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日本02. 最強の戦士、満員電車に屈す
しおりを挟む平日の昼下がり。
カタカタ、と小気味の良いタイピング音が、静かなワンルームに響いていた。
数日前まで、この身体の脆弱さに絶望し、ひたすら肉体を鍛えることしか考えていなかった戦士アッシュ。
しかし、賢者エリアーデとの邂逅以来、彼はその驚異的な集中力と学習能力を、未知の機械——パソコンの習得に注ぎ込んでいた。
その成果がこれだ。
「アッシュよ、問う。表計算において、C列の3行目から18行目までの数値を合計する関数は?」
「=SUM(C3:C18)」
アッシュはスラスラと答えた。
流石は、元の身体で戦闘中に正確な魔法陣を脳裏に描けた戦士である。
「よろしい。では、プレゼンテーションソフトで、新しいスライドを現在のスライドの次に挿入するショートカットキーは?」
「Ctrl+M」
「では、万が一。全ての動作が停止し、操作不能に陥った場合、最初に取るべき手段は?」
「……電源ボタンを長押しし、強制終了。その後、再起動する」
「……最終手段を最初に持ってくるな、馬鹿者」
エリアーデの冷たいツッコミが、アッシュの背中に突き刺さる。
「全く。それじゃあ作りかけていたもんも消えちまうかもしれんじゃ無いか」
じっとりとした視線のエリアーデに対して、アッシュは涼しい顔をして答えた。
「……また、作ればいい話では??」
「普通はそんな脳筋的な解決方法はとらないんだよ!!」
とうとうエリアーデが声を荒げて叱り飛ばした。基本操作はほぼ完璧に覚えたアッシュだったが、彼の思考回路は、問題解決の方法として常に最もシンプルで最も破壊的な手段を選びがちであった。
やれやれ、とため息をつくエリアーデであったが、予想よりもアッシュの学習能力が高いことに安堵はしていた。
「まあ……ひとまずそこまで頭にはいってりゃあ上々だ。この坊やの仕事の開始まであと7日ある。それまでにこっちの常識も詰め込まんとね……」
「エリアーデ殿、それまでに向こうに帰る算段は立たないのだろうか」
画面から顔を上げたアッシュは、複雑そうな顔でエリアーデに尋ねた。
事実、必要ならばとエリアーデに言われるままに習得したものの、そもそもは早急に元に戻る方がいいに決まっているのだ。
が、エリアーデは首を横に振った。
「魔法陣の研究や組み立てだけなら、あたしの頭脳一つあひゃあどこでもできるさ。しかしねぇ……こっちには魔素が無い」
視線だけで辺りを見渡したエリアーデは、うんざりするような顔で言った。
「こっちの人間の解剖図なんてもんがあったからね、ちょいと調べてみたが……身体の構造はまるっきりあたしらと一緒だ。ってことはだ。原理だけ考えりゃあ、魔素さえあればこっちでも魔法は使えるだろうさ」
「……ならば早急に魔素探しを」
「どこに探しに行くんだい?あてもない、情報もないのに。……焦るんじゃ無いよ戦士殿。探し物ってのは当てもなく探して見つかるもんでもないさ」
そう言ったエリアーデはスマホと呼んだ小さい箱とまた睨めっこを始めた。
何を見ているのかアッシュには不明だったが、どうやら魔素の手がかりを探していたようだ。
「それならば、俺もそちらの情報収集を……」
「いいから戦士殿はそっちに集中しな。万が一かなりの長期戦になったらどうする。金が尽きたら探すどころじゃなくなるんだよ」
エリアーデの言葉に現実を叩きつけられたアッシュ。
悲しいことに、この世界で生き抜くためには、金はどうしても必要なのだ。
こうしてアッシュとエリアーデはそれぞれの役割を明確にした。
エリアーデは魔素の手がかりと解決策を探し、アッシュはその補助とこの世界で生き抜くための労働を担当することになったのだ。
そんなやりとりから数時間後の夕方。
二人は、生活必需品を買い出しに近所のスーパーへと向かった。
食料の枯渇を思い出したアッシュが、包丁を片手に狩りに行こうとしたのをエリアーデが全力で止めた後、呆れ果てた彼女につれられて「はじめてのお使い」へと繰り出したのである。
「……それにしても、この世界の食料は不思議なものが多いな。種類も多いが、鮮度が恐ろしい。捌きたてか??」
「あたしらの世界には無い技術が山盛りだからね。……向こうに帰ってからの研究が捗るってもんだよ、ひひひ」
ニヤニヤと笑うエリアーデとそんな会話をしながらアパートへの道を歩いている時だった。
向かいから歩いてきた見覚えのない青年が話しかけてきた。
「お、佐藤さん、こんばんは!! すごい荷物っすね!」
「……ああ」
アッシュは、この身体の記憶にない顔に、短く応える。
全くもって誰かはわからないが、どうやら知り合いらしい様子だ。
「あれ、佐藤さん、なんか雰囲気変わりました? ガタイも良くなったっていうか……ジムとか通い始めたんすか?」
「……鍛錬は、している」
「やっぱり!! そういえば、もう少ししたら社会人になるって言ってましたっけ?? いやー、毎朝満員電車かあ……。頑張ってくださいね!!」
青年は、同情するような、面白がるような顔で手を振って去っていった。
彼の背を見送った後。アッシュは隣でニコニコと気のいい老人に擬態していたエリアーデに問いかける。
「……エリアーデ殿。『まんいんでんしゃ』とは、一体なんだ?」
「知らん」
むうと眉間に皺を寄せたアッシュを尻目に、エリアーデはその場でスマホに単語を打ち込んだ。
その画面を覗き見ると、表示されたのは、数えきれないほどの記事と、そして……恐ろしい動画であった。
「これが……人の乗り物なのか」
電車のドアが開き、乗り切れないほどの人間が殺到する。
駅員が、まるで荷物を押し込むかのように、乗客を車内へと押し込んでいく。
そんな最中へ、人々は自ら乗り込んでいくのだ。
アッシュには、それがどんな戦場よりも、混沌として見えた。
「……これを、毎朝??」
エリアーデの声は、何よりも恐ろしいものを見たかのように震えていた。
翌朝。
来るべき初出勤に備え、一度その道程を確認するため、アッシュは駅のホームに立っていた。
朝8時。通勤ラッシュのピークである。
「来たぞ……!」
電車が滑り込み、ドアが開いた瞬間、それは始まった。
背後から、無慈悲な人々の波が押し寄せる。抗うことのできない圧倒的な質量。アッシュは、なすすべもなく車内へと押し込まれた。
(息が……! 身動きが取れん!)
四方八方から身体が圧迫され、呼吸すらままならない。
佐藤彼方の身体は、アッシュの屈強な精神とは裏腹に悲しいほどに人々の圧に屈してしまった。
これは、戦いではない。ただ、無秩序な圧力に耐えるだけの苦行。最強の戦士である彼が、生まれて初めて感じる肉体への無力感だった。
数分後。
目的の駅で、まるで吐き出されるかのようにホームに降り立ったアッシュは、ぐったりと壁に手をついていた。
「……なぜ他の人間は平然としているのだ」
鍛えているようには見えない人々が、何事もなかったかのように歩いていく姿に絶望を感じた。
その答えは「慣れ」やら「無の境地」やら、筋力とはまた別のところにあるのだが、アッシュには知る由もない。
やがて、自力でアパートに帰還したアッシュは仁王立ちになり、決意を固めた顔で言った。
「エリアーデ殿。……結論が出た」
「なんだい」
「あれに毎朝耐え抜くためには……この身体では、まだ、全く足りん!!」
最強の戦士は、この世界で新たな目標を見つけた。
「満員電車にむけて準備をせねばならない!!」
その日から、彼のPCトレーニングと並行して、さらに過酷な筋力トレーニングが始まってしまったのだった。
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