蛇姫ノ怪

葦原

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第三話【覚】

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 よかった。思った通りに、病院が視界に入る。入り口が複数あり、用途ごとに分かれているらしいが、今はそれどころではない。申し訳なく思いつつ、一番近い入り口から直行し、受付の女性に声をかける。あまりに動揺したため、いの一番に右腕をずい、っと見せてしまった。声こそ上げないものの、息を呑む気配が伝わる。女性とはいえ、日々病院で患者の容態を診るのが仕事なのだ。ナースの臨機応変な対応を見て、自分も少し落ち着いた。なに、今すぐどうこうなるわけではない、と信じたい。

「ええ。そうです。よろしいですか?…はい、了解しました。お願いします」

 どこかに電話をかけているようだった。短い問答の後、七階に案内される。
 ちょうど昼飯時だからか、人はまばらだ。すぐに医者のもとへと通される。一先ずは安心だ、とほっと息をつく。

「こんにちは。初めて、だね。…はあ…なるほど、これは。確かに」

 ぼやっとしているうちに、年配の先生が変色した腕を診てくれる。幾千練磨らしき老年の医者でも、滅多に目にしない症状なのか、やたら触診しては、ほう、やら、むう、と何やら呟いている。なんというか、少しくすぐったい。

 長々と観察、もとい触診された後、先生は内線らしきもので誰かと連絡を取り出した。する事もさしてないので様子を見ていたが、先生の表情が固い。苦手な相手と言葉を交わしているのだろうか。
 ややあって、受話器を置いた先生がくるりとこちらに向かい直す。

「たらい回しにして申し訳ないんだけど、精神科に行ってくれるかな」  

「はい。…はい?」

 思わず頷いてしまったが、精神科。せいしんか。一般的に、心に病を抱えた患者が赴くところ、と認知されているのでは。俺の変容してしまった右腕は、精神からくるストレスが原因、だったりするのか…?

「ああ、いや。精神科、というよりは、精神科の先生、なら適任だと思ったまでだよ」

 なるほど。その精神科の先生は専門外の奇病に詳しい、という事か。

「…あの。差し出がましいのですが。先生は、精神科の先生が苦手…なのでしょうか」

 先ほど内線でやり取りしていた際の表情。少なくとも、相手に好意があるとは思えなかった。あれは、苦手な人種を相手にする時の表情だ。もし、精神科の先生とやらが一癖も二癖もある人物なら、心構えをしておきたい。

「…顔に、出てしまっていたか。いけないな。次からは気をつけよう。…そうだなぁ。まだまだ医者としては若いのに、患者の悩みにきちんと向き合い、快方へと向かわせる。凄腕の医者だよ。」

「それが理由で、女性にモテて困る、なんて言っていたが。生意気な奴だ」

 なんて言いながらも、先生の口元は笑みを作っている。
 そうか。人の心に寄り添えるなら、女性が惹かれるのも納得だ。でも。

「先生が、苦手とする理由は、他にあるんですよね」

 先ほどの口ぶりからだと、そうは感じられなかった。むしろ、歳の離れた後輩への、裏返しの敬意を感じたのだ。

「…そうだな。君は、今から彼と向き合う事になる。話しておいた方がいいだろう。が、今から私が言うのはあくまでも私、の主観だよ。いいね?」

「あいつは…優秀すぎるんだ。いくら精神科、それなりの努力を積んできたと言われても、だ。それこそ、心が読めるんじゃあないか、と疑うほどの」

「文明が進んだこの時代、それも、医者の私がこんな事を言うのは馬鹿げていると承知しているよ。…それでも、不審な点が多すぎる。気を引き締めることだ」

 心を読める。
 普段の自分であれば、何を馬鹿な、と一蹴したはずだ。だけど。
 緑色に変色し、時間が経つにつれ、だんだんと固くなる右腕を見る。
 こんな原因不明の症状があるのなら、或いは。


◆◆◆


 うーん、とひとつ縮こまった体を伸ばす。あたたかい寝床に、やわらかい日の光、そして、くすぐるような耳障りのいい声。知らない声だったが、不思議と安心した。先ほどまで人の往来がある場所にいたようなのだが、今はしんと静かで、時折ささやくような声が聞こえるだけだ。集中すると、鼻につん、と薬草のような匂いを感じる。
 この人は、どこか怪我を負ってしまったのだろうか。大きなものじゃないといいけれど。それは、後で確認しよう。

 殻がぴしぴしと破けるような音がする。

 目醒めの刻は、もうすぐ。


◆◆◆


 件の精神科は向かいの棟にあり、ものの数分でたどり着けた。先ほどよりもさらに人影はなく、薄気味悪さを感じるほどだ。思わずホラー映画に出てくる廃病院を連想してしまい、右腕をさする。

「君だよね。腕が変色しちゃった、って患者さんは」

 唐突に話しかけられてびくり、と情けなく肩を震わせてしまう。みっともない。視線を上げると、自分より頭ひとつ分高いところに、心配そうにこちらの様子を見る男性の姿があった。歳は三十歳と少し、といったところだろうか。焦げた茶色の髪を、後ろにひとつでまとめ、長い前髪はピンで無造作に留めてある。ぽりぽりと頬を掻く仕草、控えめな顎鬚からはとても想像できないが、着ている白衣が彼を医者だと物語っている。

「はい。あなたが、精神科の…?」

 そういえば、名前を聞いていなかった。口篭る俺の様子から察してくれたのか、目の前の医者はにこやかに名前を告げてくれた。

「山中。山中覚。紹介に預かった精神科担当だよ。ここじゃあなんだし、診察室に行こう」

 山中は柔和に笑って、そのまま俺を診察室に案内する。どうも頼りない男性、という印象が強いが、笑顔は不思議と惹かれるものがある。人の心を読み、女性を虜にしてしまう、というのも頷けた。

「さあ座って座って。畏まらなくていいからね」

 診察室に足を踏み入れると、ふわりと甘い香りが漂った。アロマ、だろうか。落ち着く匂いだ。清潔感を感じるスペースには、落ち着いた色合いの椅子と机が並べられ、壁際には様々な種類の本がある。病院の代名詞ともいえる無機質さ、はなに一つ感じられない。まるで人の家の一室のようだ。物珍しくてついきょろきょろと辺りを見渡してしまう。

「はは。初めての人はみんなそんな表情になるよ」

 既に座ってくつろいでいる山中が資料に目を通しながら笑いかける。老年の先生のあいつは心が読める、という台詞を思い出したが、今のは自分の態度があからさまだったのだろう。少し恥ずかしくなってそそくさと山中の目の前の椅子に座った。

「さて。本題に入ろうか」

 山中はぱたん、と手にしていた本を閉じる。そういえば、何を見ていたんだろう。ちらりと横目で表紙を見る。『図録 初心者でも分かる妖怪の神秘!』と、内容にそぐわないポップ体ででかでかとタイトルが――。

 ――妖怪?

「あのじいさんから聞いた時はもしや、と思ったけど。この目で直接見て確信したよ」


「君は、妖怪にとり憑かれている」


 たらり、と冷や汗が頬を伝うのがわかる。妖怪?そんな、非現実的な。残念ながら自分には霊感といったオカルト的な能力は何一つない。それどころか、身の回りで霊象が起こったことも、聞いたことも。

 しかし、必死に否定する俺の努力も虚しく、右腕が告げている。
 受け入れろ。そうだ、これは。人がどうこうできるものではない、怪奇現象だと。

「しっかりするんだ。いいかい、何も今すぐにどうにかなってしまう、というわけじゃない。その理由はおいおい説明するけど、まずは冷静に僕の話を聞いてくれ」

 山中が、まっすぐにこちらを見る。何をもって、安心なんていえるんだ、なんて威勢よく言いたかったが、口の中はからからで、黙って瞬きで肯定を伝えることしかできなかった。

「その腕の色、硬さ。おそらく蛇の…それも、かなりの邪念、執念をもった妖怪にとり憑かれてる。蛇の妖怪なんてごまんといるから、今の段階では何に、と断言はできないけれど…」

 蛇。言われてみればその色、硬さは蛇の鱗に酷似している。改めて触ってみると、その表面はつるつると滑らかだ。

「それと。今すぐに危険性がない理由を説明すると言ったね。それは、今ここに一例があるからだよ」 

 目を伏せた山中は、自分の胸をとん、と叩いた。一例、一例と言ったか。それは、つまり――。

「うん。僕も、十年前にサトリ、という心が読める妖怪にとり憑かれたんだ。あの偏屈なじいさんから聞いただろう?君や患者さん、初対面の人に至るまで、あらゆる人の思考、悩み、隠し事が手に取るようにわかるんだ」

 サトリ。ゲームか何かのモンスターで見たことがある。それでは、精神科医というのも、心が読めるというサトリの力によるものなのだろうか。

 そういえば、自分は緊張でほとんど言葉を発していないのに、こうして会話が成立しているような。今更、だけど。

「君は、そうだな。進路に悩んでる。自分が何をしたいのか、どうすればいいのか。一度、日を改めて僕のところへ相談しに来てほしいくらいだ」

 山中は腕を組んでうんうん、と頷いてみせる。うるさい、余計なお世話――ではないのか。だって、彼はそれを本業にしているのだ。この腕をどうにかできたら、観光ついでに相談しに訪れるのもアリかもしれない。

 でも。いや待て待て。山中は『十年前にサトリに憑かれた』と言った。それは、今も変わらない。ということは、自分もこのまま――?

「それは早計だ。僕は半ば諦めてしまったけど、君にはまだ希望がある。十年前、僕と行動を共にしていた若狭、という人物が居てね。彼なら、君の症状をなんとかできるかもしれない」

「彼、随分と妖怪に詳しくてね。僕も色々と世話になったもんだ。フィールドワーク、だとか言って、いつもは日本全国津々浦々、居場所が掴めないんだけど、不幸中の幸い。たしか、今はこの周辺をうろうろしていると聞いたよ」

 そう言って、山中はポケットから携帯を取り出して操作する。ひょい、と見せてきたのは一枚の写真だ。件の若狭なる人物だろう。その佇まいの美しさに目をみはる。長く結わえられた銀髪に、左右で色の違う、宝石の如きかがやきをもつオッドアイ。山中は、彼が妖怪に詳しい、と評していたが、この浮世離れした容姿を見せられては、彼自身が人離れた人外そのもの、と言われても納得してしまうだろう。

「この目立つ見た目だ。すれ違っただけでも記憶に残る。町を中心に聞き込みをしたらどうかな?ああ、あとこれ」

 山中の胸ポケットから出てきたのは、京都市街の詳しいパンフレットと、彼の名刺だ。

「何かあれば、ここに…っと」

 立ち上がろうとして、ふいに山中の体がぐらついた。すぐ傍の机に手をついたので倒れることは無かったが、その様子からして、とても体調がいいとは思えない。

「大丈夫ですか?誰かに、診てもらった方が…」

 幸い、ここは病院だ。すぐにでも診てもらった方がいいだろう。

「ああ、いや。心配には及ばないよ。ここのところ、夢見が悪くてぐっすり眠れてないんだ。朝起きると汗ぐっしょり、なのに夢の無いようないまいち覚えていない…なんて、ストレスとかたまってたらよくあることだろう?まあ、精神科の職業病みたいなものさ」

 なるほど。いくらサトリの力を行使していても、毎日のように人の悩みを聞いて、対処しているのだ。自分が滅入ってしまうのも仕方がないのだろう。

「そういうこと。少し休んだらよくなるさ。君は自分のことに集中するんだ。いいね?」

 山中は薄く笑って、診察室を後にする。自分も、ひやりと冷たい廊下に出て、出口へと向かう。


◆◆◆


 気配がする。自分と同じ、化生の類。それは、自分と同じくらい、もしくは自分以上の力を持っている。早く出たい、自由になりたい、暴れたい、食らいたい、と檻の中でぎゃんぎゃんと騒いでいる。なんて品のない獣の声だろうか。
 
 そう五月蝿くしなくても、その刻はもうすぐだろうに。どうして大人しく待てないのか。獣を閉じ込めている檻はもうあちこちガタがきている。軋み、拉げ、檻として機能できるのも、あと幾ばくか。

 あれが、世に放たれたらどうなるのだろう。真っ赤な血の海が広がり、ヒトの肉が浮かぶ。あたりはヒトの阿鼻叫喚でまみれるだろう。そんな情景を想像する。

 でも、わたしと、あなた。わたしたちには関係ない。
 二人ぼっちの、小さいけれど、あたたかくて心地いい世界。
 わたしは、夢を見る。

 きっと、きっと。叶えてみせる。あなたと、一緒に。

 嘘のない、やさしい世界を――。
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