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《第二章》あなたを守りたい
第十七話
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「社長、これお願いします」
出社したらコーヒーとともに小さな紙を差し出された。
「これは?」
昨日の出来事の顛末を聞きたかったが、別所は岡田が差し出している紙に手を伸ばす。
「昨日、麻生先生を自宅まで送り届けるために立ち寄ったたい焼き屋の領収書です」
領収書を受け取り、記載されているものに目を通す。遼子が住んでいるエリアにある店のものだった。
「ということは、うまくいったんですね」
別所は内心で安堵しつつ着ていたジャケットの内側から財布を出す。
「はい。先生に聞いてみたら元のクライアントかもしれないと言っていました」
笑みを浮かべる岡田から報告されたがどうにもすっきりしないのは、電話やメールではなく対面を求める理由がわからないからだ。
例えば、近くまで来たから顔を見に来たというのなら話はわかる。名刺を渡さなかったのは遼子に気を遣わせないためだという理由なら納得もできよう。でも、逃げるように去った来訪者の態度が引っかかって仕方がない。が、遼子が元のクライアントではないかと言っているのだから、それで終わりだ。岡田に金を渡し、もやもやした気持ちを苦いコーヒーで流し込んだ。
「そういえばそこのたい焼き、うまかったです。手土産でもいけると思います」
「そう。じゃあ、たい焼きが大好きな会計士さんのところに持って行こうかな」
と言ったものの、遼子が住んでいるエリアにあるから足を向けづらい。彼女が会社にいるときに行くのなら大丈夫かもしれないが……、と考えていたら、
「吉永に当分のあいだ麻生先生を送り届けるよう頼んだら、じゃあ二人であの辺りのスイーツ巡りをすると言ってました」
「ああ……、遼子先生が住んでいるエリアもおいしいスイーツのお店がいくつかあるからでしょうね。じゃあこれを深雪くんに渡しておいてください」
別所は財布から金を取り出し、紅葉の絵が描かれている点袋にいれて岡田に差し出した。
「当面の資金です。元はと言えば僕が頼んでいたことだから負担を掛けさせたくない」
本来ならば深雪に直接渡すべきところだが遼子を自宅まで送り届ける理由とはいえ、自分の楽しみでもあるからと言って受け取らないような気がした。ならば岡田を介して渡せば受け取らざるを得ないはずだし、仮に必要ないと突っぱねたら有能な秘書がどうにかしてくれるに違いない。そう思ってのことだった。すると、
「俺も一緒に行きますので今回のように手土産の調査代として社長に請求する、でどうですか? これなら誰にも負担を掛けません。社長以外は」
そう言って岡田はにやっと笑った。
「そうすれば吉永くんと一緒にいられますからね」
別所も意地悪く笑ってみせると、岡田はバツが悪そうな顔をした。どうやら図星らしい。
「今度は……、頑張ろうと思います」
「え?」
「吉永のことです。篠田さまのパーティーのとき話ができたおかげです」
岡田の真摯なまなざしと引き締まった表情が、彼の本気を物語っていた。自分と遼子はうまくいかなかったが、若い彼らは前に進むことができたらしい。それが我がことのように嬉しくて別所はほほ笑んだ。
「そう。二人とも僕にとって大事な社員だ。できることなら幸せな未来を手にしてほしい」
年を重ねると不思議なことに自分の周りにいる人間が幸せになることを願うようになっていた。それはおそらく年齢的なものだろう。
五十にまもなく手が届く自分の未来はたかがしれている。幸せになりたいとは思うけれど、考えようによっては現在だって十分幸せだから多くは望まない。ただ、叶うことなら遼子とともに笑い合える穏やかな日々を送りたいけれど今は無理だ。つらい記憶が脳裏に浮かび、別所は目を伏せる。
「麻生先生のことについては俺と吉永に任せてください。何かあればすぐにお知らせします」
「うん。お願いするよ。僕は遼子先生に心苦しい思いはさせたくないからね」
本音を言えば愛を伝えたがばかりに遼子と会話を交わせないのがつらい。楽しみのひとつにしていた他愛ないやりとりができなくなってしまうのなら打ち明けなければ良かったとも悔やんでいる。でも、日ごと夜ごとに募る恋心に耐えきれなかったのは自分だ。それに自分と同じく離婚した過去がある彼女に、未来を考えられる心の余裕があるかどうかわからないまま告白したのは時期尚早だった。
『遼子先生が離婚するまでに負った心の傷は生半可な数じゃない。女や妻という言葉で追い詰められ続けた結果、恋愛や結婚は避けて通りたいものになってしまったとしても不思議な話じゃない』
篠田は詳しい話はしなかったけれど、遼子が離婚に至った理由は聞いた話である程度想像はつく。真面目な彼女のことだから無理に無理を重ねていたに違いないし、そんな彼女が負った心の傷は相当なものだろう。だから自分以上に一歩踏み出すまでの時間が掛かって当然なのだ。そう思い至り、別所は気持ちを切り替えて岡田が机の上に置いた書類に手を伸ばしたのだった。
夕方になり岡田がいそいそと帰り支度を始めた。挨拶を済ませ部屋を出て行く彼の背中を見送ったあと別所は仕事を切り上げた。
十分後岡田から建物を出ると連絡が入り、別所は一階へ向かった。軽い食事をしようと喫茶室へ行こうとしたら、すでにビルを出たはずの遼子と彼女を訪ねて会社に来た男が何やら話していた。挨拶と言うには近い二人の距離が気になったが様子を離れたところから眺めているうちに遼子の表情がこわばっていることに気がついた。ただならぬものを感じ取った別所は、
「遼子さん、お待たせしました」
朗らかな笑みを浮かべて遼子に近づいた。すると男は気まずそうな顔で少し離れたが、遼子は突然の出来事に狼狽しているようだった。
「あれ? 先日はどうも。遼子さんを尋ねていらしたんですか?」
のんきを装い相手に尋ねたところ、
「よ、用は済みましたので失礼します」
と言い残し、そそくさと立ち去ったのだった。
出社したらコーヒーとともに小さな紙を差し出された。
「これは?」
昨日の出来事の顛末を聞きたかったが、別所は岡田が差し出している紙に手を伸ばす。
「昨日、麻生先生を自宅まで送り届けるために立ち寄ったたい焼き屋の領収書です」
領収書を受け取り、記載されているものに目を通す。遼子が住んでいるエリアにある店のものだった。
「ということは、うまくいったんですね」
別所は内心で安堵しつつ着ていたジャケットの内側から財布を出す。
「はい。先生に聞いてみたら元のクライアントかもしれないと言っていました」
笑みを浮かべる岡田から報告されたがどうにもすっきりしないのは、電話やメールではなく対面を求める理由がわからないからだ。
例えば、近くまで来たから顔を見に来たというのなら話はわかる。名刺を渡さなかったのは遼子に気を遣わせないためだという理由なら納得もできよう。でも、逃げるように去った来訪者の態度が引っかかって仕方がない。が、遼子が元のクライアントではないかと言っているのだから、それで終わりだ。岡田に金を渡し、もやもやした気持ちを苦いコーヒーで流し込んだ。
「そういえばそこのたい焼き、うまかったです。手土産でもいけると思います」
「そう。じゃあ、たい焼きが大好きな会計士さんのところに持って行こうかな」
と言ったものの、遼子が住んでいるエリアにあるから足を向けづらい。彼女が会社にいるときに行くのなら大丈夫かもしれないが……、と考えていたら、
「吉永に当分のあいだ麻生先生を送り届けるよう頼んだら、じゃあ二人であの辺りのスイーツ巡りをすると言ってました」
「ああ……、遼子先生が住んでいるエリアもおいしいスイーツのお店がいくつかあるからでしょうね。じゃあこれを深雪くんに渡しておいてください」
別所は財布から金を取り出し、紅葉の絵が描かれている点袋にいれて岡田に差し出した。
「当面の資金です。元はと言えば僕が頼んでいたことだから負担を掛けさせたくない」
本来ならば深雪に直接渡すべきところだが遼子を自宅まで送り届ける理由とはいえ、自分の楽しみでもあるからと言って受け取らないような気がした。ならば岡田を介して渡せば受け取らざるを得ないはずだし、仮に必要ないと突っぱねたら有能な秘書がどうにかしてくれるに違いない。そう思ってのことだった。すると、
「俺も一緒に行きますので今回のように手土産の調査代として社長に請求する、でどうですか? これなら誰にも負担を掛けません。社長以外は」
そう言って岡田はにやっと笑った。
「そうすれば吉永くんと一緒にいられますからね」
別所も意地悪く笑ってみせると、岡田はバツが悪そうな顔をした。どうやら図星らしい。
「今度は……、頑張ろうと思います」
「え?」
「吉永のことです。篠田さまのパーティーのとき話ができたおかげです」
岡田の真摯なまなざしと引き締まった表情が、彼の本気を物語っていた。自分と遼子はうまくいかなかったが、若い彼らは前に進むことができたらしい。それが我がことのように嬉しくて別所はほほ笑んだ。
「そう。二人とも僕にとって大事な社員だ。できることなら幸せな未来を手にしてほしい」
年を重ねると不思議なことに自分の周りにいる人間が幸せになることを願うようになっていた。それはおそらく年齢的なものだろう。
五十にまもなく手が届く自分の未来はたかがしれている。幸せになりたいとは思うけれど、考えようによっては現在だって十分幸せだから多くは望まない。ただ、叶うことなら遼子とともに笑い合える穏やかな日々を送りたいけれど今は無理だ。つらい記憶が脳裏に浮かび、別所は目を伏せる。
「麻生先生のことについては俺と吉永に任せてください。何かあればすぐにお知らせします」
「うん。お願いするよ。僕は遼子先生に心苦しい思いはさせたくないからね」
本音を言えば愛を伝えたがばかりに遼子と会話を交わせないのがつらい。楽しみのひとつにしていた他愛ないやりとりができなくなってしまうのなら打ち明けなければ良かったとも悔やんでいる。でも、日ごと夜ごとに募る恋心に耐えきれなかったのは自分だ。それに自分と同じく離婚した過去がある彼女に、未来を考えられる心の余裕があるかどうかわからないまま告白したのは時期尚早だった。
『遼子先生が離婚するまでに負った心の傷は生半可な数じゃない。女や妻という言葉で追い詰められ続けた結果、恋愛や結婚は避けて通りたいものになってしまったとしても不思議な話じゃない』
篠田は詳しい話はしなかったけれど、遼子が離婚に至った理由は聞いた話である程度想像はつく。真面目な彼女のことだから無理に無理を重ねていたに違いないし、そんな彼女が負った心の傷は相当なものだろう。だから自分以上に一歩踏み出すまでの時間が掛かって当然なのだ。そう思い至り、別所は気持ちを切り替えて岡田が机の上に置いた書類に手を伸ばしたのだった。
夕方になり岡田がいそいそと帰り支度を始めた。挨拶を済ませ部屋を出て行く彼の背中を見送ったあと別所は仕事を切り上げた。
十分後岡田から建物を出ると連絡が入り、別所は一階へ向かった。軽い食事をしようと喫茶室へ行こうとしたら、すでにビルを出たはずの遼子と彼女を訪ねて会社に来た男が何やら話していた。挨拶と言うには近い二人の距離が気になったが様子を離れたところから眺めているうちに遼子の表情がこわばっていることに気がついた。ただならぬものを感じ取った別所は、
「遼子さん、お待たせしました」
朗らかな笑みを浮かべて遼子に近づいた。すると男は気まずそうな顔で少し離れたが、遼子は突然の出来事に狼狽しているようだった。
「あれ? 先日はどうも。遼子さんを尋ねていらしたんですか?」
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と言い残し、そそくさと立ち去ったのだった。
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