ウイルス感染

蒼井龍

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真相

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 昔話をしましょう。
 昔々あるところに、とある夫婦がおりました。
 昔と言っても、それほど昔ではなく、二十年~三十年程前のお話です。
 その夫婦はとても仲良く、幸せに暮らしていました。
 そして、夫婦が結婚してから数年後、奥さんは子供を身籠りました。
 夫婦はとても喜び、これからのことについて話し合っていました。
 それから何ヶ月か経ったある日、とうとうその時が来ました。
 そうです、赤ちゃんがとうとう産まれたのです。
 産まれてきたのはとても可愛く、瓜二つな女の子の双子でした。
 それからしばらくは、夫婦は双子を大切に育てました。
 そして時間は流れ、双子は徐々に成長していきました。
 ある程度の年齢になると、双子はいつも一緒に遊び、どこへいくのにも二人一緒で、とても仲良く、理想的な姉妹でした。
 しかし、そんな理想的な生活も長くは続きませんでした。
 双子が十歳を過ぎた頃、妹が病気を患っているのが分かったのです。
 それも、現代の科学力では治せないレベルの。
 不治の病、というものです。
 このまま放っておけば、数年も経たずに命を落とす。
 それが医師の見立てでした。
 夫婦は泣き、妹は不安と絶望を感じ、みんなが悲しみに打ちひしがれていました。
 しかし、姉だけは諦めませんでした。
 姉は、妹を守るため、助けるための方法を一生懸命に考えました。
 医師ですらどうにも出来ないと言った病気を治す方法を考えました。
 それは、妹の望みを叶えるためでもありました。

「死にたく……ないよお…」

 余命宣告を受けた妹が、姉と二人っきりのときに言った言葉です。
 ただただ泣いていただけの妹が、泣きながらも口にした唯一の言葉でした。
 姉はその望みを叶えるために行動を起こしました。
 まず姉は、必死に勉強し、医学の事を一年間で徹底的に学び、その全てをマスターしました。
 もう一度言いますが、まだこの双子は十歳です。
 その年齢で医学を極めた姉は、間違いなく天才でしたが、それを達成するのには、は妹を助けたいという強い思いが何よりも必要でした。
 しかし、現代の医学では治せないと言われている、妹の病気を治す手掛かりはありませんでした。
 次に姉は、妹の延命をする方法を考えました。
 妹の命を少しでも延ばす事ができれば、その間に治療法を確立させる事ができる。
 姉はそう考えました。
 では、どうすれば妹の延命が出来るのか?
 妹の患ったこの病気は延命すら難しいと言われています。
 そこで姉はアプローチ方法を変えました。
 まず手を出したのは、コールドスリープ技術です。
 コールドスリープとは、特殊な機械に入る事で、人体の機能を完全に止める技術のことで、コールドスリープ中は、病気の進行を止める事もできます。
 しかし、この案はすぐに捨てる事になります。
 なぜなら、この方法だと、自分だけが老化し、妹は今のままになってしまうからです。
 仮に治療法の確立に十年かかるとして、自分だけそれだけの歳をとってしまえば、今までと同じように妹と接することは不可能です。
 自分がコールドスリープしてしまえば、治療の研究ができません。
 姉の試みはまた振り出しに戻りました。
 そして、ついに姉は閃きました。
 妹を助ける方法を。
 それは、ウイルスの研究でした。
 この頃は、いろんな国が戦争をしており、この国では、人間を無理矢理強化させるウイルスの研究をしていました。
 そのウイルスが人間に感染すると、身体能力が上がり、脳を破壊されない限り動き続ける兵器となってしまうのです。
 姉はこのウイルスに目をつけました。
 『脳を破壊されない限り動き続ける』という事は、心臓や肺を止め、酸素供給が必要ない状態になるという事です。
 それはつまり、身体機能を停止させ、病気の進行を完全に止められるということでもあります。
 そこに考えが至った姉は、すぐに自分も研究に参加しました。
 このウイルスが完成すれば、妹の病気が治る方法が見つかるまで、病気の進行を完全に止める事が出来る上、自分もこのウイルスにかかってしまえば、妹との時間を失わなくて済むのです。
 しかし、当然の如く様々な壁が姉を阻ました。
 このウイルスは、人によって反応を変えました。
 ウイルスの実験台となった多くの者は、ウイルスに適合せずに死んでしまい、生き残った者の大半は自我を失いました。
 ごく僅かに生き残った上で、自我の残る者もいましたが、全員が研究職員を襲ってしまいました。
 こんな未完成なウイルスを妹に投与するわけにはいきません。
 しかし、姉は諦めませんでした。
 ウイルスが人によって反応を変えるなら、妹に完全に適合するように調整をすれば良い。
 そう考えました。
 そして、妹のデータと、ウイルスのデータを比べ、改良に改良を重ねました。
 当然、他の職員には秘密です。
 そして、ウイルスの研究をしてから一年後、妹が病気にかかってから三年が経過した頃、ようやく姉はウイルスを完成させました。
 姉は喜んで妹にウイルスを投与しようとしますが、ここで一つの疑問が頭をよぎります。
 もし、このウイルスが失敗作だった場合、妹を早死にさせてしまうだけです。
 それだけは避けなければなりません。
 臨床試験は必須でした。
 しかし、このウイルスは妹に適合するよう作られているので、妹とDNA情報が似ている者でなければ、臨床試験は行えません。
 ならば、姉が取る行動は一つだけです。
 姉は迷わずにウイルスの入った注射器を自分に押し付けました。
 結果から言えば、実験は成功しました。
 姉は自我を保ったままウイルスに感染する事ができたのです。
 しかし、予想外の事もありました。
 それは、ウイルスを自分に注入してから、しばらくの間暴走してしまっていたという事です。
 その間の記憶はありませんが、部屋が荒れていて、妹の右腕の骨が露出している事を見れば明らかでした。
 恐らく、妹と姉の僅かなDNA情報の違いがこの結果を生んだのです。
 妹を助けるつもりが、傷つけてしまった。
 その事実が姉を悩ませました。
 しかし、このウイルスは感染者が非感染者に傷を負わす事で感染します。
 姉はこれを好機と捉え、急いで妹の記憶をブロックした上で、研究施設の外へと放り出しました。
 記憶をブロックした理由は、妹が自分の存在に悩まなくてもいいようにするためです。
 目を覚ました妹は、何故ウイルスに感染しているかは分からないでしょう。
 そこで混乱させていては、妹の命に関わります。
 何故なら先の姉の暴走で、軍が動き出してしまったからです。
 ウイルスを蔓延させないために、軍は感染者を皆殺しにするはずです。
 つまり、妹も殺される可能性があり、その可能性を低くするための処置でした。
 記憶がなければ、己の存在に悩む事なく戦い、逃げる事が出来る。
 姉はそう考えました。
 先述したように、このウイルスには身体能力を大幅に上げる効果があるので、妹が軍に狙われても、戦って勝てると思い、安心していました。
 しかし、これで終わりではありません。
 妹の病気を治す事ができなければ、今までの行いの全てが無駄になってしまいます。
 姉はすぐに妹の病気を治すための研究を開始しました。
 誰もいなくなった研究所で、たった一人で、十年以上という長い時間をかけて………

「まさか…その姉と妹って……」

「私とあなた、ニンファーちゃんの事だよ」

 今はちょうど、自らの姉を名乗ったニンフの話を聞き終わったところだ。
 ニンフに何かを隠したりする意図はないようで、一を聞けば十が返ってくるような感じだった。
 信じたくはない。
 私の目の前にいるこの女が自分の姉で、このウイルスは私のために作られていたなんて……

「でもさ、そう考えると色々と納得もいくでしょ?」

「何が?」

 聞いたのはクワだった。
 
「例えば、ニンファーちゃんだけがウイルスに感染しても非感染者の味方をしていられる理由とか」

「それは…」

 クワは言葉につまっていた。
 確かに、それは私自身も気になっていた。
 ウイルスが最初から私に適合するように作られていたというなら、確かに納得はいく。

「他にも、ニンファーちゃんが他の感染者よりも高い身体能力を発揮できるのも同じ理由だよ」

「そうだったのか?」

 口を開いたのはハイドだった。

「じゃないと、感染者相手に多対一で戦っても勝てないでしょう?」

 言われてみれば確かにそうだ。
 私と他の感染者の身体能力が同じなら、いくら武器を使っているとはいえ、ここまで生き残る事は不可能だった。

「後は、変異体感染者や自我あり感染者が女の人に多いのも、多分、ニンファーちゃんと遺伝子情報が似ていたからだと推測できるね」

 言われてみれば確かに、変異体感染者は女性に多く、そうでなければ性別不明の姿をしていたものがほとんどだった。
 少なくとも、私は男だと断言できる変異体感染者には会った事がない。

「そんな……じゃあ…この世界は…私のせいで…?」

 私は大きなショックを受けた。
 この世界を破壊してしまった全ての元凶は私だった。
 その事が、私を無気力にしてしまっていた。
 だが、ニンフはゆっくりと首を振る。

「それは違うよ、ニンファーちゃん。この世界を破壊したのは私。ニンファーちゃんはただ死にたくないって私に願っただけ。だからこれは、私の責任。ニンファーちゃんが責任を感じて気に病む必要はないよ」

 そんな風に優しく声をかけてきた。

「ニンファーが……彼女があなたの妹だという証拠は?」

「本人に聞いてみればいいじゃないの。多分、私と直接会って言葉を交わした事で、ブロックした記憶がかなり戻ってきているはずだから」

 そう言われ、私は昔のこと、ウイルスに感染する前の事を思い出そうとする。
 その様子に勘づいたクワが、私を必死に止めようとする。

「ニンファー!否定するんだ!こんな人は君の姉なんかじゃない!」

 しかし、もう手遅れだった。
 私ははっきりと思い出してしまった。
 だが、私は否定しなければならない。
 こんな世界が、私の願いから生まれてしまったという事実は、一人で背負うには重すぎる。

「……あの日…私が『死にたくない』って言った日…あなたはずっと私のそばにいてくれた……」

 ニンフはとても嬉しそうに頷く。

「そうだよ、やっと思い出してくれた?ニンファーちゃん」

「その時、私はもう一言だけ付け足した……あなたが本当に私の姉で…あなたの話が事実なら…その言葉が何か分かるはず……」

「うん、覚えてるよ。確か…『助けてほしい』だっけ?」

 その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。

「ニンファー!大丈夫!?」
 
 クワが慌てて駆け寄り、支えようとするが、私に立ち上がる事は不可能だった。
 全身の力が抜けきってしまっていたからだ。

「嘘っ……本当に…本当に姉さんなの…?」

 私は虚ろな気持ちでそう聞いた。

「だから何度も言ってるでしょ?思い出してくれたんじゃなかったの?」

 確かに思い出してはいた。
 ただし、確信はしていなかった。
 私の記憶と中の姉は、常に笑顔を振りまいて、ちょっとしたことですぐに騒ぎ出すような人だった。
 そして、どこまでも優しかった。
 怪我をしたときや、悩み事を抱えていたときだって、親ではなく姉が力になってくれていた。
 別に親が悪い人というわけではない。
 ただ、私がそれほど姉を信頼していたというだけだ。
 そんな優しい姉が、世界を滅ぼすような事をするなんて考えられなかった。
 姉が世界を滅ぼしてしまった原因はやはり私だ。

「姉さん……ごめんなさい…私のせいで……私のわがままでこんな事を…」

 姉さんは笑って言う。

「だから、これは私の責任なんだよ。ニンファーちゃんは罪悪感とか、そういうものは何も感じなくていいんだよ」

 そう言う姉さんの声は、とても心地よく、安心感のあるものだった。
 そこで気づいた。
 私は、最初に姉さんを見たとき、本気でアルが生き返ったと思った。
 それくらいに、姉さんとアルは似ていた。
 しかし、実際は逆だったのだ。
 アルに初めて会ったとき、初めて会った気がしなかったのは、アルが姉さんに似ていたから。
 この笑顔と安心感、そして、圧倒的なまでの私に対する優しさ。
 本当にそっくりだ。

「ふざけるな……お前の…お前のせいで、どれだけの人が傷つけられたと思っているんだ!」

 普段の柔らかい態度からは想像もつかない程の大声で叫んだのは、クワだった。
 クワの怒声を浴びても、姉さんは何も感じていないような様子だった。
 この場に必要なのは私だけだと言わんばかりの態度だ。

「知らないわね。私はニンファーちゃんさえ助けられればそれでいい。その結果、世界中の人が死のうと関係ない」

 姉さんの声は、さっき私と話していた時とはうって変わり、とても冷たい声になっていた。

「死んでいった人だけじゃない!今この瞬間にも、この世界で生きている人はみんな感染者の恐怖に身を縛られている。お前はなんの罪もない人達の自由を奪っているんだぞ!」

「だから関係ないって言ってるでしょ。どうして私がそんな見たこともない世界の人を気にする必要があるの?ニンファーちゃん一人の命と、世界中の人間の命は、私にとってはニンファーちゃん一人の命の方が何倍も重い」

 姉さんが私の事を考えてくれているのはよく分かる。
 私のために身を粉にして大変な研究をしていたのも分かっている。
 全てが私のためだと言う事を分かった上で、どうしても一つだけ聞きたいことがあった。

「……なら…姉さんは…私がどれだけの人を殺したか知ってる…?」

 私はまだ立ち上がる事が出来ておらず、気力が抜けたまま聞いてみた。
 一時的に姉さんは沈黙した。
 
「そんなの分からない。ニンファーちゃんがウイルスに感染して外に出た時から、私はずっとここで研究してたんだから」
 
 そうだろうとは思った。
 姉さんは私がいつかここに辿り着くことができると思っていたはずだ。
 私が姉さんを信頼していると同時に、姉さんも私の事を信頼しているはずなのだ。
 それは、時と場合さえ違えれば、世界を良くする方に働いたはずだ。

「私は殺し屋として多くの感染者を殺してきた……けど、そのせいで私は苦悩した…感染者も人間なのに……非感染者と同じ人間なのに…『なんで殺さなきゃいけなかったのか』って」

「それは、感染者がニンファーちゃんはを襲うから。身を守るにはそうするしかなかったの」

「姉さんは…私のその苦悩さえ『関係ない』って言うの…?」

「言わない。ニンファーちゃんの事だけは、何一つとしてそんな事は言わない」

「なら……」

「大丈夫、後でそんな事を悩んでいたっていう記憶もしっかり消してあげるから」

「どういうことだ?」
 
 聞いたのはハイドだ。

「要するに、記憶の消去を行い、ニンファーちゃんの病気の治療をした上で、このウイルスを取り除く。そうすれば、ニンファーちゃんは昔みたいに、普通の人間として暮らせる」

 それは…それはまさか、世界が滅亡したという記憶を消去するという事だろうか?

「うん、その通り。ウイルスが蔓延してからの世界の記憶は全て封じる。そうすれば、悩む必要もなくなるでしょ?辛いのは後少しだけだから大丈夫だよ」
 
「それは…嫌だ…」

「どうして?」

 それは何故なら、忘れたくないこともあるからだ。
 例えば、真っ先に思い浮かぶのはアルの事。
 一番最初に出会った私の親友。
 アルの事だけは絶対に忘れたくない。
 他にも、クワと一緒に過ごしたことや、アルの最期だって、辛い出来事だったが、忘れるわけにはいかないのだ。

「なら、そういう風に調整もできる。消したい記憶だけ消して……ああ、でもそうすると、別の記憶と噛み合わなくなっちゃうから、偽の記憶を植え付けることになるかな?」

 私の要求に応じた案をすぐに考えてくれる。
 それはとても嬉しい。
 姉の理想系とも言える程、姉さんは妹である私の事を考えてくれている。
 だが、その思いは、姉さんの私に対するその思いは……

「さっきお前は『ウイルスを取り除く』と言ったな?」

 唐突なタイミングでハイドが口を開く。
 ずっと言うタイミングを待っていたのだろう。

「うん、言ったよ」

「なら、ワクチンのようなものがあるということだな?」

「もちろん。じゃないと、ニンファーちゃんを完璧に助ける事が出来ないからね。あくまでニンファーちゃんは人として生き、人として死ぬ事を望んだんだから」

「そうか、なら、話は早いな」

 そう言ってハイドは手に持ったマシンガンを姉さんに向けた。

「やめといたら?私には絶対に勝てないよ」

 姉さんの忠告を無視し、ハイドは引き金を引いた。 
 だが、その内の一発も姉さんには当たらなかった。
 姉さんは距離を詰め、ハイドの心臓を貫こうとした。
 しかし、その直前にハイドの部下が飛び出したことで、ハイドの命は守られた。
 意識を無くしたその部下は、地面に転がった。
 ハイドは己を庇った者を完全に無視していた。
 まるで、それが当然であるかのように…
 しかし、今はそんな事はどうでもいい。
 今この場で注目すべきは、姉の戦闘能力の高さだ。
 恐らく、姉のスピードは私を上回っている。
 ここにいるメンバーの中で、それに気づいたのは、私とクワとハイドだけだった。

「どういうことだ?何故この女よりもお前の方が強い?さっきの話は嘘だったのか?」

 姉さんは余裕の表情で答える。

「さっきの話は嘘じゃない。世界に蔓延しているウイルスは、ニンファーの遺伝子情報に合わせて作られている」

「なら……」

「でも、このウイルスは私自身が作った。つまり、このウイルスの事を知り尽くしている」

「まさか……」

「そう、私は自分のウイルスを自分に合うように改良した。まあ、双子といっても、遺伝子情報が百パーセント一致しているわけじゃないから、仕方のない措置だったし、私がいじったのは、ウイルスじゃなくて自分の体」

 確かにその理屈ならあの異常な素早さも納得できる。
 さらに、その話が本当なら、速さだけではなく、攻撃力も私より高いだろう。
 姉を殺すのは不可能だ。
 しかし、この場の私以外の殺し屋は、誰も諦めていなかった。
 ハイドが片手をあげ、全員が武器を構える。
 当然、クワも自分の武器を構えていた。
 クワは、持っていた狙撃銃を床に置き、例の拳銃、操作銃コントロールガンを手にしていた。
 私は未だに動けずにいた。
 姉さんから世界の真相を聞いた時から、私の体は動かない。
 先に動いたのは姉さんの方だった。
 武器を持たないのにも関わらず、十人以上の殺し屋相手に物怖じしていない。
 一人が死に、二人が死に、三人目が死んだ。
 クワと姉さんはまだ生きている

「…もう……やめて……」
 
 私は一人で呟き、何故こんなにモヤモヤした気持ちになるのかが分からなかった。
 私は再び戦闘を見守る。
 人数差なんて関係ないほどの実力差があった。
 クワはまだ生きていた。
 何人死のうと、決着が着くまで、この戦いは終わらない。
 新たに四人目が死に、五人目が死に、六人目が死んだ。
 クワと姉さんはまだ死んではいない。

「……もう…やめて…」

 さらに戦闘は激化していき、もう何人死んだかなんて数えたくなくなった。
 私はようやくこのモヤモヤの正体に気づいた。

「もうやめてよ!」

 私は叫んで動き出し、姉さんの前に立つ。
 姉さんは攻撃態勢に入っており、私の心臓は抉られた。

「えっ…嘘…」

 姉の声が聞こえた。
 私は感染者なので、心臓をどうされようがなんの問題もない。
 ただ、もう一つ。
 姉さんが殺そうとした殺し屋も、ちょうど銃の引き金を引いたところだった。
 そして、その弾丸は、私の目に直撃し、脳を貫通していた。

「…ニンファー…そんな…何で…」

 後ろでクワの声も聞こえた。
 そう、姉さんが殺そうとしたのはクワであり、私はクワが放った弾丸に撃たれたのだ。
 クワはしばらくの間呆然としていた。
 体の力が抜け、崩れ落ちてしまう。
 体の部位の一つ一つがとても重く感じ、感覚はどんどん失われていき、やがて、猛烈な寒気を感じた。
 私は死ぬ。
 あれだけ死を嫌がっていたのに、いざこうなってみれば、恐怖は微塵も感じなかった。
 姉さんが私を抱えて、ある機械の上に乗せる。

「急いで治さないと……でも、どうすればいい?脳の代わりとなるような部品なんて存在しない……複製には時間がかかる……」

 私の意識はどんどん遠くなっていった。

「脳の機能を止める?いや、それだと意味がない…なら……」

 未だに私を助けようとする姉さんは、本当に理想的な姉だと思った。
 恐らく、もう手遅れだと、誰よりも分かっているのは、姉さんのはずだ。
 
「何でこんな事をしたの⁉」

 姉さんは私の勝手な行動に怒っているようだった。
 
「私…は…もう…誰に…も死…んで…欲しく…ない…特に…クワと…姉…さん…には…」

 喋るだけでもかなりしんどい。

「私は…あなたを助けるために…あなたを助けるためなら、どんな犠牲を出したって構わないのに…」

 姉さんは涙を流していた。
 私は姉さんの頬にそっと手を置いて、親指で涙を拭う。
 それだけの動きにさえ、相当な体力が必要だった。

「姉…さんは…私…を愛…して…くれて…いる…それは…本…当に…嬉…しい」

 もう私には意識がほとんど残っていない。
 自分が何を言っているのかも分からなかった。

「でも…その…愛は…私…には…大き…過ぎる…だから…姉さん…の…その…大きな…愛を…私…への…気持ち…を…世界…の…人達…に…少し…ずつ…分けて…あげて…」

 姉さんは泣きながら何度も頷いた。

「うん…もちろん…ニンファーチャンの頼みなら…私は…なんだって引き受けるよ」

 その言葉を聞いて安心した。
 しかし、まだ死ぬわけにはいかない。
 最期にどうしても言いたいことがある。
 それを言うまでは死ねない。
 私はアルの真似をして、笑顔で別れることにした。

「じゃあ…ね…あり…がとう…姉さん…」

 言えたのはそれだけだった。
 本当はクワにも別れを言いたかったのだが、これが限界だった。
 こうして、私は死んでしまった。
 

 

 
 




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