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第四話【逢瀬】
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病院を後にする。日が昇って少し暑いくらいだ。携帯の待ち受けを表示させる。午後二時。本来であれば、既に二、三神社を回って小休憩をとっているところだろう。どうして、自分はこんな目に――、と腕に視線をやると、明らかに変色した部分が増えている。焦っても仕方ない、今は情報を集めるのが先だ。
山中からもらったパンフレットを広げる。あった。図書館。若狭を探すのももちろん大事だが、妖怪や怪異について、あまりにも自分は無知だ。自分にとり憑いている妖怪の正体まで行き着けなくても、何かしらヒントを得られるかもしれない。
お目当ての図書館には迷うことなくたどり着けた。京の町の景色によく溶け込んだ、立派な佇まい。パンフレットには、古都らしく民俗や怪異、神社やお寺の書籍が多いことで有名、と記載されている。まさに、今の自分にもってこいだ。
案内板を見て、二階へと上がる。年月を感じさせられる背表紙がずらりと並んだ本棚。妖怪、と一括りにいってもかなり細かく分類されるようで、とりあえず『図説・動物妖怪』というタイトルの分厚い本を取り出してぱらぱらと捲ってみる。蛇の妖怪なら、この本に載っているかもしれない。
八岐大蛇、ミズチ、濡れ女に蛇帯、七歩蛇…、蛇の妖怪だけでこんなにも。神話に登場するものから、ごく一部の地域に伝承されるものまで様々だ。
その中で、ひとつ、引っかかる名前があった。
『清姫』
その昔、安珍という僧に一目惚れした少女が居た。彼女は必死にアプローチをかけるが、安珍は僧侶の身。やんわりとお断りをした後、『後日必ず挨拶に伺うから』とその場を後にする。少女は、彼の言葉を信じ、素直に待っていたが、いつまで経っても姿を現さない。嘘をつかれた、と激怒した少女は、逃げた安珍を裸足のまま追いかける。追いつかれた安珍は、『自分は安珍ではない』と嘘に嘘を重ね、さらに少女を激昂させる。その姿を大蛇に変え、さらに逃げる安珍を追いかける。安珍は逃げた先で大きな鐘の中へと隠れるが、大蛇に鐘ごと業火に灼かれ、死亡。
この伝承から、少女――清姫は執念深い女性の妖怪として知れ渡る。
清姫に関する話の大筋はこんなところだ。
どうして清姫の項目に不思議と惹かれたのか。
考える前に、それはふわりと舞い降りてきた。
『やっと、わたしを見つけてくれたのね。愛しいひと。かわいいあなた』
華奢な体躯の少女が、ふわふわと目の前にさかさまの状態で舞い降りる。絹糸のようにやわらかな緑の髪が、彼女の動作に合わせて揺れ、白い体を包む桃色の着物は、太ももあたりまでしか生地がなく、見えそうになる度こちらが不安になるほどだ。
ここまではよかった。外国人の女の子かな? で済んだ。しかし、頭部に生えた双角と、少女の背で揺れる長い尾が甘い考えを全否定する。
見ず知らずの、可憐な少女。でも、本能が、正体を知っている。
「きよ、ひめ」
「ええ、わたしは清姫。かの大嘘つきの僧侶をを妬き殺した執念深き妖蛇。でも、それは昔のこと。過去の過ち。やっと、やっと見つけた。見つけてくれた。愛しいひと。今度こそ、ちゃんと愛するわ」
清姫は屈託のない花のような笑顔をこちらに向ける。彼女の可憐な見た目からは恐ろしい蛇の化け物など想像できない。呆気にとられたまま、二度三度目をぱちくりさせる。
「き、みは…、どうして俺なんかにとり憑いたんだ?それに、君はどうやって復か…」
『だめよ。女の子を急かす男の子は嫌われちゃうわ』
清姫の白い人差し指が明の唇に触れる。いや、実際には彼女は霊体のようなので、触れる真似をした、の方が正しい。
『私もね、本当は色々とお話したいのだけど、私自身状況が飲み込めてないの。気付いたら、意識がはっきりして、いつの間にかあなたと同化していたから…』
『ずっと、ずうっと長い間、私は暗い海底のような冷たい場所に居たわ。感覚もあるのかどうかさえわからなくて』
ああ。そうだ。俺はなぜかその情景を知っている。何もない、誰もいない、寂しくて、馬鹿でかい檻の中に閉じ込められたような感覚。
『でも、これからはあなたがずっと私の隣に居てくれるのね。…うれしい。私たちは、ひとつになる』
つい、と清姫の指先が明の腕を指す。やはり。変色箇所が増え、出所の腕に関しては、もはや肌色の部分の方が少ないほどだ。侵食が進んだからこそ、彼女も顕現できたのだろう。
「でも、俺は…、まだお前に乗っ取られるわけにはいかないんだ」
何も目指すものがない、やりたい事も、守りたい事もない。いっそ、彼女にこの使い道の見当たらない体を受け渡したほうが有意義なんじゃないか、とさえ思う。
だけど、本能が嫌だといった。俺は、俺のままでいたい、生きたいと。土壇場で人間の本音が垣間見える、というのはこういうことを言うのだろう。
俺には、未来がない。だから、見つけたい。それまで、お前にこの体をやるわけにはいかない。
『そう。残念。でも、はいそうですか、ってあっさりと自分の体をあげちゃう方がどうかしているものね。その返答は予想していたから、平気よ』
言葉通り、彼女の顔には焦りも動揺も浮かんでいなかった。ふわふわと舞いながら笑うその仕草には、余裕さえ感じる。それは、自分が圧倒的に優位な立場にいるから。放っておいても、自分と俺との融合は進む、から。
今はまだ彼女が俺の体をどうこうできる段階ではないらしい。頭も通常通り働くし、手も足も自由に動く。大丈夫だ。精神科医――山中の言っていた若狭を探し、助力を願おう。開きっぱなしだった本を棚へと戻して、階段を降りる。
『私、頑張る男の人って好きよ』
彼女は明の頭上で小さくそう呟いて、うっとりと目を細めた。
山中からもらったパンフレットを広げる。あった。図書館。若狭を探すのももちろん大事だが、妖怪や怪異について、あまりにも自分は無知だ。自分にとり憑いている妖怪の正体まで行き着けなくても、何かしらヒントを得られるかもしれない。
お目当ての図書館には迷うことなくたどり着けた。京の町の景色によく溶け込んだ、立派な佇まい。パンフレットには、古都らしく民俗や怪異、神社やお寺の書籍が多いことで有名、と記載されている。まさに、今の自分にもってこいだ。
案内板を見て、二階へと上がる。年月を感じさせられる背表紙がずらりと並んだ本棚。妖怪、と一括りにいってもかなり細かく分類されるようで、とりあえず『図説・動物妖怪』というタイトルの分厚い本を取り出してぱらぱらと捲ってみる。蛇の妖怪なら、この本に載っているかもしれない。
八岐大蛇、ミズチ、濡れ女に蛇帯、七歩蛇…、蛇の妖怪だけでこんなにも。神話に登場するものから、ごく一部の地域に伝承されるものまで様々だ。
その中で、ひとつ、引っかかる名前があった。
『清姫』
その昔、安珍という僧に一目惚れした少女が居た。彼女は必死にアプローチをかけるが、安珍は僧侶の身。やんわりとお断りをした後、『後日必ず挨拶に伺うから』とその場を後にする。少女は、彼の言葉を信じ、素直に待っていたが、いつまで経っても姿を現さない。嘘をつかれた、と激怒した少女は、逃げた安珍を裸足のまま追いかける。追いつかれた安珍は、『自分は安珍ではない』と嘘に嘘を重ね、さらに少女を激昂させる。その姿を大蛇に変え、さらに逃げる安珍を追いかける。安珍は逃げた先で大きな鐘の中へと隠れるが、大蛇に鐘ごと業火に灼かれ、死亡。
この伝承から、少女――清姫は執念深い女性の妖怪として知れ渡る。
清姫に関する話の大筋はこんなところだ。
どうして清姫の項目に不思議と惹かれたのか。
考える前に、それはふわりと舞い降りてきた。
『やっと、わたしを見つけてくれたのね。愛しいひと。かわいいあなた』
華奢な体躯の少女が、ふわふわと目の前にさかさまの状態で舞い降りる。絹糸のようにやわらかな緑の髪が、彼女の動作に合わせて揺れ、白い体を包む桃色の着物は、太ももあたりまでしか生地がなく、見えそうになる度こちらが不安になるほどだ。
ここまではよかった。外国人の女の子かな? で済んだ。しかし、頭部に生えた双角と、少女の背で揺れる長い尾が甘い考えを全否定する。
見ず知らずの、可憐な少女。でも、本能が、正体を知っている。
「きよ、ひめ」
「ええ、わたしは清姫。かの大嘘つきの僧侶をを妬き殺した執念深き妖蛇。でも、それは昔のこと。過去の過ち。やっと、やっと見つけた。見つけてくれた。愛しいひと。今度こそ、ちゃんと愛するわ」
清姫は屈託のない花のような笑顔をこちらに向ける。彼女の可憐な見た目からは恐ろしい蛇の化け物など想像できない。呆気にとられたまま、二度三度目をぱちくりさせる。
「き、みは…、どうして俺なんかにとり憑いたんだ?それに、君はどうやって復か…」
『だめよ。女の子を急かす男の子は嫌われちゃうわ』
清姫の白い人差し指が明の唇に触れる。いや、実際には彼女は霊体のようなので、触れる真似をした、の方が正しい。
『私もね、本当は色々とお話したいのだけど、私自身状況が飲み込めてないの。気付いたら、意識がはっきりして、いつの間にかあなたと同化していたから…』
『ずっと、ずうっと長い間、私は暗い海底のような冷たい場所に居たわ。感覚もあるのかどうかさえわからなくて』
ああ。そうだ。俺はなぜかその情景を知っている。何もない、誰もいない、寂しくて、馬鹿でかい檻の中に閉じ込められたような感覚。
『でも、これからはあなたがずっと私の隣に居てくれるのね。…うれしい。私たちは、ひとつになる』
つい、と清姫の指先が明の腕を指す。やはり。変色箇所が増え、出所の腕に関しては、もはや肌色の部分の方が少ないほどだ。侵食が進んだからこそ、彼女も顕現できたのだろう。
「でも、俺は…、まだお前に乗っ取られるわけにはいかないんだ」
何も目指すものがない、やりたい事も、守りたい事もない。いっそ、彼女にこの使い道の見当たらない体を受け渡したほうが有意義なんじゃないか、とさえ思う。
だけど、本能が嫌だといった。俺は、俺のままでいたい、生きたいと。土壇場で人間の本音が垣間見える、というのはこういうことを言うのだろう。
俺には、未来がない。だから、見つけたい。それまで、お前にこの体をやるわけにはいかない。
『そう。残念。でも、はいそうですか、ってあっさりと自分の体をあげちゃう方がどうかしているものね。その返答は予想していたから、平気よ』
言葉通り、彼女の顔には焦りも動揺も浮かんでいなかった。ふわふわと舞いながら笑うその仕草には、余裕さえ感じる。それは、自分が圧倒的に優位な立場にいるから。放っておいても、自分と俺との融合は進む、から。
今はまだ彼女が俺の体をどうこうできる段階ではないらしい。頭も通常通り働くし、手も足も自由に動く。大丈夫だ。精神科医――山中の言っていた若狭を探し、助力を願おう。開きっぱなしだった本を棚へと戻して、階段を降りる。
『私、頑張る男の人って好きよ』
彼女は明の頭上で小さくそう呟いて、うっとりと目を細めた。
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