただって私のために戦ってくれるんでしょ?」
そう言って、お互いに笑い合い、クワは帰っていった。
この先何が起こっても、私とクワなら大丈夫だろう。
ここにアルがいれば、さらに安心感は増すのだが、こればっかりは仕方ない。
「見ててね、アル」
そう言ってみた。
すると、何となくだが近くにアルがいるように感じる。
恐らくはただの思い込みだろうが、案外幽霊になって私達の事を見ているかもしれない。
アルが私達の事を見守っている。
そう考えるだけで、私のやる気は桁違いになる。
アルに恥ずかしい姿は見せられない。
私はそう決意し、三日後に向けての準備を進めた。
私は未だにそのショックから抜け出せていなかった。
当然、仕事は出来ていない。
この一週間、私は本当に何もせずに、部屋に引きこもって、ただぼーっとしていた。
その間考えていた事は、やはりアルの事だ。
私は往生際悪く、ひょっとしたら、まだアルは生きているのではないかという事を何度も思った。
これは、私にとっての現実逃避だ。
私は何度も自殺を考えた。
それくらい、私にとってアルという人物の存在は大きかった。
だが、それは出来ない。
死ぬのが怖いからだ。
それに、クワもいる。
アルが命をかけて守ったクワを置いて死ぬのは、アルの努力を無駄にすることになる。
何より、向こうでアルに怒られるのが嫌だった。
今まで死後の世界なんて想像もした事ないし、信じてもいなかったが、今現在はその存在を信じていた。
アルにもう一度会える。
そう信じていたかった。
都合のいい事を言っているのは分かっている。
だが、そうでも思っていないと、私の精神が耐えられない。
せめてもう一度だけ、もう一度だけアルに会いたい。
私はずっとそう願った。
当然、奇跡は起こらない。
死んだ人間が生き返るわけがない。
分かってはいても、私の苦しみはどんどん大きくなっていった。
こんな事を考えるのは不謹慎極まりない上に、アルの行為を冒涜することにもなってしまうが、アルじゃなくて、私が死ねば良かったとも思った。
私ではなく、アルが生き残ってくれれば、どれほど人を助けられたか…
私は絶望に囚われていた。
こんな体になってからは、感染してしまった事で絶望し、この体を呪い、恨んだ事もあった。
だが、そんなのは全然絶望ではなかった。
本当の絶望は、自分に何か起こる事じゃない。
自分の大切にしているものに何かが起こる。
これが本当の絶望だった。
私の今まで絶望してきた出来事なんて、アルの死に比べれば、本当にちっぽけな事だったと自覚した。
自分で勝手に苦しみ、一人で愚痴を言っていたようなものだ。
私には一体何が残っていて、何が出来るのだろうか?
答えは勿論分かっている。
私に残っているのはもう一人の親友。
出来る事は戦う事だ。
分かってはいる、頭では分かっているのだ。
しかし動けない。
一週間も経つというのに、私の悲しみや苦しみは、全く収まらなかった。
それどころか、日が経てば経つほど、私の苦しみは大きくなっていった。
恐らく、私に出来る事は何もない。
もう一生戦う事は出来ないだろう。
「ごめんね…アル…私…もう…ダメだ…」
そんな時、不意に部屋の扉がノックされた。
「アル…?」
一瞬だけ期待し、それはないと、現実を見る。
今は誰とも会いたくない。
私はしばらくそのノックを無視した。
いわゆる居留守という奴だ。
しかし、ノックの音は鳴り止まない。
それでも私は無視をし続けた。
しばらくして、ようやくノックが止んだ。
そして、ノックをしてきた人物は、諦めて声をかけてきた。
その声は、私のよく知る声だった。
「ニンファー、僕だよ。いるんでしょ?開けてよ。君と話しがしたいんだ」
来たのはクワだった。
相手がクワなら話を聞かない理由はない。
アルが親友であると同時に、クワもまた親友なのだ。
数少ない友人は大切にしなければならない。
私はすぐに立ち上がり、ドアを開けた。
「やあ、一週間ぶりだね」
「いらっしゃい、もてなす事は出来ないけど、ゆっくりしていって」
私はクワを部屋に上げ、椅子に座らせた。
「それで、今日は何しに来たの?」
「さっき言った通りだよ」
クワはさっき、私と話をしに来たと言った。
一体何の話なのだろうか?
「ニンファー、顔色悪いよ?大丈夫?」
言われてみれば、クワが来てから少しだけ体調が悪くなった気がする。
まあ、気にする程の事でもないだろう。
「ええ、久しぶりに人と会ったから、体が慣れてないだけだと思う。気にしないで。それより話って何?」
クワは思い出したように言う。
「そうそう、その事なんだけどね、僕は今日、君に謝りに来たんだよ。この一週間、僕も色々忙しくて、君とまともに話せてなかったからね」
「謝る?クワが?何で?」
正直、クワが私に謝る理由が見当たらない。
「僕のせいでアルが死んでしまった事を謝ろうと思う。本当にごめん…謝っても許されない事だとは分かってるけど、僕の事を許してほしい」
私は何故か分からないが、ものすごい気持ち悪さを感じた。
「何でクワがその事で謝るの?あれは別にクワのせいじゃないでしょ?」
クワはゆっくりと首を振った。
「いや、あれは完全に僕のせいだ。僕が撃たれなければ、アルは自分で自分の事を治療出来たはずなんだ。彼女が僕を助けなければ、彼女は死なずに済んだんだ」
私はただただ戸惑うばかりだ。
何故今になってクワがそんな事を言うのかが分からない。
「別にクワが気負う必要はどこにもないでしょ?アルは自分の命を犠牲にしてあなたを助けたんだから、そんな事を言うのはアルにも失礼よ」
クワはしばらく沈黙した。
やがて、とても言いにくそうに言った。
「だから…そうじゃなくて…」
私はとうとう苛々して言った。
「何が言いたいの?言いたいことがあるならはっきり言ってよ!」
クワが覚悟を決めたように言う。
「分かった。ならはっきり言わせてもらうよ」
私は静かにクワの次の言葉を待つ。
「僕を恨んでいるなら、素直にそう言って欲しい」
私の苛立ちが急に冷めていった。
その代わり、さっきから感じていた気持ち悪さがさらに強くなった。
「何で?何で私がクワを恨むの?勝手に勘違いしないでよ…」
私は平静を装って言う。
「君が僕を恨む理由は、僕が君を止めたからだ」
「………」
私は何も言えなくなってしまった。
自覚はないが、恐らく図星なのだろう。
クワはさらに畳み掛けるように言う。
「僕が君がランジアさんを撃つのを止めなければ、アルは死ななかった。だからこれは僕の責任だ」
私は抵抗を試みる。
「ちょっと待ってよ…あの時クワが止めてくれなかったら、私はもっと大勢の殺し屋に狙われて、今頃死んでた。クワには感謝してる」
「そんなはずはない。君は、自分よりも他人を優先する。君は、自分が狙われて殺されようと、人を守る事を優先する。この前の任務でランジアさんを庇ったのがいい証拠だよ」
「仮にそうだったとしても、あなたは私を守るために行動した。恨んでなんかいない」
私がそう言うと、クワは思いっきり机を叩いた。
「そんなわけがない!いい加減に認めなよ!君は僕を恨んでいる!」
「そんな証拠はどこにも……」
とうとうクワは私に最後まで喋らせる事をしなかった。
「証拠ならある!だって、あの日!師匠を殺された日!僕は君を恨んだ!君が僕を守るために行動したと分かっていても君を恨んだんだ!状況はあの時とかなり似ている!君が僕を恨まないわけがないんだ!」
「やめて……」
私の声はクワには届かなかった。
「君が認めるまで僕は何度も言うよ」
「もうやめて……」
「君は僕を恨んでいる」
私は吐き気を必死に抑えつける。
「もうやめて……それ以上は……」
「アルを殺したのは僕だ」
「もうやめてって言ってるでしょ!」
ついに私は感情を制御しきれず、クワを怒鳴りつけてしまった。
「何で⁉何でそんな事言うの⁉私を追い詰めるのがそんなに楽しい⁉︎私はあなたを恨んでいるなんて思いたくないの!もう私にはクワしかいないのに!」
もう、自分で何を言っているのかも分からなくなってしまった。
「そうよ!あなたの言う通り!私はあなたを恨んでいる!あなたが止めさえしなければ!私の戦闘力ならアルを助けられた!」
クワは私の言葉を黙って聞いている。
「私はあなたを恨んでいるなんて思いたくない!アルが死んで、頼れるのはもうあなただけなのに!」
そこまで言ったところで、私は自分の感情がどんどん収まっていくのを感じた。
冷静になったところで、私はクワに謝る。
「ごめんなさい……私を助けてくれたのに…こんな事言っちゃって…」
俯きがちに謝る私を、クワは優しく諭すように言う。
「いや、いいんだ。僕もそうだったから」
あの時のクワも、今の私と同じ気持ちだったのだろうか?
なら、あの時にクワが取り乱した理由がよく分かる。
現に、私も今は冷静とは言えない状態だった。
「ニンファー、あの日、君が僕に何て言ったか覚えてる?」
私は首を振る。
あの時は、クワを励ますのに必死で、私が何と言ったのかは記憶していない。
「君は僕にこう聞いた。『もう戦えないの?二度と戦場には戻ってこないの?』ってね。この言葉を君にそのまま返すよ。君はもう戦えないの?」
私はしばらく真剣に考える。
「分からない……戦いたいとは思っている……でも、体が動かないの……」
「その気持ちはよく分かるよ」
「クワ…私はどうしたらいいの…?」
「君は何のために戦っているの?何の目的があって君はこの過酷な環境に身を置いてるの?」
私が戦う理由。
最初は成り行きだった。
しかし、今は…いや、一週間より前までは、明確な目的があった。
だが、今となってはそんな私の目的はどうでもよくなり、無くなってしまっていた。
「人が戦うのには理由が必要だ僕がそうであるように」
「私はもう戦えないよ……だって、戦う理由が本当にないんだもの…今まで目標にしていた事は、今の目標ではないから……」
クワは大袈裟に溜息をついた。
「戦う理由がないなら、まずはその理由を見つけよう。僕は君にこう言われて、君のために戦うことにした」
「………」
「理由がないなら、まずは見つける事だよ。なんなら、思い出すのでもいい。君は今までは、何を理由に戦ってきたの?」
私は昔戦ってきた時に考えていた事を思い出す。
「……人を…守るため…かな?」
私は普段から言っていることを言った。
クワはゆっくりと首を振った。
「違う。それはあくまで建前だ。君の本心じゃない。もしそれがほんとうなら、君は感染者を殺しても悩まない。だってそうでしょ?感染者を殺すことが、人を守ることに直結する。殺せば殺すほど、君の目的は達成されるんだから、君が悩む理由はない」
そうだ、思い出した。
私が人を守るために戦うと言っていたのは、本当に最初の方だけだった。
では、途中からは何のために戦っていたのか?
私は必死に考える。
すると、言葉が自然と出てきた。
「私は、この世界の真実が知りたい!何で私がこんな体になってしまったのかが知りたい!何で私は人を殺さなきゃいけないのかが知りたい!何故世界がこんな風になってしまったのかを知りたい!」
そう、それが私の目的だった。
他にも知りたい事は一杯ある。
何故ウイルスが世界に蔓延したのか、何故私だけがウイルスに感染しながらも、非感染者の味方をできるのかが知りたい。
私の知りたい事を全て数えるのは、恐らく不可能だろう。
それくらいに、世界への疑問点は多い。
私のこの答えに、クワは満足したように頷く。
「それが君の目的なら、僕も協力するよ」
「えっ……いいの?」
クワはニッコリと笑って答える。
「もちろんだよ。僕は君のために戦うって決めてるんだから…僕の戦う理由は君だ。だから、君の目的は僕の目的でもあるんだ」
そう言われて、あの日の会話を思い出す。
確かに、クワはそんな事を言っていた気がしなくもないが………
「あなた、あれ本気だったの?」
クワはキョトンとして返事をする。
「うん、もちろん」
「はあ……」
私は大きく溜息をついてしまった。
「えっ…?僕何かおかしいこと言った?」
「別に…何も…」
正直、あれを間に受けているとは思っていなかったし、本気にするとしてもせいぜい数日くらいだと思っていた。
いくらなんでも素直過ぎだ。
「まあ、クワが協力してくれるって言うなら、心強いことこの上ないわ。期待してるわ。よろしく」
「こちらこそ。それじゃ、言いたい事も言えたし、聞きたい事も聞けたから、僕はもう帰るね。バイバイ」
「お疲れ様」
私たちはそう言って別れた。
クワのおかげでだいぶ気が楽になった。
アルには少し申し訳ないとも思うが、ようやく私は立ち直る事ができた。
明日からはずっと仕事をしてなかった分、一生懸命働くとしよう。
私はそう決意し、次の日からは前線に復帰した。
任務中にクワと会う事もあった。
クワは、ランジアの集団を抜け、別の集団に所属したらしい。
クワが新しく所属した集団は、アルが殺された日に監視をしていた集団だそうだ。
あの集団にも若干以上の不安はあるが、ランジアの取りまとめる集団よりはマシだと思い、私は何も言わなかった。
そもそも、他人の決断に口を出す資格など、誰にも存在しない。
というわけで、しばらくの間は普通の生活を送った。
前と変わった事があるとすれば、それは、私が感染者を殺しても、それほど悩まなくなった事くらいだろう。
目的がはっきりした途端、悩む事はなくなった。
きっといい事だ。
復帰したての時は、アルの死がフラッシュバックする事もあったが、その回数も少しずつ減っていった。
アルの事を忘れる気はないし、忘れる事などできないだろうが、アルの事を考えずに仕事できる方が、捗るのもまた事実。
やはり仕事とプライベートは区別する必要がある。
私が新しい気持ちで仕事に復帰してから約一ヶ月後、新たな展開が訪れた。
その日、私は仕事を終えて、武器のメンテナンスをしている途中に、突然の来客があったのだ。
来たのは予想通りクワだった。
アル亡き今、私の住所を知っているのはこいつだけだ。
クワは他の人物に私の住所を教える場合は、ちゃんと私に許可を取ってくる。
「いらっしゃい、相変わらずもてなしてあげれないけど、ゆっくりしていって」
「ありがとう、ニンファー。こちらも相変わらず手土産とかはないけど、すぐに出ていくから安心してくれ」
そう言ったクワは椅子に座る。
私も座り、クワの話を待つ。
「単刀直入に言う。次の僕達の仕事を手伝ってほしい」
まあ、そんなことだろうとは思った。
クワが私の家に来る時の要件は、極稀にある例外を除けば、殺し屋としての仕事に関わる事だ。
いつも通りと言えばいつも通りだが、ここから先の方が重要だ。
「内容によるわね…まず聞きたいのは、本当に私の力が必要かどうかって事ね」
「君の力は間違いなく必要だし、君も興味を持つと思う」
クワは自信を持ってそう言った。
『私の力が必要』というところは自信を持たなくてもいいのだが……
それより、『私も興味を持つ』だって?
一体どういう事だ?
「三日後、僕の所属する集団が大勝負に出る。そのためにハイドさんは……」
ハイド?誰だそれ?
「ああ、ハイドさんっていうのはその集団のリーダーだよ。ほら、この前、君と喋ってた人」
なるほど、あの男の人か……
正直、あまりいい印象はない。
「まあ、君からすれば当然だろうね……話を戻してもいい?」
「ええ、話の邪魔して悪かったわね」
「ええと…どこまで話したっけな…そうそう、それで、ハイドさんは人員を集めて三日後に備えている」
「そこまでの話は分かったわ。それで、三日後に何が始まるっていうの?」
「世界の真相を暴く」
クワのその言葉に、私の心臓の鼓動が早くなる。
「それは…どういう意味?」
「ハイドさんは、この世界を作ってしまった元凶である、ウイルスの研究をしていた研究施設を特定した。そこに行けば、ウイルスの何かしらの情報があるはずで、世界を元に戻すきっかけが見つかるかもしれない」
なるほど…そういう事か…
一応理解は出来た。
問題は、なぜ私が必要とされているかだ。
「その場所が結構遠い場所でね…かなりの大遠征になるんだ。車とかがあればいいんだけど、ああいう高機動力の乗り物は希少で手に入らない。だから、全員で歩いて行く事になるんだけど、その途中でも当然、感染者と遭遇する。だから、出来るだけ戦力がほしいってハイドさんは考えているんだ」
なるほど、理解した。
一つだけクワに聞きたいことがある。
「私を引き入れようとしてるのはあなた?それともハイド?」
クワは苦笑しながら答える。
「ハイドさんだ。僕はあくまでただのメッセンジャーだよ」
やはりか……
クワの頼みなら是非もなく引き受けたのだが、ハイドの頼みとなると少し遠慮しておきたくはあるな……
「ついでにハイドさんから伝言を預かってるんだけど……」
「どんな?」
「『お前の無害認定を取り付けた恩と、二人の親友を助けようとした恩を忘れるな』だってさ」
「………」
何だそれ?ものすごく腹が立つ。
だから私に手伝えと?ふざけるな。
私の無害認定を取り付けたのは完全に自分達のためだし、アルとクワの件についても、最初から助ける気などなかったではないか。
本当なら絶対に引き受けたくない案件だが、クワが関わっている以上は、手伝わざるを得ない。
クワは絶対に死なせない。
私はそう決めている。
それに、世界の真実を知りたいという私の目的とも利害が一致している。
行かない理由がない。
「本当に来てくれるの?嬉しいよ。ありがとう。実を言えば、君が来てくれる可能性は低いと踏んでたから、正直ホットしている」
「どうしてそう思ったの?」
「まだ君がハイドさんの事を許せていないと思って…」
確かにハイドのことは許せてない。
だが、ここで行かなければ、私の目的は永久に達成されないだろう。
私にだって損得勘定は働く。
クワが本気で心配したような声で言う。
「ハイドさんのことが嫌いでも、仕事中は仲良くしてよ?」
「それくらいは分かってるわよ……それで?三日後の何時にどこに集合すればいいよの?」
クワはポケットからメモを取り出して言う。
「えっ~と、集合時間は午前五時、場所は、街のはずれにある丘だね」
「分かった。じゃあ、その時間にまた会いましょう」
「うん、言っとくけど、死なないでよ?」
「そっちこそ」
クワは笑って答える。
「僕は大丈夫だよ、だって、君が守ってくれるんでしょ?」
「それをいうなら、あなただって私のために戦ってくれるんでしょ?」
そう言って、お互いに笑い合い、クワは帰っていった。
この先何が起こっても、私とクワなら大丈夫だろう。
ここにアルがいれば、さらに安心感は増すのだが、こればっかりは仕方ない。
「見ててね、アル」
そう言ってみた。
すると、何となくだが近くにアルがいるように感じる。
恐らくはただの思い込みだろうが、案外幽霊になって私達の事を見ているかもしれない。
アルが私達の事を見守っている。
そう考えるだけで、私のやる気は桁違いになる。
アルに恥ずかしい姿は見せられない。
私はそう決意し、三日後に向けての準備を進めた。
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