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《第二章》あなたを守りたい
第二十一話
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遼子が休みをとった翌日、別所はいつもの時間に出社して自分の席に着いた。机の上に置かれているファイルの山は「今日やるべき仕事」だ。一番上にあるものに手を伸ばそうとしたらドアをノックする音がした。
「どうぞ」
声を掛けてすぐ扉が開いた。目線をそちらに向けると、ゆっくりと開いた扉の陰に遼子がいたものだから驚いた。別所は目を大きくする。
「りょ、遼子先生? どうしました?」
慌てて席を立ったのは、遼子の思い詰めたような顔を目にしたからだ。まさか「あの男」がまた現れたのではないか。そう思いソファに座るよう促したら、彼女は暗い表情で席に着いた。
「……なにか、ありましたか?」
俯く遼子の表情に迷いの色が見えた。相手が言おうか言うまいか躊躇しているときは喜ばしい話ではないことが大半だ。別所は気持ちを引き締めて、彼女が口を開くのを待った。
「篠田さまの奥様のことなのですが……」
「あの男」のことではなくホッとしたものの、篠田の妻の話だと聞いて不安になった。
「富貴子さんのことでしたら昨日篠田から聞きました」
「え?」
遼子が怪訝な顔をする。心の片隅にある疑念がむくむくと頭をもたげた。
「仙台に住んでいる娘さんのお産が近いので、手伝いに行っていると篠田は言ってました」
そう、たしかに篠田はそう言っていた。しかし義理を欠かしたことがない富貴子が、周年祝いの礼状の手配をせずに娘のもとへ行ったとは思えないのだ。
篠田は嘘をついていない。何か事情があって隠さなければならないなら、ごまかそうとするときのクセをするはずなのに昨日はなかったから確信を持って言える。では富貴子が篠田に嘘をついているとしたら?
目の前で何かを言おうとしている遼子の姿から、新たな疑念が生じた。
「あの……、実は昨日奥様に電話を掛けたんです。篠田さんのパーティーでお姿をお見かけしませんでしたが何かあったんですかって……」
意を決したような顔で遼子は重い口を開く。
「そうしたら、回診の知らせが聞こえてきまして……」
「回診? まさか病院、ですか?」
別所は身を乗り出した。
「はい……、それで奥様に聞いたら、篠田さんには内緒で抗がん剤の治療のために入院されているのだと……」
驚くべき話を聞かされ一瞬何も考えられなくなった。が……、
「ちなみに、その病院は仙台の大学病院に勤務されている娘さんの旦那様が探したところだそうです」
遼子の落ち着いた声で現実に戻ることができた。
「どうして……、篠田に秘密にしているんでしょうか……」
「それは……、篠田さんが大げさに受け取ってしまいかねないからとしか……」
「ああ、まあ、わかります……」
篠田は何事にも動じない気持ちの強さがあるように思われがちだが、実は人一倍臆病だ。もしも愛妻が病気であるとわかれば我が身を振り返ることなく看病することだろう。
「でも、がんなんですよね、富貴子さんは。隠していい病じゃない」
「ですよね……」
遼子は視線の先で心苦しそうな顔をした。
「だからといって篠田に告げ口するようなことはしたくない。富貴子さんの気持ちを尊重したいから」
「私も、です。それでどうしたらいいか相談したくて……」
誰かから秘密を打ち明けられるのは、ある意味その人の気持ちを背負うのと同じだ。しかもその誰かが大事な人であればるほど重い。それに秘密にしてほしい相手も大切な人間ならば、一人で背負いきれず苦しくなるものだ。
「富貴子さんはいつまで入院なんです?」
「……副作用がなかったそうなので、あと数日で退院できるそうです。治療を終えたら仙台の娘さんのところに行く予定とおっしゃっていました」
「そう、じゃあ今日、一緒にお見舞いに行きましょう」
「えっ!?」
「篠田には伏せておきます。でも、また入院するときはちゃんと話すよう言わないと。あなたからは言いにくいと思いますので、僕が優しく説得します。それでどうです?」
抗がん剤治療は一度だけではない。何度も何度も行う治療だ。富貴子だってわかっているはずだし、これから都度都度篠田に嘘をついて治療を行ったっていつかはばれる。そのとき篠田はきっと悲しい気持ちになる。そして富貴子もつらいだろう。不毛としか言いようがない事態に陥らないように自分ができるのはそれだけだ。それに遼子一人に秘密を背負わせたくない気持ちもあった。
「ということで、お互い仕事を早く切り上げて一緒に富貴子さんのところに行きましょう」
安心させるために笑みを向けると、遼子はホッとしたような顔をした。
「どうぞ」
声を掛けてすぐ扉が開いた。目線をそちらに向けると、ゆっくりと開いた扉の陰に遼子がいたものだから驚いた。別所は目を大きくする。
「りょ、遼子先生? どうしました?」
慌てて席を立ったのは、遼子の思い詰めたような顔を目にしたからだ。まさか「あの男」がまた現れたのではないか。そう思いソファに座るよう促したら、彼女は暗い表情で席に着いた。
「……なにか、ありましたか?」
俯く遼子の表情に迷いの色が見えた。相手が言おうか言うまいか躊躇しているときは喜ばしい話ではないことが大半だ。別所は気持ちを引き締めて、彼女が口を開くのを待った。
「篠田さまの奥様のことなのですが……」
「あの男」のことではなくホッとしたものの、篠田の妻の話だと聞いて不安になった。
「富貴子さんのことでしたら昨日篠田から聞きました」
「え?」
遼子が怪訝な顔をする。心の片隅にある疑念がむくむくと頭をもたげた。
「仙台に住んでいる娘さんのお産が近いので、手伝いに行っていると篠田は言ってました」
そう、たしかに篠田はそう言っていた。しかし義理を欠かしたことがない富貴子が、周年祝いの礼状の手配をせずに娘のもとへ行ったとは思えないのだ。
篠田は嘘をついていない。何か事情があって隠さなければならないなら、ごまかそうとするときのクセをするはずなのに昨日はなかったから確信を持って言える。では富貴子が篠田に嘘をついているとしたら?
目の前で何かを言おうとしている遼子の姿から、新たな疑念が生じた。
「あの……、実は昨日奥様に電話を掛けたんです。篠田さんのパーティーでお姿をお見かけしませんでしたが何かあったんですかって……」
意を決したような顔で遼子は重い口を開く。
「そうしたら、回診の知らせが聞こえてきまして……」
「回診? まさか病院、ですか?」
別所は身を乗り出した。
「はい……、それで奥様に聞いたら、篠田さんには内緒で抗がん剤の治療のために入院されているのだと……」
驚くべき話を聞かされ一瞬何も考えられなくなった。が……、
「ちなみに、その病院は仙台の大学病院に勤務されている娘さんの旦那様が探したところだそうです」
遼子の落ち着いた声で現実に戻ることができた。
「どうして……、篠田に秘密にしているんでしょうか……」
「それは……、篠田さんが大げさに受け取ってしまいかねないからとしか……」
「ああ、まあ、わかります……」
篠田は何事にも動じない気持ちの強さがあるように思われがちだが、実は人一倍臆病だ。もしも愛妻が病気であるとわかれば我が身を振り返ることなく看病することだろう。
「でも、がんなんですよね、富貴子さんは。隠していい病じゃない」
「ですよね……」
遼子は視線の先で心苦しそうな顔をした。
「だからといって篠田に告げ口するようなことはしたくない。富貴子さんの気持ちを尊重したいから」
「私も、です。それでどうしたらいいか相談したくて……」
誰かから秘密を打ち明けられるのは、ある意味その人の気持ちを背負うのと同じだ。しかもその誰かが大事な人であればるほど重い。それに秘密にしてほしい相手も大切な人間ならば、一人で背負いきれず苦しくなるものだ。
「富貴子さんはいつまで入院なんです?」
「……副作用がなかったそうなので、あと数日で退院できるそうです。治療を終えたら仙台の娘さんのところに行く予定とおっしゃっていました」
「そう、じゃあ今日、一緒にお見舞いに行きましょう」
「えっ!?」
「篠田には伏せておきます。でも、また入院するときはちゃんと話すよう言わないと。あなたからは言いにくいと思いますので、僕が優しく説得します。それでどうです?」
抗がん剤治療は一度だけではない。何度も何度も行う治療だ。富貴子だってわかっているはずだし、これから都度都度篠田に嘘をついて治療を行ったっていつかはばれる。そのとき篠田はきっと悲しい気持ちになる。そして富貴子もつらいだろう。不毛としか言いようがない事態に陥らないように自分ができるのはそれだけだ。それに遼子一人に秘密を背負わせたくない気持ちもあった。
「ということで、お互い仕事を早く切り上げて一緒に富貴子さんのところに行きましょう」
安心させるために笑みを向けると、遼子はホッとしたような顔をした。
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