16 / 38
《第二章》あなたを守りたい
第十五話
しおりを挟む
机の上に置いてあるスマホに目をやると、タイミングよくメールが来た。
『遼子先生と一緒にビルを出ました。今日は駅前にある立ち食いソバのお店に寄ります』
深雪からの報告を読み終えてすぐ帰り支度に取りかかろうとしたら岡田の声がした。
「メール来たんですね」
「ええ。今日は立ち食いソバを食べに行くみたいです、二人で」
机の向こうで書類の山を整理している岡田に目線を向けると、ほっとしたような顔をしていた。が、すぐに表情を引き締めた。
「これで、本当に良かったんですか?」
向けられた目は不満げだった。
遼子に愛を打ち明けた夜から数日が経つ。この間なるべく遼子と顔を合わせないよう岡田と深雪に協力を求めたところ二人は承諾してくれた。が、岡田は納得できていないのかもしれない。別所は岡田の黒い目をまっすぐ見つめ口を開く。
「これで良かったんですよ」
遼子は生真面目だ。あの夜のことで自分に対し後ろめたい気持ちを抱えているのは容易に想像がつく。だから良好な関係を築いている深雪が側にいれば彼女の気を紛らわしてくれるに違いない。他力本願ではあるが、遼子が会社を去る日まで余計なことで心を乱してほしくなくて別所は深雪に頼んでいたのだった。
「岡田。君には申し訳ないとは思っているよ」
「えっ?」
「だって最低でもあと一ヶ月は一緒に食事をとれないわけですから、深雪くんと」
岡田が不満に感じていることと言えば、それしか思い浮かばない。ところがそうではなかったらしく、岡田は呆れたような顔をした。
「そんなことはどうでもいいんですよ。俺が不満なのは一度振られたからといってすぐ諦めたことです」
岡田は諦めが悪く、振り向かせる方法を間違えたことで深雪から軽蔑の目を向けられていた。しかし篠田のパーティーの夜、何があったのか二人の関係はいくらか修復したらしく、よく言えば友人以上恋人未満、悪く言えば付き合っているのかいないのかわからない状態らしい。足掻いて足掻いてようやく深雪と恋人になれそうなところまではい上がった岡田から真摯なまなざしを向けられ心苦しくなってきた。本音を言えば諦めたくない。が、篠田から聞かされた話で今は「引く」べきときだと悟ったのだ。
「諦めてはいませんよ。でも、今は「そのとき」ではなかったということです」
「意味がわかりません」
「君だって経験があるはずだよ。なんにでも押すべきときと引くべきときがある」
岡田は思い当たることがあるのか、ハッとした顔をした。
そう、今は引くべきときだ。遼子の気持ちが落ち着くまで、過去に負った痛手がまだ癒えていない彼女が、自分と同じように乗り越えるのを待つしかない。
「さて、そろそろいい頃合いだ。きっと今頃遼子先生は深雪くんとおいしいソバを食べているだろうし、僕たちもうどんでも食べていきませんか?」
笑みを向けると、岡田は苦笑いした。
「もちろんおごりですよね、社長の」
「ええ。寒くなってきたし温かいうどんを食べて帰りましょう」
帰り支度を済ませエレベーターホールへ向かおうとしていたら、会社の受付に見知らぬ男がいた。
受付を担当している人間は帰社したはずだから当然いない。なのにスーツ姿の男はカウンターのあたりをうろうろとしているものだから不審に感じて仕方がない。別所は岡田とともにダークグレーのスーツを着た男に近づいた。
「弊社にいらした方ですか?」
別所が慇懃に尋ねると
「こちらに麻生遼子という弁護士がいるはずですが、会わせてもらえないでしょうか?」
男は憮然とした態度で答えた。突然遼子の名前が飛び出したものだから、別所は驚く。
「大変申し訳ございません。麻生はすでに退社しました」
答えたのは岡田だ。
「もしよろしければ名刺をいただけますか? こちらに来ていたことを麻生に伝えますので」
そつなく岡田が聞いたら、
「いえ、また来ますので。では」
正体不明の男は、気まずそうな顔で目の前から去った。
「遼子先生に会いに来たのは仕事ではなさそうですね」
声を潜めて岡田に言うと、
「俺もそう思います。念のためあいつにメールします」
着ているコートのポケットからスマホを取り出した。
「あいつ」とは深雪のことだろう。岡田が深雪を「あいつ」と呼んだことも気になるが、今さっき顔を合わせた男のことが気になって仕方がない。
年の頃は三十代後半から四十代。几帳面そうな雰囲気の男だった。
弁護士としての遼子を尋ねて来た男。といって思い浮かぶのは元のクライアントだが、遼子がうちに来る際、補佐をしていた弁護士に仕事をすべて引き継いだと言っていた。それにもしもかつての依頼人が仕事で彼女に連絡することがあるのなら、メールや電話を使ったっていい。そこまで考えを巡らせていたら、どうしてなのかわからないけれど遼子の別れた夫ではないかと思い浮かんだ。
「まだ店にいるそうです。帰る方向が同じなので理由をつけてマンションまで送りますと返ってきました」
思案している間に深雪から返事が来ていたらしい。
いずれにせよ、遼子がいないことを教えたら用はないとばかりに逃げるように去ったから嫌な予感しかしない。本音を言えば今すぐにでも遼子の後を追いかけて自ら送り届けたいができないことが苛立たしい。別所は内心で臍を噛む。
「岡田、頼みがある。今すぐ深雪くんと遼子先生のところへ行ってください」
岡田に目を走らせると、彼はハッとした顔をした。
「わかりました。行ってきます」
ただ事でないと感じたのか彼はすぐさま表情を引き締めて、エレベーターの脇にある階段へ向かったのだった。
『遼子先生と一緒にビルを出ました。今日は駅前にある立ち食いソバのお店に寄ります』
深雪からの報告を読み終えてすぐ帰り支度に取りかかろうとしたら岡田の声がした。
「メール来たんですね」
「ええ。今日は立ち食いソバを食べに行くみたいです、二人で」
机の向こうで書類の山を整理している岡田に目線を向けると、ほっとしたような顔をしていた。が、すぐに表情を引き締めた。
「これで、本当に良かったんですか?」
向けられた目は不満げだった。
遼子に愛を打ち明けた夜から数日が経つ。この間なるべく遼子と顔を合わせないよう岡田と深雪に協力を求めたところ二人は承諾してくれた。が、岡田は納得できていないのかもしれない。別所は岡田の黒い目をまっすぐ見つめ口を開く。
「これで良かったんですよ」
遼子は生真面目だ。あの夜のことで自分に対し後ろめたい気持ちを抱えているのは容易に想像がつく。だから良好な関係を築いている深雪が側にいれば彼女の気を紛らわしてくれるに違いない。他力本願ではあるが、遼子が会社を去る日まで余計なことで心を乱してほしくなくて別所は深雪に頼んでいたのだった。
「岡田。君には申し訳ないとは思っているよ」
「えっ?」
「だって最低でもあと一ヶ月は一緒に食事をとれないわけですから、深雪くんと」
岡田が不満に感じていることと言えば、それしか思い浮かばない。ところがそうではなかったらしく、岡田は呆れたような顔をした。
「そんなことはどうでもいいんですよ。俺が不満なのは一度振られたからといってすぐ諦めたことです」
岡田は諦めが悪く、振り向かせる方法を間違えたことで深雪から軽蔑の目を向けられていた。しかし篠田のパーティーの夜、何があったのか二人の関係はいくらか修復したらしく、よく言えば友人以上恋人未満、悪く言えば付き合っているのかいないのかわからない状態らしい。足掻いて足掻いてようやく深雪と恋人になれそうなところまではい上がった岡田から真摯なまなざしを向けられ心苦しくなってきた。本音を言えば諦めたくない。が、篠田から聞かされた話で今は「引く」べきときだと悟ったのだ。
「諦めてはいませんよ。でも、今は「そのとき」ではなかったということです」
「意味がわかりません」
「君だって経験があるはずだよ。なんにでも押すべきときと引くべきときがある」
岡田は思い当たることがあるのか、ハッとした顔をした。
そう、今は引くべきときだ。遼子の気持ちが落ち着くまで、過去に負った痛手がまだ癒えていない彼女が、自分と同じように乗り越えるのを待つしかない。
「さて、そろそろいい頃合いだ。きっと今頃遼子先生は深雪くんとおいしいソバを食べているだろうし、僕たちもうどんでも食べていきませんか?」
笑みを向けると、岡田は苦笑いした。
「もちろんおごりですよね、社長の」
「ええ。寒くなってきたし温かいうどんを食べて帰りましょう」
帰り支度を済ませエレベーターホールへ向かおうとしていたら、会社の受付に見知らぬ男がいた。
受付を担当している人間は帰社したはずだから当然いない。なのにスーツ姿の男はカウンターのあたりをうろうろとしているものだから不審に感じて仕方がない。別所は岡田とともにダークグレーのスーツを着た男に近づいた。
「弊社にいらした方ですか?」
別所が慇懃に尋ねると
「こちらに麻生遼子という弁護士がいるはずですが、会わせてもらえないでしょうか?」
男は憮然とした態度で答えた。突然遼子の名前が飛び出したものだから、別所は驚く。
「大変申し訳ございません。麻生はすでに退社しました」
答えたのは岡田だ。
「もしよろしければ名刺をいただけますか? こちらに来ていたことを麻生に伝えますので」
そつなく岡田が聞いたら、
「いえ、また来ますので。では」
正体不明の男は、気まずそうな顔で目の前から去った。
「遼子先生に会いに来たのは仕事ではなさそうですね」
声を潜めて岡田に言うと、
「俺もそう思います。念のためあいつにメールします」
着ているコートのポケットからスマホを取り出した。
「あいつ」とは深雪のことだろう。岡田が深雪を「あいつ」と呼んだことも気になるが、今さっき顔を合わせた男のことが気になって仕方がない。
年の頃は三十代後半から四十代。几帳面そうな雰囲気の男だった。
弁護士としての遼子を尋ねて来た男。といって思い浮かぶのは元のクライアントだが、遼子がうちに来る際、補佐をしていた弁護士に仕事をすべて引き継いだと言っていた。それにもしもかつての依頼人が仕事で彼女に連絡することがあるのなら、メールや電話を使ったっていい。そこまで考えを巡らせていたら、どうしてなのかわからないけれど遼子の別れた夫ではないかと思い浮かんだ。
「まだ店にいるそうです。帰る方向が同じなので理由をつけてマンションまで送りますと返ってきました」
思案している間に深雪から返事が来ていたらしい。
いずれにせよ、遼子がいないことを教えたら用はないとばかりに逃げるように去ったから嫌な予感しかしない。本音を言えば今すぐにでも遼子の後を追いかけて自ら送り届けたいができないことが苛立たしい。別所は内心で臍を噛む。
「岡田、頼みがある。今すぐ深雪くんと遼子先生のところへ行ってください」
岡田に目を走らせると、彼はハッとした顔をした。
「わかりました。行ってきます」
ただ事でないと感じたのか彼はすぐさま表情を引き締めて、エレベーターの脇にある階段へ向かったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる